D51-651 公演情報 パラドックス定数「D51-651」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    事件によってかかわりを持った人々にとっての、下山事件
    事件の謎解きではなく「人」。
    あいかわらず、うまい台本にうまい男優たち。
    120分釘付け。

    ネタバレBOX

    下山国鉄総裁が轢死体で発見され、その死亡の状況から、不自然で謎が多く、ついに迷宮入りしてしまった「下山事件」を扱ったパラドックス定数の事件モノ。

    下山総裁を轢いてしまった蒸気機関車「D51-651」を運転していた機関士と、この事件の周囲にいる人々の話をフィクションとノンフィクションを行き来しながら、というパラドックス定数お得意の手法によって描く。

    この舞台では、「下山事件」の真相究明や謎解きが行われるわけではない。
    機関士とその助手、そして同じ貨物列車に常務していた車掌の3人と、事件によって彼らにかかわった弁護士、刑事、そして役人たちの動く様が語られる。

    「事件そのもの」が語られるわけではなく、事件の真相のひとつではないかということが囁かれていた「国鉄職員の大量解雇」と「それに反対する労組」という構図が、浮かび上がる。
    しかし、それは、「謎解きのためのアイテム」や、他人事のような「解雇」「首切り」ではなく、「仲間」や、「明日の自分たち」のことという身近な出来事として語られ、車掌はかつて組合運動をしていたことから、微妙な立場に追いやられていく様が描かれる。
    経営側と組合側のどちらにいるか、ということではなく、そのときの現場の様子なども台詞にうまく盛り込まれていく。

    さらに、事件の裏で蠢く得体の知れない何か。それも事件の真相を究明するというよりは、彼らにどう影響を与えていったか、という視点だ。

    この構成は「さすが」だと思った。
    正直、「下山事件」の「謎」を解いていくとすると、松本清張のベストセラー『日本の黒い霧』や、その後、数多く出版された書籍、さらに熊井啓がメガホンを取った『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』を、超えるのはかなり困難だと思うからだ。
    たとえ、それらを起点として、フィクションを交えていったとしても、それらの偉大な作品群が観客の脳裏から離れづらいということもあろう。

    そこで、そことは少し距離を置いての、この作品となるわけだ。

    「事件」より「人」、というか「人間臭い」物語になっていたと思うのだ。

    したがって、主人公たち「末端」の人々にとっては、「お役人」や「国鉄の非現業(国鉄職員なので役人ではない)」の人たちは、「上の人」であり、彼らが「誰なのか」は知ることもないし、知ることもできないのだ。
    だから、「お役人」は、 植村宏司さんが「1人」で演じるわけなのだ。

    そういう視線からの「下山事件」ということなのだ。

    この植村さんが演じる「お役人」というのが、なかなかのミソである。これは演劇だからできることなのだけど、彼は、そのシーンによっていろいろな「上の人」を、瞬時に演じ分ける。

    たとえば、「下山総裁その人」や「下村総裁に似た人(幽霊と思われる人)」などもそこに入る。
    映像作品であれば、下山総裁の轢死体が見つかった場所にいる男が、「下山総裁の幽霊ではないか」と思われるというのは、下山総裁に似ていなくてはならない。しかし、彼と話をする弁護士は、最初はそう見えておらず、後から「幽霊だったのでは」と思い出すというのだが、これは「似ていたり」「似ていなかったり」するとできないことなのだ。
    台詞だけで観客をそう思わせるという演劇的なマジックであると言っていい。

    ただし、この「上の人(役人)」が「今、彼は誰なのか」がわかりにくいので、戸惑う観客も多かったのではないだろうか。
    車掌との関係もあったりしたので。
    刑事も同様で、「警察」という組織のようなものを体現していたところもあった。

    物語では、機関士と助手は、事件の真相を明らかにすることではなく、車掌が首切りの対象とならないようにウソの証言をする。
    そして、それを「ウソ」と知りながらも、刑事はさらに車掌のウソ証言を促していく。
    刑事は、上からの圧力により捜査が打ち切られることを嫌っての企みだ。

    そうした「人間臭い」動きがあるものの、実際の事件は真相が明らかにならないまま、迷宮入りしていく。舞台はそこまでを描いていない。なぜならばそこは大切ではなかったからだろう。

    見終わって思ったのは、「事件」ではなく、とても狭い範囲での「人」たちの様を描いたのであれば、「人」の背景をもっと深く描いてほしかったということ。
    特に機関士、彼は満鉄から引き上げて国鉄に入ったという男であり、仕事一筋で、労働組合とは一線を画しているということからも、もう少し彼の人となりが描かれていれば、もっと深みのある作品になったのではないかと思う。
    電車と蒸気機関車のことも少し話していたのだから、そんなことをもう少し…。
    ほかの登場人物も、「生活感」に乏しく(弁当ぐらいで。その弁当も芋とかだったらなぁ…)、そのあたりが個人的にはもう一歩だった。

    実際には、機関士と下山総裁の関係はかつて部下と上司の関係にあったということを知っていたので、機関士が下山総裁を「知らない」「上の人だ」と言い放っていたのが非常に気になっていたのだが、ラストにそれを払拭する、とてもいいエピソードがあった。これはもの凄く良かった。
    これを活かすためにも、やはり機関士、その人について描いてほしかったと思う。
    (弁護士と東京裁判の関係なんていうのはとても面白いし、パラドックス定数ファンなら思わずニヤリとしてしまう。そんな背景の書き込みがもっとあれば…)

    セットは鉄パイプのような足場が組んであるだけ。
    しかし、その細いパイプの無機質な無骨さが、同様に無骨な鉄の塊である蒸気機関車を見事に表しており、このセットのうまさには唸った。

    気になったのは、衣装。
    鉄道について詳しくはないのだが、機関士たちの上着はあれでいいとしても、あのブーツみたいな靴はないと思う。普通に安全靴でよかったのでは。さらに車掌の衣装はあれでは……。少し調べれば戦後間もないころ、車掌はどんな制服だったかぐらいはわかると思う(『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』DVD借りればすぐにわかるものを…)。衣装は予算の問題だとしても、調べれば銀河鉄道999のようなあんな衣装ではないものが作れたのではないかと思う。
    実際の事件を扱うのだから、そのあたりはできるだけ丁寧にしたほうが物語に入りやすいと思う。

    とても細かいことだけど、機関士と助手がそれぞれ証言する「ビュイック」や「ロープ小屋」は、当時あのタイミングでそれらについて新聞発表などがあったのだろうか。ちょっと疑問に思った。

    下山総裁を轢いてしまった「D51-651」という機関車は、下山事件よりも前の1943年に土浦駅で列車事故を起こしている。タイトルが機関車番号だったので、こちらにも触れるかと思っていたが、そうではなかった。

    いろいろ書いてきたが、大傑作とは言わないが、ラストまで観ていくと、パラドックス定数らしい、いい作品だったと思う。

    ちなみに今回の先行予約特典は、「D51-651」キーホルダー。チケットは切符を模したものだった。

    蛇足ながら、これを観て「下山事件って?」と思った方で、松本清張『日本の黒い霧』を読んでなければ、是非読んでみるといいと思う。台詞の中の言葉が結びついたりするかもしれない。

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    2012/12/02 05:19

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