シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ 公演情報 音楽座ミュージカル「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    SF? いや、トンデモSFだ!
     原作に忠実だとしても、脚本は乱雑だと言う他はない。
     せっかくの設定が、後半で台無しにされる、伏線がうまく利かない、その繰り返し。基本、SFなのだが、ストーリーの大半は、これ別にSFにしなきゃならないお話じゃないよなあ、と首を傾げるものばかり。
     ところがそれでつまらないかと言うと、そうでもない。予測が付かない展開に笑いを堪えながら食い入るように観て、要所要所ではホロリとさせられる場面もあったのだから、演劇というのは単純に出来不出来だけでモノが言えるものではないとつくづく思う。ただ、作り手の意図と、受け手の面白がり方にかなり乖離が生じているのも事実だろう。演出効果とは何なのかをもう少し考えてほしい舞台だった。
     ミュージカルとしては、音楽が曲想の似通ったものばかりで一本調子、メリハリに欠ける面が多々ある。ダンスは公演を重ねているだけあって、観られはするが、ブロードウェイミュージカルほどの粋には到達していない。その点でもお勧めはしかねるはずなのだが、自己陶酔型の独り善がりなものになってはいないので、不快感はない。
     役者では、やはり不幸な境遇から立ち直っていくヒロインの佳代を演じた髙野菜々が、関西弁を駆使し、時にはぶっきらぼうに、時には愛らしく、その魅力を一番に発揮していた。
     美術セットの工夫も含めて、見所は満載なのである。だからこれで脚本がもっとマトモだったらねえ(苦笑)。

    ネタバレBOX

     冒頭、UFO(宇宙船)の事故がナレーションで語られる。
     後にこれがラス星人の地球探査船であることが判明するのだが、これが物語にどう関連していくのか、最初の伏線の張り方としては悪くはない。

     物語は、最初の緊迫した展開がなかったかのように、音楽家を夢見る普通の青年・三浦悠介(小林啓也)の遊園地での初デートの様子を描く。スリの折口佳代(髙野菜々)が悠介のサイフをスったことがきっかけで、彼のデートはおじゃんになるが、悠介には何となく佳代のことが、佳代は悠介のことが気に掛かる存在になる。
     この時の遊園地の「迷路」のセットが素晴らしい。人力で方柱が自由自在に動く仕掛けだが、それが組み合わさって時には道になり壁になり、悠介と佳代の行く手を閉ざし、姿を隠し、二人の心が彷徨う様子を象徴的に表現している。これはクライマックスでも効果的に繰り返された。

     二人は、悠介のバイト先、喫茶「ケンタウルス」で再会する。スリを辞めることを心に誓った佳代は、悠介と出会った頃の蓮っ葉な印象が少しずつ薄れて、乱暴な関西弁も段々優しげになっていく。悠介の作曲家への道も開けて、二人の仲も接近、順風満帆か、といったところで、お決まりの「逆境」が訪れるのだが、これがどうも定石を外しまくって、どんどんおかしくなっていくのだ。

     実は佳代は、13歳の時に、ヤクザの義父の虐待に遭って、死んでいた。しかし、たまたまその時、宇宙船の事故で死んだラス星人の女性・オリー(野口綾乃)の「生命素」を保管するための「入れ物」として、蘇生させられていたのだ。
     いったん、帰星していたラス星人たちは、8年後に再び地球にやってくる。オリーの生命素を取り戻しに。しかしそれは、佳代の死を意味することでもあった(この「8年」は、ラス星が地球から4.3光年離れたアルファ・ケンタウリであることを示唆している)。
     こういう事態になれば、物語は当然、限られた佳代の命をどうするか、あるいは悠介がラス星人から佳代をいかにして守るか、そういうドラマが始まるのだろうと誰もが予想するところである。ところが話は全く意外な展開を見ることになる。
     ラス星人たちは、二人の間柄を知って同情し、オリーを取り戻すことを待つことにするのだ。「私たちの寿命は君らの百倍長い。君たちが死んだ後、生命素は取り戻すよ」。
     逆境が実は逆境でも何でもなく、悠介も佳代も何の努力もせずに助かっちゃったという、これはドラマじゃないよ、アンチ・ドラマだ、いったい何のために「生命素」なんてアイデアを持ち込んだのだ、と思っていたら、今度は、別の逆境が二人を見舞うことになる。

     佳代の義父・小野源兵衛(石山輝夫)が現れて、佳代に、スリの過去を悠介にバラされたくなかったら自分の元へ戻ってこいと告げる。佳代の処女を奪ったのも実はこの源兵衛だったというドロドロの人間関係の果てに、佳代は思わず源兵衛を刺殺、なぜかそこに現れたラス星人のゼス(広田勇二)も巻き添えを食らって絶命。何しに出てきたラス星人。優しいけれど全くの役立たずである。
     下敷きになってるのは、『レ・ミゼラブル』やオー・ヘンリー『よみがえった改心』なんだが、元ネタの急展開のさせ方が普通じゃない。たいてい、主人公の過去の罪は許されるものだが、佳代はしっかり罪を背負って刑務所行きになってしまうのである。作り手としては、ドラマを盛り上げたいのだろうが、こうも予想の斜め上を行かれると、驚くよりも悲しむよりも、笑ってしまうのを如何ともし難い。しかも、急展開はさらに続くのだ。

     獄中結婚をすることにした佳代の元に、突然、悠介の訃報が届く。なんと悠介は飛行機事故で死んでしまったのだ。嘆く佳代。しかし、ここでは都合よく、ラス星人が現れて、悠介を助けていた。
     もうね、ツッコミどころが満載なんだけど、そんなにささっと動けるんなら、事故が起きないように宇宙人力でなんとかできなかったのか、これまでの役立たずぶりは何だったのかとか、知り合いだけ助けて他の乗客は見殺しかよとか、文句をつけるだけ詮ない気になってくる。しかもラス星人。ここでまた大チョンボをやらかすのだ。
     悠介をうっかりラス星に光速の宇宙船で連れ帰っちゃったために、ウラシマ効果(相対性理論で、光速に近づけば近づくほど宇宙船の中の時間の進み方が遅くなる現象)で、船内では一週間しか経っていないのに、地球上では8年の歳月が流れていたのだ。悠介と佳代との年齢差が8歳、佳代の方が年上になってしまったのだ。

     うっかりしたラス星人は、とんでもない提案をする。「じゃあ、今度は佳代をラス星に連れて行くから、そうしたら年齢差は元通りになる」。
     確かに計算上はそうなんだが、それでいいのか、本当に? でもこの申し出を悠介は受け入れ、「8年待つ」ことにするのだ!

     私も、男と女の機微なんてものには疎いのだが、相手が老けたら自分も老けたいとか、そういう心理になるものなんだろうか。もしそうだとしても、ラス星人から提案されてそれに従うのではなく、悠介が自分から言い出した方が納得できる展開になりそうだけれども。

     で、これが落ちではなくて、先がまだあるのだ。
     悠介と佳代の二人はめでたく結婚、子供も生まれて平穏な家庭を築く。しかし、その子どもが成長した頃に、二人揃って交通事故で死んでしまう。もうどんな急展開にも驚かないが、息子は、空を見上げて妻に向かって言うのだ。「親父もお袋も、あの空のどこかで生きてるような気がするんだ」。
     そして、ラス星では、今まで「保管」されていたオリーとゼスの遺体が甦り、二人の恋人は手に手を取って、やはり星空を見上げると。

     いや、オリーの生命素は佳代の中にあって、それが戻ったんだとしても、ゼスの生命素はどこに保管してたの? 悠介の中だとしか考えようがないが、とすると、悠介は本当はあの飛行機事故で死んでたわけ? でも、ゼスが死んだのと悠介が事故に遭った時って、タイムラグが何ヶ月もあるんじゃないの? その間、裁判もあって、佳代は服役してるんだから。
     それに、ここで蘇生したのはあくまでオリーとゼスであって、佳代と悠介が生まれ変わったわけじゃないんだが。
     タイムラグに多少は眼をつぶるとしても、わざわざゼスの生命素を保管するために悠介を選んだんだから、これはあの飛行機事故を起こしたのはラス星人たちなんじゃないかという疑問すら浮かんでくる。ともかくこの落ちはデタラメすぎるのだ。

     数々のトンデモ展開、楽しめはした。ドラマ作りの素人が、天然だからこそ作れる物語なんだろうなあ。
     かと言って、「なかなかこんなトンデモ作品はないよ!」とオススメするのも、制作者の意図に反することだろう。制作者は観客を感動させたいのに、それがひっくり返っちゃって爆笑されてしまう点では、これは明らかな失敗作である。
     公演を重ねる度に尾鰭羽鰭が付いて、こんなトンデモ作品になってしまったものかとも推測する。盛り上げようと思って、無理やりドラマを作っても、かえっておかしなことになる、特にSFのセンスがない人間がSFのアイデアを中途半端に持ち込むと、大失敗しちゃうよという一つの例として観るのが妥当なところだろう。

     

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    2012/05/06 14:35

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