r_suzukiの観てきた!クチコミ一覧

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緑子の部屋

緑子の部屋

鳥公園

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2014/03/26 (水) ~ 2014/03/31 (月)公演終了

満足度★★★★

生理を揺さぶる知的空間
 一枚の絵に書込まれた「視線」のズレを起点に、今はもういない「緑子」の存在/不在が語られます。さまざまな人物、さまざまな側面から語られる「緑子」は、元は学校の教室であった今回の舞台の設計(白い壁に囲まれた空間に裏通路や切り穴、顔を出せる窓などが設置されている)とも相まって、徐々に(不在にも関わらず)その存在感を増していきます。一見、淡々としたテキストの中にも、ドキリとする生々しさが隠されていたり。やや、(空間の)仕掛けが先行した感もありますが、知的な考察と生理を揺さぶる感性を併せ持った、たくさんの可能性を秘めた公演だったと思います。
 美術も現代口語の淡々とした語りも、どこかサラリとして洗練されていますが、特に対話のシーンでは、もうちょっとベタな部分があっても、面白かったかもしれません。

ぬけがら

ぬけがら

劇団B級遊撃隊

長久手市文化の家 風のホール(愛知県)

2014/05/31 (土) ~ 2014/06/01 (日)公演終了

満足度★★★★

現在を奮い立たせる記憶
 次々と脱げて、若返っていく父たちのそれぞれにトボケた味わいと、ダメ〜な息子のやりとりを微笑ましく、けれど、どこか身につまされる思いで見守りました。また終盤、それまで一見、リアルな日常性に根付いていた舞台空間(内容はまさしく不条理ですが)が、飛行機(爆撃機)の音と共に歪む瞬間に胸を突かれもしました。これはダメ男が立派な中年として立つための物語であると同時に、たくさんの時間=歴史についての物語でもあるのだな、と改めて感じ入りました。
 名古屋で活躍中の実力派キャストを集めた公演は、満員御礼。全体的に「手堅い」感もありましたが、目標の一つであった「地元の演劇を盛り上げたい」という思いは充分実現したのではないでしょうか。チャーミングな父たちはもちろん、今ひとつピリッとしない主人公を演じた平塚直隆さんのヨレっとしたムードも忘れられません。

TERAMACHI

TERAMACHI

Baobab

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2014/05/30 (金) ~ 2014/06/02 (月)公演終了

満足度★★★★

思いきり!巻き込まれる!
 ベタベタの「エンターテインメント」でもなく、情動を前面に押し出す「感情表現」でもない、ダンスで状景をつくり、身体と状景との隙間も見せる、その手法がうまくハマっていたと思います。寺町通りの白日夢(?)を語るくだりは特に印象的で、この作品のテーマをうまく伝えていたのではないでしょうか。冒頭の仕掛けも、決して珍しくはありませんが、この方法、テーマなら、観客も共に「巻き込まれる」面白さがありますよね。
 テキスト(せりふ)や音楽(特に歌詞のあるもの)の使い方、美術や照明も含めたシーンの作り方には、まだ考える余地がありそうですが、それらもすべて「可能性」だとさえ感じます。小さな実験、遊戯性に拘泥するのではなく、舞台の上に「世界」を立ち上げようという、近年のコンテンポラリーダンスでは(たぶん)珍しい気概にも、打たれるものがありました。
 弾力のある動きも魅力的で、このアーティスト、集団の「思い切りの良さ」を見せつけられた気もします。

【無事終演しました】荒川、神キラーチューン【ご来場ありがとうございました!】

【無事終演しました】荒川、神キラーチューン【ご来場ありがとうございました!】

ロ字ック

サンモールスタジオ(東京都)

2014/05/14 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了

満足度★★★★

青春の恥ずかしさは剥がれない
 主人公二人の冒頭のマイクパフォーマンス(?)とそのせりふの(明確に内容は分からないけれど)激しさに、一気に「持っていかれた」気がします。
 青春の恥ずかしさは、貼り付いて剥がれない。ここに描かれているほどには、不幸でもなければ、痛くもなくても、「昔のこと」として乗り越えて来たはずのあれやこれはは、ずっと自分に貼り付いている。だから、ここに漂う部室臭さは自分のものなのだ–—とつい引き込まれてしまう、力のある舞台だったと思います。あの時の自分を乗り越えるためには、必ず、そこに戻らなければいけない–—そんな大人の視点にも共感を覚えました。
 物語が進むにつれて、まったく解決しない問題のアレコレに「いったいどうやって風呂敷を畳むの?」と心配にもなりました。結果、やや「力業!」となった終幕には、乱暴さや多少の悪趣味を感じなくもなかったのですが……ともあれ、最後まで息もつかせぬ展開、カラオケシーンのみならず、数々のせりふに込められたロックな魂に唸り続けた2時間弱でした。

痒み

痒み

On7

シアター711(東京都)

2014/03/25 (火) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★★

「女」はイタいがOn7は…
 結婚、出産、仕事……。日常において「女」をさほど意識しなくとも、その生き方によって分断されがちな「女」たち(一応言っておくと、そこまで明確に分断されない「男」もむしろ大変だと思ってます)。その違和感「痒み」を私たちはどう、乗り越えていくのでしょう。ここに描かれた、あの世ともこの世ともつかぬ不思議な場所で、それぞれに強く、逞しく、身勝手に生きる女たちの姿は、まさにその答えに繫がる入口をみせてくれているように思えました。
 はじめのうちは、がなるようなせりふ回しと、かしましくもイタい同級生トークにひるみもしましたが、次第に違った顏を見せる女たちの柔軟さに惹かれていってしまったのは、新劇で腕を磨いてきた俳優たちならではの「上品さ」によるものだったのかもしれません。
 俳優集団ということで、作・演出家によって、毎回公演の色合いは変わるのかもしれません。それでも、やっぱり今回のように、リアルで柔軟な女の物語を観続けられればいいなと思います。
 

江戸系 諏訪御寮

江戸系 諏訪御寮

あやめ十八番

小劇場 楽園(東京都)

2014/03/12 (水) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★

重厚なドラマ、ミスマッチの美学?
 土地に伝わる「鬼」伝説をめぐる、二つの家族の物語。まるで大河ドラマのような濃厚な設定に、今どきあまりない(スタンダードな意味での)「物語」への強い意欲を感じました。伝説や呪詛といった土俗的な題材を使って人間の情念を描く作風には、どこか懐かしさも漂いますね。
 口上があり、歌もあり(生演奏つき)、一つの空間を二つの場で分け合う工夫もあり、「楽園」という狭く特殊な空間で、いかにエンターテインメント性を高めるか、さまざまな創意が凝らされた舞台でもありました。オールディーズを中心とした歌の場面は「和」風の舞台に対するミスマッチの面白さがあり、内容に合っていないような、合っているような微妙なところが味だったのですが、ストーリーが複雑なだけに、あまり頻繁だと、むしろ意識が途切れてしまう面も。
 華やかな仕掛けとしての演出もあれば、グッと耐えて戯曲に添う演出もあっていいのだと思います。演技もしかり。もう少し「引きどころ」があると、いっそうの豊かさを味わえたのではないでしょうか。



ツレがウヨになりまして

ツレがウヨになりまして

笑の内閣

KAIKA(京都府)

2014/02/28 (金) ~ 2014/03/04 (火)公演終了

満足度★★★★

この熱気に期待!
時事ネタ、社会の課題に触れつつも、仕上がり自体はウェルメイドな青春ラブストーリーだったと思います。

目新しい実験性といったものはありません。
ですが、むしろ、このウェルメイドさと、集中力と熱気を同時に感じさせる客席が相対する空間には、何か新しい演劇受容(と供給)の芽があるのでは、とさえ感じさせるものがありました。

そう考えると……高間さんの前説(これは笑えた!)、本編、刺激的なアフタートーク、という構成も練られていますね。3つ揃っての「笑の内閣」という気もします。

特に私が観劇した日は、京都第一初級朝鮮学校のオモニ会の代表であった金尚均さんがゲストで、当事者としての体験談や芝居と違う実状(批判でなく)を語ってくださり、この芝居を起点にさらに別の視点を得ることもできました。

黒塚

黒塚

木ノ下歌舞伎

十六夜吉田町スタジオ(神奈川県)

2013/05/24 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

「解説」ではない古典との向き合い方
古典とされる戯曲や伝統芸能の題材を「現代版」として上演する際、もっとも陥りやすい誤謬は、その物語をより親しみやすく、簡単に解説することこそが、すなわち「現代化」であると思ってしまうことだと思います。

木ノ下歌舞伎版の「黒塚」もまた、もとの歌舞伎舞踊の展開の飛躍を心情的に補足し、より分かりやすくドラマティックな仕上がりを目指したものでしたが、同時に、この作品が所作(そのものは本家に及ばないにしても)の、一足一足を見せる「舞踊劇」であるという前提をしっかり踏まえていることにまずは好感を持ちました。

劇場の設備(箱馬等)をそのまま使って、作られた山(庵)の装置には多くの段差が仕込まれ、そこを上り下りする身体、またそのための時間が、主人公・岩手の心情表現に豊かに結びついていきます。岩手を演じる武谷公雄さんの好演と巧みな空間設計は、確かに現代の小劇場の世界に「舞踊劇」の伝統を浮かび上がらせるものとなっていました。

ネタバレBOX

アフタートークでも話題になりましたが、「劇団」ではないこともあり、演技質の異なる身体を、どう一つの作品の中に取り込み、生かすのか、ある程度の軸は必要なのではないか——といった議論はこれからもたびたび起こると思います。簡単なことではないですが、そうした難題にも果敢に挑戦し、現代劇の可能性を切り拓いていってほしいと思います。
ココロに花を

ココロに花を

ピンク地底人

王子小劇場(東京都)

2013/05/31 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★

謎のありか。
舞台上には三つのベッド。そこには意識不明に陥った男女が眠っている。それぞれの病室を訪れる者はみな、起きるはずのない彼らが覚醒したと証言する。ベッドの脇で掘り起こされる記憶、取り返しのつかない出来事、すれ違い……。

シンプルなセットの中で、効果音(これも俳優たちが担当)を巧みに使いながら、現実と幻想、過去と現在を、台詞や演技のみで、切り替えていく様子には心地よささえ感じました。また、「連続変死事件」を絡めたサスペンス的な設定には、どこか平坦で得体の知れないものになってしまったこの世界への違和感、不安感がよく現れてもいました。

終幕に至るまでの人間関係、一人ひとりの心情については、ややカンタンめに収まってしまった感もあり、せりふも演技ももっともっと謎めいていてもよいのではないかという気もしました。やはり、いちばん恐ろしく、魅力的なのは、人間そのものと、人間関係の中に横たわる「謎」でしょうし。簡単なことではありませんが「オチ」を急がず、「謎」に向き合い、ますます色っぽさを増していってほしいなと、期待しています。


兄よ、宇宙へ帰れ。【ご来場ありがとうございました!】

兄よ、宇宙へ帰れ。【ご来場ありがとうございました!】

バジリコFバジオ

駅前劇場(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/03 (月)公演終了

満足度★★★

10年目の「爽やか!」
引きこもりの男を癒すために、捨てたはずの「演劇」の手法を用いる主人公。と、同時に彼は、過去作から飛び出してきた3体の絶滅種(の人形)の案内で、ふたたび自らの「演劇」に出会うことに……。

活動10年目の「演劇で人を救う話」は、「演劇で人を救い、自らも救われる話」でもあり、そのストレートで爽やかな設定、また開演前の客席のわいわい感に「幸せなカンパニーだな」と感じ入りました。

キモかわいい人形の存在感(前説等も含め)は抜群ですから、2時間という上演時間を、いっそうドライブさせるための工夫、という意味でも、もう少し、ストーリー(舞台上の世界)に絡んでもいいのかなという思いは残りました。

率直な芝居づくりと、なんだかちょっとヒネた雰囲気を漂わせる人形。この二つの個性を、今後、さらにさらにうまくミックスさせ、昇華させるような展開があればいいなと期待しています。




My Favorite Phantom

My Favorite Phantom

ブルーノプロデュース

吉祥寺シアター(東京都)

2013/04/26 (金) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★

演劇で「立ち止まって考える」ために
役を演じるということ、すでに語られた物語を語ることの意味とは……といった、演劇にまつわる「前提」への疑いを身体化、空間化すること。あるいは演劇によって召喚される(はずの)あらかじめ失われたもの・ことの正体、その立ち現れ方を探ること。おそらくは、そんな意図を持って上演された作品なのだと思います。

俳優たちは自らの名前/役名を名乗ってみせるだけでなく、それぞれに、複数の役を「演じ(ようとし)て」いる。物語の流れそのものも相対化され、時には複数の人物によって「噂」調で語られたりもする。

こうした手法、考え方自体は挑戦的とも言えるのかもしれませんが、なぜそれが『ハムレット』という題材を通して行われるのかが見えず、さらに、落としどころのない懐疑を身に余らせたまま時に絶叫し、場内を走り回る演技、演出は、どこか閉じられているようで、観客として何に向き合うべきなのか、あるいは何を拒絶されるべきなのかといった入口にさえうまくたどり着けませんでした。

演劇という芸術の形式や古典戯曲と格闘し、そこに(肯定だろうが否定だろうが)新たな表現の可能性を求めるならなおさら、その対象にいったんは寄り添うほどじっくりと、堪えて向き合うことも必要なのではないでしょうか。そうしてはじめて、現在形の思索は鍛えられていくのだと思います。







ネタバレBOX

観劇当日は開場が遅れ、受付済みとそうでない人が入口付近に混在していたのですが、後から来る人の誘導、案内はないままでした。途中「整理券」が足りなくなるといった事態もあり、「どうなってるんだ」と声を荒げるお客さんも……。作品そのものとは関係ないのですが、こういったところがビシッと決まるだけで、カンパニーの好感度も、グッとあがるのではないかなと感じました。
左の頬(無事全ステージ終了!ご来場まことにありがとうございました))

左の頬(無事全ステージ終了!ご来場まことにありがとうございました))

INUTOKUSHI

シアター風姿花伝(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★

意外に?意外に!
鈴木アメリと二階堂瞳子の、ブリブリVSブチキレ対決に、聖書の有名な文句が絡み、両極にあるものがぶつかり合い別の磁場(ステージ)を生み出すという、この芝居のテーマである「世界平和」に向けても、多少深みのあることを感じさせなくもない……いや、まぁ、でもやっぱり、そんなには感じないけど(笑)……な舞台でした。

前説が芝居仕立てなのには「はっ!押し付けがましい、ご親切なエンターテインメントの始まりか?」と多少警戒もしたのですが、本編では多少の暑苦しさも、余裕を持って楽しむことができました。身体もきくし、歌も上手かったりするんですが、そのことに溺れていないせいかもしれませんね。センターの女子2名、周囲を固める男子たち、共にパワーがあり、好感を持って劇場を出ました。

ネタバレBOX

世界を脅かす「なるほ度」をめぐる設定には、ちょっとツッコミどころがありすぎる気がしましたが……エレクトリカルパレードのネタは好きです。あれってちょっと、演劇(フィクション)の枠組みを使った笑いとも言えますよね。意外に大人の演劇ファンも好きそうなネタかなぁと感じました。
枝光本町商店街

枝光本町商店街

のこされ劇場≡

枝光本町商店街アイアンシアター(福岡県)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/30 (土)公演終了

満足度★★★★

演劇の生まれる町
かつては八幡製鉄所のお膝元として栄えたものの、今はもう、ずいぶんと寂しくなってしまった商店街を、劇団員の女優さんのナビゲートで散歩します。実際にこの町で生活する人たちのお話は、そのどれもが演技のようで演技でなく(演技でないようで実は演技でもあるのですが)、そこで生きてきた時間、町の歴史を感じさせる、味わい深いものでした。また、そうして出会ったいくつかの「現実」が、終幕に用意された明確な「虚構」(演劇)によって、重なり合い、より遠くを、過去や未来を想う「想像力」をもたらすーーという仕掛けにも、驚き、感動を覚えました。

ネタバレBOX

行く先々で見聞きするのは、人で溢れかえったかつての町の姿、隣接した花街、アイアンシアターや劇団(のこされ劇場)との交流をめぐるエピソードの数々。そして、最後に訪れた元料亭の屋上で、私たちは、これまでの町歩きの時間、そこで語られた歴史、過ぎ去った時間(と、これから)を一気に体感するような、体験をすることになります。最後に用意された仕掛けは、ともすればあざとくも感じられる危険性を孕んではいると思いますが、それでも、この町で生きる人々とその歴史と、観客のそれぞれの現実を繫ぐ”想像力”を発動させるものとして、鮮やかに印象に残りました。

事前の情報もあまり持たずに参加したので、後になって、一見、自然に話しているように見えた町の出演者の方々が、実はこの「芝居」のために、さまざまな工夫、演技をしていたことを知って驚きました。長い時間をかけて、コミュニケーションを重ねて育てられた作品でもあるのですね。
わが友ヒットラー

わが友ヒットラー

シアターオルト Theatre Ort

駅前劇場(東京都)

2013/03/27 (水) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★

空間と戯曲の関係、その可能性
駅前劇場という小空間で観る「わが友ヒットラー」には、戯曲の質量とも相まって、強い圧迫感のようなものを感じました。それはこの作品を上演する演劇人たち、そして私たち自身が、昨今の世の流れに感じる違和感、不安をそのまま映していたのかもしれません。

2ブロックに分かれた客席に挟まれた、ランウェイのような舞台の上で物語は展開します。青春時代の友情/幻想に浸り続ける突撃隊長・レームとヒトラーの運命を分ける会談の切なさ、反主流派(左派)のシュトラッサーの悲痛な闘い、武器商人クルップの不気味な存在感を、観客はごく間近に体験するわけです。さらに舞台は天井に向かって高さを増すスロープになっていますから、俳優たちも時には身を屈めて演技をすることになりますが、その窮屈さが、このドラマの背景にある政治的構造やそれに伴う恐怖をいっそう強く印象づけます(ヒトラーを含め、登場人物たちもまた、この恐怖から自由ではないのです)。

強い空間設計と計算された演技は、テーマの重さ、戯曲の重厚さを伝えるには充分でしたが、3時間近い大作ということもあり、沈滞感も漂っていたように思います。例えば、レームの、ヒトラーへの一種ホモセクシュアル的な執着には、もう少し色気も滑稽さもあっていいですし……そういった人間のあり方の複雑さ、幅こそが、この悲劇の深さ、面白さにも繫がっているのだと思うのです。






ネタバレBOX

また、この戯曲は室内劇ですが、ヒトラーの演説、銃声を遠くに聞く終幕など、外部(民衆、社会の動静など)を強く感じさせるものでもあります。今回は今を生きる観客自身がこの舞台を囲むことで、その構造を表現されていましたが、もしかするとこの戯曲はむしろ、プロセニアムアーチの劇場を前提に書かれた部分が大きいのかもしれません。ナチスと大衆の関係、あるいはヒトラーという人物のイメージをより劇的に、分かりやすく(それも善し悪しですが)伝えるには、いわゆる一般的な「劇場」の空間の方が便利というわけです。今回の上演の挑戦的な部分も、また、難しかった部分もここにあるような気もします。

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

『熱狂』『あの記憶の記録』ご来場ありがとうございました!次回は9月!

劇団チョコレートケーキ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★

その問いはどこへ、誰に、向かう?
スケジュールの関係で「あの記憶の記録」のみの観劇となりました。複雑かつシビアな題材に取り組んでいるのだ、という自負に満ちた、集中力の高い上演でした。

意欲を持って、沢山の資料に向き合いつつ、書かれた戯曲だと思いますが、どこか「勉強して構成した」感は拭えず、設定やせりふのディテールにも、今ひとつリアリティを感じることができませんでした。

遠く離れた場所の出来事を、(一見)無関係な者たちが物語化し、演じることの意味とはなんでしょう。劇中にも「体験した者にしか分からない」といったせりふは出てきましたが、まずはそのことを表現者自身が自らに繰り返し問うことこそが、当事者/非当事者の間に横たわる距離を埋める”想像力”を育てるのだと思います。リアリティもまた、そうして生み出されるのではないでしょうか。

イスラエルの事例は決して他人事ではないのですが、とはいえ、この劇団の高い志、集団性をいっそうよい形で生かすためにも、まずは身の回りにある溝、亀裂を見つめた作品づくりに取り組まれるもよいのではないかと思いました。私たちの身近な生活の中にも、さまざまな社会的課題の影を見出すことはできるはずです。また、そうして見出された小さな違和感こそが、時には宗教や民族をめぐる争いの本質を表すこともあるのではないでしょうか。





キャッチャーインザ闇

キャッチャーインザ闇

悪い芝居

王子小劇場(東京都)

2013/03/20 (水) ~ 2013/03/26 (火)公演終了

満足度★★★★

疾走!その先には……
闇の中を、行き着く先もないと分かってもなお、「手応え」を求めて走り続ける登場人物たち。その疾走感に興奮し、安易なオチに流されまいとする姿勢にシンパシーを感じました。

エンターテインメント性の高い演出、演技は、舞台と客席の間の壁を突き破るような「突破力」を感じさせるものでしたが、もう少し、表現に濃淡があるといいですね。時には引いてみることで、この劇団、戯曲の持つ確かな質量を実感させる——という方法もあるのではないでしょうか。

月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

座・高円寺1(東京都)

2013/03/04 (月) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

身体のありか/メッセージ性のある死
死をもって(戦争等によってもたらされる)死に抗議する思想集団、“散華”を舞台に展開する物語。少々理屈っぽく、中2っぽい、散華のアイデアはしかし、マッチョな精神論、安易な共同体信仰が幅をきかせる昨今の日本の状況をよく映しているのかもしれません。自らの曖昧な(傷ついた)感情を、対象化し吟味することもなく、単純なつまらぬ美学に同化してしまう。その身体的現実感のなさ、薄ら寒い世界認識は、とても現代的なものにも思えました。

アマヤドリの代名詞でもある群舞、洗練された舞台美術、音楽……と、空間設計も充実しており、戯曲のビジョンを体現する、非常に完成度の高い舞台を観ることができました。惜しむらくは、もう少しの”破綻”がないことでしょうか。細かに張り巡らされた設計、統制された空間を打ち破り、こぼれ落ちてしまうような演技、身体が、むしろ舞台空間の内に留まらない想像力の扉を開くこともあるように思うのです。でも、これも、もちろん、この舞台の高い完成度を前にしたからこそ、考えることなのですが。

ことほぐ

ことほぐ

intro

生活支援型文化施設コンカリーニョ(北海道)

2012/05/31 (木) ~ 2012/06/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

「ここにいる」ということ
ブラックボックスの中に楚々と立つ電信柱を見た瞬間、「あぁ、北海道まで来てよかった」と思いました。円形にとられた演技スペースの周囲にはバス停や自転車が置かれ、その上を電線が走っています。

物語の主人公は3人の祝福されない妊婦たち。頼れる男もいなければ、水道代さえない彼女らは、悪態をつきながらも、なんとか身を寄せ合って生きています。

ネタバレBOX

一見閉じた設定のようですが、舞台装置と同じく、彼女たちもまた、外部との繫がりを完全に絶つことはできないし、またそうした隣人や兄弟とのかかわり(それはけっこうハチャメチャなものだったりもするのですが)を通じて、自ら「ことほぐ」ことに近づいていくわけです。水道も止まった、ある夏の1日の終わり。三人に小さな転機が訪れようとしたその時、遠くに聞こえていた「北海盆踊り」の節が、子供バージョンから大人バージョンに変わり、やがて太鼓の音が劇場中に鳴り響きます。それはこの作品が、作り手たちの生きる場所、現実のコミュニティへと接続される、感動的な瞬間でした。

誰に向けて何を届けたいのか——。この作品とカンパニーは、普遍的なテーマを扱いながら、自らの拠って立つ場所をしっかり見据えていると感じました。でも、考えてみれば、個人の創造的営みを、集団で共有し、さらに社会の中におく演劇は、はじめからそうした普遍性と固有性のあいだにあるものなのでしょう。輪になって一緒に踊っていたはずの登場人物たちが次々といなくなり、家主の妊婦一人が踊る、そのシルエットで、芝居は幕を閉じました。

うれしい悲鳴

うれしい悲鳴

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

空間を揺るがす演劇
言葉が世界を、構造を立ち上げる。その世界の中で俳優たちの身体が震え、客席と共振する。言葉(戯曲)と身体が織りなす、演劇のダイナミズムを体現するような芝居だったと思います。

理不尽で不条理な暴力が横行する近未来にあって、痛みを感じない男となんでも過敏症の女の結びつきを描く物語は、政治や社会状況への疑問を抱えながら、現状を甘受し続ける私たちの現在の写し絵なのでしょう。一つの役を複数の人物の証言や演技で表現するスタイルは、個と集団のさまざまな関係への思索を促す、とても刺激的なものでしたし、時おり差し挟まれる鮮やかな群舞(乱舞)もまた現代の群衆や大衆のあり方を思わせ、物語にさらなる奥行きを与えるものとなっていました。



ネタバレBOX

男性の役を複数の俳優が演じる(証言する)のに対し、女性の役は二人。そこになにか含意があるのか、とても気になったのですが……それについては最後までうまく読み取ることができませんでした。

詩的な言葉とストレートなメッセージの絡め方にも、演劇らしいジャンプ力があり、スケールを感じます。もちろん、そのダイナミズムを感じ取り、ついていくのは、観客としても体力のいることでしたし、長いモノローグになると、どうしても客席ごと「気分で流されている」ような気もしてしまいました。とはいえ、この言葉と想像力と現実とをつなぐ感性、そこから生み出される空間の、今どき珍しいほどの「ザ・演劇」感には、格別なものがありました。
「4 1/2」 「キッチンドライブ」

「4 1/2」 「キッチンドライブ」

劇団子供鉅人

ポコペン(大阪府)

2012/03/25 (日) ~ 2012/04/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

可能性のかたまり!
築100年にもなろうかという古い長屋の台所と玄関先で演じられる、賑やかな不条理風演劇。同居男との関係に倦み、台所に引きこもる女のもとに、突如として現れた「パーティーの客」たち。その賑やかで自由なふるまいに、彼女の心は徐々にほぐされていきます。

どうにかしてかつての仲を取り戻したい(でも相手の気持は読めてない)男と、生活に倦み、苛々を止められない女のすれ違いには、大いに引きつけられるものがありました。女のいるキッチンと男のいる部屋を隔てているのは見るからに薄い壁1枚。それなのにどうしても分かり合えないということが、せりふはもちろん、それぞれの部屋で起こる出来事、その対比を通して巧みに伝わってきました。


ネタバレBOX

闖入者たちは、半ば暴力的なまでの明るさで、女の心情に、そしてこの、どこか閉じてしまっていた家に風穴を空けます。俳優陣のテンションマックス!な演技に、長屋は揺れんばかり。実はこの家、柱や床が若干傾いて見えたりもするので、耳にビンビン響く声とも相まって、私はちょっと酔ってしまいました。小さな空間なので、欲を言えば、彼ら客人のテンションにも、もう少し柔らかな変化が欲しい気もしますが、それだけ臨場感たっぷり!ではありました。

終幕、嘘のようにふといなくなった客人たちの後を追うように、女は台所から姿を消します。彼女は単に家を出たのか、それとも今ごろ誰かの部屋を客として訪れているのか……いろいろと想像は膨らみます。

序盤以外はドラマも観客の目線も台所ばかりに誘導されがちでしたから、男(隣室)との関係にもうちょっとだけ踏み込むという可能性もあったのかな……という気もしています。訪問者たちと女の関係にも、さらに開拓できそうなところはあるでしょう。ただ、それも含め、この芝居は本当に可能性に満ちた作品だとも思います。再演、ロングランを続けてきた作品ですから、これからもまだまだ豊かに変化できるでしょう。それに何より、小さな長屋での上演(それも不条理もの)という、一見オルタナティブなあり方と、サービス精神満点の演出、演技の組み合わせには、「ひらかれた小劇場」への夢や希望を感じさせるものがありました。



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