『三月の5日間』100回公演記念ツアー 公演情報 チェルフィッチュ「『三月の5日間』100回公演記念ツアー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    人や世界(社会)との微妙な距離感
    出来事や人間関係に全方位的で、かつ微妙な距離感を保っている人たちの話。

    「三月の5日間」の出来事が、「物語」となっていく、ある種の「ぶゆうでん、かっこわらい」な物語。


    素晴らしい戯曲と役者たち。
    1時間30分+休憩15分。

    ネタバレBOX

    2003年3月のイラク空爆を挟んだ5日間の話。

    イラクの戦争なんてまったく関係ないや、と思っているような若者たちなのだが、やはり気にはなっている。
    ラブホに長逗留していても、「家に帰ったら終わっていたりして」のように、どこか頭の片隅で意識している。

    反戦デモに参加している2人組も、もちろんそうなのだが、過激系なデモの先頭にいたり、警官を挑発したりしている人たちとは、距離を置いている。

    イラクは気になるし、戦争は嫌だけど、ほどほどの距離感でいたい。

    それは、「戦争」という、遠い海の向こうの出来事に限らず、彼らにとっての、隣にいる友人との距離感も微妙なのだ。

    ラブホで朝起きたら隣に寝ていた知らない女や、映画館で出会ったアズマとミッフィーの距離感の微妙さは当然としても、ライブにわざわざ誘って出かけたミノベとアズマ、デモに一緒に出かけたヤスイとイシハラの距離感も、友人であろうが、かなり微妙なのだ。

    相手を気遣っているようで、その実、相手の話をきちんと聞いておらず、「あ、そうなんだ」と、上の空の同じ返事を繰り返していたり、自分の話たいことを、例えば、アンミラの制服話を無理矢理ねじ込んでみたり、なんだか「自分に好都合な距離感」ともいえる。

    友人関係を壊すことなく、かといって、踏み込むでもなく、「丁度いい塩梅の距離感」だ。

    「戦争」との距離感も、戦争そのものは、反対だし、もちろん、巻き込まれるのは絶対にイヤ。「反対」はしておきたいし、でもハードにかかわるのも、ちょっとな…というところ。「関心」があっても深くのめり込まない。
    「評論家的」には、世界とかかわることができる。
    そしてそれは、傷つきやすく、だけど傷つきたくない。つまり、自分を守るために、全方位的な関係でもある。

    そうした若者たちを巡るストーリーは、すでに「物語になっている」。
    「語られる対象」となっている、あるいは「過去の話」になっている、と言ったほうがいいか。

    つまり、「あの2003年3月のイラク空爆を挟んだ5日間に、渋谷のラブホに居続けたんだぜ」という「伝説」のような「物語」になっているのだ。
    それをミノベから聞いたアズマは、ほかの友人に話すし、そのとき自分はどうしていたのか、も加えて「語る」わけだ。

    「じゃ、それをやりまーす」と言って始まるのは、その物語を「語っている(再現している)」わけであり、すでに「過去の物語」になっているということ。

    過去の物語だから、何度も同じことを繰り返しているようであり、本人であり、第三者的でもある。つまり、自分の記憶を語るのは「第三者的」な視点が入り、「盛ったり」もする。
    コンドームの話とか、どちらが先に「ここだけの関係にしよう」と言い出したのか、なんて微妙なことは、曖昧にしておく。

    ラブホにいたミノベは、最初はチャラい感じなのだが、後半は、 オラオラ系な前に出るタイプになっていく(語る役者が変わっていく)。

    全体的に、傷つきやすい系の中の、オラオラ系とも言えるキャラは、「伝説の象徴」と言ってもいいのではないだろうか。
    つまり、語られていくことで、「ぶゆうでん、かっこわらい」になっていっているということ。

    出来事や人間関係に全方位的で、かつ微妙な距離感を保っている、という今の人たちの微妙なバランスを観たということだ。

    独特の長台詞と台詞回しが素晴らしいと思った。
    役者としては、メガネのミッフィー(青柳いづみさん)が、戯画化されすぎてはいるが、面白いと思った。

    で、スズキはどうした?

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    2011/12/22 14:17

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