日本の問題 公演情報 日本の問題日本の問題」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    A班を観た。胸がザワつく企画だ。
    タイトル聞いただけで、ザワザワ、ワクワクする企画だ。
    しかも、今年に入ってからの企画ではなく、昨年始動したものと聞くと、その先見性には恐れ入る。

    だって、常に「日本の問題」はあるのだが、こんなに「日本の問題」が噴出した年もなかったのではないかと思うからだ。

    つまり、去年もしこの企画が行われていたとしたら、観客の受け取り方はまったく違ったものだったのではないだろうか。

    それは、もちろん上演側にとっても同じだ。

    「日本の問題」について、こんなに多くの人たちが、真剣に語っている「今」、上演する劇団側は、「果たして(この状況の中)自分たちに何が語れるのだろう」と自問自答したはずだ。

    受け取る観客にしても、まったく同様で、「何を語ってくれるのかな」と、腕組み、あるいは腕まくり(笑)して劇場に臨んだ方もいるのではないだろうか。

    まずはA班から観た。

    ネタバレBOX

    ざっくり言ってしまうと、「私(たち)が考えている日本の問題はこれだ」ということを見せてくれたようだ。
    それは「問題山積」「混沌」「心」など。
    でも、それでは…と思うのだ。

    <経済とH『金魚の行方』>★★
    とにかく役者のキレがいい。美しい。
    物語は、問題の羅列の域を出ず、いつくかのフックがあったのだが、もうひとつだった。
    物語の、長いオープニングを観ているようで、登場人物の紹介で終わってしまった感がある。つまり、1つひとつのシークエンス、あるいはキャラが、有機的に結びついていく前で終わってしまったという感じなのだ。
    「人のせいにする」「人をあてにする」ということが、「日本の問題」であると考えているのだろう。

    <Mrs.fictions『天使なんかじゃないもんで』>★★★★
    A班の中では一番好きた。
    宗教に関する勘違いは、あざとさはあるものの、ストレートに伝わってきた。
    3人の役者の佇まいがよく、キャラの立て方も素敵だ。
    「宗教には何ができるのか?」を斜めの角度から描いたと言ってもいいだろう。
    「会話すること」で生まれる「つながり」。
    「つながり」こそが「宗教」だったのではないだろうか。
    それは、「コミュニケショーン」なんて洒落た言葉ではなく「会話」だ。「話し、聞く、そして話し、聞く」という感覚のみで生まれ、解け合うものだ。
    崩壊した人のいない街で、人がいる街から、その関係が崩壊した人たちが、出会う必然。
    そして、ありきたりかもしれないが、美しい「画」を想像させるラスト。
    とてもいい余韻が残る。

    <DULL-COLORED POP『ボレロ、あるいは明るい未来のためのエチュード』>★★
    スタイリッシュではある。
    あるが、何度も繰り返されると、ちょっとなぁ…と。
    もちろんそれが狙いではあると思うのだが、ややワンパターン。
    安倍首相の就任演説あたりから(2人目だけど)、このパターンでドジョウ首相まで、と思っていたら、そのまんまだった。
    もう少し、何かほしかった。「それは知ってるよ」「それで?」が感想だ。
    多数決から首相選び(ここが、たぶん役者にはスリリングだったのではないだろうか。演説は覚えているのではなく、読んでいるようだったので)、そして一般の人々は…ということが見えてくるのだが、首相選びの人々(議員)と一般の人が同じ役者が切り替えて演じているところに、イマイチの感じがしてしまうのだ。
    つまり、「政治」と「国民」の関係がどうなっていったのか、その関係を丁寧に見せていくことで、どう首相が変わり、それで国民はどう感じていったのか、あたりを、作者の独断でいいから、言い切ってほしかったと思うのだ。
    「無関心」一色だけに見えてしまった。
    もちろん、それが「良い、悪い」ではなく、思い切った何かを発してほしかったのだ。

    <風琴工房『博物学の終焉』>★★
    「言葉」を信じていること、作者の想いをとても強く感じる。
    「デマ」が飛び交い、「拡散」していく今でも、やはり「言葉」は大切だ。
    つまり、「言葉」があるから我々はここに存在している。それが「知性」であり、「交流」であるということ。
    「言葉」があるから、人とつながることができるのであり、それを統制するということの恐怖。
    映画『イル・ポスティーノ』の引用も効いている。
    とても真面目、生真面目と言っていい。
    ただし、それが度を超すとこういうラストになってしまう。
    このラストは、オチのようで、好きではない。
    同じ設定であっても、ブレークスルーできる道はあったはずだ。
    それを必死に見つけて、舞台の上で見せてほしかったと思う。



    A班について言うと、「なぜ思い切って言ってくれないのか?」という想いが強く残った。
    発言することの「怖さ」もあるし、「極論」を述べてしまったら「炎上」もあり得る。しかし、言うべきではなかったのだろうか。言うべきことがなければ、やるのをやめてもよかったのではないだろうか。

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    2011/12/01 06:19

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