雨 公演情報 新国立劇場「」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい舞台をたっぷり3時間半楽しむ
    時代劇。3時間30分(休憩含む)がずっと楽しい舞台。
    市川亀治郎がいい。やや痩せたようだが、その胆力・芝居への向き合い方は感動的ですらある。
    井上ひさしらしい「言葉」にこだわった作品。
    「言葉」はすなわち「アイデンティティ」。

    ネタバレBOX

    ある雨の日、江戸の町にある橋のたもとに雨宿りする人々。その中に、金物拾いの徳がいた。そこに乞食の老人が1人現れ、徳を平畠の紅屋の主人、喜左衛門ではないかと言う。徳は違うと言うが老人はなかなか納得しない。それほど2人は似ているということなのだ。

    徳は、紅屋に興味を持ち、桜前線とともに平畠のある東北へ向かう。北に行くごとに言葉が変わっていくことに気がつきながらの旅であったが、目的地の少し前で江戸に帰ろうとする。すると娘と喜左衛門の乳母だった老婆が現れ、徳を、やはり喜左衛門と間違える。徳は、自分から名乗ったわけではないし、平畠小町と言われる喜左衛門の妻の顔も拝みたいと、老婆たちに促されるまま紅屋へ向かう。

    紅屋では、主人の喜左衛門が失踪しているため、妻、おたかは願掛けのお参りまでしていたが、なかなか見つからずに嘆いていた。そこへ喜左衛門が見つかったとの知らせが来る。妻のおたかは喜び、喜左衛門になりすました徳を受け入れる。

    徳は、姿形は似ているが、喜左衛門のことは何も知らない。そこで一計を案じ、天狗にさらわれ、頭の中も持って行かれてしまったので、何もわからないフリをすることにした。

    喜左衛門は、平畠藩の財政の多くを担っている紅花問屋の主で、紅花の栽培・品種改良にも長け、問屋仲間の代表でもあり、農民や藩からの信頼も厚い。

    徳は、このまま紅屋に居座ることを決意し、自分が偽物とは悟られないように、平畠の言葉も必死で覚え、喜左衛門のこともいろいろ知ろうとする。そこへ徳のことを知る男(?)が江戸から現れるのだった。
    果たして徳は喜左衛門になりきれるのか。
    そんなストーリー。

    「言葉」がキーワードであり、言葉は、文化や意識、考え方(思考)であることを強く考えさせられる。
    徳は、平畠の言葉を覚えることで、喜左衛門という別人になりきろうとする。そのためには、言葉に付随するあらゆる事象も吸収していくということになる。
    そして、別人になりきることで、実は自分を失うということに、ラストに気がつく。
    つまり、「言葉」は、すなわち「アイデンティティ」(の源)なのだ。

    言葉、この場合平畠の言葉(方言)であるが、例えば、地方から上京するときには、方言を直すことが多いと思う。また、普段は方言で話していても、学校の授業(特に国語)では、「標準語」を使うことを強制される。

    つまり、ここで井上ひさしさんが言いたかったのは、「言葉を変えてしまえば、文化、あるいはその個人がその地域にいたというアイデンティティをも失ってしまう」ということではないだろうか。
    「言葉」にはそれほど重い意味合い、役割があるのだ、ということを改めて知ってほしいということではないか。

    言葉を変えた徳は、その結果、自分を失い、命も失ってしまう。

    舞台の中心には、大きな釘が立っていた。「釘」は徳にとって重要なアイテムであり、彼のアイデンティティの源でもあった。つまり、彼は赤ん坊のときに拾われ、物心ついたときから金物拾いをやっていた。彼にとって、釘があれば必ず拾うことが、彼であることの証明であった。
    その徳が、釘を拾わなくなったときには、すでに徳ではなくなっていて、そのことが彼を死に至らしめる。つまり、「釘によって死ぬ」のだ。さらに、実際に彼の胸には釘が突き立てられ、まさに「釘によって死ぬ」にことなったのだ。

    釘を中心に回る、つまり、ぐるっと回って、釘で始まり釘で終わる彼の一生を物語っているようなセットであった。

    ラストの白装束に着替えさせられるシーンはなかなか怖いし、紅花が咲いていて、明るい紅花にシルエットで農民たちが立ち尽くす姿は、徳以外の全員が本当のことを知っており、徳が死ぬことを本気で願っているという、とても美しく怖い風景であった。

    とにかく市川亀治郎さんがいい。歯切れのいい江戸言葉も、平畠弁も、さらに徳と喜左衛門を同時に演じる姿、立ち居振る舞いもパワーを感じる。また、あえて歌舞伎の足捌きを見せるあたりの演出も憎い。
    亀治郎さんが主人公であるから、この舞台はとても華があり、楽しいものになったような気さえする(…以前に比べてやや痩せていたような気がするが)。
    同じ井上作品の『たいこどんどん』のときにも感じたことだが(中村橋之助さんが素晴らしかった)、歌舞伎役者の体力・胆力、芝居への意気込み(向き合い方の素晴らしさ)を強く感じずにはいられなかった。

    歌が要所要所で歌われ、物語にプラスしてくる大切な役割を与えられていた。力強い歌声は楽しい。
    3時間30分(休憩含む)という長い上演時間なのに、楽しい時間が続いた。

    ロビーには、物語で触れられる「紅花」の本物が植えられていて、山形名物のシベールのラスクの小袋を終演後、観客全員に配るというサービスもあった。

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    2011/06/16 05:15

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