ニューギニア 〜私の楽園〜
非常に残念に感じた。
観劇中、私は絶えず、どこを削ればいいかを考えていた。
気持ちの良さを追求していない作品だったとしても、
心地よく、好意的に、受容的に、見て貰えるような基本的ラインはある。
そしてそれを目指す作業は必須だ。
この作品は、長い。
また、粗い。
一緒に観劇した友人は、このようなDJのスクラッチタイプの作品の例を挙げ、それに全く追いつけていないと批評した。
はっきり言えば、劣っているのだ。
私は大阪・京都<>東京の距離の隔たりを大きく感じた。
東京にあるものが、あちらにない。
あちらにあるものが、東京にない。
このような期待を持って観に行ったのだが、実際は、
東京にあるものが、あちらにない。
あちらにあるものが、東京のものより劣っている。
という事実をたたきつけられたのだった。
これは私の心的印象であり、実際はあちら=Vogaに限定される。
冒頭、銃を持った兵士が集団となって同じ動きをやや長い時間披露するのだが、それが揃っていない。
劇場の狭さの問題ではない。
タイミングと角度の問題。美意識が至らなかったためではないか?
「揃えない」理由は何か? 柔らかい個人主義なのか?
揃えないのならその集団全体で同じ動きをする意味はどの程度あるのか?
良いと思える点はあった。
これまで量産されてきた太平洋戦争ものの空気がなかった。
それは良いと思った。
制作するひとたち自身が、まっさらになってから太平洋戦争と向き合った結果だろう。