実演鑑賞
満足度★
実際にあった震災をテーマにしており、それゆえの困難さが演出やテクストに瑕疵として残ってしまっているドラマ作品だった。
ネタバレBOX
まず、震災によるPTSDを中心的なテーマとして取り上げていながら、観客の側にそれを抱えた人を想定できていない点で決定的な過失であろう。作中における地震の描写は暗転中に音だけで示す手法がとられており、その音響効果はかなりリアルであったため、間違いなく事前の注意喚起が必要だったが關が確認した範囲内では見つからなかった。震災を主題にしていることの提示だけでは不十分だろう。
加えて、被災者をドラマチックなフィクションとして消費してしまうようなストーリー展開にも疑問を感じる。観客として、『残火』からは感傷的な同一化を狙っていること以外に特にメッセージは受け取れず、ストーリーの複数の箇所に安直な印象を受けた。災害を扱う作品はそれ以外の作品以上に慎重さが求められるが、いまひとつ感じられなかったのが残念である。
キャラクターの人物描写は基本的に好ましいものだった。優れていた俳優としては元山未奈美氏が挙げられ、被災者として心身ともに傷を負いながら持ち前の強さと愛情深さで戦っている女性というデリケートな役を、緻密にかつ魅力的に演じていた。他方で、俳優の演技力に差が見られ、いまひとつ一体感に欠いた印象も受けた。
震災という取り上げるに困難なテーマに果敢に取り組んだ意気込みは評価するものの、リアリズムに則した演出はどちらかというと映像向きのように感じられ、歴史的事件をテーマとする際に演劇には何ができるのかという問いが掘り下げられていなかったのが惜しかった。
実演鑑賞
満足度★★★★
地元に愛された、俳優の個性が活かされているエンターテインメント作品である。
ネタバレBOX
高校の学園祭を巡る群集劇であり、「周囲を気にせず好きなものを追求する」という本作のテーマは団体の方向性も示しているように感じられた。そういう意味において、内容と一致した劇作術が巧みである。個性の強い俳優たちは個々に魅力があり、しかもそれぞれにマッチした役を演じていたことから、客演の俳優とも良好な創作関係を結べる劇団としての強みが見られた。特に劇団所属の横山祐香里氏は、登場人物のキャラクターの落差を見事演じ切っていた。
そのような団体に対する客席からの愛情が強く感じられた。普段、首都圏の劇場ではなかなか感じられない温かさを持った客席は、筆者のような外からの観客も排除することなく飲み込み、「ホーム」という印象を与えた。そのような客席を、時間と誠意をもって作り上げてきたであろう団体の努力が感じられた。
他方で、かなり力技で押し切られているという印象も拭えない。戯曲の構成や設定、俳優の演技も細かく見れば瑕疵が見えるが、勢いとノリで乗り切ってしまっている。作中の劇中劇が「これなんー!?(これ何!?)」という展開で終わってしまったことから、もう力技でも色々崩壊していてもエンタメだからOK!という表明だとも受け取れるが、小さな無理も見えなくなるほどの力技ではないとも言える。
このことから、エンターテインメントとして成立していれば許されてしまうこと、許してしまうことについて考えた。恐らく、勢いで押し切ってしまうというのは劇団の方針の一つだろう。巧緻な細工よりも大きな柄で人の目を惹きつける方が、本作のテーマとも合っている気もする。しかし、他団体や他作品ならば必ずマイナス点として議題に挙がるであろう点を、エンタメだからというだけの理由で見逃して良いのだろうか。
とはいえ、このような普遍的な問いは、万能グローブガラパゴスダイナモスがエンタメとして優れていたからこそ生まれたものであろう。評者である關も、その点について問いつつも作品自体については大いに楽しんだ。強引さも団体の強みとしてこのまま猛進してほしい。
実演鑑賞
満足度★★
美しい美術と愉快な音響効果が印象的だったが、いまひとつ没入感を欠いた作品だった。
ネタバレBOX
個々のアイデアは面白く、特にアリスが小さくなるシーンは大きさの違うロープの輪を用いて示しており、なるほどと思わされた。『不思議の国のアリス』の原作は言葉遊びを含む独特の言語を特徴の一つとしているが、台詞を用いずに身体表現のみで上演するという試みに意気込みを感じた。
しかし、それが成功していたかは疑問である。まず、俳優の技術にやや不安を覚える部分が複数箇所あり、それがユニークな世界観への没入を妨げる要因となっていた。本来、技術的に優れているパントマイムであれば観客の想像力を喚起し得るであろうシークエンスも、何を意図しているのかを観客の側から汲み取る努力をしなければならず、観客の負担が少し大きかったように思う。結論として、アイデアは面白いがそれだけに終わってしまっている印象を受けた。劇場の造りが適していなかったのも要因だろう。学校の体育館のように客席よりかなり高い位置に舞台があり、見上げて見る形になってしまっているのは作品にとって不利だった。また、非常灯を消すことができず、暗幕を貼り付けていたが光が漏れてしまっているために完全な暗転ができなかったのも気になった。
上演に際してワークショップを同時に開催したり、物販にかなり力を入れていたりと観客へのアプローチは十分に用意されていたため、本来団体としてはサービス精神に富んでいるのだろうと推測できる。他の作品の方が恐らく評価が高いのではと類推され、もったいないと感じた。
実演鑑賞
満足度★★★★
演劇という芸術を通じて、作者および観客が(物理的・心理的に)距離のあるテーマといかに関係性を結べるかという実験を行った意欲作である。
ネタバレBOX
アルバニアのイスマイル・カダレ『砕かれた四月』を下敷きに、復讐が社会的制度として存在する世界をいかに理解し得るか(あるいはし得ないか)を、ダンスと演劇を混在させたスタイルで考察している。溝と高さを巧く利用した舞台は、ダンサーの身体を様々なものに見せており、また舞台奥に天井からぶら下がったオブジェも含め、個々の要素が観客の想像力を刺激していた。出演者たちのダンス、ムーブメントは、ドラマ的に(すなわち『砕かれた四月』のストーリーに沿って)解釈することも、あるいはそこからズラして読むことも可能なものとして展開されており、そのように行き来する観客の思考は、作者が『砕かれた四月』を読解する思考と恐らく重なっているのだろう。舞台芸術を通じて読解の作業を共有している感覚が楽しかった。
しかし、応募書類に書かれていた作品創造の意図、目的がはっきりしていただけに、本作品が果たしてその目的に到達できていたかはやや疑問が残る。テクストと祖父の存在が有機的に結びついていたかも含め、自身と物理的、歴史的、心理的距離のある出来事を関連づける手つきとして、今回のやり方が有効であったとは必ずしも言えないのではないだろうか。巧く重なる瞬間もなく、かといって完全に客観視できるほど離れることもない、中途半端な位置付けになってしまっていたと言わざるを得なかった。
実演鑑賞
満足度★★★
STスポットの空間をよく活かせた、演劇的想像力を巧く活用した作品である。
ネタバレBOX
アパートの一室を契約するというシチュエーションに、リアリズム的な作品なのかと思っていたら次々に不条理な言動と展開が待ち受けている。小劇場の不条理的シットコムと呼び得る巧さで、不気味さと滑稽さのバランス感覚に優れていた。
思わず吹き出してしまうような台詞と俳優の演技も魅力的だった。他方で、その俳優たちが汎用性の高い上手さであるかはやや疑問であろう。あくまで本作の作品傾向とスケール感に合った演技だったため、他の作品でも見てみたいと思わされた。
総合すると、巧いが故に良くも悪くも後味を残さなかった。不条理にもシットコムにも振り切ることのないバランス感覚はあるが、それによって何を目指しているのかが伝わって来ない。また、応募書類に見られた問題意識や目標が作品を通じて見られず、その点も残念だった。若手の団体であるため、向かう先が垣間見えると一層の強みになるのではないかと思われた。
実演鑑賞
満足度★★★★
ダンスと演劇を同地平に併置することでその化学反応を見た実験的作品である。
ネタバレBOX
ダンサーはダンサー、俳優は俳優として舞台上におり、それぞれの身体がダンス的空間、演劇的空間を担保していたので、両者が交錯した瞬間の舞台上の異質化が体感できて面白かった。アフタートークでも語られていたように、その際観客の目線は演劇とダンスの間で行き来する。舞台上のダンサーあるいは俳優の身体を見ることで、観客の身体にも変化が起こるのが体験として新しかった。何より、出演者の技術が圧倒的に優れていた。川合ロン、平原慎太郎を筆頭にダンサーたちの能力は言うまでもなく、佐藤真弓、薬丸翔もダンサーたちの身体と拮抗する空間を築けていた。この、やや歪でありながら調和を見せた空間は、美しい美術と照明、衣装と音響によって構築されており、スタッフワークの完成度が高かったと評価できる。
他方で、ダンスと演劇の間を行き来する試みは既に歴史上にあり、この作品の独自性が見いだせたかは今ひとつだった。コロスを描くというテーマと、本作の実験的手法の有機的な結びつきが見えれば、それはダンスあるいは演劇を更新し得るのではないかという予感がした。
実演鑑賞
満足度★★★
性犯罪の影響を、被害者だけではなくその周辺も含めて描いた、時宜を得た作品である。
ネタバレBOX
#MeToo運動をはじめ、性犯罪の告発が急増する現在において、本作のテーマが重要であることは自明である。したがって、そのテーマを「いかに」描いているかが評価の際に重要な要素となる。だが、本作品は描き方としては比較的ドラマであり、オーソドックスなやり方だった。主人公をはじめとして登場人物への感情移入を促す展開、演出がしばしば見られ、性犯罪の被害者である登場人物が葛藤する様は確かに心が動かされた。しかし、思考よりも感情の方が刺激されることにより、性犯罪というテーマを消費する方向に行ってしまっていたのではないかと懸念される。
興味深い演出は各所に散見された。例えば、人形を用いたり少女戦隊モノの演出にしたりという工夫で、被害者の抱える自責の念やそれを利用した二次加害、それらの克服方法を説明しており、いわゆる「お勉強」的にはならないよう上手く回避していた。だが、工夫止まりでありテーマと深く結びついていた訳ではない。作中で最もノリの良い、楽しかった演出が小道具に過ぎなかったのがやや残念だった。俳優は全員高い演技力が認められたものの、劇場の広さと演技の質が合っていなかったのが惜しかった。中でも梅村綾子は技術の幅広さを感じさせた。別の劇場であれば、あるいは劇場の狭さに合わせられれば、高い評価を得られたのではないかと思う。
結果として本作は、(恐らく本来は意図していなかったことだろうが)社会に向けたメッセージを伝えるメディアとして演劇が持つ特徴について再考する機会となった。SNSを含む多くのメディアが氾濫する現代において、演劇はどのようなメディアとなり得るのか。その可能性について改めて検討する必要があるだろう。
実演鑑賞
満足度★★★
シンプルな舞台美術と衣装を用い、観客の想像力を喚起することで劇世界を構築するミニマルなオムニバス作品群だった。
ネタバレBOX
コミカルなコント集であり愉快だったが、それ以上にならなかったのが残念である。「名」を巡るそれぞれのエピソードは小品ながら「よくできた」という印象だとしても、「名」とは何かという議論にまで到達しない。名付けるという行為に代表されるように、「名」が「パフォーマンス」と深い結びつきがあるだけに、もったいなかった。
純粋に音楽要員としてのみ登場していると思っていた演奏家たちもまた「パフォーマー」であるとし、その人たちのみのエピソードがあったことは、予想外の面白さがあった。また、大道具等がシンプルであるために照明の美しさが際立っていたように思う。俳優は技術の差がやや目についてしまった。