三谷版 『桜の園』 公演情報 パルコ・プロデュース「三谷版 『桜の園』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    残念なことに、思っていたほど面白くはない
    『桜の園』が「喜劇」であることへの思い込みで、なにも『桜の園』をシチュエーション・コメディ仕立てにしなくてもいいのに、と思う。
    いや、ま、してもいいんだけどね…。

    しかも、それほど笑えなかったし。

    ネタバレBOX

    確かに「三谷版」ではあった。

    しかし、『桜の園』が「喜劇」であることにこだわりすぎたのではないだろうか。
    「喜劇」という言葉に、自らが縛られてしまったというか。

    そのために、キャラにいろいろ盛ったり、無理に「笑い」とするための台詞や演出を足したために、逆に面白くなくなってしまった。

    人間の哀しさが「喜劇」として映るわけで、何も「間」や、「面白台詞」で笑わせることだけが喜劇ではないと思う。ドッカンドッカンという爆笑を得るのではなくて。
    もし『桜の園』が喜劇というならば、なんとなく、しみじみと面白いといものだったのではないかと思うのだ(爆笑するということではなく)。

    コメディで「ここ笑ってください」は、それ自体がネライでない場合は往々にして面白くない。

    台詞とかもヘンにいじらずにそのままやったほうが、きちんと面白かったと思う(「笑える」という意味でなくて)。

    例えば、ラネーフスカヤが、ワーリャとロパーヒンを部屋に2人で残すときに、「あとは若いお二人で…」のような台詞は、コメディとしては笑いは取れるかもしれないが、ラネーフスカヤが言う台詞なのかな、と思ったり。
    シャルロッタの猿とかも。
    また、トロフィーモフのハゲネタも、原作には罵り言葉として出てきたとは思うのだか、毛をむしるところまで、ハゲ、ハゲで引っ張っていく。これにはゲンナリした。

    あるいは、出来事にいちいち説明的で面白のオチを付けてみたり。例えば、ラネーフスカヤが母の面影を見るのだが、実はそれはシャルロッタだったとか、浮浪者がピーシチクだったとか。

    そうしたほうが「笑い」につながるとは思うのだけれども、なにも『桜の園』をシチュエーション・コメディ仕立てにしなくてもいいのに、と思う。

    いや、してもいいのだけど、もしそうするのならば、柱だけ残して、あとはもっと思いっきり変え、全然別モノにする゛らいならばよかったのだが(『三谷幸喜の爆笑・桜の園』とか……違うか)、中途半端にオリジナルが多く残っているだけに、なんか残念。

    積み木の家もなんとなくワザとらしすぎだし。
    さらに言えば、その積み木の家をラストでフィールスが壊すのは、意図が不明ではないか。長年屋敷に仕えていた老僕であり、ガーエフを「お坊ちゃま、お坊ちゃま」と呼んでいたのにもかかわらず、突如最後に見せる、黒い本心のようで、気持ちのいいラストではなかった。

    この『桜の園』でよかったのは、強いて言えば、キャラをくっきりしたことぐらいかな(三谷さんの感じたキャラの輪郭において)。

    三谷演劇ではお馴染みの、本人の声による開演前の注意事項アナウンスも、その微妙さがネライだったとしても、まったく面白くなかった。

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    2012/08/17 05:46

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