see/saw 公演情報 Nibroll「see/saw」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    慟哭を聞き、無念さに思いを馳せ、泣きそうになった
    あまりにも、ストレートすぎなのだが。

    映像と音(音楽)で、ダンサーたちの感情と形を増幅させ、会場全体をダンスで埋め尽くした


    『see/saw』を中心に、off-Nibrollとしての一人芝居、さらにインスタレーション作品の展示で、ヨコハマ創造都市センター全館を使っての公演である。

    ネタバレBOX

    オープニングから圧倒された。
    輪が束になって天に上がっていきつつ、その中、一番下のところでで踊るダンサー。

    輪が泡にしか見えず、ダンサーの動きは、自分の吐く泡の中でもがく姿に見えてくる。
    美しくもがく姿というのがインモラル。
    耳鳴りのような電子音が会場を回る。それはまるで耳に水が入ったような感覚の音だ。

    そして、生命が弾けるような光の直線、束。

    人の喪失、過去と記憶が美しく交錯する。
    活き活きとしている「白」のダンサーたちが激しく踊るのだが、冒頭のダンスがあったので、「死」の影がどこまでもつきまとう。
    さらに、それを「黒」いダンサーたちが覆っていく。破れた衣装と、身体のどこかにバンドエイドを貼ってある黒いダンサーたちのストレートな表現。
    嘆き、叫び、慟哭が会場を暴力的に覆っていく。
    もの凄い「音」。五感に響く。

    この「痛さ」「悲痛」さは何であろうか。
    ほんの1年と少し前の記憶が蘇る。
    黒い波が、真っ黒い波が、街を人を生活を飲み込んでいく様子だ。
    何度も何度もテレビやネットで繰り返し見た、あの状況だ。

    呆然として立ち尽くす人々と、モニターのこっち側で、やはり同じように呆然として見ている自分がいた。その距離は大きく違うのだが、このときに自分の中で起こっていた「気持ち」は、この「慟哭」「叫び」「嘆き」であったことに気づかされる。
    折しも、この舞台を観た日は、11日。

    ここから「白」は消え、「黒」の世界になっていく。
    ストレートな映像が周囲を走り、ダンサーたちは翻弄される。
    もがく、必死にもがく。

    人が人を押すように動き回る。押しているのは「人」であったり「物」であったりであろう。
    他人に手を伸ばす人もいる。椅子に自分の逃げ場を見つけ一安心している人もいる。
    しかし、結局は流れの中へ。

    ばらまかれる葬式の花が、「花」からゴミになっていく。「過去」「記憶」になっていく人々。
    本当に辛い状況が延々と続く。

    「不快」にさせる、金属の蓋のようなものを床に叩き付ける音がいつまでも響く。
    しかし、辛さも不快さも痛さも繰り返されることで「マヒ」してしまう。
    それが恐怖でもある。

    タイトルにある『see/saw』は、もちろん「過去」との関係であるが、それを遊具のシーソーにして舞台の中央に置いていた。
    シーソーは、どちらかが下がればもう一方が上がる。どちらか両方が下がったり上がったりすることはない。舞台の上のシーソーは、必ず向かって左側が下がるようにできており、右に誰かが乗らない限り右は下がらない。これはもの凄く暗示的ではないだろうか。
    白と黒のダンサーたち、彼岸とこちら側、シーソーの上下。助かる、助からない…。

    最後に、さてこれからソロのダンスが始まると思った矢先に、ダンサーへバケツで水が浴びせかけられる。これには「ある日突然断ち切られてしまう」ことを強く感じた。その悲痛さ、無念さをだ。それでも踊り続ける。

    最後まで観て思ったのは、ちょっとした芽はあるものの、叫び、慟哭、嘆き、無念、悲痛の中にも、勇気とか愛とか、そんな「記憶」も入れてほしかったということだ。

    ダンサーたちはもの凄くよかった。
    特にメインの4名。その中でも最初に踊った小山衣美さん(だと思う)の、キレの良さ繊細さは素晴らしいと思った。また、福島彩子さん(だと思う)もダイナミックさが印象的だった。

    Nibrollは、ミクニヤナイハラプロジェクトでもそうだが、映像と音楽が素晴らしい。
    今回も、映像(高橋啓祐さん)と音(音楽)(スカンクさん)で、ダンサーの感情と形を増幅させ、会場全体をダンサーたちで埋め尽くしていた。

    ヨコハマ創造都市センターという石造りの会場を見事に使い切っていた。
    音が響きすぎる会場なのに、「音(音楽)」ではそれをうまく使っていたし、「映像」は、三角系で天井の高い形状や柱に意味を与えていたように感じた。
    映像と音は、ダンスよりもさらにストレートなのだが、映像では実写の色調に、音楽では人を突き飛ばすシーンで、リリカルさを感じた。キツイシーンをリリカルにすることで響くものがあるのだ。

    この公演の前には、off-Nibroll の公演として、一人芝居『家は南に傾き、太陽に向かって最も北から遠い』が行われたのだが、こちらも「記憶」がテーマとなっていた。
    『see/saw』を観てから、その公演を振り返ると、「家」「家族」「生活」「記憶」ということが、さらに切なくなってつながっていく。
    インスタレーション作品の中での一人芝居なのだが、小さな「家」がずらっと並んでいる作品であり、『see/saw』での「白」と「黒」の関係、つまり、一人芝居では「夜」だったものが、黒い「不安」(一人芝居でも「不安」はキーワードだったと思うのだが)、もっと言えば、「津波」にも思えてしまうのだ。

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    2012/08/12 07:09

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