満足度★★★★★
桜と轟音
桜の季節。
青空の日などは特に、街中はいつもキラキラとした光が満ち溢れていて。
自分は、この季節になるといつも、
父親が死ぬ2年前、最初に病院に運び込まれた
日のことを思い出す。
そこは、この世田谷美術館ともわりと近い駒沢公園の隣の病院で、
満開に近い桜が咲いていた。
今思えば、死のスタートを切ったその日、病院のなかには
眩いばかりの春の光が溢れていた。
家から美術館まで向かうバスの中から、かつて通ったその病院の桜が見れない(苦笑
ただ、通り過ぎてから、街にあふれる光から、桜が満開であるのを知る。
バス亭から美術館までは、原宿のような人並み。
道路も渋滞していて、到着がだいぶ遅れるほど。
急いで走っても開演に間に合わず、
結局会場に入る前に5分ほど待つ間、
受付から会場までの、
光に溢れた回廊をちらりと見やると・・
そこに
「静寂」 ・・があった。
桜の花びらが、落ちる途中で目の前で静止したら、
きっとこのような気持ちだろうか?(苦笑
まさに光の中で
宙に舞う何かが
静止したような・・
開演から5分間、
ボヴェ太郎氏は、
会場までの回廊を、ゆっくりと
ゆっくりと
移動していたのだ。
光の中を。
ボヴェ太郎氏が会場に入るのを見届けながら、
自分も、スタッフの方と一緒に
ボヴェ太郎氏のように・・・
音を立てずに(苦笑
キャットウォークでこっそりと会場に入りました。
会場に入ると、
外を行き交う人が見える180度見渡せる窓を前に
窓外のヒマラヤ杉たちと
花見客と
図面を持って歩き回る緑色のヘルメットを被った二人の工事関係者と
(こういう仕事で来てる人の動きも制限しないところが逆に素晴らしいと思った(笑)
遠目に見える満開の桜たちと、
芝生に照る光と、
(音は聞こえないけれど耳に残ったままの)街中の喧噪たちと
舞うように・・。
昨年の9月の伊丹での公演は、
飛行機の轟音や、ひっきりなしに外を行き交っているであろう
車のクラクションの中、
夕闇に包まれて舞っていたのを思い出していた。
光と、静寂(或いは桜と死)。
相反するようでいて、この二つが近接したとき、
極めて強い緊張感を生み出すことを知る。
自分は、会場に着くまでの間目にした人並みや、
街中の喧噪が、
この静寂のなかに収斂していくのを感じる。
ただ、そこには「死」というよりも萌え出るような生の息吹を、
ボヴェ太郎氏の指先からは感じるのだ。
切り詰めた末に行き着くのが、
死ではなく、生の萌え出るような・・。
死の先にあるのが生であるように。
アフタートークのなかで氏は、
この先も、このような、
劇場と違ってすべてをコントロールできない空間での舞を楽しみたいと
語っていた。
力強いコトバだと思った。
帰るまでの道すがら、
今度は公演の中の満開の桜の中をぶらぶらと歩きながら、
花見に来たちびっ子たちを眺める自分の心に、少し
余裕が生まれているのを感じながら(笑
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ちなみに、当日券で観れました。