満足度★★★
シュレーディンガーの猫は病気だ
いわゆる「セカイ系」の物語が、いかにゼロ年代のサブカルチャーを席巻していたか、それを今この瞬間のガジェットを積み重ね、それらに共通している現代人の逼塞した自意識を浮き彫りにしようとする意欲作。
ものすごくおおざっぱに言ってしまえば、「誰も彼もみんな自分の狭いセカイの中だけで充足しちゃってていいの?」という問いかけだ。実際にラブプラスにハマり、Twitterにハマり、虚構世界をリアルと錯覚したまま自分が「魍魎の匣」の中にいることに無自覚な人間たちには、この物語は痛烈な皮肉となって映る……はずなのだが、どうも観客の反応を観ていると、揶揄されているのが自分たち自身なのだということに気がついていないようにも見える。
「匣の中に自意識を閉じ込めた自分をいかに肯定するか」、物語はそこまでを描いてはいるが、「果たして我々は匣の外に出て行けるのか」、その先の展開は暗示のみで終わる。そこがこの物語の最大の弱点で、表層的にしか物語を捉えきれなかった観客が少なくなかったようなのも、この「落ちの弱さ」に起因していたのではないだろうか。