満足度★★★★★
非常に演劇的
文字にすると、鋭くなったり、微妙なニュアンスが伝わらないことも、
役者の口を通して伝えると、
柔らかくなったり、伝わったり(なんとなくだけど)する。
テレビや新聞なら、まずはスポンサーのかたがたの意向をくみ取らなければならないことも、
広場みたいな舞台のうえでなら、
素直に感じたありのままを、目の前の人たちに伝えようとすることができる。
ポレシュを見るまでもなく、現代の日本というか世界では
ただばくぜんと「グローバリズム」とかと呼ばれたりする
目に見えない悪魔みたいな空気が荒れ狂っていて、
ただ、それはメディアを通しては株価の動きのようなデジタルな信号でしか伝わってこず、
そういった信号さえ、たとえば聖路加の人たち(もう引っ越しましたけど・・)によって
欲望を煽る脈動として・・億を超える資産に辿り着くための細い蜘蛛の糸として
神格化され・・
さらには信号の動きに0.1秒先んじてマウスをクリックすることが巨万の富を得る鍵のように吹聴され、励行される奇怪な世界・・。
考えてみれば
この荒れ狂う波の中、
小舟のようにたゆたうひとりひとりがすがりつく最後の場所は、
日本の(顔の見えない)ツイッターやネットゲームなどではなく、
今夜のような小さな劇場(あるいは教室)であって、
集まったお互いの正気を、笑いながら確かめ合う最後の砦なのではないかとさえ思えます。
マスコミが、まるで電気信号のように
何も咀嚼せずに食べた情報を元にヒステリックに明滅し続けるとき・・
果たして正気の人たちはそれらをどう受け止める(あるいはスルーする)べきなのか?
今夜の会(あえて舞台とは言わないです)は
そのことを指し示しているように思われました。
・・・別に劇場の中で政治に対して十分に演劇的なカリカチュアが遂行されるなら、
実際の政治の舞台の上でまで同様な乱痴気騒ぎが行われることを
誰も望みはしないだろうにな、と、思ったりしつつ。