日本の問題 公演情報 日本の問題日本の問題」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    B班を観た。4本とも面白い。
    A班の後だったので、B班も同じ傾向になるのでは、と思っていたら、違っていた。
    B班は面白い。4本とも面白い。
    こういう別劇団によるオムニバスで全部が面白いというのは、なかなかない。
    20分なのに深みもある。
    これを膨らませたら本編できるのでないか、と思ったりもした。

    もし、『日本の問題』を観ようと思っていて、両方は観られないと思っている方がいたら、迷わずB班をオススメする。
    A班のみ観て「…」の方にもB班も観ては? と言う。
    もちろん、私の個人的な感想なので、「商品の効能や効果を表すものではありません」と付け加えておく。

    ネタバレBOX

    <ミナモザ『指』>★★★★★
    やや一本調子ながら、とても深みがある。
    多くの人の命が失われる中、非道な火事場泥棒をしている夫婦にとって、越えられるラインと越えられないライン。
    それは、極々個人的なものであり、「善悪」のラインとも違う、単に「モラル」という切り分けもできない、「感情」だけのラインだ。
    「誰の指だったら切れるのか」ということを考えてみると、…いや、考えたくもないけど。
    つまり、「自分のラインは、どこにあるのか?」を問う作品である。
    もちろんそれは「指を切る、切らない」ではなく、あらゆることに対しての、「自分のライン」を考えることになる。
    「善悪」ではなく「モラル」でもない「感情によるライン」のある場所を、だ。
    それはつまり、他者を思いやる感情にもつながるのではないだろうか。他者にとっても「感情によるライン」があるということだからだ。
    それが「あるということ」を「知る」ことは、社会で生活していくために、「最低限必要なこと」を「知る」と同等なのではないか。
    「日本の問題」は、そこから考え直していくべきではないか、というメッセージととらえた。
    後で述べるJACROW『甘えない蟻』と同様に、「日本の問題」と言う表層より、さらにいつにおいてもあり得る「人」のことを描いていた。
    何もない荒野の中にいる、2人が手を携えるラストは、美しい祈りのようにも見え、泣きそうになった。


    <アロッタファジャイナ『日本の終わり』>★★★★★
    テンポがとてもよく、それをあえてラストの動きのない演説に集約させていくところが憎いと思う。構造的にはチャップリンの『独裁者』を思い出してしまったのだが。
    この劇団の投げるボールは、内角ギリギリ、というか、ピンボールだ。
    「孤独死」から「一極集中」の解消を目論むのだが、「地方分頭(脳)」という(そういう言葉は出てこないが)、「地方に頭を配分しよう」という実にお節介で、思い上がった(笑)施策を考えたのだ。
    「頭脳の一極集中」は、作の松枝さんの実体験から発しているのだろうが、それを「地方に強制送還させる」というアイデアは、なかなかナイスである。
    「ナイス」と言うのは、「ピンボール」としての「ナイス」さなのだ。
    「地方に強制的に戻される」ということは、地方から出てきた者からは当然猛反対をされるだろう。もちろん、この演劇の稽古の間もそういう声が出てきただろうことは想像できる。
    また、地方から言えば、「何? 地方には頭がないだと!」いう怒りの声も上がるだろう。
    そもそも、「トップになれない、頭のいい人」というのは、その程度の人ということでもあるし、トップになることがすべてではなく、向き不向きもある。だからそういう人たちがうじゃうじゃいても、「だから?」なのだ。
    「手」「足」と言い切る人たちにも、「頭」は必要であり、逆になければ、「手」「足」だって効率的に機能しない。トップダウンがすべてではないのは、企業マネジメントを見てもよくわかる。
    そいう批判的な見方があることを、わかった上での、この作品なのだ。
    だから面白い。
    「廃県置藩」という言葉も発想も面白いと思う。のだが、いっそ、何もなくして「弥生時代に!」と言わないところが、経済の発展や近代化の歪みという導入だったところからの道筋として、いかにもロジックな印象を与えていく、という虚構への突入の仕方がうまいのだ。
    だから、この結論となるアイデアがどうした、こうした、みたいな反応は、作者としては、してやったりで、ほくそ笑んでいるのではないだろうか。
    女子高生から一気に首相のもとへ向かうストーリーも、女子高生の「ありそうな不幸話」も、引っかけのひとつであり、虚構の楽しみを演じているのだ。
    よく見ると、女子高生と友だち、そして彼女たちとその母親たち、首相と秘書がきちんとつながっていて、さらに、最後は女子高生と首相がつながっていく、という様は、実は「孤独死」と「人の人との分断」というテーマを解決していくこの演劇にとって、「あり得ない」設定だ。
    ここが大きな仕掛けなのだ。
    そして、そういう仕掛けを乗せて、20分突っ走る。
    結果、「問題」として俎上に上がることが狙いであり、「日本の問題」の本質はここにある、という強いメッセージがそこにある。


    <ろりえ『枯葉によせて(仮)』>★★★★
    突拍子もないオープニング。
    いや、全編、突拍子もないのだが。
    母子2組が1人の父を巡る物語。
    信じられるものは自分しかない、という世界。
    放射能なんて知らないし、(父)親なんて知らない。
    いじめられても、誰にもすがることはできないけど、やっぱり誰かを求めてしまう。
    「血」ではなく、「想い」のみが人と人を引きつける。ラストではやっぱり「血」なのかな、と思わせるのだが、そうではなく、それはストーリー上のお話でしかない。
    グリコ事件とか、端々に面白さを散りばめながら、会話の素っ頓狂さがとても愉快。そして、乾いた笑いは、放射能汚染にふさわしい。


    <JACROW『甘えない蟻』>★★★★★
    JACROWらしいヒリヒリ感のする会話劇。
    淡々としながらも、ちょっとしたきっかけで、ギスギスしていくところがいい。
    4人の声のトーンの絡み具合(低音な母親と高音な娘の対比とか)、方言かどうかの設定等々、巧みだ。緩急の呼吸もさすが。
    4人いて、実はまったく血のつながっていないのは、母親だけであり、その微妙さがもっと底流に太く流れているところを見たかった気もする。
    PCのモニターで父親からのメッセージが流れるのだが、これは観客を意識してのサイズだと思う。しかし、ここは、観客から見えるとか、見えないとかは無視して、送り損ねたメールが保存フォルダ内にある設定でもよかったのではないだろうか。内容をどう読み上げるかは腕の見せ所として。
    とは言え、吐き出して、最後に、この状況を引き起こした父に救われるというラストがいい。
    そして、娘が辛かったときに父親から譲られた人形を、辛かった父に捧げるという、ラストシーンにはとてもぐっときた。
    ミナモザ『指』と同様に、今の状況を舞台設定にしながら、その特異な状況だからこそ見えてきた「日本の問題」の「核」となるような、「人」、そして「人と人」をえぐり取って見せたうまさがあった。


    それぞれの「問題のとらえ方」については異論はない。
    作者たちが一番グッとくるテーマを選び、かつ、演劇として耐え得るか、を考慮した結果だからだ。
    だからテーマの選び方というより、「テーマへのアプローチ方法」「見せ方」のセンスが問われていたと思う。

    しかし、及び腰になってはつまらない。何かにターゲットをきちんと絞り、「発言」してほしいのだ。

    もちろん、「問題」に対しての、劇団側(作者側)との距離感や、観客側の距離感、スタンスがあるのも事実だ。
    しかし、このテーマで「今」やることの「意義」は、大きいと思う。
    そのチャンスを、すべての劇団に活かしてほしかったと思う。

    結果としては、(個人的なものだが)「テーマの選定」よりも、「演劇として面白い」ほうに軍配は上がった。しかし、それはイコールだった。

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    2011/12/01 06:58

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