これまで
れんこんきすたの世界には、愛か憎しみ、愛と憎しみしかない。
舞台芸術の王道をゆく、あくまで『お芝居』でしかない。
奇を衒った演出はしない、斬新さは無い。
大衆に媚びない、間口が狭い。
空間の構築に十分な時間をかける、冗長で忍耐が必要になる。
勧善懲悪や説教臭さは無い、得られる教訓は大して無い。
お約束の大団円的エンドなぞ無く、全てが壊れようが消えようが、物語としてあるべき結末を迎える。
それが容赦の無い潔さと映るか後味の悪さとして残るかは観る人間によって感想は割れるだろう。
良くも悪くも安易に観れる劇団ではない。
ネタバレBOX
私はタナトスバージョンを観たが、サロメのみに止まらずあらゆる登場人物の業の深い関係が綿密に描かれていた。
あらゆる堕落の何からも目を反らさず、浅い美化も救済も無い。
実際は小劇場の小さな演舞台だ。だかそこに落胆するほどの腐敗と混沌が広がっていた。
が、長い。
正直飽きた。結末が衆人知るところの古典であればなおのこと。
私の感性と合わなかったと言えばそれまでだが、終始粘着質な愛憎ばかりで息苦しく、とても『観劇を楽しむ』ものではなかった。
そして役者の語りは総じてれんこんお得意の、フォルテ→ピアノ→クレシェンド→フォルテ→ピアノ→クレシェンド→フォルテ……、のくり返し。
素材が『サロメ』で主題が『官能』なのだから延々と執着ばかりなのはむしろ当然なのだろうが、砂糖もミルクもシナモンも無いエスプレッソをひたすら何杯も飲まされるようでげんなりだ。
そしてヨカナーンがあまりにも浮いていた。
まずもって神の預言者たる迫力に今一つ欠ける。洗礼者ヨハネ≠ヨカナーンではあるが、もっと禁欲的な壮絶さがあってよかったのではなか?
サロメを拒否する姿も高潔さというより単なる頑固さに見えてしまう。
王という世俗の首領に捕らわれている時点で預言者が卑近になってしまうのは仕方ないことなのかもしれないが。
いっそ預言者を登場させず人間のみを描いておれば、ヨカナーンの冷厳な純潔と王宮の罪科に塗れた愛憎が映えたかもしれない。
容赦も譲歩も婉曲表現もしない気迫は十二分に伝わった。
歴史的背景など大量の資料と考証の上に造られているのも窺える。
あと求めるとしたら大胆な減算とパフェにおけるミントのような存在か。