かもめ 公演情報 オクムラ宅「かもめ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    『かもめ』が現代口語演劇に仕上がっていた
    と言うとオーバーか。

    前回に引き続き、古典作品を奥村宅氏が(解釈し)演出する舞台。
    「古典」に「現代」の息吹を与え、160分という長丁場を楽しませてくれた。

    ネタバレBOX

    オクムラ宅の『かもめ』には、「四幕の喜劇」とわざわざ入れている。
    したがって、喜劇としての見方(解釈)が入ってくるものだということだ。
    そのポイントを探りつつ観劇した。

    堀江新二訳の新しい『かもめ』を底本として上演された舞台は、言葉がより口語に近く、耳に「古典」の違和感はない。
    したがって、軽々と「現代」に上演することは可能だったのではないだろうか。
    とは言え、現代への橋渡しすることへの格闘のあとは散見された。
    例えば、衣装だったり、動きだったり、振り付けだったり。

    2幕あたりでは、古典的な香りが強かったように感じたが、たとえロシアの昔の話であっても、現代劇を観ているような錯覚を覚えるぐらいの仕上がりになっていたと思う。

    それには、演出もあるとは思うが、今回の会場「ゆうど」の果たした役割も大きかったと思う。最初に決まったのが、演目が先か会場が先かはわからないが、日本的な縁側と小さな庭が、とても効果的に使われていて、日本の現代との橋渡しを見事に担っていたと思う。

    もちろん、その場所をうまく使った演出も素晴らしいと思う。うまいので、あたり前に感じてしまったほどだ。

    演出で言えば、観客席との距離感(近い)で、役者同士の台詞の重なりや、奥で聞こえてくる台詞、近づいてくる台詞などのように、立体感が生まれ、日常的な「会話」に聞こえるようにしたことは、朗々と台詞を順番に話す古典的な演劇の印象を払拭していたとも言える。「現代口語演劇」のようなアプローチだったのではないだろうか。

    そして、奥村宅さんの演出は、登場人物のキャラクターをくっきりさせることで、物語をわかりやすくしていたのではないかと思う。
    例えば、ニーナには、若くてかわいいだけで、ちょっと有名に憧れている女の子(アイドルに憧れている女の子のような)というイメージを与え、いままで観たことのあるニーナ像とは異なる印象を受けた。今まで観たニーナは、役者の実年齢もあるのだが、有名になることにもっとギラギラしていたように感じていたからだ。
    アルカージナの母としてのコースチャとの距離感や、女としての匂いも面白いと思った。
    つまり、こうしてキャラクターをはっきりさせることで、「喜劇」的な要素を舞台に与えていたと言ってもいいだろう。

    キャラクターだけでなく、演出家の解釈として、「これは!」と思ったのは、トリゴーリンがニーナに心が奪われそうになり、それを留めようとするアルカージナのやり取りがある。このシーンは少々唐突ながらも男女間の「喜劇」となっていた。年上の女性の怖さと、それぞれのキャラクター設定があるゆえの解釈であろう。

    さらに言えば、1幕と4幕のニーナの違いである。いろんなあれこれを経験したニーナが口にする、コースチャの戯曲が明らかに違って聞こえるのだ。全体の口調ももちろん違う。この差をきちんと感じられたのがいい。

    ただし、すべてが良いと言うわけではなく、例えば、ニーナの最初の演劇やアルカージナがふと見せる仕草に、意外としょーもないギャグ的要素を入れ込んでいたことは、ちょっと…。喜劇だからと言って、その感じは違うだろうということだ。両方とも「フリ」というのもなあ…という感じ。

    さらに言うと、アルカージナの西のほうのイントネーションである。イメージとして、そんな感じでグイグイくる女優なのかもしれないが、モスクワ(中央)でそれなりの女優なのだから、普段の会話のイントネーションにそれが出てくるのはどうかなと思う。強いて言えば、管理人ならば、という気はする。サンクトペテルブルクとの関係というわけでもないとは思うのだが。

    そして、解釈というと、チェーホフの『かもめ』4幕が終了した後に、奥村宅さんの解釈する『かもめ』が待っていた。
    最初は、自殺するコースチャの気持ちをさらに観客に理解してもらうために、ニーナとコースチャのやり取りの再演で、コースチャの感情を強化して見せるのかと思っていたらそうではなかった。
    つまり、観客が思うことと一緒で、確かにコースチャは、自殺未遂をしていたが、このタイミングでなぜ唐突に自殺を、ということを奥村宅さんは、自らの解釈で見せてくれたのだと思う。
    コースチャとニーナの会話と、ラストのドールンの何かを庇うような動きと台詞、それらが見事に一体となり、2人がもみ合って銃が暴発、誰も傷ついていないという、奥村宅のラストが完成したのだと思う。
    これは奥村宅さんが、戯曲を読み、自分なりの納得のために、止められない衝動に突き動かされてつくったものであり、あくまでもチェーホフの『かもめ』とは別モノであることを確認した上で行ったことだ。
    正直、このほうが、物語としていいような気もしてくるのだ。

    結局、160分という長丁場だったのだが、とても面白く観ることができた。さらに各幕間に20秒の休憩時間を入れたのだが、それが舞台の流れを途切れさせることなく(2年間の休憩というボケ−設定−も入れつつ)、うまく機能していたことは、今後長時間の上演を行う団体は参考になる方法ではなかっただろうか。

    いまのところ、古典作品を自らの解釈で見せてくれる、「オクムラ宅」なので、作品の選択で面白さが広がりそうだ。
    会場の選択もその選択の1つに入ってきそうでもある。

    どーでもいいことだけど、たぶん「鳩サブレ」が出ていたように思うのだが、だったら、できることなら岩手銘菓「カモメの玉子」にすべきだったのでは(笑)。

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    2011/06/25 08:07

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