「俺とあがさと彬と酒と」第1回公演『ふたりマクベス、マボロシ兄妹、ほか短編』 公演情報 DULL-COLORED POP「「俺とあがさと彬と酒と」第1回公演『ふたりマクベス、マボロシ兄妹、ほか短編』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    朝から観る側をマジにさせる力
    ラジオ体操をして、リラックスしたあたりまでは、
    気楽に観れるかなと油断をしていましたが、
    舞台が始まると3秒で、ガッツリと取り込まれました。

    ネタバレBOX

    両作品とも、舞台の密度が半端ではない。

    瞬時で観客jを、一瞬の緩みもなく
    舞台に惹きつけ続ける力がありました。

    (マボロシ兄妹)

    役者の身体の傾ぎに、
    観る側の視座を揺るがす力があって。
    その、どこか不安定なままに固まった感覚が、
    舞台の展開とともに心風景の俯瞰に繫がって。

    昔、この役者が演じたサイコシス4.48の記憶がまず訪れる。
    でも、物語の広がりは、あの芝居に浸った時の閉塞感と次第に乖離して、
    もっとビビッドで生々しい感覚となって観る側にやってくる。

    全てが観る側が持っているものに紐づいてくれるわけではない。
    想いのほかのはみ出しに、当惑する部分もある。
    でも、なんというか、
    役者の表現の意図に支えられて、
    舞台にあるものは、そこに存在して、
    絵となり、世界となるわけですよ。

    ループする感覚、そのループを抜け出した先での新たなループ。
    冒頭の兄の傾いだ身体や、
    その妹の極めて恣意的に道化的な笑いに
    構築される心風景には、うまく言えないのですが、
    五感や六感でも焦点があわないのに、
    その先で世界と自分が共振するような感覚があって。

    分かってしまうと、
    その世界の内と外の区別がつかなくなってしまうような
    漫然とした恐れに浸されながら、
    二人の役者の紡ぐものをひたすら追いかけてしまいました。

    (ふたりマクベス)

    一つの物語のなかで、
    ふたりの役者が描き出すロールの質感が、
    かなり違っているように感じました。
    岡田マクベス夫人には
    女性の感性や感情の自由で細微な描き込みがあり、
    一方の山崎マクベスは、
    その感情が、元ネタの戯曲にそって丁寧に紡がれていく感じ。
    だから、二人のシーンになった時に
    乖離するような感覚が舞台に生まれ、
    少しの間、どこかつかみきれない違和感に捉えられる。

    でも、やがて、
    逆に、その違和感があるからこそ浮かび上がる
    夫婦の空気のリアリティに、
    ぐいぐい惹き込まれる。
    最初は、其々が描くものに目を奪われつつも
    ひとつの肌触りとして受け取れなかった夫婦の姿が、
    主殺しの共犯として手を血で染める、
    マクベスの物語を借景に
    とんでもない立体感が醸し出し始めて。
    そこには、ありえないのにものすごく生っぽい
    夫婦の姿が浮かび上がる。
    もう、ぞくぞくしました。

    観終わって、拍手をして、それで少しして
    なにか揺り戻しのように作品が脳裏に戻ってくる。
    気がつかないうちに、舞台から
    すぐには消化しきれないほどの
    たくさんのものを受け取ったような気がして。
    朝からのこういうお芝居の2本立ては、
    とても良い意味で、なかなかにタフな経験でありました。

    *** *** 

    余談ですが、この舞台の前説も後説も
    実に見事。

    携帯電話の電源オフへの導き方といい、
    観る側がなにげに、ぴったりと心を準備できてしまう
    開演の案内といい、
    終演後には外の状況(天気とか)のインフォメーションが加わったり。

    こういう、スタッフの観る側を芝居にしっかりと向けさせるやり方で、
    観る側はよりたくさんのことを作品から受け取ることができる。

    過去に某劇団の制作をやられていて
    ノウハウを十分お持ちの方とは知っていましたが、
    芝居の感動に加えて、
    こちらにも感動してしまいました。

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    2013/01/06 20:55

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