「ジャパニーズ・ジャンキーズ・テンプル」 公演情報 ハイブリットハイジ座「「ジャパニーズ・ジャンキーズ・テンプル」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    面白いか面白くないかじゃなくて好きか嫌いかだ
    手加減のない、よい舞台でした。
    なにもかにも過剰。見終わったらぐったりです。
    南美櫻のドスの利いたかわいらしさも健在でした。

    次回の公演が待ち遠しくて仕方ない。

    ネタバレBOX

    ラストの「告白ダンス」ループ。舞台上のダンスにばかり心を奪われて、客席後方で告白を受け止めるハコビ役田中裕子の表情を見逃してはならない。ハコビはどんな気持ちで苦行のように繰り返されるダンスを見ているのか。その苦行を強いているのは他でもない「ずれてる」と毅然として言い放つ自分なのだ。その切なさは登場人物ハコビとしての感情だけではなく、疲労困憊する仲間を見守る田中裕子の切なさのようにも感じられた。

    そして、何か居心地の悪さも感じた。その感覚は何に起因するか。
    田中裕子がこちら(客席)側にいることが端的に示すとおり、ダンスシーンに主宰の天野峻が加わっていることが示す通り、さらにはその天野峻が舞台後方ではなく先頭に立ち田中を見据えてることが示す通り、このダンスシーンは虚構から抜け出し、リアルの世界に極めて近い場所で行われている。(今回、天野峻が役者として出演しているのは当初配役された役者の降板のためと思われるが、主宰がこのダンスに加わっていることは演出意図と考えられる)。劇場での行為がリアルになったとき、我々観客は傍観者にならざるを得ない。その芝居は観客の前に提示されながらも観客を意識しない。だから、わたしたち観客は田中裕子に背を向け、彼女の表情が見えないのだ。
    そしてさらに、私たちは怒っている芝居や泣いている芝居や悲しんでいる芝居を見ても、それは怒っているのでも泣いているのでも悲しんでいるのでもなく、芝居をしているということを知っている。一方、今回の繰り返されるダンスによる役者の疲労は芝居でも演技でもなくリアルな疲労であることに疑いは無く、ダンスのループはリアルを補強する装置の役割を果たしていると理解できる。
    そうして次第にダンスは、わたしたち観客へ向けられたものではなく、田中裕子にのみ開示されているという気がしてくるのであった。
    それが居心地悪く感じた理由です。
    (居心地が悪くて嫌だった、と言っているのではありません)

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    2013/03/10 23:39

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