満足度★★★
こだわりは好きです
偶然と思えることも、必ず理由、原因があり、その積み重ねが結局は「必然」といわれるものなのだ。
だから私達が日々、選択している、どんな些細なことも、実はあらかじめ決められたもので、自己が自由な意思で選びとったものなど、なにひとつない。
大学時代、こんなことを誰彼問わずに説いていたクラスメイトがいた。宿命論にかぶれた、その友人は、いまどこでなにをしているのだろう。(あるいは、とっくにこの世からさよならしているかもしれない)
登場人物はたくさんいるが、これは原作者の自問自答なのだろうと思う。
循環小数のような展開ながら、この「屁理屈劇」(失礼)を私なりに楽しむことができた。
注文は三つ。
①宿命についてのシンポジウムではないので(また失礼)、もっと身体表現も追求してほしかった。
内容からして、会話劇という形式を意識したのだろうし、劇場の狭さも加味しなくてはならないのだろうが。
これは次回のお楽しみ。
②若い役者さんばかりの劇団は、「熱い」が、「安心感」という点で欠ける傾向にあると思う。
今回出演の役者さんの演技が「なかなかのもの」だっただけに。
客演、友情出演なりで、年齢構成のバランスを図ってみてはどうか。(若さが信条なら仕方ないが)
③この劇は、虚無、希望のどちらを、私たちに選択させようとしているのだろうか。
「それはお客の判断に・・・」でも構わないが、役者同士の稽古の際に、どんな話がでてきたのか興味あるところだ。
私たちに投げられるテーマも悪くないが、劇団員として、原作者として、後者であったことを願う。
希望を、人間の深みを、ぜひ私たちに与える劇であってほしい。