Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

401-420件 / 728件中
化粧二題

化粧二題

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/08/17 (火) ~ 2021/08/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

有森也実、内野聖陽のコンビによる再演だが、前回よりも数段感動した。前半は、子どもを捨てた女座長の意地と強がりを押し通す。後半は母に捨てられた過去を持つ座長の話。母に「捨てられた」と思って、自力で頑張ってきたが、その頑張りこそ、母が辛く当たった狙いではなかったかと思い至る。母の愛に気づく物語。

内野聖陽が好演、力演。この男座長の話には、井上ひさし自身の母への思いが色濃く投影されていることに今回、初めて気づいた。「井上ひさし前芝居」の解説を見ると、扇田昭彦は、初演でいち早く気づいたようだが、私は今まで見てきて、とんと気づかなかった。「(母への)希望をすててしまえば、驚くほど元気になるもんなんですよ。から元気ですが」という座長のセリフは、井上ひさしの自伝的小説「あくる朝の蝉」の「孤児院は、他に行くところがないとなれば、あんないいところはないんだ」と重なる。

奇跡を待つ人々

奇跡を待つ人々

東京夜光

こまばアゴラ劇場(東京都)

2021/07/24 (土) ~ 2021/08/04 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ビミョーな芝居。タイムトラベルと不老不死と、地球絶滅を織り込んだすごーくスケールの大きい世界を、駒場アゴラの、ベッドしか大道具のない狭〜い空間で物語る異色の舞台だった。現実には戻りたくない、ヴァーチャル世界の住人の笹本志穂さんが、白いふんわりした衣装で、現実と非現実の間の不思議な存在をよく演じていた。

ネタバレBOX

自分の体験で感じたことを膨らませて芝居にするという作・演出の川和幸宏氏。この超現実SFをどういう体験から発想したのか、観劇後、ロビーにいたご本人に聞いて、その体験からの膨らみかたを意外に思った。
丘の上、ねむのき産婦人科

丘の上、ねむのき産婦人科

DULL-COLORED POP

ザ・スズナリ(東京都)

2021/08/11 (水) ~ 2021/08/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「家族八景」ならぬ「妊娠七景」。フリーターカップルから、中年女医まで7組の夫婦の、それぞれの妊娠の悩みと苦しみ(喜びはあまりない)。30組以上の夫婦を取材したというだけあって、それぞれの話にリアリティーと細部の意外性があって面白かった。

欲を言えば、「妊娠あるある」から、さらに常識をどこかひっくり返す飛躍がほしい。つわりに苦しんでいた大人しい妻が、実は激しいパンク野郎だったという「ロンドン・コーリング」と、サルトル「出口なし」へのオマージュを絡めた「スプレッドシート」に、男女を縛る「妊娠出産の常識」を爆砕する萌芽を感じた。

ネタバレBOX

男女入れ替えの回を見たが、なんかこそばゆいような、ゾワゾワする感じが最後まであった。そこがいいのだろうが。思った以上に、男優が演じる女役の存在感が目立った。ただでさえ、女性が主役の話なのに、それを体の大きい男優がやるから、一層目立つ。女優が演じることで、一層、男の存在の薄さ、しょうもなさを感じた。
もしも命が描けたら

もしも命が描けたら

トライストーン・エンタテイメント

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2021/08/12 (木) ~ 2021/08/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「人生、不幸せの次には幸せがくるなんてうそだ。幸せと不幸せのバランスはこの世界全体で取れていて、幸せが重なる人がいる一方で、不幸せばかり続く人がいる。誰かが幸せになると、その分の不幸せが、別の人にかぶせられる」。このセリフ(記憶なので細部は違います)に、本作の世界観が集約されている。でもそんな不公平を愛の力で(変えるとまでは行かないが)のりこえる物語だ。

父が去り、母が消え、自分の殻に閉じこもって生きてきた月人(げっと、田中圭)。自分と同じ喪失を抱えた星子(せいこ、小島聖)と出会い、初めて愛を知る。でも、悪戯な運命は星子を奪い、月人は、幼い日、押し入れの中の画集でみたゴッホの「星月夜」の糸杉(キリストの十字架に使われた木)のような、高い杉の木で首をつる。

冒頭、3,5分、テーマ曲が無人の舞台で流れたあと、場面は月人が自殺未遂指摘から落ちて目覚めたところから始まる。(メロウで弾むポップ癖のいい曲。ただ、癖のあるボーカルで歌詞は判別しづらい。パンフにあるテーマ曲の歌詞を見ると、芝居の物語が見事に歌われていた)。三日月の精(黒羽麻璃央)の語りかけに、耳をふさぐように、月人は子供の頃から自殺までの半生を語る。これが1時間50分のこの芝居の前半。多分40分くらい。三人しか出ない芝居だが、前半はとにかく田中が早口で語り続け、セリフ量はハンパない。

そして冒頭の場面に戻る。月の精は「ただ死んじゃだめだ。その生命を人のために使うんだ」と、絵のうまい月人に「命を描くスケッチブック」をくれる。植物でも動物でもこのスケッチブックに描くと、どんなに死にそうでも、もともとの寿命が蘇り、かわりにその分の月人の寿命がなくなる。いま35歳の月人は90まで生きられる運命なので、55年。こうして、月人は死んで星子にもう一度出会うために、死にそうな生き物を探しては描いて、知らない街をさまよい、ふと水族館に入る。

そこで出会ったのが虹子(にじこ、小島聖)。「男が一人で水族館に入るときは2つしかない。思い出に浸りたいときか、魚を食べたいとき」などと、図星を指されて、月人は虹子に惹かれる。彼女が応援する病気のアザラシを救う、25年分の命を与えて。

こうして虹子のスナック「フルムーン」での幸せな生活が始まる。常連客とも打ち解け、死ぬのをやめた月人だった。しかし、そんな日は長く続かず、のっぴきならない選択を迫られる日がやってくる…。

と、ファンタジーも盛り込んだ、喪失と献身の物語。芝居は言葉でできていることを実感させた。それと俳優の存在(声)。「僕がアドバイスしたように、星子は迂回して、車を止めたとき、トラックが突っ込んできて、4トンのトラックの下敷きになって死んだ」と田中圭が語ると、その出来事は起きてしまう。「寺田さんがミオちゃんを殺したの」と小島聖が言えば、それは事実になる。だから、スケッチブックに命を描けば、命は本物になるかもしれない。そんな連想が働く舞台。

美術も良かった。正面に大きな円盤が掲げられ、それが映像によって三日月や、満月や、ミラーボールになったりする。その下の舞台も円形で、上の円盤と同様に様々な絵が投影されて、物語を彩る。映像と言っても現実物ではなく、殆どは抽象的な色面や絵。大道具もバーの椅子と机以外は抽象的で、言葉と俳優にフォーカスした舞台だった。社会批判はないけれど、人間の悲しみと、美しさを感じさせ、大きく人生を肯定する、いい芝居だった。

ネタバレBOX

最後、月人が「お母さんが出ていったのは、(ぼくがいらなかったんじゃないんだ)ぼくを守るためだったんだ。だから、今度は僕が守ってあげるよ」と虹子に遠くから語りかける。一瞬、「あれ、自殺したあと、タイムスリップして、虹子は若い頃の母親だったの?」と思ったが、コレは錯覚だろう。失った母親への思慕が隠れテーマになっていて、冒頭の幼時の記憶と、ラストがグルっと回って結びつく。
君子無朋(くんしにともなし)【8月29日公演中止】

君子無朋(くんしにともなし)【8月29日公演中止】

Team申

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/07/17 (土) ~ 2021/07/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

雍正帝のことは、1年ほど前に岩波新書の『「中国」の形成』で読んで知った。この舞台で一層その生涯を身近に、生き生きと知ることができた。(もちろん史実そのままではないが、舞台で演じられる地方感との手紙は、多少複数の手紙を一つにしたりと、編集はしているが、ほぼ実物そのままだそうだ。

なんといっても佐々木蔵之介の存在感が圧巻。天子という特別な人物を演じるオーラがある。
高齢で病床にあった康煕帝のあとを、なぜそれまで後継者としてほとんど名前のあがらなかった第4王子の雍正帝が継いだのかは、今も謎だそうだ。康熙帝の遺言状を示したのも、雍正帝とその側近たちなので、何かの策略があったのではないかという憶測がぬぐえない。

雍正帝と、紫禁城にやってきた地方官オルク(中村蒼)の対話を軸に、あとの3人が、王族や側近や、黒子をスピーディーに演じ分けていく。壮大な中国・清王朝の内幕を、シンプルに、わかりやすく面白く見せていた。戯曲はこれが初めてというテレビ・ディレクターの阿部修英の脚本、東憲司の演出も見事であった。

ネタバレBOX

雍正帝の治世を、戦争をやめ、平和を第一としたという評価は初めて知った。その前後の有名な皇帝に比べ、ほとんど戦争しなかったのは事実だが、そこに着目するのはこの芝居のメッセージと言える。
物語なき、この世界。【7月31日(土)13:30、18:30、8月1日(日)13:30の回は公演中止】

物語なき、この世界。【7月31日(土)13:30、18:30、8月1日(日)13:30の回は公演中止】

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2021/07/11 (日) ~ 2021/08/03 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

なかなか一言では言いにくいほろ苦い面白さがあった。身に覚えのある感情がいくつもある。三浦大輔の芝居は2008年に本多劇場で「顔よ」を見て以来。かつては舞台上で男女の行為を赤裸々に演じるので賛否両論を起こしたが、今作ではそこはおとなしめ。でも岡田将生とヘルス嬢・日高ボブ美の濃厚なシーンはしっかりある。
「おっぱいパブ」で偶然であった高校時代の知り合い(岡田と峯田和伸)。居酒屋に行くが、全く話は弾まない。絡んできた酔っぱらい(星田英利=はまり役)を張り倒したら、頭を打って動かなくなってしまった。「殺したか」とあせるが、自分たち二人がドラマの主役になったような高揚感を覚える。一緒にいた友人、恋人は脇役扱い。この、変な主役気取りが面白い。

岡田の(ダメ男を演じても)美しい立ち姿とと、峯田の見るからにダメ男のうらぶれ感の組み合わせがよかった。奥にゴジラビルも配した歌舞伎町(ゴジラロード)のセットが良くできていた。それぞれの店のセットが回転して、裏側になると、店内になる。それが、ヘルスだったり、スナックだったりと、内装を変えて店を違える。表側も、右から見せるか、左から見せるかで、全く別の店になるところも良くできていた。シンプルな通行人の映像で雑踏を示し、深夜になるといなくなるという時間の示し方もわかりやすかった。

ネタバレBOX

二人が「殺人」の責任をなすりつけ合いそうになると、こんな話はやめようと、すっと収まる。スナックのママの寺田しのぶが急に3Pを誘うのは、いくらなんでも寺島のセックスシーンはないだろうと思ったら、やはりなかった。主役になったつもりだったのに、酔っぱらいは死んでなく、しかも何も覚えてなかった。
スナックに残った柄本時生が内田理央に言い寄る展開もベタだが、これもベタにしくじって終わる。

要所要所、予測を外す物語回避のドラマが面白い。ところが、酔っ払いは早朝、投身自殺してしまう。寺島が死んだ男とのことを語る場面では、二人もその他大勢になってしまう。

恋人(内田理央)は自分は脇役でいいと言うが、相手(岡田将生)には私のことを主役と思って生きてほしいと複雑な思いでいる。これが、人生の機微を最も示していた。リーダーシップばかりでは世の中うまく行かない。リーダーを支える(脇役の)フォロワーシップを目指すことがあってもいい、とは平田オリザの言葉。

男の自殺、寺島の語り、もう帰ろうと岡田と内田の新しい出発、等々、もう終わりかなと思うと、まだ話が続く、そういう意味でもエンドレス感のあるアンチクライマックスな話。でも、最後は岡田が地べたで転がって身悶えながら泣き喚く。そこまで何があってもクールだっただけに、見ごたえあるシーンだった。
カルメン<新制作>

カルメン<新制作>

新国立劇場

新国立劇場 オペラ劇場(東京都)

2021/07/03 (土) ~ 2021/07/19 (月)公演終了

実演鑑賞

言わずと知れた名作にして、超人気作品。カルメン役のメゾソプラノが、奥深く響く声で、素晴らしかった。日本人テノールのドン・ホセ村上敏明もよかった。「ワルキューレ」のジークムントでは苦戦していたが、今回見事にリベンジを果たした。

現代日本に置き換えた演出で、冒頭は警視庁の警官姿でずらっと登場する。十分成り立っていたけれど、鉄パイプを組み合わせた無骨なセットは、今ひとつ目が楽しめないのは残念だった。余分な装飾がない分、ドラマと音楽がいっそう浮き立っていたとも言える。

今回の発見を一つ。カルメンはホセを最初は本当に愛していたのか。ホセに脱走を唆す前、仲間に「恋してるの」というが、唆すところはズルく自分勝手なふるまいで、あまり愛にともなう真心を感じない。ホセも脱走するのは、カルメンの説得に従ってではない。上官への嫉妬と、暴力をふるったいきがかりからやむを得ず、となる。この展開は、細かいところだが、リアル説得的である。二人の関係の、そもそものズレを示して、後の悲劇の伏線になる。

ネタバレBOX

数年前に、雑誌にカルメンと樋口一葉のにごりえは人物構図がそっくりとい話を書いた。そもそも奔放な自由な美女と、家庭的な素直な女性との対比は文学の定番。「風と共に去りぬ」でも、漫画「東京ラブストーリー」でも。漱石「虞美人草」「三四郎」にも共通するが、少々通俗的とも言える。(「明暗」も、久々に同じ構図を描こうとしたと言える)

学生時代、一緒にいてドキドキする女性がいいか、落ち着いて自然に接しられる女性がいいかという議論をよくした。恋は心ときめくものだから、後者の女性への感情は恋ではないのではないかとか。今ではドキドキするエネルギーがこちらにないけど、今もう一度若返ったら、どうするだろうか。

女性はどうか、聞いてみたら、そんなこと考えたこともないそうだ。ホセか闘牛士かといえば、マッチョな男は嫌いだから、ホセの方がいいと。
すると、カミーユよりカルメンを選んだホセも、ホセより闘牛士を選んだカルメンも、常人とは逆の選択をしたことになる。憧れが投影された芝居ということか。
いのちの花

いのちの花

劇団銅鑼

練馬文化センター(東京都)

2021/07/13 (火) ~ 2021/07/15 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ペットの殺処分というのは馴染みのない問題でだが、そこを身近に感じさせてくれた。数年前に聞いたが、いま野良犬というものは日本にいないそうだ。これも殺処分が徹底された成果らしい。いま公開中の映画「犬部!」も、殺処分からペットたちを救おうという若者たちのは暗視で、しかも同じ青森県が舞台。青森を舞台に、この話題が芝居にも映画にもなるのは、なにか理由というか関係があるのだろうか。
他の人も書いているが、ペットの骨を肥料に咲いたマリーゴールドの鉢を手にした、人々の笑顔(映像)がよかった。

ネタバレBOX

生徒たちがペットの骨をすりつぶす作業など、音響が臨場感を高めていた。本当に俳優たちがやっているわけではなく、その動きに合わせての効果音。タイミングもピタリ合っていた。見えない裏方の細かいところだが、非常に感心した。
最後に、プロジェクト創設メンバーの5年後、卒業したあとの仕事が描かれているのが、意外であったが、良かった。高校生の時の美しい思い出だけでなく、その後をどう生きたか。獣医からOLまで、様々なわけだが、それが人生だと感じた。
29万の雫-ウイルスと闘う-

29万の雫-ウイルスと闘う-

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/07/15 (木) ~ 2021/07/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

多くの当事者に取材したからこその、生き生きした細部に満ちていた。口蹄疫にかかった牛を殺す消毒薬の注射のとき、注射器の中の血液がさっと黒く変わる。出産間近の牛を殺すとき、子どもを産ませてから、親子を殺処分したほうがいいのではないかという、やるせない迷い。ワクチンは牛豚を活かすためではなく、ワクチン接種が、ウイルス封じ込めのために殺処分してしまう。口蹄疫にかかったのならあきらめも付くが、一生懸命消毒して防いできたのに、結局予防のためにワクチンを打つときが一番苦しかったという農家の声。

舞台は、牛舎のセット。十八番のストップモーションの場面が、防護服を着ての、家畜の検査、殺処分の過程を、視覚的に想像させた。証言の言葉が中心の芝居なので、いいブレイク的変化にもなった。ベテランで、いくつも重要な役を演じた奥村洋治がよかった。若手では松葉杖をついた高校生役の川畑光瑠に華があった。

大学教授の講演のかたちで、口蹄疫はじつは治る病気で、その肉を食べても害はないと示された。なぜ殺して埋めるかというと、「清浄国」として畜産物輸出(?)の自由を得る国益のためだと。これは知らなかった。この芝居で得た情報からすると、輸出しないなら(日本の畜産品がそれほど国際競争力があるとは思えない)、無理して殺処分しなくてもいいのではないか。
なお、ウイキによると、発展途上国はワクチン接種で終わらせて、殺処分まではしないことが多いそうだ。

ネタバレBOX

2010年の宮崎での口蹄疫を題材にしている。この芝居は2012年に宮崎県の劇団が初演した。取材も主にはその時に行っている。その後の追加取材も含めて、今回、古城十忍が構成・脚本したもので、ほぼ新作とも言える。当時は畜産農家だけが強いられた、外出制限、人。家畜との接触制限が、コロナで日本中の経験になったということが強調されていた。新型コロナと、口蹄疫の経験がそっくりと。コロナのワクチンは、殺すためではないけれど。

宮崎県の口蹄疫発生は292例だったそうだ。19万9000頭以上を殺処分下にしては、件数は少ない。これくらいで収まったのは、何よりだが、不謹慎ながら件数を聞くと意外とあっけない気もした。
一九一一年

一九一一年

劇団チョコレートケーキ

シアタートラム(東京都)

2021/07/10 (土) ~ 2021/07/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

大逆事件というと、幸徳秋水が思い浮かぶが、本作では管野すが子にしぼり、良心的予審判事との対立を軸に、この歴史的フレームアップの実像を描いていく。複雑であろう史実を2時間15分のドラマに落とし込む古川健の脚本はさすが。机と椅子を積み上げた壁を前後させるだけで、場面転換を行う日澤雄介の演出も冴えていた。勉強になった。

良心的検事(西尾友樹)のせりふ「民衆の上に権力が暴力装置となって立ち上がったとき、いかなる事が起きるか知らなかった」で、逆に考えさせられた。12人を処刑した大逆事件は権力悪としてはまだ小さい。戦争こそ巨悪だと。それはこの芝居の後半でも示唆される。
また、「かれらを殺したのは権力ではない。名前のある人間です」というセリフも考えさせられた。
自由とは「自分の顔を持ち、名前を持ち、他人に依存せず、自分の足でたち、自分の頭で考え、自分の口で話すこと」と管野すが子はいう。聞きながら、自由と言われる現代でも、そんな人は少ない。私も含めて、権威に頼って思考停止したほうが(あるいは周囲にああwせたほうが)楽だから。

管野すが子が16歳で継母の手引で知らない男に犯されたとき、絶望から救ったのは新聞の人生相談の堺利彦の言葉だったそうだ「足を踏まれたようなものです、わすれなさい」(だったと思う)。それがきっかけで、堺利彦が唱えた社会主義に惹かれたというのは、意外なつながりで面白かった。この言葉は全然社会主義らしくもないし、関係もないのに、この言葉で救われて社会主義に惹かれたとは。ただ、一緒に見た女性は「女ならまだしも、男がそんな事を言うとは。堺利彦を見損なった」と怒っていた。
管野スガ子役の堀奈津美、私は初めて見たと思うが、はまり役で素晴らしかった。彼女が検事をからかうところ何箇所かで、この重厚な舞台では貴重な笑いも起きていた。

森 フォレ

森 フォレ

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2021/07/06 (火) ~ 2021/07/24 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ベルリンの壁崩壊の年に不本意な妊娠をしたエメ(栗田桃子)から始まり、その娘、現代のモントリオールのルー(瀧本美織)が、古生物学者(考古学者ではない)ダグラス(成河)と、独仏国境地帯のストラスブールにおもむき、自分のルーツをさぐっていく。ルーに最初の手がかりを与える、疎遠だった祖母リュスを演じた麻実れいが素晴らしかった。赤ん坊のときフランスからカナダにつれてこられたあと、「約束」通り母親が来るのを待ち続けた苦しさ、結局かなわなかった悲しさ、そして母のことを伝えに来たサラ(前田亜季)との邂逅。ルーとのもあわせて、二人芝居の密度の高い語り、感情の動きがすばらしい

ココまでが1幕。全3幕。1871年に始まるケレール一族の愛憎劇は、近親相姦と父殺しの話で、ドイツ神話に取材したワーグナーの「ニーベルングの指環」のよう。当主の子(双子)を身ごもって、その息子と結婚するオデットの「あなたの子は代々呪われる」という言葉は呪いのようだ。一族を逃げた息子一家が閉鎖的に暮らすアルデンヌの森は、シェークスピアのアーデンの森とは違い、血なまぐさい惨劇の数々でいろどられる。こうした展開は、レバノン生まれの作者のヨーロッパ文明批判があるのかと思われた。欲望と血とエゴイズムの文明。神はいない

「岸 リトラル」の衝撃は忘れられないが、「森」は全く別の鋭角、作りの芝居であった。通常の芝居の2.5作分くらいの物語の錯綜が一つに込められている。

ネタバレBOX

呪われた血を受け継いだのがルーなのか、と思うと、3幕の対ナチス・レジスタンスのグループによって、この血は断たれ、新しい出発があったことがわかる。ヨーロッパ批判の作者も、レジスタンスの精神・自己犠牲の行動にこそヨーロッパ再生の可能性を見ているということか。
ここで不幸な血の連鎖は断たれていたのに、なぜエメのお腹の双子に、怪現象が起きたのか? ダグラスの持っていた骨との関わりは? という物語の発端の謎が、結局は置き去りにされてしまう。それとも私が見逃しただけか? 「悲劇喜劇」に戯曲が載っているので、見直してみよう。
結末でも、サラはなぜ嘘をついたのか? という新しい謎がおきる。なにも全てを説明し尽くさなくてもいいわけだが、ちょっと引っかかった。
母と暮せば

母と暮せば

こまつ座

紀伊國屋ホール(東京都)

2021/07/02 (金) ~ 2021/07/14 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

素晴らしい芝居だった。畑澤聖吾の戯曲は、笑いのを振りまきながら、涙なしには見られない生と死の葛藤へ。井上ひさしを超えたかも、と思った。そして富田靖子が。これほど迫力のある女優だったとは。「アイコ15歳」でデビューしたのがついこの前のように思えるが、女優としての成長に目を見張った。エアーおにぎりのばめんのほほえましさ、原爆症が現れてきて、もう生きていたくないという鬼気迫る嘆き、振り幅大きく圧巻だった。もう一度希望を持つラストも、富田の存在感で説得力があった。

一方の松下洸平も、死んでいるのに出てきてすまないというようなハニカミが最初あり、でも、最後は去らざるを得ない。死者らしい抑制した存在ぶりがよかった。かっこよくて現代青年らしいところはご愛嬌。

初演のときは祈りの場面がいくつかあったのを、今回は栗山民也の「今は怒りのときだ」と削ったらしい。気づかなかったが、たしかにクリスチャンの家なのに、「陰膳」など日本的風習はあっても、キリスト教的仕草はなかった。コウちゃんがヤソだと子供の頃バカにされたという話はあるが。小学校の先生に頭をものさしで叩かれてハゲができたが、その先生はヤソとバカにしなかったから、5年まで受け持ってもらってよかった、というエピソードも人間の多面性を示していた。

別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

噛み合わない会話、思いがけない相手の反応、気がつけば自分の足元が揺らいでポッカリと底なしの淵に落ちていく…。そんな別役実作品が、せつないリアルな感情の芝居として見ることができた。雲の上の訳の分からない別役ではなく、僕たちの隣にもしかしたらいるかもしれない身近な別役だった。
そういう点では、全然非条理ではなく、現状の裏には原因がきちんとある条理の通った芝居だった。
一見理解に苦しむ馬鹿げた日常の世界は、ただ馬鹿げているのではなく、その裏に大きな悲劇が隠れているからなのだと暗示している。被爆者を描いた「象」や、戦災の荒廃を匂わせる「マッチ売りの少女」など、初期の名作と通じるものがある。

「眠っちゃいけない子守唄」の話の通じない老人を演じたさとうこうじがよかった。変人だけど、可愛げがあり、無理筋なのに道理があるように見えて来る。相手のヘルパー役の大西孝洋は、戯曲では女性らしい。「彼との暮らし」「彼と夫婦で」というセリフが出てきてわかったが、そこまではまったく男性のセリフとして聞いていた。ジェンダーニュートラルなセリフに一驚した

ネタバレBOX

「いかけし」は、男がいなくなった後、女の話したことが、自分の体験に基づく「私のリアリズム」だったことがわかる。「眠ってはいけない子守唄」では、とし子とよっちゃんは何者なのか、老人の意識の下に埋もれた思い出が明らかになる。
首切り王子と愚かな女

首切り王子と愚かな女

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2021/06/15 (火) ~ 2021/07/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

民を次々処刑する残酷な王子トル(実は可哀想な存在である=井上芳雄)と、王子の世間知らず=無垢な幼さに気づいた愚かな女ヴィリの出会いと別れの物語。いつのどことも知れぬ王国の、ファンタジーであり、寓話である。独白、というより傍白(=わきセリフ)が多く、物語の展開も含め非リアリズムの芝居である。その点では野田秀樹をほうふつさせる。家族劇などのリアリズム演劇で大きな成果を上げてきた蓬莱隆太の新たな挑戦であり、彼の持つ幅広さを示した。

冒頭、トルと兵士長ツトム(高橋努)
の首切りの処刑と、がけから飛び降りて死のうとしたヴィリの二人の出会いから、ズカリと王宮の核心に入っていく。トルの母、女王デン(若村麻由美)が実際は王国を仕切っている。兄王子ナルの3ヶ月後に生まれたということから不吉がられ、北の孤島に幽閉されていたトル。ナルが不治の病の床に伏したため、トルは呼び戻され、女王の手足となっている。

トルは王女ナリコ(入山法子)を抱こうとせず、ナリコはイケメンの兵士ロキ(和田琢磨)と影で密会している。王子の世話係になったヴィリは、「トルは子ども。首を切らされてるだけ。必要なのは遊び相手」とカードゲームの相手になり、王子を慰める。ヴィリは実は王族の歓心をかって、出世しようという下心もある。

数年前に家を出ていったヴィリの姉が王の家臣になっていた。近衛騎士リーガン(太田緑ロランス)である。リーガンは実は圧政をひく王を倒す組織の幹部であり、部下に、競馬に出場する王を狙い撃ちさせた。(この競馬はおもちゃの木馬を使って、なかなか見せる)そのとき、ヴィリが身を挺して王を守った。リーガンはとらわれ、ヴィリは第二?王女に取り立てられる。(ここまでが1幕)

ネタバレBOX

2幕は、リーガンと兄王子ナル(井上芳雄、ここだけ一人二役)の出会いの回想から。やはりがけから飛び込もうとしていたリーガンにナルは「生存阻害要因が生存促進要因を上回っているという事だろ。どうしたら促進要因が上まわるかな?」と説得を試みるが、うまくいかない。そこでナルは「そのどれか一つがかなう国を創る」と決意し、リーガンはそれを助けるために家を出た。
そのナルが倒れてトルをを呼び戻したのだが、実は女王の切なくも怖ろしい狙いがあったのだった。トルの体にナルの魂を宿らせ、トルの代りにナルを生き返らせ王位につけようというのだ。そのためにトルには魂が抜ける薬を、長い間ひそかに与え続けてきた。
(そういう事なら、トルより賢王子ナルの方がいいのでは?と思わせるところがある。よき目的のために、多少の犠牲は許されるのか。という爾来繰り返されてきたテーマがほの見える。トルの孤独=母にも愛されず、ナルには遠く及ばず、ヴィリも親しい兵士との酒盛りで、自分は誘われない=がいやます)

ナリコの密告によりヴィリとリーガンが姉妹であることがばれるが、トルはヴィリをかばう。民衆の蜂起がおこり、ロキは討ち死にし、リーガンはどさくさに牢を逃げる(たしかナリコがカギを開ける。もうこの国は終わりだ、私も逃げると)
焼け落ちる城を、ヴィリは抜け出す。薬のせいで死んだトルにかわって、ヴィリは走る。しかし、行く手に何があるのか。「この国に見るべきものはあるだろうか」「この国に触れるべきものはあるだろうか」のことばには、不確定の未来しかみえない。
キネマの天地

キネマの天地

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/06/05 (土) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

感想には、さすが井上ひさしだ面白いと、井上ひさしにしてはいまひとつというのと、二手に分かれている。私は面白い!と思うのだが、「今ひとつ」という意見もわかる。この作品は1986年に松竹で初演されたあと、一度だけ2011年にこまつ座が再演している。家にパンフがあるので、私は再演を見ているはずだが、全然記憶がない。このように、見たときには女優たちの鞘当て合いや、推理劇のどんでん返しが面白いのだが、作者の社会批判や歴史観がほとんどないため、感動が軽く、記憶に残らないのである。

さすがに今回はこれだけ復習したので忘れることはないが、やはり軽量作であることは否めない。新国立の「人を想う」シリーズでは、斬られの仙太>東京ゴッドファーザーズ>キネマの天地という順で、芝居が軽かったといえよう。ただ、井上ひさしの演劇愛はひしひし伝わる。とくにどんな端役でも俳優に対する愛情がこの作では強い。大部屋俳優で警察役を演じる尾上竹之助(佐藤誓)の、二幕の見せ場の好演が光った。

ある八重子物語

ある八重子物語

劇団民藝+こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/06/17 (木) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初期の井上ひさしらしい趣向と、新派にオマージュした人情話が融合したおもしろい芝居だった。趣向としては、一夫の女装と、それを死ンダ姉そっくりと勘違いする紙問屋の第二幕がやはり笑える。
昨年末に続き、今回の再演(続演)を見たのでで、細かい井上ひさしらしさにいろいろ発見があった。患者の夫の大工が、診察代を屋根の修繕の手間賃と相殺してくれというと、医院のものが、「大工の手間賃を八百屋が大根んで払わせてくれと言ったらどうなる」「しんちく費用を先生がブドウ糖のお注射で払ったら」と大袈裟な冗談を、次々広げていくところなどまさにそう。
水谷八重子論を開陳するところも、理屈っぽくならないよう、うまく筋にのせてある。でもその筋の展開自身が相当論理的に作られたものだが。冒頭の、八重子の映画の声の話の伏線から、花代の八重子似の声に、古橋先生がタクトを振りながら聞いているところなど。
民藝の俳優陣が好演。下町人情のキップの良さと、落ち着いたコミカルさをよく出していた。10分の休憩を二度挟む三幕もので、合計2時間55分。

インク

インク

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2021/06/11 (金) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

大衆に、読むべきものではなく、読みたいものを、という「ザ・サン」のモットーは間違っていないはずなのに、その行きつく先はヌードで売る新聞。日本は新聞はそうなっていないのはなぜか。政権党とべったりのよみうり、産経の一方で、朝日が批判的スタンスをたみっているのは重要。大衆の求めるものが日英で違うのか。

日本で言えば週刊誌の部数競争。ただヘアヌードは終わり、中高年セックスも息切れして、ゴシップとスクープの原点に戻ったのが今ではないか。テレビの芸能化(とくに民放)は、マンネリそのものだが。

紐カーテンをスクリーンや目隠しや透かし見に使った演出、美術がうまい。俳優陣もよかった。マードックの千賀功嗣さんが風雲児らしくかっこよかった

ウィット

ウィット

文学座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/06/05 (土) ~ 2021/06/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

女性教授の高慢、衒学、空虚なプライドを誇張して表現。彼女のがんで入院した病院も、へつらい、野心、足の引っ張り合い、「人間より研究」「患者やモルモット」といういびつな医師たちを誇張してよく伝わってきた。シリアスな劇だが、ユーモア(これがウィットなのかもしれない)が感じられた。

末期がんの教授役の富沢亜古さんは、髪の毛も丸坊主にして、嫌味な人物をスマートに演じていた。大量のセリフを覚えて舞台を引っぱり、素晴らしかった。張平さんも、日本人俳優の中に混じって、中国訛りの日本語が、日本の舞台に新しい刺激を与えていた。今後、日本の舞台の多様性を広げる活躍に期待したい。

ネタバレBOX

英文学で最も難解と言われる詩人・ジョン・ダンの複雑さの影に「恐れ、逃げ」があったという指摘が、主人公の大学教授の不安と重なるという作劇は見事だし、最後に、昔の厳しかった恩師(新橋耐子)の前で子どもに帰って、絵本を読む(この「家出うさぎ」の話もいい)シーンが切なく、良かった。
オペラ座の怪人

オペラ座の怪人

劇団四季

JR東日本四季劇場[秋](東京都)

2020/10/25 (日) ~ 2022/01/10 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

映画を前に見たが、舞台は初めて。素晴らしいの一言。親しみやすく迫力ある音楽、豪華シャンデリアが宙を舞う華麗な美術、劇中劇のクオリティ、クリスティーナのソプラノ、ファントムのバリトン(?)の説得力等々、どれをとっても揺るぎなく、高いレベルで調和した傑作。劇団四季の商業路線、洋物のコピーという限界は知りつつも、やはりこれだけの舞台を日本で長年公演してきた実績には感嘆しかない。素直に脱帽したい。

ネタバレBOX

「ファントムは首を狙うから、腕で首をカバーして」とくれぐれも中有位されていたのに、ラウルがあっけなく、首に縄を巻かれてしまうのは、ご愛嬌である。
目頭を押さえた

目頭を押さえた

パルコ・プロデュース

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2021/06/04 (金) ~ 2021/07/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

林業が廃れた田舎の大きな家のちゃぶ台のある居間と、庭にはモヤ(喪屋)といわれる掘っ立て小屋のような離れ。高校3年生の遼(筒井あやめ=乃木坂46)が、村の人達の肖像写真を「遺影」と称して撮っている。いとこの同じ高校3年生の修子(秋田汐梨)をモデルにした写真が全国コンクールで大賞を受賞した。最初は父(山中崇)も、修子の父母=遼の伯父伯母(梶原善、枝元萌)も手放しで喜んでいたが、遼が写真部顧問の教師坂本(林翔太)のすすめで、東京の芸大(写真科のある)進学を望むところから、波紋が起きていく。

遼の進学に心を乱される父、修子の複雑な思いが吐露されていく過程はリアルで切なく、さすが横山拓也の戯曲だと感心した。ただ要所要所で設定・展開に疑問が湧いた。解決しないまま置き去りにされる伏線(謎)が多い。

客席は男性客が7割。演劇では見たことない。筒井あやめのファンなのだろう、20代から30代が多い。

ネタバレBOX

初演は12年前で先に書いたように傷のある戯曲なのだが、若い女性アイドルの二人をうまく配役できるので、主催のパルコステージはこの作品にしたのだろう。内容から言えば横山拓也にはもっといい戯曲はたくさんある。

問題としては、冒頭の大賞受賞を電話連絡もせず当人たちが家に帰ってくるまでわからないというのからひっかかる。修子が片思いの教師坂本と遼の関係を怪しんで「逢引」シーンの写真を撮ってしまうのはわかるとして、誰にも見せてないというのに、なぜそれが村の噂になるのか。修子がそれほど遼を貶めようとしたとは考えにくいし(舞台でもそうは描かれていない)、結果としてはデマをふりまかれた遼がほとんど怒りや恨みを示さないのも、納得しにくい。その写真を家族が見て「ネタ」にする神経もおかしい。

最後の事故によって、上記の三角関係、確執がうやむやになるというのもやはり中途半端な感じは否めない。
最後に一つ、高いところから落ちて死んだ遺体は、目が飛び出すというが、本当だろうか?

このページのQRコードです。

拡大