タッキーの観てきた!クチコミ一覧

1081-1100件 / 2290件中
ゴミくずちゃん可愛い

ゴミくずちゃん可愛い

ぬいぐるみハンター

飛鳥山野外舞台(東京都)

2018/03/03 (土) ~ 2018/03/04 (日)公演終了

満足度★★★★

北区・飛鳥山公園に特設野外劇場を作り、そこで社会性の強い物語が繰り広げられる。と言っても公演のイメージはポップ調で観(魅)せるもの。公演の特長は開放感ある会場に閉塞する世界観、主人公の姿は生き活きとし、周りの人々との温かく仄々とした交流を描いているが、その未来は必ずしも楽観視できない怖さも潜ませるなど、相反するようなことが…そこに不条理が観てとれる。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台は、公園という場所(自然)を後景に従え、中央にレンガ作りの変形アーチ状のオブジェ、その横に台座のような別空間。そこは夢の谷(通称:ゴミ谷)というゴミ溜め場という設定であり、主人公ゴミ(籠谷さくらサン)は生まれてすぐ捨てられた。

梗概…彼女は14歳、周りの人々に支え愛され育ってきた。しかし劣悪な環境下で育っているため、毎年・誕生日に手術(体内浄化が目的か)しなければ生きられない。なぜ自分だけ痛く辛い思いをしなければならないのか。だから手術のたびに周りの人々が輸血をしていることなど思いもよらない。彼女自身の生い立ちと同時に世界の動きを章立にして展開していく。
世界中のゴミが運ばれてくる「夢の谷」。ゴミちゃん達は毎日楽しく平和な暮らしをしていたが、他方、世界の各所で大・小規模の戦争・紛争が激しさを増しゴミ谷に運ばれてくる瓦礫の山も増える。そして世界のことなど何も知らない純真無垢な少女達が世界、現実を突き付けられ…。

冒頭の展開から、始めは「環境」問題も含んだ、広範な社会批判を観せる物語かと思った。しかし戦闘・戦場シーンから瓦礫のゴミに繋げるところから反戦的な色合いが強くなってきた。先にも書いたが、その観せ方はあまり重くならず、日常を明るく元気に過ごす少女達の生活から切り取っている。一方、意識しなければ社会・世界情勢に疎くなり足元に軍靴の響きが大きくなる怖さ。その戦争を戦場カメラマンの目を通して描く不条理劇、観応えがあった。

躍動的な演技、軽快な台詞回し、理屈では追いかけられないようなストーリー展開、野外劇場らしいスペクタクルな観せ方など、じっくり考える批判性の強さとは真逆の世界観で演出する。大勢の役者が「夢の谷」で生きざるを得ないことを表すため、ほとんど役者が舞台上にいる。しかし主要な人物の立場・役割は明確で物語の訴えはしっかり伝わる。
ラスト、「夢の谷」という名前とは裏腹な劣悪環境下、ゴミちゃんは18歳でその人生の幕を閉じる、ハッピーエンドに終わらせない強かな公演である。

次回公演を楽しみにしております。
新宿の紫のバラ

新宿の紫のバラ

めがね堂

新宿眼科画廊(東京都)

2018/03/02 (金) ~ 2018/03/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

作家の妄想か作劇中の出来事か、その不確かな物語が魅力的である。公演の雰囲気は心象劇を少しミステリー風に仕立ている感じ。構成は劇中劇のようで、当日パンフに某作品等を本編中に引用、参考にした箇所があると記しているが、本公演にはそれを台詞として取り入れるなどウィットに富んでいる。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

挟み客席の舞台、セットらしいものは壁際に置かれた椅子等だけで、ほぼ素舞台。役者は登場する時以外は壁際に座っており、観客同様に第三者的に俯瞰しているようだ。劇中では、この会場「新宿眼科画廊」を繰り返し説明(住所も含め)し、その都度、ここが「劇場」なのか「病院」なのか”場所”を意識させる。作劇中という劇中劇なのか、作家の心内妄想かという不思議な世界に誘われる。

主人公・タケシゲモリヒコ(佐藤匡サン)のオドオドした態度、優柔不断な行動が物語りの雰囲気を作り出している。この主人公が第三者立場から劇作家へ…しかしそれは現実なのか妄想なのか曖昧としている。物語の舞台は東京・新宿歌舞伎町という日本一の繁華街で、男性作家と女優が繰り広げる濃密な会話劇。2人の出会いがこの街にある「劇場」なのか「病院」なのか場所も定かではない。そして「劇場」であれば現実の作劇中、「病院」であれば妄想の精神疾患というイメージを抱かせる。

文学的でありながら生活感をすくい取る台詞、雑踏の中に孤独を思わせる都会の景色と、そこで活動している2人、その周りの人々の姿を体温や匂いも込みで伝えてくる。まるで”心”を失った2人の短い時間の緊密な関係性が浮き立ってくるようだ。
公演では素舞台のせいもあり情景は鮮明にならないため、観客(自分)の思いを自由にすることによって人の心理が見えてくるようだ。作者・武重守彦氏が劇中(同名)に入り込んで身近(得意)な世界を巧みに表現し、それを人物(役者)の濃密な会話によって感情が揺さぶられるためであろうか。衝撃的なラスト、主人公の男の願いも虚しく一目惚れの女は…実に余韻が残る。

次回公演を楽しみにしております。
みんなの伝統芸能―浪曲・落語・狂言―

みんなの伝統芸能―浪曲・落語・狂言―

あうるすぽっと

あうるすぽっと(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★

「みんなの伝統芸能」―浪曲・落語・狂言―として、みんなで一緒に日本の芸能を楽しんでみませんか?という謳い文句で3日間に亘って違う分野の日本伝統芸能が演じられた。その1つが「ケイコ先生の浪曲でナイト!」であった。
「進ぬ!電波少年」で家庭教師をしたこともあり、先生というだけあって「浪曲」の楽しみ方をたっぷり観(魅)せ、聴かせてくれた。
(上演時間1時間30分 途中休憩15分)

ネタバレBOX

浪曲師の春野恵子サンがキーボード:赤石香喜氏、ギター:YAMO‐Boo氏と繰り広げたセッションは、ロック浪曲と呼んでおり、演目「高田馬場」を一人ミュージカルのような。浪曲では年末の定番「忠臣蔵」が多いそうだが、後日そこにも登場する人物を紹介する。

「進ぬ!電波少年」で家庭教師・ケイコ先生をしていたが、浪曲講座のような展開は面白かった。驚いたのは、彼女の話術・トークセッションが見事であった。
春野サンから「今まで”浪曲を聴かれたことのある方、手を上げて!」という問いに、数人が挙手した程度であった。次に「浪曲」の声の出し方、3段階あることを教えてもらい、観客が 声を張り上げた。
さらに「浪曲の掛け声」について「お教えしますから、掛け声お願いします」という感じである。まず浪曲師が登場したら「待ってました!」と声を掛け、三味線が”シャン”と鳴ると「たっぷりと!」、そして一節うなると「名調子!」となるらしい。その続きもあるらしいが、遠慮したのか教えてもらえなかったが…。場内は大笑いで舞台(出演者)と客席が一体となり大いに楽しませてもらった。

最後は、浪曲「神田松五郎」という演目。曲師(三味線):一風亭初月サン。
内容は、落語の五代目古今亭今輔の噺、「ラーメン屋」を思い出したが…。
次回公演も楽しみにしております。
テンペスト

テンペスト

劇団つばめ組

シアター風姿花伝(東京都)

2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

旗揚げ10周年を迎える劇団つばめ組が上演するのは、シェイクスピア最後の戯曲テンペスト。自分は未見であったが、こういう劇なのかと呆れ驚いた。前説によれば「テンペスト」を邦訳すると「嵐」であり「バカ騒ぎ」になるらしい。粗筋からすると前者「嵐」のような気がするが、この公演の描き方は後者「バカ騒ぎ」に思える。その捉え方によって観客の好みは分かれるだろう。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央の平台、左右に階段があり、上手側に窓。物語の構成は二重構造のようで、一方は悪意、他方は善意といった結末の違うもの。どちらも新しい世界であるが、人生の儚さはどちらも同じで夢か幻のように描く。

説明から物語は、ナポリ王アロンゾーとミラノ大公アントニオーを乗せた船は嵐に遭い難破するが、それは元ミラノ大公プロスペローが妖精エアリエルを使い起こしたものだった。十数年におよび復讐を目論むプロスペローだが…、といった内容のようだが、その面白さは伝わらなかった。
この劇は,嵐の場面から わずか数時間のことを描いているに過ぎないらしい。だから観客にとって、劇の中で進行する時間と現実の時間とは一致して観える。眼前の出来事は観客の生きている現実の時間と並行して同時進行していく。しかし、そこに劇的効果として文明発祥の歴史が観えてくるはずなのだが…。

印象としては、歌謡番組のパロディ、ゲストの音楽(商品)紹介シーンを劇中劇として挿入し緩い笑いを誘う。しかし、これが思いのほか長く感じられ、本来の物語の面白さを損ねたと思う。酔いの3人組、その台詞も聞き取り難く、ここでは何を表現したかったのか疑問。本来の物語は、他のシェイクスピアの悲劇と喜劇を混在または融合したようなもののように思うが、「テンペスト」のパロディといった感に止まったのが残念だ。

ラスト、先に記した2重構造で言えば、悲劇-復讐と捉えれば死が待ち、喜劇-回帰と捉えれば全てを許すという分かれ途。どちらの世界もあり得るから、それは観ている人の判断、好みに委ねられるというもの。自分ではさらに違った思いとして、もう少し遊び心を抑えた公演が好ましいが…。
次回公演を楽しみにしております。
川、くらめくくらい遠のく

川、くらめくくらい遠のく

ムニ

新宿眼科画廊(東京都)

2018/02/16 (金) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★

チラシには、川を見ている人よりも、3つの川の見え方がある…そんなことを信じてやっていきたいと書かれている。
本公演は何を伝えたかったのか、観せたかったのか最後まで解らなかった。60分という短編にも関わらず冗長に感じてしまい残念に思う。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

素舞台、白線の囲いの中で役者3人が、ほぼ同じような演技を坦々と繰り返し、台詞も皆同じように朴訥とした口調でテンポもメリハリも感じられない。3人(1人何役も担い、何人の登場人物がいたのか分からない)が住んでいる街、暮らしと生活空間の紹介を長い時間軸をかけて説明しているが、その割りに街のイメージが浮き上がってこない。

先に書いた、川を見ている人=観客よりも、3つの川の見え方=表現を優先したような感じである。作・演出の宮崎莉々香女史は、「ぐらつきのなかで、浮かび上がってくること『見える』というささやかさについて表現しました」とあるが、それが観客にも伝わること(内容)が必要ではないだろうか?3人の間での会話らしい会話がなく、あくまで一方通行のような説明では舞台としての立体化がなく飽きてしまうと思う。

もちろん芝居は観る人の感性によって受け止め方が違う。全ての観客を満足させることが出来れば、それに越したことはないが、そのために作者が自分自身を見失ってはならない。その意味で、”こう表現したい”という思いは持っているようなので、もう少し観(魅)せる公演を期待しております。
search and destroy

search and destroy

うんなま

王子小劇場(東京都)

2018/02/17 (土) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★

公演の内容は、”結論”めいたものがあるような、もしくは観えるようであるが、実際は終わらない創作過程の思索面を描いている、そんな印象を受けた。深い理屈の世界、観客の思考を強く刺激するもので、その表現はコミカルなショートコントを織り込む手法で飽きさせない工夫をしているが…。
それでも自分は、もっと気軽に観て楽しめる公演が好みである。もちろん喜劇であり悲劇であっても何らかの”モノ”が自分に残れば満足である。その意味で、本公演は自分には合わなかった。
(上演時間1時間20分)2018.2.23追記

ネタバレBOX

少し段差のある舞台に三面の衝立。正面と右手側には1文字ないし2文字が書かれた張り紙。左側の壁はハートマークが並ぶ。上部には短い垂れ幕がある。
基本は、張り紙に書かれている文字(題材)に基づいて物語を構成しているのだろうが、それで何を伝えたいのか、何を見せたかったのか理解が難しかった。自分(観客)の勝手な思い込みで好・嫌の趣向が分かれるようで、主宰の思いがどこにあったのか。

当日パンフには、大阪での評価はオルタナティブ(「言い換えれば「ようわからん」)ということらしい。自分の感情にピッタリの表現である。繋がりがあるとは思えないようなショートストーリーで構成された公演は、斬新なのか無謀なのか…。ハイ、観客の皆さんどうぞ考えて下さいと。

早い段階で、合唱の練習風景のシーンで、見学者が合唱指揮者へ批判的な表現。それに同調した合唱団員による指揮者解任(辞任か)のような。それからは自分たちのやり方で進めていく。体制的ではない、自主独立的な行動を思わせるようなシーンがある。この公演で感じることは、ショートストーリーに込めようとしている内容が、何か比喩・暗喩のような、恣意的なものを感じる。
しかし、例えば素直に音楽的なシーンとして捉えれば、指揮者はオーケストラや吹奏楽・合唱等で、各パートの演奏をまとめる役割を担っている。表現全体を考えて音程・音量・音色・奏法や歌唱法・パートの音量バランス・テンポ等を指導し、ミスやずれを修正して、演奏の完成度を上げるもの。確かに指揮者が不在のケースもあるが…。

公演全体の印象が、「言葉」に拘った遊びのようで、各ショートストーリーに深みや共感を感じることが出来なかった。逆に理屈・理論の中に取り込もうとする恣意的な思惑が垣間見えたのが残念であった。”何か”を追求する野心的な作品のような…それを”張り紙”という視覚的表現をもって観客と物語の繋がりを持たせようとしている。
さて、チラシにある「共有」について、現代は通信技術の発達に伴って瞬時に世界的スケールで情報の「画一化」を招くが、一方、個人の表現の領域を拡大し「”多様化」ももたらす矛盾したような効果も現れる。そんなところに劇団の特徴である「現代性と演劇的猥雑さの両立」という作風を感じることが出来た。
沈黙の音

沈黙の音

演劇企画アクタージュ

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★

チラシの説明…ある地下室で起こった男の事故死 はたして男の死は本当に事故死だったのか。彼らを待ち受ける真相とは…とミステリー風であったが、内容的にはサスペンス劇に近い。彼らとは、実際に登場しない”死体”を含め6名であるが、”沈黙”の死体によって崩壊していく人間関係の”音”が聞こえてくるようだ。
(上演時間1時間20分)【Bチーム】

ネタバレBOX

舞台は死者の自宅の地下室。そのイメージはコンクリートむき出しの壁、上手側にソファー、ダストまたは排気口、下手側奥に外への出入り口の階段があるが、今はその蓋(扉)に鍵が掛かっている。客席寄にテーブルがあり雑多な小物。そして地下室にトイレが…。上演前は立ち入り禁止のテープ、死体があったことを示す跡。

暗闇の中で目覚め…何処にいるのか、今何時なのか、という日時場所が解らないまま其処に居る人物紹介が始まる。見知らぬ同士、何故ここにいるのか、そして密室という特別な状況下で疑心暗鬼になっていく心理状態を描く。その不安と焦りのようなものが怒声に表れる。サスペンス風に緊迫と緊密な関係性が次々と明らかになっていく。

密室ミステリーの謎解きを期待したが、登場人物それぞれに殺人動機のようなものが見え始め、互いに疑いと詮索の目を向ける。その動機に基づく、各人の心理状態をシュミレーション回想として挿入してくる。その時に死体が生前の姿として現れるが、それはもう一人の登場人物が…。当初ミステリーとしていた密室が案外簡単な、というか元々密室では無いような。
男の死を巡り虚々実々の会話が繰り広げられるが、時にまったく関係ない方向へ誘導するのは、観客操作であろうか。例えば「News23」が始まる時間帯のこと、ペットボトルの差し入れの如くである。

ラスト…ある登場人物へスポットライトが朱色、まさに血に塗られたようで、そこに佇んでいる姿は狂気の様。そして流れる音楽が印象的であった。

次回公演を楽しみにしております。
私信/来信、ユートピア

私信/来信、ユートピア

青色遊船まもなく出航

シアター風姿花伝(東京都)

2018/02/09 (金) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★★★

チラシにユートピアとは「素晴らしく良い場所であるが、どこにもない場所」と書かれている。現実には有り得ない永遠平和だが、あの世と対話する行為を”祈り”と呼ぶ人もいる。
この公演では死者も出るが、物語の主要な役柄はオカマで、死者との関わりで魂を失った人物として描いている。
それにしても観念的で一筋縄ではいかない思索を要する公演であった。
(上演時間1時間40分)【来信、ユートピア】

ネタバレBOX

舞台はオカマBar「純」_日常とはちょっと異なる場所であるが、そこで働く人の過去や現在の心境を通して生活感が浮き上がってくる。繁華街にあるであろうBar店内、そこで働いている人々の孤独、悲哀といった感情を賑やかな場所(街)と対比させることで、より空虚感が強まる。妻を癌で失ったオカマ・ユキ(大竹崇之サン)は、ひょんなことで知り合った家出少女・アコ(川島まゆかサン)との出会いと触れ合いによって魂を再生させていく。その過程を、過去と現在を往還させて紡いで行く。

この店の来店客の苦しみ悩み、店員(オカマ)と客の双方の苦悩から見えてくる生き難さ、そこで披瀝されるのが”化粧”の話…化粧とはゲーム、過去を隠して自分を隠して(言い換えれば偽り・誤魔化す)、自分を好きになる。時々発せられる禅問答のような台詞。その会話が観念的で深い。さらに化粧は色が分からない、感じる心は奪われないと進む。虚飾は化粧だけではなく、衣装さらには女装へ広がる。ユキは妻・雪乃(長谷川景サン)を失い魂を失っていた。因みに、色は色弱者のデザイナーとの関わりもある。

舞台セットは、奥にユキの部屋(現在と過去に雪乃と暮らしていた所)、そこには所狭しと衣類が散乱しており、その中にベット。客席寄はオカマBar「純」の店内…下手側にカウンター、上手側にBOX席があり、カウンター・テーブルの両方にボトルが置かれている。その舞台セットを黒の紗幕で閉め、客席との間に別空間(街中)を出現させ立体感を演出する。

回想への恐怖がノイズ、現実の生活を雑踏・列車の軋みという効果音で表現している。また紗幕全面やボトル内に電飾を施し点滅させることで幻視的な効果を生む。ラスト、ユキは鬘、女装を解き新たな一歩を…。
しかし、せっかくのオカマとしての存在と独特な会話が生きてこないのが残念。単なる化粧という外見の虚飾を装うだけに止まったように思う。

次回公演を楽しみにしております。
南大塚演劇市2018

南大塚演劇市2018

としま未来文化財団

南大塚ホール(東京都)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

「南大塚演劇市2018」…今回で6回目になるという。コンセプトは「自分たちの作品を地域の人に観てもらいたい」「いろんな団体と知り合いたい」「演劇に関わってみたい」「身近で演劇公演を楽しみたい」 、演劇サークルや劇団と地域の人々との交流の場を願い始まったらしい。

今回観劇したのは、劇団東俳 劇団員による「こちら、オフィス堂島」(ちなみに前日「劇団東俳 サークルかぐや姫」が別演目を行っているため「劇団員」としている)。
演劇市のルールで1時間以内の上演時間という制約があるにも関わらず、分かり易い展開で、しかもラストはミステリー要素が加わり観応え十分であった。
(上演時間55分)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手・下手側ともに段差のある棚台、客席寄りにテーブルと椅子というシンプルなもの。もっとも置いてある意味合いは異なるようで、上手側は家庭内(三國屋家)のテーブル、下手側は事務所(堂島会社)の机といったイメージである。

物語は、何をやっても中途半端な男・岡崎雄太28歳が就職活動を始めるところから始まる。説明には、この会社は普通の会社とは違う裏の顔を持っていた。この会社の仕事とは?そして岡崎雄太の運命は如何に?という意味深なことが書かれている。物語が進展するにつれ、ブラック企業の様相を帯びてくる。会社の活動として2例が描かれるが、いずれも会社が仕掛け、その依頼に基づいて仕事を進めるという出来レースのようなもの。そのやり方に疑問、抵抗感を持った雄太の感覚は正しいと思うが…。それに対して社長・堂島玄介は”言葉でなく感じてほしい”と観念的な返事である。そしてこの世には必要悪がある、とも言う。

雄太の目を通して、社会は世間の良識や善意だけでは成り立っていない。それを若さとユーモアを絶妙に織り込み人生の迷路に明かりを灯すような話。物語としては分かり易く、ラストにしっかりオチもあり面白い。
自分の呟き…もっと正攻法な方法で仕事に取り組めないかなぁ~。まるで社員を偽り、試すような仕組みの仕事は…まぁ、芝居ならではでしょう。

次回公演を楽しみにしております。
いずこをはかと

いずこをはかと

PocketSheepS

TACCS1179(東京都)

2018/02/08 (木) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

タイトル「いずこをはかる」の意…劇中の説明によれば日本の古典に求めることが出来るようだ。意味は” どこを目あてにして”という曖昧なものらしい。
物語は、チラシの説明に書かれている通り、大正というデモクラシーが高揚してきた時代を背景に、少し大げさに言えば家訓という縛りと自由・解放という「家制度」と「個人」という対比構造が透けてくる。タイトルは家制度と個人の両方に係るような意味合いを持っているような…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セット…左右の壁はステンドグラスまたは寄せ木細工の模様のような小片を結合し、形状・模様を表現したものが描かれている。正面は両開き扉でその上部の壁も形状・模様が施されている。セットはいたってシンプルなものであるが、これは多くの場面が繰り返し登場するため、観客に情景・状況の固定観念が生まれないような配慮とアクションスペースを確保するためであろうか。

梗概…その昔、主人公が居る財閥先祖が主君へ献上(生あるもの)したが、大事に仕舞い込み餓死干乾びた。逆上した殿から厳罰、呪いが…。以降この家では大事な者(長女)は屋敷奥へ閉じ込め、外部との接触をさせなくした。外に出れば必ず周囲の人々も含め"災い"が起きるという言い伝え。
しかし、四六時中家の中では退屈、刺激もないことから外に出てみたいとの欲求も自然の成り行きであった。そんな時、金目当ての泥棒(スリ)集団が屋敷に侵入し手違いから娘を連れ出してしまう。いや、娘が連れ出して欲しいと懇願したというのが正しい。
その道行きは…。ちなみに”災い”とは、希望を持つから絶望が生まれる。初めから希望などという幻想は抱かないこと、自由恋愛もなく決められた相手と結婚すること。ここに大正期へのアイロニーも垣間見える。

人それぞれの境遇や立場がしっかり説明され、それに従って行動している。躍動的な体現、時に観念的な台詞、理路整然とした理屈では追いかけられないストーリー展開、そしてミステリー要素も加わる。泥棒の生活感と財閥令嬢の自由奔放な考え、妄想がうまく対比され、大正という明治期と昭和期の狭間にあった短い期間の特徴を表現していたようだ。それは壁に描かれた模様等によっても印象付けられる。

財閥家の当主は妹(瑠璃=和泉奈々サン)を閉じ込めておきたい、一方泥棒(珊瑚=植草みずきサン)と変な友情が芽生え、双方とも自由に成りたいとの思惑は一致し遠方への旅立ちを試みるが…。そこに刑事、泥棒仲間やその親代わりの女親分(銀子=きむらえいこサン)、この出来事に便乗したい新聞記者、瑠璃の婚約者(当事者同士は面識もない)、使用人、さらに神父、修道女等、多くの人物とシーンが登場する。

全体的に演技が大げさ、騒がしいイメージが強く、当主・鋼太郎(内堀克利サン)が現れる場面が説得、説明場面ゆえ落ち着いて見えた。特長として、珊瑚役がストーリーテラー的な役割も担っているようで、物語の展開や心情描写への導きとしては効果的であったと思う。ラスト、遠く南の地で観たいと願った蝶が舞い余韻が…。

次回公演を楽しみにしております。
瀬戸の花嫁

瀬戸の花嫁

ものづくり計画

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2018/01/31 (水) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

瀬戸内海にある小さな島、その島の高齢化、人口減少さらには経済活性化という問題が散りばめられた公演…まさに現代日本が抱える問題そのもの。
前回公演が好評であったことから、3年越しの再演というが実に面白い。物語は島という限られた所、時間は順々に経過し分かり易い展開で気軽に楽しめる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは瀬戸内海に浮かぶ小島…戸美島の公民館ホールといったイメージ。その室内、正面に窓ガラス、壁には島民の集合写真や表彰状が飾られている。下手客席寄に階段を設え別スペースを作り出す。

梗概…高齢化、少子化さらに島の若者は島を離れ都会へ。その状況を何とかしようと結婚相談(所)会社を通じて集団見合いを企画する。島の男たちの願いが叶い、都会暮らしの女性5人が応募して来た。その紹介映像を観て、さらに期待膨らむ男と島民。その準備の過程…見合いの時の話題、趣味趣向などをシュミレーションする姿が滑稽に描かれる。そして若い島民同士の男女・男男の恋愛事情、誤解・勘違いも絡んだドタバタ騒動。そして見せ場である見合い当日を迎える。一方、都会から来た女性たちにも色々な事情があるようで、果たして集団見合いは成功するのか…。

島という閉鎖的と思われる土地で、行き違いがあれば気まずい思いを引き摺りそうである。しかし、この島の人達はみな優しく温かい。島が一つの家族であり助け助けられという相互扶助が見えてくる。しがらみと閉鎖性というネガティブなことを連想しがちだが、ここでは真逆の「しがらみ」⇔「親和性=家族的」、「閉鎖性」⇔「受容性」としてポジティブに描いている。都会…東京砂漠・隣人何する人などという言葉は無縁である。娯楽施設や大型スーパー等は考え難いが、それでも島の良さが溢れている。そんな島に嫁が…。1人で島民になる不安が集団見合いで解消されるか。そんなところも見所かもしれない。

過疎化の島が抱える社会問題と、男女の出会いが乏しい人口減少のテーマを明るくポップに伝えるコメディ…という謳い文句。島民同士のカップルについて、一般的には身近で人柄も知っているから恋人関係へ発展しそうであるが、それが逆に幼い時から兄妹のようにして育ってきたという特殊?な環境下の悲哀という細やかな感情表現も自然で上手い。ほんとうに堪能しそして楽しめた。
さらに第二の故郷が広島である自分にとって、全編本格広島弁はリアルな世界観であり懐かしくも感じた。

次回公演も楽しみにしております。
ちょうどいいひと。

ちょうどいいひと。

Nuts Grooove!

コフレリオ 新宿シアター(東京都)

2018/02/01 (木) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

時間と技術を使い仕上げたであろう公演、これから(今後)観るであろう人達のためにも筋の紹介は簡単にしておく。本格ミステリーではないが、ラストシーンはアッと驚くような展開であり、本公演は再々演であり今後も上演の機会がありそうだ。
ちなみに「ちょうどいいひと。」とは、説明によれば「感情的じゃなくて、聞き上手で、自分の意見を言えるほど強くはないけれど、でも優しくて。前に出過ぎず、後ろにも行き過ぎず。社会の輪の中に、ちょうどよく存在している。」という人のことらしい。その曖昧な人物像を独特な切り口で描いた物語は観応えがあった。
(上演時間1時間45分)【Bチーム】

ネタバレBOX

舞台はあるレンタルルームと喫茶店の2光景。登場人物は僅か4人(常時登場は3人)で、そこで展開される物語は、”ちょうどいい人”ならぬ”聴(努)言い人”になってみたかった3人の話。人の手の平の上で踊る、そんなシュールでブラックユーモアが感じられる公演。

梗概…「ちょうどいいひと。」になるための啓発セミナーに大金を支払い参加したが、肝心の講師が現れない。男女1人が一枚テーブルに座って待っているが、お互い存在を意識しているが声は掛けない。そのうち遅れて別の女性が現れ時間だけが経過していく。もしかして詐欺かも…。別の日にもセミナーがあり、改めて参加してみようか。セミナー室から喫茶店に場所が移り、この時も些細な言い争いが繰り返される。この時点で人間関係が上手く築けない人達であることが解る。別の日にも顔を合わせるが…この間にそれぞれの人のプロフィールが自己紹介という形で説明される。

男(由原誠)…48歳・会社員。会社で上手く立ち回れず精神的な病になった。女(藤崎いずみ)…39歳・スナックママ。自転車乗車禁止の商店街で、後ろから自転車に乗った小学生に”ジャマ”と叫ばれ対人恐怖(トラウマ)に。女(山本絵理亜)…40歳代か?幼い頃から人間関係は苦手。コスプレで外見を装い内心を隠す。そしてレンタルルームの清掃員のおばちゃん(愛ちゃん)が仄々とした雰囲気を醸し出す。全員が一見、一癖二癖もありそうな人物ばかりであるが、底には人が持っているであろう承認欲求という普遍的な願望が透けて見えるようだ。

基本的には会話劇であり、物語の面白さは構成・展開に左右されるだろう。日常生活(過去も含め)や対人関係の良好を目指すというささやかな願望を軽妙でコミカルな会話で紡いだ秀作。それを細やかな演出…例えば窓を開けると街の雑踏が聞こえるなど、室内の異空間と室外の日常空間が区別させる。そこには世の中の”普通というレール”を走るのか?という自問自答への回答が見つからない。その区別のようなものが室内外の音響で表す巧みさ。
観終わってみれば、セミナー主催(首謀)者の思惑か、それとも偶然か判然としないが、いつの間にかセミナー効果が…。

次回公演を楽しみにしております。
小鳥たちのプロポーズ

小鳥たちのプロポーズ

劇団しゃれこうべ

ザムザ阿佐谷(東京都)

2018/02/02 (金) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

満足度★★★

「劇団しゃれこうべ」の旗揚げ公演「小鳥たちのプロポーズ」、それはニール・サイモンの「求婚」(邦題)が原作になっている。
ある避暑地での出来事、そこで繰り広げられる不器用な愛のカタチが紡ぎあう人間模様といった物語である。夏の魔法にかけられた小鳥たちのプロポーズの結末は如何に。”ハートフルフィーリングコメディ”との謳い文句であったが…。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

舞台セットは、1950年代のアメリカ、ポコノ山脈にある別荘地をイメージさせる。周りには緑色の平板を立て、いかにも森の中を思わせる。上手側に別荘が建ててある。その上部にはテラスであろうか、別スペース。下手側は切り株をテーブルに見立て、籐椅子が置かれている。
場内に入ると一気に森の中の別荘へ導かれる。そして上演前は小鳥の囀りが聞こえ、雰囲気作りに努めている。

梗概… 病気の父バートと独身の娘ジョージー、家政婦クレンマが住む山荘に、離婚し別の男性と結婚している元妻アニー、ジョージーから婚約解消されたが未練が残るケン(ケニー)、実はジョージーが愛する相手でケンとその父親に恩義を抱えているレイ、勝手にジョージーを追いかけてきたヴィニーという粗野な男、レイの恋人であるモデルのサミイも加わり、複雑な愛情模様を繰り広げる。

人物紹介で、父バートはユダヤ人、家政婦クレンマは黒人という人種的な事が触れられたが、物語の展開には無関係のようだった。あくまでひと夏の恋愛、その騒動をコミカルに描き出した公演であり、人間ドラマとしては表層的で物足りなさが残った。
一応ハッピーエンドという結末だが、行き場を失ったケンがもっぱら笑いを誘う道化の役割を担う。そこには面白さより哀感が漂うような。また実際の家族ではない、家政婦クレンマの少し距離を置いた存在がスパイスのように効いている。しかし総じて人物像の立ち上げが弱く、人間的な深みと係わり合いが感じられなかった。

演技がぎこちないのかテンポが単調なのか、いずれにしても上演時間が長いことも相まって冗長と思えてしまう。せっかくセットと雰囲気作りに努めており、その環境下で紡がれる物語に魅力が持てなければ勿体無いと思う。

次回公演を楽しみにしております。
iaku+小松台東「目頭を押さえた」

iaku+小松台東「目頭を押さえた」

iaku

サンモールスタジオ(東京都)

2018/01/30 (火) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

因習・風習という社会的な要素に、人間が持つ様々な思い・感情(愛憎)という極めて人間的な要素を融合させている秀作。因習などに縛られながらも、その土地と風習を受け入れ愛する人々の姿を様々な感情を交えながら描く。閉鎖的で逃げ場のない地域社会が人間関係を少しずつ変化させていく恐怖。またその環境が恋愛(対象)にも影響を及ぼすという多面的な描き方も見事だ。
チラシは遺影を思わせる構図、そしてタイトル「目頭を押さえた」は単なる泣くだけではなく、別の意味が…。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セット…旧家の居間であろうか。中央に囲炉裏。後方の上手側に衝立、下手側に別棟(正面の格子ガラス窓)が建っている。この別棟が”喪屋(母屋ではない)”という今では特別な場所であることが説明される。死者の血族 が一定期間,葬地の近くで忌籠りをするための小屋。現在では忌籠りの習俗が廃れ喪屋もほとんど痕跡がないらしい。

物語は、この喪屋が残る地方(ヒトミ村?)で代々林業を営む家族(ここで育った従姉妹同士2人の女子高生を中心とした人達)に集落に残る葬送の因習を絡めたもの。冒頭、女子高生が全国高校写真コンクールで優勝し喜んで帰ってくるところから始まる。この従姉妹は一人は撮影者でもう一人は被写体(モデル)の関係であり、幼い時から行動を共にして来た。
物語は大別すると2視点で描かれている。1つは因習という地域・社会という生活基盤と世襲という制度の柵(しがらみ)である。もう1つは、一人ひとりの人間性、特に思春期の女子高生2人の恋心と誤解・嫉妬による微妙な距離感が生じたこと、さらには親子(父と娘)関係の強い思いのすれ違いである。

喪屋は特定の人しか入れない、即ち家督相続人しか入れないが、この家長は女子高生に暗室として使用することを認める。今の時代、柔軟な発想が必要だと説く。この家の跡取り(長男)は中学生であるがゲームに興じてばかりで頼りない。そんな時、事故が起きて…。一方、進路に悩む女子高生だが、当初2人とも地元の短大へ進学しようと考えていたが、1人はコンクール優勝を機に上京し美大(写真学科志望)へ気持が揺れる。この2人と高校写真部顧問との関係に誤解が生じ…。さらに上京させたくない父親の思いが絡む。

しっかりとした構成は、綿密な取材や研究の成果の表れであろうか。偏りのない視座、主張も情緒も抑制し坦々と地方生活が描かれるが、ラスト、事故後の対応にはやはり因習に帰する展開。この公演には独特な品格を感じるが、それは今でも残る日本的な感覚であり、その地で生きている普通の人々へ思い、因習(歴史)に対する謙虚さの表れであろうか。

次回公演を楽しみにしております。
おせん

おせん

サスペンデッズ

シアター711(東京都)

2018/01/30 (火) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

井原西鶴・好色五人女の巻二「情けを 入れし樽屋物語」のおせんをモデルにした創作で、江戸時代に実在した大坂・天満の樽職人の女房せんの話…それを題材に劇中劇のように仕上げているが、それも単なる劇中劇ではなく、物語性を別の角度から捉え芸術性豊かなものにしている。

観劇当日は雨が降っていたが、前説で「雨から雪になるかもしれない天気予報にも係わらず(中略)観て良かったと思えるような公演にしたい」とあったが、その期待は裏切られることなくとても素晴らしい公演であった。
3人芝居、その演じる主体が特徴で原作の悲喜交々とした物語を別次元の高みへ導いていた。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

舞台セットはシンプルで、大きな衣桁のような衝立(所々に唐草模様の布が縫いつけられている)、折りたたみ式の木机3つ。劇団員三人が複数の役を担い、サスペンデッズの「おせん」を創っている。物語は、木机に折り重なるように横たわっているところから始まる。

梗概...貧しい農家の娘おせんは、14歳の時、麹屋に女中奉公に出される。姿かたちがよく、働き者のおせんは麹屋で重宝されている。そのおせんに出入りの樽屋は惚れているが、しがない職人の樽屋はそれを言い出せない。樽屋の気持ちを知った産婆は、樽屋のためにおせんがお伊勢への抜け参りに出かけるよう仕組み、樽屋を同行させる。しかし、やはりおせんに気のある久七も一緒に旅をする事になってしまう。邪魔は入ったが何とか夫婦になった樽屋とおせん。数年後、麹屋の法事の手伝いに来ていたおせんは、麹屋主人の長左衛門との仲を女房のおきちに疑われてしまう。そして…

物語を紡いでいるのは人形3体。それを役者3人が擬態(体)化した設定であり、冒頭、横たわっているのは、用済みで廃棄されたような格好に思える。3体は主役になれない、端役のような存在であったらしく、主役人形は出て行ったという。勿論、主役人形は登場しない。その状況で芝居が出来るか心配な3体は、そのうち自分たちで全てを演じてみようと…その演目が「おせん」である。既にボロボロに傷んでいるがまだ役に立つ、廃棄されたくないという危機意識のようなものが働く。主役も含め自分たちで複数役(女形あり)を割り当て必死に練習する姿(勢)に圧倒される。練習という設定であるから、自分たちでダメ出しをし始めのうちは貶し合っていたが、いつの間にか励ましあう。生身の人間という設定より、人形という視点で捉えることによってより人間(社会)を客観的に観察することが出来るという優れた演出。

また舞台技術が効果的で、和物らしく拍子木を用い、照明はモノトーンを意識し暗・明の強調で引き立たせる。演技も素晴らしく、思わず人間劇と思い勝ちであるが、人形による芝居練習であり、体が時々軋むような擬音を織り込む細やかな演出によって人形芝居ということを確認させる。人形によって人間の情や社会の在りようが浮かび上がる秀作。

次回公演も楽しみにしております。
Do Munch

Do Munch

みどり人

新宿眼科画廊(東京都)

2018/01/26 (金) ~ 2018/01/30 (火)公演終了

満足度★★★★

上演前にスクリーンに静止集合写真(チラシの人物写真)を蠢めかせるように小刻みに揺らしながら、ムンクの絵画に重ね合わせるような、スクリーン-プロセス手法で見せ続ける。公演は、どこにでもいるような人々の暮らしを坦々と描き、些細なこと…「これからは、息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描く」(ムンク-副題)する様子を描いたもの。序盤はパントマイムと擬音が大仰な演技に思えたが、それも始めのうちに状況と情況を説明するためで、公演時間に占めたのは短時間であった。少年時代に受けた肉親(母・姉)の死、その悲しい思いが心の傷になっている男、それをムンクの人生と重ね合わせて観せた珠玉作。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

客席はL字型、舞台は素舞台である。上演前はスクリーンへの映写があるが、あくまで心象形成に止まる。また壁には何枚かのムンクの絵画が飾られている。ちなみに、当日パンフ中面のムンクの絵「カール・ヨハン通りの夕べ」は、本公演チラシ(登場人物7人)写真の構図に似ていることから意識したもののようだ。

登場人物は7人(アパート大家、コールセンター勤務の男性1名、女性2名、コンビニ店員男女1名、コールセンター、コンビニ店員の兼職1名)で、生活・仕事ぶりを通して人柄なりが自然と表現される。疎外的なイメージの人間による濃密な会話劇がアンバランスでありながら、目が離せないのは巧みな演出だからであろう。冒頭から女性3人が別空間でありながら横一列に並び出勤する準備をしており、孤独感が漂うようだ。

登場人物は基本的には独り者、アパートに一人で住んでいる。そこには都会生活の寂寥感が漂う。また仕事はコールセンターという相手の姿が見えず、受身一方の仕事のストレス。またコンビニ店員という接客業は、客に気を使う勤務、ローテーションに苦慮する責任者の姿。仕事への生き甲斐というよりは、坦々と時間の経過に身を委ねているだけという無為な様子(=都会人の表徴か)が窺える。頻繁に早退する、在日韓国人アイドルへの虚妄など、第三者には分かり難い、理解し難い行為であっても、生きていくための自己防衛本能かもしれない。その行動をよく観察し弱い人間性を上手く表出している。

暮らしの中で小さな事件が起き、人間関係を大きく揺さぶり、人の心の闇に迫っていく。この行為にこそ孤独と独善、不気味さを孕んでおり、過去(幼い頃)のトラウマが垣間見える。独身女性の部屋に大家が合鍵を利用し忍び込み、ムンクの絵画を眺める。責任追及する周囲の人々が発する言葉…エドヴァルド、茂道はムンクであり大家の名でもある。この過去回想への強烈な印象付は、2人の人生を重ね合わせた見事なラストシーンだ。

次回公演を楽しみにしております。
ハラカラ・コエダス・レクイエム

ハラカラ・コエダス・レクイエム

GAIA_crew

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2018/01/25 (木) ~ 2018/01/29 (月)公演終了

満足度★★★★

「グリーンフェスタ2018」特別公演、この芝居は再演(再葬)で初演は「グリーンフェスタ2014」で、その時に”BASE THEATER賞”を受賞している。初演も観劇しているが、今回は微笑ましいシーンも多く、作・演出の加東岳史氏が当日パンフに「会話劇ベースのチョット不思議な話なのですが、やはり初演より少しエンタメっぽい演出になってしまいました」と書いており、その延長線上での再演らしい。
面白いにも係らずカンパ制(気持ちの香典)。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは中央に祭壇のみ、上部に遺影(破顔で滑稽な姿)が飾られている。ちなみに初演時には白木の祭壇でレンタル料が高額なこともあり、他の劇団と共同で借りていた。

交通事故で亡くなった女性が成仏できず、この世を彷徨い自分の葬儀を別の世界から眺めるというもの。根底にあるのは「腹から声出すレクイエム(鎮魂歌)」か、もっとも主人公は”肥えだす”人であったが、いずれにしても思わぬ事故で亡くなったことへの慟哭がしっかり伝わる。公演は映画「生きる」(黒澤明監督)を連想してしまう。もっとも映画は病死(癌)で、死ぬことが分かっていた主人公(地方公務員)が、それまでの人生を顧(省)み、後悔しないような生き方に改めた姿が映される。公演では交通事故で亡くなった後の家族や職場(銀行)等、周囲の人々の思いの中で主人公の人柄なりが描かれる。人間的な深みというよりは、日常を坦々と真摯に生きて来た、特別な人や出来事ではなく普通の人が描かれているところに共感、親しみを覚える。それは故人を偲ぶという荘厳な儀式ではなく、儀礼的に執り行うといった感じである。それが段々と意識の変化が生じ、家族の絆、職場での評価など良い方向へ展開して行く。
故人を描きながら葬儀を通して人の嫌らしい面、例えば次女は葬儀に託けて彼を紹介しようとする。過去に結婚詐欺に遭い、今度の彼の見栄えを良くしようと容姿(鬘)や職業を(警官と)偽る、三女は姉(故人)の遺産を探し回る等、欲望・虚栄・偽善などを断片的に織り込み、物語を単なる回想から重層的な物語に仕上げている。そして動かぬ故人は、他者の動作で存在感を示す(体重が重たく棺桶を動かせない)。

もう一つの見所は、主人公は霊であることから生者とは話すことが出来ず、その思いは死神(女の子)の力を借り、葬儀社のアルバイトを通じて意思疎通を図ることになる。アルバイトは、ヤル気がなく少々頼りないが、段々と周囲の人の勝手気ままな言動に呆れ、一方主人公の真面目な性格などに心が動かされる。アルバイトという中途半端な気持から、死者と残された人の気持に寄り添う葬儀の仕事に遣り甲斐を見出すという成長の姿が描かれる。

葬儀という儀式を通じ一人ひとりの人間性を炙り滲ませる演出は見事であり、同時に第三者(葬儀社の社員-アルバイト)を巻き込んだ成長、一種のサクセスストーリーは仄々とし心温まる公演であった。ラスト、死神ならぬ別の正体が明かされ余韻が…。

次回公演を楽しみにしております。
np tempo(ナップテンポ)

np tempo(ナップテンポ)

!ll nut up fam

萬劇場(東京都)

2018/01/26 (金) ~ 2018/01/28 (日)公演終了

満足度★★★

1月にクリスマスというシチュエーション、時季外れであるが描きたい内容は…。一見もっともらしい主張であるが、果たして描かれているような心を持ち続けていられるのか、と思うような疑問が生じた。
公演全体は、子役も出演しファンタジーの雰囲気が漂うが、アクションシーン等はエンターテイメントとして楽しめる。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、全体的にピンク色、中央に2~3段の段差を設け、その上下動作によって躍動感を演出する。中央に出入り口があり、その左右にクリスマスツリーが飾られ、さらに両壁に非対称にツリーが置かれている。それを電飾点滅させ美しく柔らかい雰囲気を漂わせる。

梗概…白衣を着た青年の独り言…ナップ研究所に勤務している。この研究所は不思議な出来事を科学的に解明することだが、どうしてこの職業を選んだかは忘れたと言う。サンタクロースを中心にトナカイとスピナ?で構成された世界がある。最近のクリスマスは子供の夢ではなく、大人が楽しんでいるだけのようだ。サンタクロースはクリスマスが夢を語るものではなく、現実の商業ベースでしかないといった最近の風潮を嘆く。自分の存在・活躍する意味を問うような問い掛け。一方、スピナは人間界へ行ってみたいという望みがある。唯一、サンタクロースが持っている人間界へ通じる鍵を手に入れ…。場面転換し、某所で27歳の男女が語らっている。そこへスピナが現れ、子供(12歳)の時の気持を思い出させる。スピナはこの人間達の化身(童心)であり、社会の荒波に翻弄され、夢・希望を見失っている今こそ、子供の頃の純真なそして希望に溢れる心を取り戻させる。イメージとしては、サンタクロースがいる天上界のような所から下界を俯瞰し、地上に舞い降りた天使の如くである。スピナとの交流を通じて童心を思い出し、希望を持って生きていこうとする姿。そして何故、ナップ研究所で働いているのか、自分自身の初心を思い出す。

クリスマスを通じて、荒んだ人の心を再生する、そんな姿を見せるヒューマンドラマ。しかし、契機がサンタクロースの愚痴のような繰言が気になる。クリスマスは主に子供(童心)のためと言うが、たとえ商業ベースで本来のキリストの誕生を祝うという宗教色が薄れて別の意味合いを持ったとしても…サンタクロースの存在意義、その思惑は何も子供でなくても良いのではないか?「サンタクロースは煙突からではなく、心から入る」という台詞からすれば、全世代に向けたメッセージの発信、そのうち子供に的を絞った描き方のほうがシックリした。

サンタクロースがいる世界は格差(階級)社会のような…。サンタクロースを頂点にトナカイ(その中でも序列がある)、スピナ(同様に順位付け)がピラミット型に構成されており、人間社会と変わらぬ、いや日本では少なくとも制度的に階級制(実質的な格差は感じる)はないので、それより劣っているようだ。
演技、特にトナカイとスピナがサンタクロースの鍵を巡って戦うシーン、そのアクションスピードや拳の空を切る効果音に迫力があり観応えがあった。

次回公演を楽しみにしております。
パラダイスロスト

パラダイスロスト

TIARA-FRONTIER Presents

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2018/01/25 (木) ~ 2018/01/28 (日)公演終了

満足度★★★

物語としては、映画等で見かける内容(「学校の怪談シリーズ」等)で意外性は少ない。怪談ものではあるが、ホラーというよりはファンタジー要素が含まれた冒険ジュブナイルものといった趣きもある。またノスタルジックな雰囲気もあり大人層にも支持されるかもしれない。
思春期における揺れる不安定な心の在り方、誰もが通過するかもしれない迷いや悩みを不思議な出来事(学校の7不思議の1つ)を通して描く学園ドラマ。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは、教室、上手側に立方体の角面を客席側に張り出させ、その上部を骨組みだけにして屋上を出現させる。下部に鏡が飾られ、その中は別次元へ通じるらしい。その案内人が”3階のシホさん”という呼び名で、学校では伝説化している。

梗概…平凡な学園を舞台にした平凡な日常。そんな毎日から抜け出した少女、ミチル。彼女を探すため、親友のサオリは”3階のシホさん”と出会う。行先は別の世界で、パラレルワールドを思わせる。
自分が何者かを探す旅の途中で出会う大切な人たちを忘れないでほしい。迷い込んだ、もう一つの世界で経験する出来事が、今(元)の世界を別の視点から眺められる。

高校3年生という将来(進路)の選択に揺れる時期、不安・焦燥・虚無・希望等のいろいろな感情が自分の意思とは関係なく表れる。その制御が難しい感情を別の世界の自分と置き換えた時、今の自分の情況が見えてくる、という心理劇のようでもある。現実に直面している不安定な感情、それを乗り越えて未知の世界(鏡)の中へ飛び込む。先にどのような世界が待ち受けているのか、想像出来ない場所に立ち向かう。その姿こそ、将来をどのように切り開いていくのか、現実の世界から逃避しそうな気持を未知への探究心が勝る、という展開は寓話のようでもあった。

演出は、特に今の世界へ呼び戻す、その還元シーンは圧巻であった。鏡の中には相当数の世界が作り上げられており、それを鏡の中へ入った高校生たち全員を同時に還元させることは難しい。ある一つの方法を試みるが、そのパワーを集中させる3階のシホさん(渡辺有美サン)の演技、それを支える照明と音響効果は迫力があった。
高校生の揺れる心情と同時に教師としてはどのように対応すべきか、その人間的な悩みも垣間見せる。個々の人間性と関係性は描かれるが、学校という組織は立ち上がってこない。学校内の伝説には目を瞑っていたのであろうか。学校の体面をどう取り繕うかという騒動があっても…。

次回公演を楽しみにしております。
楽園の怪人

楽園の怪人

トツゲキ倶楽部

小劇場 楽園(東京都)

2018/01/24 (水) ~ 2018/01/29 (月)公演終了

満足度★★★★

普遍的なテーマ(平和、人権←男女平等など)を親子5代に亘って受け継がれた秘密を紡いでいく物語。その血筋を巡っての家族の話を縦軸とし、太平洋戦争中の戦局を一変させる発明を進める科学者の傷害事件(江戸川乱歩原作「偉大なる夢」をモチーフ)を横軸として、それを交差させて描く。奇妙な構図の中に普通の人々の暮らしを描き込む。

「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」とはフランスの生化学者・パスツールの言葉だったような。公演では、同じ国内において発明の兵器化を急務とする考えと兵器化そのことに疑問を呈する研究者の議論と対立を通して戦時下の状況を現す。どんなイデオロギーも過度な正義はつねに危険であり、政治にすべてを集約させることは多様性を失うかもしれない。

公演は現代日本社会に強い警鐘を鳴らしているようだ。同時に推理劇としての物語性に妙味を持たせる。結果、発明グループのリーダーの真の目的とは…。物語の発想の豊かさに驚かされるが、同時にトツゲキ倶楽部の特長、独特な人間模様の可笑しさに推理要素を加えエンターテイメント化して観(魅)せており楽しませる。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台セットは、会場出入り口の対角の角隅に一段高くした小スペース。そこに机・椅子(上演前は演出も担当)に横森文サンが座っている。また別の場所で丸椅子に高橋亮次・関洋甫サンが座り、何やら資料を読み込んでいる。上演後は、別スペース以外は素舞台で役者の演技力で物語を紡いで行く。一人ひとりの場面に応じた高揚と抑制の効いた演技は安定し、バランスの良さ、テンポの心地良さと相まって充実していた。

梗概…五十嵐東三博士の大いなる夢は、東京・ニューヨーク間を5時間で飛ぶ超高速機の試作であった。軍の援助で長野県某所で、博士を首班とする秘密開発(試作)班が集まった。そこに怪しい人影、怪人物はスパイか!?博士は何者かに頭部を殴打され重傷。
当日パンフ、脚本の飛葉喜文氏によれば、時代背景から「原作は戦意高揚的傾向があったようだが、そこで生きた人々に興味を持って膨らませたら戦意高揚とは真逆のドラマが立ち上がってきた」と記している。そこに明智小五郎と怪人二十面相の立場・役割を逆転させて表現するところは、原作以上に奇想でありアイロニーを思わせる。

先の最新兵器の開発を巡って国家(軍部)利益を優先させるために早く完成させたいが、中心人物の五十嵐博士が何者かに重傷を負わせられる。新兵器の早期完成(国家利益優先)とそれに疑問(平和思想)を呈する研究者の苦悩。そこに五十嵐博士の家系(代々に亘る血脈)の秘密_スパイ容疑が絡み物語が重層さを増していく。米国は新開発の計画妨害のためにスパイを送り込んだとの噂が広がるが、その真偽は…。そして博士を傷つけた犯人は誰か?事件の真相は明智探偵によって解決される。

明智自身が実は怪盗二十面相だったというオチを付ける。真の明智探偵は登場しないが、怪盗二十面相の説明によれば、国家(軍部)の依頼事で忙しいとのこと。正義である明智探偵が戦意高揚側に位置し、反対立場(国家の敵-犯罪者)である怪盗二十面相によって事件が解決されるという皮肉。現代社会にも通じる問題を鋭く批判、それを教訓臭にならないよう(ブラック)ユーモアに包んで娯楽として観せる演出は見事であった。

次回公演を楽しみにしております。

このページのQRコードです。

拡大