異性人/静かに殺したい【ご来場ありがとうございました!】 公演情報 Aga-risk Entertainment「異性人/静かに殺したい【ご来場ありがとうございました!】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    切れ味よいです。
    『静かに殺したい』は所有と剥奪による制裁を、『異性人』は依存を経て共存と調和に至るまでの駆け引きをややこしい人間関係と愛情の対立を軸に表現していた。
    両作品ともアガリスクの持ち味であるエッジの利いた作演と緻密に構成された舞台空間に死闘を繰り広げる役者陣営の泥臭さが加わり増々最強に。
    特に『静かに殺したい』に出演した捨て身でタックルする後藤彗と、軽やかに立ち回る斉藤コータの存在がやばかった。
    『異性人』は、ラストがうつくしい。

    ネタバレBOX

    ”予期せぬ訪問者の到来に慌てふためく主人公がその場しのぎの「嘘」をつき「誤摩化」そうとするものの、それがかえって「誤解」や「勘違い」を招き、収集がつかなくなる様を、不意打ち的な「誤算」と「打算」 によって掛け合わせ、これらを関係性に基づく行動原理の相関図として記号的な抽象が点在する限りなく無に近い舞台空間からの具象化をはかり、ディスコミュニケーションの実態と考察をスーパーフラットかつ多次元的に可視化させる”
    という、『みんなの部屋』を皮切りに『ファミリコンフューザー』や近作の『バッドバースデー』でも引用されたフォーマットをリミックスして、ディストーションかけて、トドメを刺したような作品。

    なかでも『みんなの部屋』との親和性が高く、関係性の相関図に特化した『みんなの部屋』をリメイクしつつ、いかに超えるか、という挑戦を課し、ドラマ性への負荷をかけ、ドラマに「仕掛け」を用意することで、超えようとしているようにおもえた。

    内容的に、大学生のシリアルキラーがバスタブに隠した女性死体を誕生日を祝いに来たサークル仲間らから隠そうとする話というと、一見突拍子なく聞こえるかもしれないが、
    「好きなひととは、ずっと一緒にいたい」という気持ちが根底にあることにより、切り刻んだ死体をパーツごとコレクションする彼の行いは、命の「剥奪」ではなく「好きなひととは、死んでも一緒に"いたい"」がための”遺体”の「所有」と「保存」を目的とするために、極悪非道からはほど遠く「人間味」があることが伺える、そんな歪んだ純愛が良い。

    しかも、ここぞという時にヘマをする。ちょっぴりドジでマヌケなセクシー系モテ男のシリアルキラーというキャラクター設定の妙に、三角関係のトリック、サークル仲間のおせっかい(打算)、不意打ち的なマクガフィン(小道具)、「うっかり出来心」によるアクシデント(誤算)を惜しみなくディテールに盛り込み、フルスロットルで荒ぶる波を乗りこなすようなアッパー系のパニックコメディとシリアスドラマ。そして何といっても、エクストリーム(!!)な個性を持った役者陣らのチームワークとフットワークのよさ。

    それは物語の後半、窮地に陥った後藤彗(コーヒーカップオーケストラ)扮する「過激派活動家」が「過激」なことをひたすら行い、緻密に構成された劇空間を壊しにかかるという暴挙に出る場面で発揮された。
    これは汚れキャラに徹する後藤彗のアドリブ力と、過激派の言動になすがままにされる役者陣の絶対服従と、回ってきたボールを落とさずにパスするという協力的な態度がなければ成立しなかったことだ。役者が全員全力だったからこそ酷いな、と心底笑えたし、
    一体なんてことをしてくれるんだ!とすらおもえた。
    お陰で最後の審判が下る場面が、おまけのように感じられてしまったくらいだ。すごい面白かったけど。笑
    力技で超えるというのはこれまでのアガリスクではあまり観たことのない表現方法だったので驚いた。
    『静かに殺したい』は私にとって、もはや事件だった。


    『異性人』
    看板落下事故の下敷きになって死んだところを宇宙人に助けられた青年・アキラ、「片時も離れることなく一緒にいる宇宙人」に戸惑いを隠せないアキラの恋人・ミキ、アキラへの気持ちをミキにカミングアウトするマナベ、宇宙人Bに恋するユウコ。この4人がそれぞれ異なる事情と立場・状況から宇宙人とかかわり合っていく。

    命綱、異物、犠牲、恋人、と形は違えど、概ね自己実現を目指すための装置として宇宙人を捉えているのは人間の業の深さ故か。
    だとしたら、ユウコが恋する宇宙人BとBの相方だった宇宙人Cが感情のないロボットのように、憮然とする様は私たち人間の本性だったのだろうか。
    宇宙人Aだけが人間の痛みを感じることができるやさしい心の持ち主であったというその姿は人間よりもよっぽど人間らしい。本来の人間がそうあるべき姿の理想像であるような気さえする。

    宇宙人が人種差別を受けている社会的弱者として扱われている点も興味深い。
    物語のなかにそれを蔑んだり茶化したりするキャラクターがひとりもいなかったことはすくいかも。
    ただ、終盤の宇宙人狩りにあった場面で他人事を決め込んだ観客のわたしたちの態度が、差別はいけない、しかし、差別はなくならないということへの決意表明であったのか、とおもうと末恐ろしくなる。

    ラストのミキの行動は勇敢だった。
    犠牲を省みず誰かを何かを救済することは、決められたルールやモラルの外側に飛び出さないとできないことだからだ。

    また、「共生」を意味するこの場面は、アガリスクが、これから鹿島さん、淺越 さん、塩原さんの3人で活動していくことの合図のようにもみえた。

    この話はややこしい人間関係と愛情の対立を軸に、「すき」と「きらい」の不条理や、目にみえない偏見・差別への嫌悪感や生命の尊厳を、「異物」と「違和感」からみつめなおしていた。

    宇宙人と地球人の話というと、インディペンデンス・デイやエイリアンやX-FILEのように、敵対心を持っている宇宙人が地球を侵略しようとする作風のものと、E.Tや宇宙人ポール宇宙人と地球人の友情に焦点をあわせるものがあるけれど、『異性人』は、敵対と交流の一歩先を行く作品だとおもった。
    「愛情の相関図」からはみだす情感についてのはなし、だったともいえるかもしれない。

    0

    2012/03/19 00:15

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大