十二人の怒れる男
劇団東京乾電池
ザ・スズナリ(東京都)
2023/01/05 (木) ~ 2023/01/09 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
乾電池が知名度の高い定評ある名作とどのように取り組むか?
今年の初芝居は、ザ・スズナリ。土曜日の午後の公演はどこかの現劇グループの女性団体客
も入って、開演前から劇場らしい賑わいの声があって正月らしい芝居風景だった。
乾電池に翻訳劇はどうかと思っていたが、今や、日本も欧米と肩を並べるG7。五十年前の戯曲とはいえ、先進民主主義国が当面した諸問題は、現在の我が国との共通の課題も多く、日本人の俳優が演じても違和感がないばかりか、日本の現実の問題とも重なるところも多く、客席には緊張感があった。
柄本演出は、かなり現戯曲をいじっているがその狙いは大きくは次のようなものだろう。
まず、原作の各登場人物の背景の説明をできるだけ省いて、たまたまその場で出会った人々が話し合うという、いまのSNS状況を思わせるコミュニケーションのドラマにした。このため、原作にあった、ニューヨーク人情物語的側面がほとんどなくなって、薄い人間関係の中のディスカッションドラマにしている。これは新しい演出だが、その功罪はあって、この事件の背景はよくわかるが、各陪審員の判断の根拠がよく解らない。ことに最後に翻意する陪審員の親子関係が全くカットされているので翻意がただ少数派になったのでやーメタ、という風にもとれる。ほかにも、貧民街に育った人、努力で成り上がった人、さまざまな階層の人々の背景が現戯曲では書き込まれているがそこをずいぶん短くしている。そういう狙いも今の芝居ではありだとは思うが、最後に写真を出している以上、説明不足になっている。そこもどーでもいいんだ、というところまでは思い切れていない。しかし思い切ったら別の芝居になってしまいそうだ。全体で15分は切っているのではないだろうか。1時間45分、休憩なしだった。
二つ目。11対1で反対を始める陪審員8号は、この芝居では主役で、いままでも主演者が演じてきた。そこをほとんど知られていない飯塚三之の助をキャスティングしている。平凡人の勇気というところを飯塚はよく演じているが、戯曲自体が立て役で書いてあるので、どうしても荷が重くなるところがある。それはすべての陪審員にもいえることで、柄にはまっている谷川昭一郎や吉橋航也、杉山恵一はのびのびやっているが、ほかはかなり窮屈そうだ。出演者では陪審員長の岡部尚が健闘している。
男性だけで演じられる舞台を見ると、この五十年でずいぶんジェンダーの問題は進んできたな、と思う。今、アメリカなどではこの芝居は打てないのではないだろうか。
そういうアピールにもなっている。そこが乾電池らしいともいえる。
ジョン王【1月3日夜~1月8日昼、1月22日昼公演中止】
彩の国さいたま芸術劇場
Bunkamuraシアターコクーン(東京都)
2022/12/26 (月) ~ 2023/01/22 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
明治開化で現代劇が始まった頃、活劇というジャンルがあったそうで、日清戦争名場面などを舞台でやってみるのがはやったそうだ。これはまさにシェイクスピアが書いた英国史の活劇で十世紀も前の英仏(仏王・吉田剛太郎)の戦争をめぐる両王家の活劇である。不運、不人気のジョン王(横田栄司)の話として、英仏国民にはおなじみの話なのだろうが、いかんせんここは極東の日本で話になじみがない。彩の国シェイクスピアシリーズで最後に残った歴史劇大作も、英仏陣を衣装の色で分けるとか、主人公の王族私生児(フィリップ・小栗旬)を冒頭、お得意のホリゾントを開けて町の中から登場させるとか、日本の流行歌を挟んで、観客を休ませるとか、蜷川が発明した趣向を取り入れて最後の歴史劇巨編をキャスト三十人の殺陣満載で挑んでいるがとにかく長い。20分の休憩を挟んで80分づつ。年末に3時間では客の入りはどうだろうと思ったら、これが意外にもほぼ完売。大河ドラマで人気のあった小栗旬の人気によるものだろうか、寝ている人も多かった。
ミュージカル「洪水の前」
ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ
恵比寿・エコー劇場(東京都)
2022/12/22 (木) ~ 2022/12/28 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
名作の名がふさわしい昭和の小劇場ミュージカルだ。曲は古めかしいが、歌の快感があり、何よりも歌詞がよく聞き取れる。小編成のバントとの取り合わせもいい。今風に編曲もできると思う。
主演の大連に流れてきた文士役の浅野雅博がいい。もう文学座では中堅だが、時間をかけて一つ一つの役を積み上げてきた実績がこのまとめ役に出ている。ラサールは、財津のイメージを追えば、この人しかいないということになるだろうが、もっと若い(一回り半くらい)人の方がニンにあう。決して悪いわけではなく座長としての収まりもいいが、この傑作ミュージカル、次回再演の時は思い切った座組で現代化を。時代を超えられる作品だからだ。ことに世界が今、「洪水の前」にあるときは。
演出の鵜山仁は、フォーリーズのメンバーとゲストをうまくまとめている。振り付けもグループのダンスなど、古めかしいが作品に似合っている。ここまで一新して再演されると古典になると思う。同じ占領地ものでも「上海バンスキング」に比べれば再演のしやすい名作である。
The Birthday Party
CEDAR
新宿シアターモリエール(東京都)
2022/12/17 (土) ~ 2022/12/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
何度か見ている芝居なのに見るたびに感じが違う。1957年のピンターの初期作品で、まだ冷戦時代。イギリスではグレアム・グリーンが人気作家で、まもなくモームが亡くなり、ル・カレがデビューするころ。芝居では、不条理演劇が注目されていた。
日本で最初に見たときは、田舎旅籠ものの調子だったが、次第に不条理劇的になり、今回はサスペンスもの。
様々な趣向が可能なところが奥が深いところだ、登場人物たちも、登場人物たちも、物語も、キャラがあるようで、破綻している。そこがリアルなのだが、確かにまとめにくい。演出の松森望宏は始めてみる演出だが、細かくサスペンスを積んでいって飽きさせない。ストーリーを見る作品ではない、というのはその通りだが、今までは筋をなおざりにしてきたせいで、思わせぶりな前衛劇、という印象が抜けなかった。松森演出は謎に満ちた現実の諸相をあたかも伏線であるように描いていって、緊張感がある。照明に加えて、音響効果と音楽も狭い劇場の特質を生かして大いに劇に貢献している。新人なのに、うまいのである。
この演出者は後しばらく見てみたいと思わせる出来だった。
CEDERは松森が新国立劇場の俳優研修生の北野由大(スタンレー)と組んだグループだが、実質的にはプロダクションで、適材がキャスティングされている。大鶴(謎の追究者ゴールドバーグ)、大森(宿の亭主ピーティ)のどこのプロダクションでも手堅く脇を固める俳優に加え、意外な顔ぶれではテレビタレントとみてきた藤田朋子が宿の女主人メグを好演している。2時間15分。クリスマスイブとあって、客が薄いのが残念な翻訳劇だった。
サド侯爵夫人(第二幕)
SCOT
吉祥寺シアター(東京都)
2022/12/16 (金) ~ 2022/12/24 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
久しぶりのSCOTである。この舞台はかつて、静岡の丘の上の奇妙な形の劇場で見た記憶がある。大分変わっているようだが、雰囲気以外の細かいことは忘れている。かつて見たときは三島のテキストから、この部分を選んで、舞台に乗せたいとは見るものにはそれぞれだろうが解釈できた。通俗的に見ても女同士の駆け引きと情念は結構面白かったように覚えている。それから十五年。今回の舞台はいにしえの塑像が演じているような古怪な雰囲気で、能狂言を見ているような。昭和の流行歌に乗って演じられる俳優の演技も様式的な台詞もおなじみのSCOT風だが、かつて持っていた強い生命力が感じられない。
配られた席ビラには、鈴木忠志の演出の弁も載っているがそれは十五年も前のもの。古典再演のつもりだったとは思えないからアフタートークで埋めるつもりだったのだろうか。これは聞かないで帰った。
SCOTらしいと思ったのは、いつも不愉快で観劇の気分を大いにそぐ開演前のコロナに関する、ご注意(何のことはない劇場警察である)を一切やらず、これはさすがの判断だと思った
夜明けの寄り鯨
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2022/12/01 (木) ~ 2022/12/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
横山拓也の芝居を、こんなガラガラの小屋で見たのは初めてだ。珍しく老人客が多い。
それでも約半分、普通席の約四分の一の安いZ席が若い観客で埋まっていたのが、辛いような。
捕鯨の是非で生活を揺るがされた捕鯨を生業としていた漁村のほぼ半世紀の変転を背景に
した物語だが、いつになく歯切れが悪い。時代の変遷を青春期から老年期への人の一生と重ねているが、ここもあまり成功していない。捕鯨への反対運動の下りなど、いつもの横山なら絶対に取らない方法でドラマに組み込んでいる。
演出はこの劇場が養成してきた人材と言う触れ込みだが、舞台をストーリーに従って、小奇麗に整理はできているが、肝心の、漁村の生活感がまるでない。リアリテイがないのは最近の若い観客にはさほど気にならないのかもしれないが、今年で言えば、ぺニノの「笑顔の砦」のような圧倒的なリアルの追求を見ていると、いかにもきれいごとで、しらける。やっぱり、新国立は困ったもんだと言うところに落ち着いてしまう。
横山も、これからはこういうたぐいの注文仕事をこなさなければならなくなるだろうが、それは職業だから、めげずに頑張ってやってほしい。今回はやむを得ない。
ダブリンの演劇人
Ova9
シアターブラッツ(東京都)
2022/12/06 (火) ~ 2022/12/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
滅多に見られない愉快な笑劇の舞台だ。
新劇各劇団で、山椒の小粒のような脇役で地歩を固めた女優七人と、パフォーマンスとしての打楽器奏者和田啓が加わって、アイルランド演劇の基礎を築いたア米劇場開場の顛末のドタバタ劇である。脚本はアイルランドの作家マイケル・ウエスト。ジョイスの「ダブリナーズ」も劇化している!!と言うから只者ではないのだろうが、この作品はコントをつなげて様な形式で、新しい国民劇場開場と、その日の英国国王の訪問、反体制派や当時のアイルランド市民の母国脱出願望などを背景にした、劇場人たちの右往左往である。狭い劇場で舞台は八百屋にした空間に全員出れば動く隙もない。
かなり複雑な異国の話だが、よくわかるのは、演劇人の生活は東西を問わず、だからだろう。上演台本をうまく作っていて、俳優には大変な舞台だが、皆楽しそうにやっている。コメディアデラルテや、西欧古典劇の笑劇をベースに、衣装や化粧も含めいろんな笑いの形を取り入れていて、歌舞伎まで入っている。いずれもひつこくならないところで寸止めしている。楽器演奏の和田啓が秀逸。これでが劇の基本のリズムが取れたことが大きい。
全体としては殊勲甲であるが、せっかくここまでできるのだから感想を言わせてもらうと、
まず、やはり、演出者は要るのではないだろうか。みんな頑張っていて、引くところを知らない。というか折角の機会だから、やれるとこまでやっちゃえ、でそれはうまい人たちだから解るが、客は疲れる。
二つ目、自分で人物説明も、場面説明のナレーションもやり、対面の芝居でセリフは客席に向かって言い、聞く方は横顔、と言うスタイルは、長くなると飽きるし、手もなくなる。つい衣装や化粧に頼るが、例えば、日本の浅草喜劇などは基本スタイルは同じだが、その辺はうまく処理していたように思う。
三つ目、この演目は劇場の狭さに救われている面もある。次回ははトラムとか、あうるすぽっと、とかせめて風姿花伝くらいの小屋でやってほしい。十分できるだけの内容だった。
満席だったのは喜ばしいが、後ろの方で、役者が売ったチケットで来たのか若い女性客の一群が、役者が登場するたびに、待ってましたというように内容にかまわず,嬌声を上げるのがずいぶん邪魔になった。前の方だったからよかったが、後ろの方の席だったら、「出て行け!」と言いたいところだった。
どっか行け!クソたいぎい我が人生
ぱぷりか
こまばアゴラ劇場(東京都)
2022/11/24 (木) ~ 2022/12/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
共依存症の話である。舞台は広島の小さな地方の都市の母子家庭の家族物語だが、見ているうちにいまこの社会に瀰漫している世界が広がっていく。岸田戯曲賞を受賞した作品は見ていないが、正当な演劇の伝統も感じさせる新人の爽やかな初見であった。現代版・「欲望」のブランチである。
夫と別れた母44歳(占部房子)は娘(林ちえ)を引き取って暮らしている。別れた夫のことは気になるが知りたいような知りたくないような。密かに弟(富川一人)に聞いたりしている。弟が妻(岡本唯)とともに姉の近くに住んで、なにかと面倒を見ているのは、この姉には、ちょっと病的な依存症があって、霊的な存在や占いを信じて生活の指針にしてしまうからだ。娘を溺愛して、大学三年生になっても手元から離せない。占部房子演じるこの母の造形が、新鮮で、まずこの舞台の第一の見どころだろう。こういう人物は、今の社会のどこにもかなりいるが、今までは都合のいい脇役でしか舞台に出てこなかった。
この舞台はそれを正面に据えて、今の社会の鏡にしている。
この母の誕生日。娘は、母のためにイヤドロップを買ってきた。冒頭で、二人の共依存が日常の一コマとして描かれる。母の働く場の若い労働者(阿久津京介)や弟夫婦を招いての誕生日パーティ。娘の自立や、弟夫婦が交通事故にあう事。近所で起きた同年齢家族の殺人事件の噂話、父が実は死亡していたことなどをめぐって、家族関係が微妙に変わっていくのを面白く見せる。ダレない。
最近の若い演劇人も劇団も、威勢よく踊ったり歌ったりしたり、したり顔でスローガンを叫んだり、自分本位の身辺雑記をやって見せたりするだけでは、やっていけないことが分かってきて、芝居でリアルを求めるようになった。この新人福名里穂もこの家族の表現はリアルで、かつ、新鮮、面白く見られる。先に言ったように、見ている間は笑っているが実際はこういう人間関係の不調は今この社会に上から下まで溢れているのだ。占部房子はそこをユニークに演じる。新劇系のうまいとされている女優なら出来る役だろうが、愛嬌もある独自の世界を開いて、この女優らしい実績を一つ積んだ。占部以外のよく小劇場で見るが俳優たちも、役を把握して的確に演じている。
人物の配置はいいのだが、この後物語の推移が、普通の運びであるのが物足りないが、ここをユニークにすると、普通の社会の話でなく共依存症の病気の話になってしまうのでやむを得ないところだろう。
昨年の岸田戯曲賞と言うのはよくわかった。だが、このタイトルは下手だなぁ。
建築家とアッシリア皇帝
世田谷パブリックシアター
シアタートラム(東京都)
2022/11/21 (月) ~ 2022/12/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
競馬予想みたいだが、この舞台、今年のベストワンの本命だろう。
アラバールは戦後の現代芸術の方向を示したトップランナーと評価され、寺山。唐の時代から、野田にも、ケラにも影響がみられるが、本人の作品を、このように明確に、面白く、言葉は悪いが、女子供にもキャッキャッと楽しめるように作った舞台はかつてなかった。薄暗い難しい暗喩ばかりの実験演劇から解放したこの公演は、俳優、演出、舞台装置、照明、舞台操作、全スタッフ・キャストが一団となって細かく設定された完成度の高い舞台を創り上げた。どこを取り上げても、今年の最高の演出、演技、美術、音楽・音響、照明、もっと言えば、舞台監督、道具方、の賞に値する。アラバールをこういうふうにマンガみたいにやっちゃおう、客は来るぞ、と言い出した人には企画賞。
物語の設定は単純で、孤島に流れ着いたアッシリアの王と大衆のひとりである建築家が、二時間半にわたって、現代を王と道化の役を演じながら笑いのめす、前半は、政治、後半は裁判が軸になっているが、筋はどうでもいいことで現代に生きている人間どもの、性や支配意欲や脱出願望をテンポのいいセンスが光る演出で演じていく。
きっと男優賞は外さないであろう岡本健一と成河(ことに成河は休憩時も舞台に出ずっぱりで三時間、舞台を楽しんでいるように見える。かつてない最高の出来で、役をよく把握していて、これは是非賞を上げてほしい。岡本は、まぁできるとは思っていたが、コンビが非常にうまくいっている。機関銃のようにある無数のきっかけを外さずにやり切った)、の快演で、立見席まで万遍なく埋めた各年齢の女性客は大満足の様子だったが、3時間の立ち見はしんどい。
昨日は開演直後に瞬間停電があって、そういうことがあると、仕込みの多い現在の舞台は、仕込みがどう暴走するか解らないので、もう一度、さらわなければならない。20分押しだったが、非常時の処理もうまくいっていた。
守銭奴 ザ・マネー・クレイジー
東京芸術祭
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2022/11/23 (水) ~ 2022/12/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
現代のモリエールの舞台になっている。
ブルカレーテはフランス人ではないが、フランスでは、モリエールをどのように演じ、見ているのか、公式見解ではなく、観客の立ち話で知りたいものだ。
先人の批評は辛い(ごもっとも)。ついでに、今月号のテアトロに載っている渡辺保氏の「桜姫」評をお勧め。こちらはこういう公演の難しさを容赦なくとらえている。
遥かな町へ
文化庁・日本劇団協議会
シアターX(東京都)
2022/11/23 (水) ~ 2022/11/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
日本の漫画やアニメが海外で歓迎されているという話はよく聞くが、その実態は海外へ行ってみないと肌で感じられない。よくわからない。これは、日本の漫画がフランスで人気となり、それをスイスの仏語圏(?)の演出家が日本の若い俳優を使って劇化した作品の里帰り公演ということだ。フランス人はどう感じているのか興味を持って両国へ。カイは小さな小屋だが平日昼間の老若バランスのいい客で、ほぼ満席。
30年ほど前に書かれた谷口ジローの原作は見たことはないが、舞台から察すると、世紀末に流行った自分探しのテーマのいかにも日本風の話である。
中学生のころ、父親が突然蒸発し、母親に育てられ一応社会的には安定した立場がある48歳の男が、京都への出張のついでに、ふと故郷の倉吉によってみると、タイムスリップして、中学生時代に戻って、その父親の心情を探る。
舞台は、大きな白黒の幕や歌舞伎のだんだら幕の色の大きな板などを巧みに使って、幕で切り取った舞台がいかにもマンガの駒割りの様にみせるところなど、細かい工夫がされている。この手で、観客からの視点を、天井から見ている(俳優が寝ているのを上から見る)視点にするところなどはうまいものだ。48歳の今の家庭と、14歳の少年の時の家庭と二つの家族のそれぞれを並行させて舞台は進む。二人の役者が同じ動きでタイムスリップをやって見せたりするのはフランス流合理主義だ。人物解釈もフランス人のセンスで、登場人物はみな幼いころから自立している。その中での父親の蒸発である。舞台からうかがえる原作はもっと、日本的な情感に支えられている父に託した自分探しだろうと思う。
地球を半分回ったフランスのことだから、違うのが当たり前で、きっと、フランスでは、孤独に育つ子も日本より数多く(それは映画などを見ているとよくわかる)異国の漫画をきっとメルヘンチックに自分たちに引き寄せたのだろう。舞台となる倉吉は中国地方の知名度もそれほど高くない小都市だが、日本の作品だったら、その地域性は外さないだろうし、古い街の独特の家庭環境ももっとリアルになったに違いない。そのどちらが演劇にとって、いいかを言うのは、難しいが、こういうことから国際的な双方の理解が深まるのは長い目で見ていいことだと思う。現に、その感覚の違いを見るだけで、面白く見られた。しかし演劇的にどうかと問われたら、上演されたここ日本の両国では、演劇としてのリアリティが足りない。だから蒸発の理由もただの説明に終わってしまう。
これは劇団協議会が文化庁と組んでやっている日本の演劇人を育てる会のプロジェクトの一つで、出演者は、文化庁の育成対象者が多い。皆まじめに取り組んでいるが、そしてぼろも出してはいないが、日本人の生活感のある演技や台詞を全く捨てている。それをフランス人の演出者に求めるのは酷と言うものであるが、日本で上演する以上そのへんをどう考えら上でのことかは観客に知らせるべきだろう。先日見た新国立劇場の鳴り物入りのイギリスとの共同開発の戯曲(私の一か月)も、関係者の苦労は十分に察しられるが、最終的に、観客が常に地域を離れられないということについては、さして考慮されてはいなかった。
しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】
キューブ
本多劇場(東京都)
2022/11/06 (日) ~ 2022/12/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
このうっとおしい時期に心和む最高のエンタティメントである。ケラはもともとうまい人だから、そこはよく心得ていて、いつもの黒い笑いでなく、優しい笑いで劇場を包んでいく。なんと、今回は泣かせもする。
どこか内海の島と思しき海辺の町の昭和10年の話である。夫の七回忌を済ませた未亡人(緒川たまき)とその娘(富田望生)。未亡人の妹(ともさかりえ)と夫(萩原聖人)。この港に記憶喪失して流れ着く三十男(井上芳雄)と島人たち。この三組の登場人物をめぐる愛のメルヘンである。どこの方言とも知れぬ島の言葉が日常会話で流れ、舞台のテンポも、リズムも心地いい。しばしば使われる「御免なちゃい」「ありがとう」と言う言葉が、舞台の空気を作っていく。言葉を作って、その話しかたイントネーションまで決めている。ほとんど、木下順二以来のことではないかと驚嘆する。
物語は、ケラ作品としては稀に見る見やすい話だ。美貌の未亡人が、一人娘が婚期を迎える葛藤、亡き夫の同級生の街のケーキ屋(三宅弘城)は思春期からの想いをたちきれない。その妹は、夫との些細な日常の感覚のズレにいら立って、離婚しようとしている。目覚めから朝ごはんに至る間の二人のいさかいなどよく出来ている。その間に、ホントはこの二人、惚れぬいているのだとわかる。七回忌の法事の日に島に流れ着いた船で、記憶を喪失していた男は、狂言回しの役も務める。この男の正体が、解りそうで解らないところ、そして最後の解決など、ドベタなのだが、まったく嫌味がない。とにかく展開がうまいのだ。島のバーとか、頼りにならなさそうで、実は頼りになる医者、とか脇の設定もうまい。
俳優は全員役に嵌まって好演。音楽も、いつもながら的確。どーでもいいことで、難癖をつければ、ラジオで番組を選局するシーンがあるが、この時代はNHK一局(第一放送)で第二放送はあったとしても短時間の教育放送で選局の対象にはならない。
休憩15分を挟んで3時間半。長いがちっとも飽きない。
コロナで予定の初日からほぼ一週間の休演もあって開けたばかりだが、休演の間も準備を怠らなかったことはよくわかった。
吾輩は漱石である
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2022/11/12 (土) ~ 2022/11/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★
井上ひさしにも失敗作はある。どこかで、航海に例えて、井上の弁を読んだ記憶があるが、作者は出航の時は、湊から出ても波を切れると思って船を出すのだが、いざ航海を始めると、とてもこの船では駄目と分かることがある、だが、時すでに遅し、日程も配役も決まっていて、已む無く書きつづけ、幕が開いてしまう。とんでもないところに船は着いている。失敗だったと作者には分かっている。だから、そういう時は作者の責任で止めるべきだ。それを可能にするために自らの劇団を作った。それがこまつ座だ。
創作者としての覚悟のある発言である。しかし現実にそんなことをしていたら興行業界成立しない。ウラもオモテも寄ってたかって何とか形にして幕を開けてしまう。そうやっているうちに中身も面白くなってくる作品もあるから芝居の世界は不思議である。
これは、こまつ座では初演と言っているから、はじめは注文仕事だったのだろう。
中身は夏目漱石が伊豆の宿で喀血し人事不省に陥っていた数時間に見た作中人物たちと、本人の交流のイメージという、狙いもよくわからぬ作品だ。死の直前に見るイメージを舞台化してみるということなのだろうか。そこにも、変に井上流世情批判みたいなものも入ってきて、よくわからない。「頭痛肩こり樋口一葉」の再現を狙ったのだろうが、一葉と漱石では素材の質も歯ごたえも、井上との距離感も全然違う。失敗作である。俳優も演出も投げずにやっているがどうしようもない。土曜の午後、一番入りのいい公演だろうが、老人客ばかり、それでも七分は入っていた。
こまつ座もいつまでも井上聖書再現だけではナマものの芝居は時代についていけない。良しあしを決める覚悟が見えない。2時間45分。
藤原さんのドライブ
燐光群
座・高円寺1(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
社会全体の利益を考え一部の人びとを「集団隔離」することは許されるか?と言うテーマで、すでにナチスのユダヤ民族問題は糾弾されつくした感じもあるが、なかなかどうして、ことあるたびに、人間は繰り返す。今回はコロナ騒動がきっかけで、わが国でも、市中、マスク警察や、劇場検温警察はあっさり許される。ここから邪教問題の統一教会問題はほんの一歩先の同じ根元だ。今は良心的と澄ましかえっている新宗教の中には数十年前には同じことをしていた教団は幾つもある。なかなか治らない。
坂手洋二戯曲は、あまり直接的でなく、メルヘン的にも見える芝居つくりだが、こういう近未来SF風は難しい。一応全部の世界を作らなければ世界が成立しないが、どこかほころびが出る。出ないようにすると嘘っぽくなる。そこで、芝居つくりのうまい坂手は時代を旅するロードムービーにした。なるほど、気持ちよく見られはするが、焦点はボケてしまう。問題点集中の抗議ドラマは、一般はウザイ!と見ないから宣伝にしか使えなくなった。難しい時代になった。観客ほぼ7分。善戦だ。
猫、獅子になる
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
俳優座に2020年に横山拓也が書いた「雉、はじめて啼く」は、その年の自分の劇団の「あつい胸騒ぎ」の女子高校生夏物語と対になった、男子高校生冬物語の思春期後期もので、すっきりしたいい青春ドラマだった。老舗の若作りなのだが、そこは俳優座、いくつか演劇賞も獲った。「猫、獅子になる」はタイトルからは、前作とつながるように意図しているのかもしれないが、内容的には、家庭劇、学校が主な舞台になる、と言う程度の共通点しかなく、別物だ。
今回のテーマは世間でよく話題になっている80-50問題で、老親(岩崎加根子)が大腿骨を骨折し、50になった引きこもりで生活力のない長女(清水直子)の今後を、その妹夫婦(安藤みどり、塩山誠司)と孫娘(滝佑里)たちが悩む、と言う主筋に、高校演劇に励む孫が、その上演過程でトラブルに出会い、それが、この家庭問題と様々に絡んでくるという脇筋が三代の家庭劇をささえている。高校演劇で上演する演目が宮沢賢治の「猫、獅子になる」で、この舞台用の脚本をめぐって脇筋が大きく主筋に関わってくる。いつもは素材のバラマキも回収も手際のいい横山戯曲も、今回は無理筋が目立つ。宮沢賢治の作品の知名度が高くないので、作品の意図や解釈もよくわからない。バラマキと回収に苦労して肝心の80-50問題がおざなりになっている。
しかし、その感想は、劇場を出てからのもので、見ている間は、俳優がいいのでつられてみてしまう、今回はもう九十歳前後ながら健在の岩崎加根子をはじめ安藤、塩山の中堅どころ(塩山・快演)も若い滝佑里もいい。ことに、このところ、中年で家族の実際の柱となってきた妻の立場が、「いい苦労人」だけでなく、いろいろな荒ぶる心をため込んでいる、と言う役柄が描かれるようになって、今回の妻役の安藤みどりも、そこを嫌味なく演じている。失業して具体的にはさしたることもできないので、家庭内、波風立たぬが専一、と言う夫の「ずるい」立場も定型的になっているが、塩山誠司の夫は、ずっと健気で、世の中、前の世紀とは夫婦間の男女の位置が変わってきていると感じる。こういうところまで80-50問題に踏み込むともっと面白くなったのではないかと思う。宮沢賢治を重ねるところなどは、残念ながら、ただの飾りにしかなっていない。
打率抜群の横山拓也も全部が全部成功するとは限らないわけで、どこかで斎藤憐が言っていたが劇作家は打率15%で合格なのだから、あまり濫作しないでじっくり構えて注文作品でもいい作品を期待している。今年はやはり「フタマツヅキ」の方がよかった。
闇にただよう顔 【満員御礼!11月6日17時追加公演決定!】
岩崎企画
シアター風姿花伝(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
ほぼ六十年前の地方の部落差別に発する警察、裁判所の告発ドラマである。ちょうど私が社会に出て頃の話で、たまたまこういう問題の多い地域でも働いたから、東京では伺えないこういう無茶苦茶と言うしかない差別は確かにあった。人々も容認して暮らしていた。今はこういうことはない前提で皆暮らしているが、部落差別はなくなっても、このドラマが描いている一種独特の日本の風習は弱い者いじめの風習はなかなか変わらない。例えば、劇場のアンコール。ジャニーズの人気者が出て居ようものなら、7回くらいのアンコールには付き合わざるを得ない。規制退場で出るに出られない。物事が違うというだろうが、実は同じである。そこを描かなければ、この分かりやすいドラマも、一夜のアジテーションの終わってしまう恐れがある。
私の一ヶ月
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2022/11/02 (水) ~ 2022/11/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
実に数年ぶり、新国立劇場の創作劇、久々のヒットである。
この作者は今春吉祥寺劇場でヴァンダインの本格ミステリの劇化を見ただけで、その時は、なんと大胆な!と思ったが、技術はしっかりしていたので期待して初日に行った。
地方のささやかな家族のほぼ二十年にわたる人生ドラマなのだが、現代の世相も、人間像も的確にとらえられている。脚本も演出も上滑りしていないところがいい。
演劇ならではの工夫がいろいろあって、それが膨らんで豊かな芝居になっている。
例えば、母が子に託す十数年前に一か月だけ書いてやめてしまった昔の日記。その日記をいま、娘が一か月書く。と言うのがタイトルの所以なのだが、そこに込められた人が生きていくことの喜怒哀楽の深さ!。日常表現からを重ねて、書き切っている。表紙の赤い小さな日記帳の小道具が心憎い。
夫が自死しているというのをさりげなくポッと出すタイミングの良さ。説明しないから生きている。その夫が残した最後の台詞もいい。なんだかよくわからなくなった、と言うような言葉だったと思うが、そういうさりげない言葉が人を動かす。ここでの母親の日常誰もがやる不愛想な対応も、実に!うまい。日々の生活の亀裂の深淵をさっと見せる。
本が最初平田オリザ風に始まるので、ヤダナと感じたが、その後は全くオリザとは似て非なる手法で、日本海側の地方の小さなコンビニを営む一家の話が、新幹線で、東京と簡単に往復できる今の時代を背景にじんわりと、時空も、異界の人も含めて広がっていくあたり、とても新人とは思えない出来である。
ドラマは、テーマとしては珍しくもない喪失の物語なのだが、現代の観客の心を打つように周到に出来て居る。母子を演じる村岡希美と、藤野涼子がいい。この親子とカップリングされるように置かれている中年を迎える男同士の友情の行方は、影が薄いが、物語にくっきりと陰影をつけているのは、この男たちの喪失の物語なのだ。ここは少しわかり良すぎるか、とも思うが、それはないものねだりで、次はもっといい芝居が見られそうで楽しみである。
入りは、いつもガラガラのこの劇場だが、意外にも8割ほど。客はよく知っているものだと感心。
スカパン
まつもと市民芸術館
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
モリエールの古典戯曲の中身は、吝嗇な親を持った子の結婚をめぐる騒動で、その立て引きを支配するのが「悪だくみ」のスカパン、と言う単純な構図の笑劇で、どれだけ笑えるか、と言う芝居である。笑劇をしらけないで見せるのはかなり難しいもので、ばかばかしさを超えて人間的な共感が笑いとともになければ芝居にならない。この舞台はよく出来ている。小日向、大森は長年演じてきているから当然だが、串田が松本の劇場の芸術監督に就任してから育ててきた地域劇団の女優、湯川ひな(イアサント)、下地尚子(ネリーヌ)、男優の武居卓がベテランに引けを取らないだけでなく、客演の笹本真帆(ゼルビネット)がいい。息子たちを演じる串田、小日向の息子たちも、初々しさも残るがちゃんと芝居になっていて、身内贔屓の感じがない。串田和美がコクーンで初演したのは94年でその後7回もやっているし,海外の演劇際でも評価されているから、手の内だったろうが、この混成の俳優陣を自分も主演をつとめながらよくまとめている。そこにあまり演出者の強制を見せないところも串田らしい。
今まで見たさまざまな「スカパン」の中では最もよく出来ている。笑うだけでなく、どこかしあわせな気分で劇場を後にできた。その味わいは串田の芝居独特のものだ。
串田和美は60年代の俳優座養成所の最後の卒業生。上の世代の井上ひさし、蜷川幸雄、下の世代の野田秀樹、つかこうへい、ケラリーノサンドロヴィッチに挟まれた空白の激戦区の中で、演劇界の節目になる仕事を残してきた。
60年代に俳優座養成所のエリート卒業生を集めて、若者の小劇場、自由劇場を結成して当時の大劇団と違うレパートリーシステムを作ろうとしたこと。そのために自力で六本木に劇場を作ったこと。シアターコクーンの芸術監督として、小劇場作品と商業劇場の懸け橋となる独自のカラーの作品を創る一方、この新しい職責の重要さを示したこと。地方の公共劇場で、地方都市の演劇と市民の関係を築いたこと。そしてそういう演劇活動の中で、常に、独特の都会的な舞台作りで、串田和美作品らしさを失わなかったこと。
常に自分が信じられる人間像を舞台に乗せてきた80歳の演劇人がこの節目で「スカパン」を快演した。飄々とスカパンを演じている串田和美を見ていると、演劇に生きる、ということの感動がある。
初日のアンコール。串田もちょっとしんみりした表情だった。
スカパン
まつもと市民芸術館
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
これは見ておくべき舞台だろう。串田和美、一世一代のスカパンである。
本人にも、ひとまずこれで一つの決算と言う覚悟があるに違いない。自由奔放な古典の笑劇を、古くからのオンシアター自由劇場時代の仲間に、松本の地域劇団の新しい仲間、そのうえ、自分たちの子供まで加えたカンパニーで全国巡演する。80歳になった演劇人の晴れ舞台だが、この種の舞台の持つ嫌らしい自己顕示がない。いや、大きく見れば究極の自己顕示でもあるのだが、それが眼前の舞台には見えない。そこが一見の価値のあるところだ。
The Fantasticks
東宝
シアタークリエ(東京都)
2022/10/23 (日) ~ 2022/11/14 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
幼いころから馴染んできた童謡を聞くような懐かしいミュージカルだ。
何度も上演され、いまは、わが国でもアメリカ同様、学校の文化祭やアマチュア劇団の上演もされる古典である。東宝制作のクリエの舞台は、中堅、新人から成るプロダクションだ。
もともとが南部の田舎の大学から生まれた作品と言うだけあって、構造は単純で、親の不仲な隣り同士の恋人の青春譜である。若い二人、マット(岡宮来夢)とルイーザ(豊原江理佳)。頑固だが人のいい父親たちは今拓哉と斎藤司、二人の中を裂くべく雇われるならず者は青山達三と、旅芸人のモーティマー山根良顕。物語の語り手は愛月ひかる。
どこかで舞台を観た記憶がある俳優ばかりで、堅実な公演になった。演出は上田一豪。演出者はもう四十歳に近い年齢だが商業ミュージカルでは若手の方だろう。突出した役者のいない座組を手堅く、原作に沿って優しいミュージカルに仕立てた。昔のあまり流行らない遊園地のような電飾をつるした中に、一段高い場所を設けただけの装置も、その陰に置かれたピアノとギターにドラムと言う音楽も素朴でいい。物語は昔風にほとんど歌で進んでいき、二幕になると、雇われた悪者たちとの殺陣もあるがいずれもお約束の進行である。お馴染の主題曲は最後に出てくる。これがないとやはりヒット・ミュージカルとは言えないだろう。若い二人が恋を成就するまでが一幕、60分。その破局と仲直りが二幕55分。
東宝が日比谷の基幹劇場で、内容的には派手でもない「アルキメディスの大戦」や時代遅れと言われかねないこの作品を一万円以下のS席で幕を開けるのは、自社の基礎と将来を見据えてのことだろう。そこはさすが長年の商売うまいなぁ、と言う感じと共に、興行者の伝統も感じた。実は筆者はこのミュージカルの芸術座初演を五十年余年前に見ている。その時はオフブロードウエイのミュージカルがわが国で初めて上演される、と言う触れ込みだったが、正直言えば、ぎごちなく面白くもなかったし、客席はガラガラに等しかった。(今回はほぼ7割)。まだ、小屋に客がついていない頃で、前後して森光子や三益愛子の女優芝居でこの小屋は満席続出の劇場として東宝演劇を定着させることになるが、いまでも、この9月から十月公演のような地味な公演も、忘れないところ、千と千尋やレミゼの演劇興行に連なっている大会社の底力を感じないではいられない。パルコ焦るな、公共劇場も伝統は片隅では考えろ、と言う教訓である。