トーキョービッチ,アイラブユー 公演情報 オーストラ・マコンドー「トーキョービッチ,アイラブユー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    シーンごとの作り込みに感嘆
    初日を拝見、
    冒頭のルーズな感じからすっと物語が立ち上がる。

    曽根崎心中をベースにしつつ
    もっと今様な突き抜け方が
    東京という街に鮮やかに縫い込まれて・・・。

    初演を踏襲しつつ
    さらに踏み込みをもった世界を堪能することができました。

    ネタバレBOX

    基本的な物語の構造は初演時と変わっていないと思います。

    ただ、ギャラリーの閉塞した空間をどうにかやりくりしての
    表現に比べて
    今回はスペースをしっかりと生かした舞台作りができていて・・。

    一つずつのシーンが繊細に作り込まれている。
    それぞれに織り込まれた細かいニュアンスが
    実に丁寧に織り込まれている。
    それは時に下世話なものだったり
    感情の発露だったりもするのですが、
    単にそれが舞台に乗せられるというのではなく
    ステレオタイプにならない
    細かい工夫がしっかりと貫かれていて。

    台を使って、物語を
    近松の板の上の感覚と
    東京の普遍的な風景の具象に切り分け、
    性の世界や家庭のルーティンで
    ちょっと行き場のない生活の感覚や
    閉塞を浮かび上がらせる。
    汚れたもの、綺麗なもの、確かなもの、崩れていくもの、
    満たされるもの、満たされないもの・・・。
    広い舞台を人や装置が満たすことがないにもかかわらず、、
    近松の登場人物ひとりずつの感覚を纏ったキャラクターたちの
    それぞれの色が鮮やかに照らし出されて、
    鮮やかに観る側を巻き込んでいく。

    語られる物語に
    夫、妻、花魁、それぞれの想いが重なり
    主人公の二人の生きる感覚の軽さと重さが
    観る側を染める。
    悲劇の構図が組み上げられて
    道行きにはしっかりと一本道の感覚が作られて。

    屋上の沈黙・・・。
    そこから、近松の世界を踏み越えて
    それぞれを東京の日々に二人を戻す時間に
    観る側を解き放つ。
    苦行の圧倒と、それをふっと乗り越えるいくつかの質感。
    近松の世界が崩れた時、
    屋上で東京の風景に抱かれる
    ひとりの女性が立ち姿の切なさと美しさ・・・。
    時間が街の日々にふたたび解かれていく。

    よく、個々のシーンのニュアンスを
    ここまでに組み上げ昇華させたものだと感嘆。
    役者のひとりずつが台の上でも下でも、
    したたかに物語のロールを背負いきって。
    物語を音楽で染めあげた歌い手の力にも目を瞠る。

    初日で若干の硬さはあったとはいえ
    時を忘れ、
    舞台の世界に閉じ込められてしまいました。
    秀作だと思います。




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    2011/12/11 07:29

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