どん底スナイパー 公演情報 モダンスイマーズ「どん底スナイパー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    加速度的に(役者)エントロピーが増大していく
    勝手な印象なのだが、(最近見始めたということもあり)モダンスイマーズの舞台は、日常が舞台であり、どうしようもない人たちのヘヴィな様子を描いている、と思っていた。
    しかし、今回は、古山憲太郎さんが脚本・演出ということで、それとは違っていた

    ネタバレBOX

    古山憲太郎さんが役者ということからかもしれないが、役者にかかる負荷が大きかったような気がする。
    負荷と言っても、それは役者にとっての、楽しみでもあるのではないかとも思った。
    具体的に言うと、1人が演じる役があまりにも多いのだ。

    しかも、1人が何役かやるときには、同じシーンに同じ俳優が演じる別の役が出ることは、普通はあまりないと思うのだが、それがこの舞台では平気にあるのだ。
    例えば、学校の先生と小学生の女児を三田村周三さん(!)が演じて、小学校の教室のシーンを構成するという、むちゃな感じなのだ。
    ただし、これは小学校というシーンでは同じなのだが、一緒に登場するわけではない。

    しかし、後半に行くに従い、それがどんどん加速度的に重なっていき、ラスト近くでは、同じ役者が演じる何役もが、同時に舞台の上にいたりする。
    さらに、小学生と現在の大人は、同じ役者が演じるのだが、例えば、大人のシーンに登場する、小学生のときのクラスメイトを演じていた役者が、そこでは別の役だったりするので、帽子程度の衣装替え(?)はあるにしても、とにかく大変なことになっていくのだ。
    そんな、まるで役者的なエントロピーが増大していく感じが楽しいのだ。

    別の役を丁寧に、別の役として演じている人もいたが、微妙な差だけで、演じている役者もいるのだが、観ているほうには、あまり混乱は起きない。
    それは演出ということもあろうが、役者の力を知っている、あるいは信じているからこそ、任せてしまったのだとも言えると思う。

    そんな役者がフル回転する舞台であり、それがこの舞台の醍醐味でもあろう。
    フル回転していても、膨大な汗をかいたり、息を切らせたり、なんてことがないところが、スマートで、さすがモダンスイマーズと言える。

    今回の古山憲太郎さんのモダンスイマーズが成功したのならば、これからも、ちょっと趣向の変わった、新しいモダンスイマーズが観られるのではないだろうか。

    ストーリーは、メルヘン的、少年マンガ的で、ラストは甘い大団円だったから、そういう意味でも、新しいモダンスイマーズとも言えるのではないだろうか。

    フライヤーの顔の絵は、古山憲太郎さんの手によるもので、小学生のときに描いたものらしい。その原画は、他の作品とともに客席に続く廊下に展示してある。

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    2011/09/17 08:39

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