満足度★★★★★
Corichを初めて使うので、コメント書き方や、くどい等が至らないかもしれないがご容赦を。24日の初回初演を拝観。(以前短編作だったものを長編本へとリメイク(おそらく完全に再構築)した作品なので本当の初演ではないかも)
舞台タイトルの回収への気付きに至るまで、長めの紆余曲折があり、アフタートーク含め140分くらいの作品なのだが、しかし自分の目が分離し事象の監視者へとエントリーしてから、熱量を持続させて観る事ができた。
昨今、覚めずに仕舞いまで観きれる芝居がなかなか無いなかで、再演を願う舞台に出会えたのは、縁と言える。
色々な世代、立場、心つもりの人に刺さる芝居だろうと思う。主観的な振り返りをネタバレ?に書こうと思う。結果長文駄文になってしまったので、以下は読むのを薦めない。
ネタバレBOX
まず、王子小劇場、という場所が、仕事場も家からもちっと遠く、軽く心折れつつ、雨のなか到着。
こわっばちゃん家の事前学習でも、皆が絶賛しているのと、実力派助演系女優からのお誘いということもあり、モチベーションは維持しつつも、仕事疲れを全面に出して不機嫌に階段を降りる。
その段階では、事前情報で伺っていた「大人数会話劇」ということもあり、ここ最近観ていた、また発声がでかいだけのかしましい、観客に面白さを強要するジョーク合戦の時間が続くのだろうか、と、正直冷めたグラタンの表面のような心持ちで、券買、花等を預ける。ちょっとお花等対応が雑に扱われ(後ろから舞台役者関係方が押し寄せ忙しかったため)、冷めたグラタンから2日ほど放置していたご飯の表面のように硬く変わり着席。
ニコチンを補充し時間調整しながら、ギリギリで再着席。
その段階で、落ち込んでいたはずが、舞台美術に目を奪われる。王子小劇場は初だったのだが、組み付けが明らかにおかしい事に気づく。完成度が高いというより、元からそのような部屋組みがあったような。どのように使われるのだろう。期待感が増す。
暗転。重厚だが圧の不快にならない音量と曲。開幕。さっそく舞台が分割同時並行劇であることを意識つけられる。
重厚な演技。時系列やオムニバスが飛び交うとつらいなぁ…と内心思いながら、見守るが、まずはひとつひとつの分割舞台がシンプルに使われる。詳しい説明を一切省き、演技と控えめな照明で、ただ深く印象つけられる。
一転、ミュージカル様に、たくさんの場面をリズミカルにカラフルに照らして使い、人物設定と、舞台の使われ方、のエディトリアルが終了する。とても明るく賑やかな楽しい芝居。
さて、先ほどの重く情感深い場面は、何だったのか?疑問を残したまま、明るさのある芝居がメインの舞台でノンストップに続く。
すごくシンプルに、会社というもの、会社内に居る職責、人物像、先輩後輩などの役割、これらをモデル化して表現していく。
メリハリ有り、くどくなく、とても分かりやすい。人物設定も、意図的だろうステレオタイプな味付けにデフォルメされており、職責ごとに、ああ、この人はこの仕事、と理解が進む。登場人物は多いが、ついて行きやすい。
企業で働いた事がない観客でも、ああ、会社とはこういう事をして皆んな化学反応しながら仕事時間を過ごすんだなぁ、と理解が進むような、そして、カッコいいやり取りが主体で進み、様々な会社で起こる問題を、総じてポジティブに描きながら、舞台は進行する。
この辺りで、ごく自然と、この物語の監視者の視点を得ていたことを自覚し、やや忸怩たる、だが、暖かな気持ちになっている。
やがて、舞台は、広々と取られたメイン舞台と、他の4つの小舞台で、同時制~少し時間の前後を含む、別の空間を、リズミカルに照明を転換しながら、演じるように変わってゆく。
メインの広めの舞台で描かれる物語とは、全く噛み合わないような、ストーリー。
2階の舞台、メイン広舞台は、基本として登場人物のグルーピングが固定しはじめる。
左右そでの小舞台は、臨機応変に、あたかも狂言のように役者の演技と、効果音音響(これがまた絶妙)によって、様々な空間を表現しわけていく。
それぞれの小舞台でのストーリーは、ライティングが別の小舞台、広舞台へ移っても、まだ続いている。これが、とても観るには忙しい。
忙しいのだが、自分にはとても助かる事となる。
複数のストーリーを追いかけながら、脳内で保留…一時停止ボタンを押してストックしなければいけない、という不安感、メインの進行中の芝居から没入した目が浮き抜けてしまいがちな不安感を、取り払ってもらえた。
なぜなら、暗転していながら続く芝居へ、メイン舞台に意識を主におきつつも、合間に、ちらりと小舞台へ目を向けると、先ほどの芝居の続きがパントマイム様に続いていて、すぐに先ほどのストーリーを思い出せるな、という安心感を得られる。
他の小舞台で照らされ演じられていくストーリーと別に、さっきまでのライティングされた舞台の復習が同時に行える。
だが、それはものすごい情報量、演技量なのではないか?
この構成が、クライマックスまでずっと続く。
途中で、そのちみつな演出と休みない演技、タイムスライスの精度に、背筋寒いものを感じながら、熱を受けて、いっそうメインのストーリーへとダイブしていく。
(驚くことに、ストーリーが日を重ねると、会社の女性登場人物は、服を早替えしている…!
髪型まで変える役も…。これはねたばれか。まるで某フ○ーザ様のように性格が5段階変身し、次第に服装も変わる役も有る)
ストーリー自体については、他の方の素晴らしい感想へと委ねるとして、ここは、そのタイトルが回収されるプロセスの過程について。回収されているような、されないような恐怖感、不安感、について掘りたい。
5つ(メイン舞台では3シーン程が同時進行することも出来る道具があったが)の小舞台で描かれたストーリーが、ごくほんのわずかな偶然を織り上げながら、淡々と善意にあふれた人物を描き、ひとつ、またひとつと歩み寄るようにシンクロしていく。これが、本当に怖い。
監視者の視点を持つ客席から、先がほのかに読めていくにつれ、やめろ、やめておけ!と叫びたくなる。
だが、(ストーリー上の)犠牲者も、取り巻く人も、みな笑顔で、ごくごくありきたりな、自然な、善意に満ちた生き方が進む。先が見えるのに、自然な人物たちのありように、止めることが出来ない、ただ不幸へ進みゆく人物たちを監視するだけの不安感を、執拗に味わえる。
その中で、それぞれの人物が抱える、悲しみや、向かう壁、無力感、感じる不幸を、とても分かりやすい表現で描き、自然に演じきりつつ、やがて一定の解を観客に示す。問いかけ、示す。放り出していない。俺は私はこう思うよ、さあ、観客である君ならどうなのだ?と示してくる。様々な場面を用い、幾層にも。
観客は、現実世界の自分自身も、相対的な枠において存在しそこでのみ善でいられるのであり、その枠はとてももろいもの、どんな時にも崩壊と問いは起きる、と突きつける。
だが突き放さない。問いながらも、解を得た人物の変化、仲間という存在の新しい結びつき方をもって表現する。勇気、踏み込む力、ただ寄り添う強さ、まだ他にも現実の観客に見つめなおして欲しい道具を鮮やかに謳う。
本当に素晴らしい本だと思う。
ストーリーとしては、最終的に、掲げられた重いテーゼ「致死量」に回答を示さない。と解釈した。
(これも、多層の意味合いにおいて致死量が有るようなのだが)
一定の解を示すものの、それがYesともNoとも述べず、社会にあるひとつの方向として示し、物語は終幕へと向かう。
そこにある、独特の気持ち悪さ、または特殊性は、いつでも再生産されるよ、と、うすら寒さのみを、植え付けられたように、感じた。
ただ、物語の関係者は、全員が、何らかのカタストロフィを得て、次へと歩み始められる。
結果としてハッピーエンドの形で物語はフィナーレへと至る。
そうして明転。カーテンコールへ。座長さんからの挨拶までのオベーションは、俳優さん方が、役を離脱しているのに、役に見える。
こういう時は、きっと熱を持続して観とおせた、と言うことだ。寝不足、仕事過多、不機嫌な落ち込んだ状態で観劇を始めたものの、よく集中力は保ったものだ。
そういえば帽子を脱ぐのを忘れていた反省。
読後感、のような、何かを胸に残した状態で、劇場を去ることになる。
そういう舞台だった。
お誘い頂いた女優さんにご挨拶をし、座長さんにtwit 確認頂き、退出。北斗のじゃがいもは後味よく美味しく食べられた。もう行かないけど。
非常に準備がたいへんであろうことは承知のうえで、ぜひ舞台、劇場の芝居、という形で、再び世に出ることを願っている。
大学生、新社会人、そして…仕事というものに夢こがれて没頭し、一度は心を折った経験がある働くマン、同僚が過労死した人、ものづくりに携わる人、小~中規模のチームリーダー、思春期の子育てに疲れてきた人、そういうバウンダリーを持ち、もがく人々にこそ、劇場に足を運び、観て感じてもらいたい舞台である、と確信する。