nez**hの観てきた!クチコミ一覧

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アトミック☆ストーム

アトミック☆ストーム

流山児★事務所

座・高円寺1(東京都)

2013/05/31 (金) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度★★★

あと一歩上に
舞台セット、生演奏の音楽、俳優の歌と演技など、総じて水準の高い舞台だったと思う。小ネタやパロディの切れ味もよい。が、もう一段階上のレベルにいけたはずだという思いがぬぐえない。

大勢のキャストをダイナミックに動かす中屋敷演出は、円熟の閾に達している。エネルギー全開のまま駆け抜けるのが彼のスタイルなのだと思うが、今回は前半でそのエネルギーに慣れてきてしまって、後半に、それを受け止める観客の方が無感動になってしまった感が否めない。特に後半はプロットが錯綜するのに伴って歌も重ねあわされるので、パワーがシンプルに前に出てこなくなったという面もあるのかもしれない。

ネタバレBOX

原発問題を単に時事ネタとしてではなく、神話的なスケールで捉えようとするのは、渡辺源四郎商店「翔べ!原子力ロボむつ」にも通じるスタンスだろう。ただ、神話的な演劇には、単純で強力な構造が必要だと思う。

勝手に具体的なアイディアをいえば、全キャストを一人二役か三役にして、それぞれ月と地上と地下の世界の存在に対応させるといったやり方が、効果的だったと思う。たとえば地下の子どもたちは、月においては一人一人が暴走へのエネルギーを蓄えた地下の核廃棄物の化身である、というふうに。彼らは現実の存在ではなさそうだし、津波を身体表現する場面もあったわけだから、「地下にひそみ、地上=地球に憧れ、押し寄せるなにか」というふうに、多重的にキャラクター設定することができたはずだ。

役を兼ねると、役者の総数が少なくなって数の生み出すエネルギーは減衰するかもしれないが、今回感じたのは、どちらかというと、一つ一つのキャラクターに内包されるエネルギーが足りないという不満だった。キャラクターが多すぎて一つ一つが薄まったともいえる。大勢のキャラクターを動かすことでしか描けないものはあるだろうが、ひとりの俳優に現実的次元と神話的次元のキャラクターを重ね合わせるという手法で、その俳優が演じるどちらのキャラクターにも厚みを持たせることが可能だったのではないか。野田秀樹がよくやる手法だが、神話的な物語には非常に有効だし、今回はそれが必要だったと思う。

技術的な面では、音響設計に不満がある。マイクを通した歌声が、上のスピーカーから聞こえてくるのだ。せっかくの大勢のキャストの迫力ある歌声が、舞台から聞こえてこないのだ。マイクを使うことはかまわないが、声が舞台上から前に向かって聞こえてくるように設計しないと、まるで壮大な口パクのような印象を与える。ぜひ工夫を望みたい。あと、シャム双生児は出すべきじゃなかった。

上から目線となじられても仕方のない要望を書き連ねてしまった。3.11の演劇的表現は、どうしたって難しい。岡田利規だって柴幸男だってうまくいかなかったと思う。今回のは「正面突破」だが、これが正解に近いのではないか。ポテンシャルを感じればこそ、会場アンケートには書ききれない歯がゆい思いのたけを、こちらに書かせてもらった。
ハヤサスラヒメ 速佐須良姫

ハヤサスラヒメ 速佐須良姫

天使館

世田谷パブリックシアター(東京都)

2012/11/29 (木) ~ 2012/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★

延年の芸能
畢竟ダンスは、寿福増長、遐齢延年。芸能の根源である天の岩戸開きをテーマにするこの作品は、確信犯でそこを狙ったのでしょう。たしかに観て寿命が10日くらい延びた気がします。まあ、どんな芸能でも元気な老人を観ると観ている方もが元気になるものですが、69歳であのエネルギー、それだけでオールオッケーです。舞踏は健康によいのだなあ。
まじめに付言すると、大駱駝艦の4人の舞踏手は、本当に素晴らしい踊り手でした。金剛力士像が踊り出したらこんな感じでしょう。空中に自らをモノみたいに固めて放り出す動きがとりわけ素晴らしかった。
嘲笑と共感を同時に誘うユーモアのセンスも心地よかったです。

ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。

ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。

マームとジプシー

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2012/09/07 (金) ~ 2012/09/17 (月)公演終了

満足度★★★★

ちょっと長すぎた
「今日マチ子さんとジプシー」に続いて二度目のマーム。面白かったし、リフレインの手法に飽きたということもなかった。

一時期の野田秀樹が言葉遊びの可能性を徹底的に追求していたように、一時期の平田オリザが同時発話を追求していたように、今の藤田貴大はリフレインの手法を追求する時期なんだろう。でも、ちょっと上演時間が長すぎた。80分くらいにまとめてあったら、五つ星。

ネタバレBOX

テーマは、家の解体。別にいいけどスケールは小市民的。110分かけて描くほどのことじゃない。

別の観点から。マームの劇は、物語というよりは、音楽やダンスのようなものだ。いくつかのモチーフ(旋律や振り)を提示し反復・変奏しクライマックスに向けて構成する。マームの場合、モチーフはリフレインされる記憶の断片ということになる。いったい、110分の緊密な構成というのは、無理じゃなかろうか。110分って、交響曲なら長いので有名なマーラーの3番。観客が「一つの抽象的な時間構成体」を楽しめる限界だ。

リフレインされるシーンも途中まではどんどん強度が高まっていったが、途中からすり切れてしまった面が否めない。いったん俳優の感情をピークアウトさせてから、落ちついたトーンでまたリフレインするとか、違うコンテキストのなかでリフレインするとか、いろんな試みがあったけれども、どれほど効果があったか。

要するに全体の時間を短くしたら問題は解決する。逆に110分の充実した演劇体験をぼくらに与えたいなら、物語の要素を倍くらいにふくらませないといけないんじゃないか。それは、ここまで洗練させてきた従来の手法と両立可能だろう。そういうのを次は観たい。
うれしい悲鳴

うれしい悲鳴

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

戯曲こそ素晴らしい
みなさんあまり指摘していないので書きますが、戯曲が非常によくできています。岸田賞を取ると思います。

もちろん、改善できることは、演出面も含めていろいろあるのでしょう(厳しい評価をする方が指摘する点のいくつかには同意できました)。しかし、「大爆破」ですから、はなから上演されるものの完成度は目指していなかったと思われます。それにしても、戯曲の完成度は非常に高い。

物語の構成に破綻がなく、伏線がきちんと機能しています。古典的な結構を備えていると言いたいほどです。語りの使い分けも見事で、平田オリザ以降の口語ダイアローグと野田秀樹的モノローグが、自由自在に使い分けられていました。具体的なことはネタバレBOXに。

ともかく、これだけ多形的・多義的な意味作用を含みながら、物語としてきちんと構築された戯曲を、評価しないわけにはいきません。ぜひ公刊していただきたいと思います。

ネタバレBOX

痛みを感じない男が、かつての事故について、死者の肉のうちに閉塞することで逆に全宇宙と一体になる経験を語るところは、カタリの力が全開でした(役者ではなく戯曲が)。ライプニッツや西田幾多郎に通じる形而上学的ビジョンを、言葉の力で舞台上に出現させることができていたと思います。

また、対話の中で、天皇制をめぐるやばい結論に、登場人物と観客が同時に思い至る瞬間は見事でした。そのあと、ちょっとそれに言及しすぎたのは残念でしたが。

日本的権力構造(空虚な中心、責任者なき暴力)を批判するというモチーフは、観客に勝手に気付かせてぎくりとさせておいて、暗示的に展開した方がよかったかもしれません。近年の野田秀樹もそうですが、作品自体は多義的なのに、観客を政治的メッセージの側面にだけ注目させてしまうきらいがあります。

それにしても、と再び言いますが、この時期に東北大震災のモチーフに単純に引き摺られない戯曲を作り上げた広田氏の知性は賞賛されるべきです。柴幸男の「テトラポット」がその点で残念なことになっていたのと好対照でした。

私はときおり、放射能に過敏なひとたちのことを思い浮かべましたが、観客がそうやって個々に何かを思い浮かべる程度にモチーフを抽象化して、普遍的な物語を構築できていたと思います。天皇制ももうちょっと抽象化してほしかったけれども。

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