タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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月はゆっくり歩く

月はゆっくり歩く

シアターノーチラス

新宿眼科画廊(東京都)

2017/11/23 (木) ~ 2017/11/28 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

人の嫌らしい部分(暗部)を抉り出すような物語。常識、真実として疑わないこと…そこにある漠然とした疑問、間隙を突くような問いを観客に投げかけ一気に物語に引き込む手法は見事である。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

セットは廃屋内、上手・下手側にビールケースが積まれ、ダンボール箱、ゴミ袋などが散乱している。そこに次々と人が集まり、常識では考えられないことを言い合う。登場人物の1人はまーさん(浜谷優斗)のTwitterで"2番目の月が見える人、集まりませんか?”の呼びかけで集まった人々(男女7人)の奇妙にしてエゴイスト的な行動が表面化してくる怖さ。

人々が持っている心の闇が次々と明らかにされるが、それを恣意的に利用する人も現れる。物語は見知らぬ人間関係を奇妙に描く濃密な会話劇。軽妙・淡々としたリズムから耽々とズバッと切り込んできたり、人の出入りに伴って予想を大きく越える方向に展開したりして関心を惹きつける。何が常識で非常識なのか、その鬩ぎ合いも見所。

2番目の月が見えること、その思いを吐露することによって異常人扱いされる。そんな似非不安を抱える人達が真の目的を果たそうとした瞬間、別の意味で異常が倍加する怖さ。物語が突然違う様相をおび、嫌な人間の集まりに変化していく。自分本位で自分のことしか考えない人達が多く出ている物語であるが、抽出された”嫌な感じ”がそれで終わる訳ではなく”考えさせる面白さ”に変換されて行く。

作・演出の今村幸市氏が当日パンフで「今回の芝居ではTwitterがひとつの役割を果たします。物語の前面には出ませんが、じつは重要なアイテムです」と記している。神奈川県座間市の事件を意識しているらしい。SNSはヴァーチャルな体験をリアルな出会いに変える。そしてサイコパスはネットワークを利用することで、悶々と悩みを抱えた人間を効率よく勧誘できるらしい。
実際あった事件を見据えつつ、公演では共同幻想、集団催眠、狂気、魔術あるいは詐欺か。戸惑いや不安という状況を「見えないはずのものが見える人々」に設定しての会話劇の行方は…。
次回公演を楽しみにしております。
RISE ~unit of brand new choose~

RISE ~unit of brand new choose~

super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船

萬劇場(東京都)

2017/11/22 (水) ~ 2017/11/28 (火)公演終了

満足度★★★★

新撰組の内部事情、隊員の心情を中心に描いた物語である。本公演は「江戸試衛館編」「京都守護職編」の構成であり、自分は「京都守護職編」のみ観劇した。池田屋事件、禁門の変など新撰組として関わった出来事、新撰組内の人間(対立)関係や隊員自身の葛藤が心情豊かに描かれている。
テンポよく描いているが、それでも2時間20分の大作である。

ネタバレBOX

障子で囲まれた部屋…駐屯地の道場または隊員の部屋をイメージさせる。上手・下手側には立板塀があるだけの簡易な造作である。それは劇団の殺陣演技を十分観(魅)せるため、舞台スペースを確保するためである。もちろん段差も設えているが、今まで観た公演に比べ高低差はそれほどない。躍動感よりも人間描写を中心にしているためであろう。それは近藤勇も含め、江戸(試衛館)時代の呼び名、その親しみさに人間味が溢れる。京都における新鮮組=殺戮集団というイメージを、隊員内の物語にすることによって情緒性が描かれることになる。

池田屋事件と禁門の変の働きで朝廷・幕府・会津藩から感状を賜り、新たに隊士を募り、また近藤勇(清水勝生サン)が帰郷した際に伊東甲子太郎らの一派を入隊させる。新選組は200名を超す集団へと成長し、隊士を収容するために土方歳三(長内和幸サン)は壬生屯所から西本願寺へ本拠を移転する。このことに反対する山南敬助(矢野たけしサン)との意見対立と死別つ。

長州征伐への参加に備え、戦場での指揮命令が明確になる小隊制を組織。伊東らの一派が思想の違いなどから別組織を結成して脱退。新選組は幕臣に取り立てられるが、隊内も分裂する。
後年、近藤が新政府軍に捕われ処刑され、沖田総司(金村美波サン)も労咳のやめ江戸にて死亡。

新撰組史を辿りながら、隊員(本公演は近藤、土方、山南、沖田が中心)の江戸の試衛館道場時代を懐かしみながら、幕末という時代の奔流に飲み込まれていく姿を生き活きと描いている。
殺陣は交わる刃の効果音(SE)も含め緊迫感があり楽しめた。人物描写を効果的に観せるため、照明(時刻や時季)の工夫も印象に残る。

次回公演も楽しみにしております。
*

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engel(エンゲル)カフェ&フリースペース(福岡県)

1990/01/01 (月) ~ 1990/01/01 (月)公演終了

満足度★★★

チラシに作・演出は藤目怜子女史と記載されている。自分はどこかで観たこと、または読んだことがあるような気がした。
公演はストーリーらしきものはあるが、抽象的な感じで雰囲気は透明感というか淡々としている。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

基本的に素舞台。周りはカーテンのような幕で囲い、一瞬後ろ幕が捲くられ姿見が置かれているのが分かる。衣装は男性はサラリーマン風、少女は赤い服で腰あたりに襞(尾ひれ)のようなものがある。もう1人の女性は白い服、3人三様である。

全体的にはミステリアスな感じであるが、端的に表すとすれば”人間”と”金魚”(擬人化)の日常会話を通して淡い恋心を観ているようだ。登場は男、女、金魚であるが、この設定は室生犀星の小説「蜜のあわれ」(2016年には映画化)を連想する。小説(映画も同様)は、耽美・妖艶といったイメージである。犀星(闘病期)の理想の“女ひと”の結晶・変幻自在の金魚と老作家の会話で構築する艶やかな小説であった。
本公演は精神的で無邪気な浮遊感がある。若い男と赤い金魚、とめどない会話をし仲睦まじく暮らしていた。特に切羽詰まった感情は見受けられなかったが、いつの間にか若い男は素っ気無い態度をとる様になる。自分以外の存在に興味を抱いたかのようである。そして自分の姿はもちろん、魅力にも気が付かない金魚、それでも別の姿(視点)から己の正体を気づかせるような展開である。

役者の演技は、その存在感と立場を現していたが、物語性や特別な演出が見られず印象が薄くなったのが残念だった。
次回公演を楽しみにしております。
火山島

火山島

劇団演奏舞台

九段下GEKIBA(東京都)

2017/11/25 (土) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★

物語は、舞台を3分割してオムニバスを入れ子構造のように展開させ、深層を抉るように紡がれる。テーマ性が色濃く観客に訴える公演。タイトル「火山島」は日本のどこかの島ではなく、日本という国そのものであり、テーマは国へ警鐘を鳴らすもの。消え入るような闘いの灯は、時を越え鮮烈な光として蘇ってくるのだろうか。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

上手・下手側にそれぞれ大きな台座のようなスペース。中央は廊下のようで奥に段差があるスペース。上手側の登場人物は老女と孫娘、漁で生計を立てているようで、老女は網を編んでいる。下手側は商売を営んでいる夫婦。中央は風車守をしている老男、亡き妻が、その取り壊しに抗議している。

3場面は、時代や設定の共通点は観えないが、ラストにはそれぞれの主張が同じ方向に向いていく。老女と孫娘の会話…老女の憂いは環境問題等もあり漁村の生活は厳しい。”砂山が動く(崩壊)”という言葉には、太平洋戦争で英霊になった人々の墓が埋没していく危機感の表れ。孫娘は村の活性化のため駐留軍の誘致を言い出す。まさしく軍需活況であり、意識の違いである。
下手側は、妻は戦争中に敵の攻撃から逃げ回るうち、赤ん坊が泣き出し居場所を察知されないよう沼に沈めて殺してしまう。夜な夜なその悔悟に悩まされるが、夫は止むを得なかったと慰める。今は娘たちも生まれるが…。忘却への懼れとも見て取れる
中央は風車を取り壊して、その跡地に原発を誘致する。その地で風力エネルギーを担ってきたが時代遅れといった感で描かれる。この風車守の男は妻を早く亡くしたが、3人の男の子を育て上げた。しかし戦争で…。

3話から反戦・反原発への問題提起が浮かび上がる。必ずしも相互に緊密さは感じられないが、それぞれ単独話(2人会話劇)としても十分説得力のある内容である。演技は、抑制された素晴らしいものであるが、キャストによって力量の違いが観え感情移入がし難くなったのが少し残念だ。
この劇団の特長は、生演奏の迫力と心地良さであろう。今回もその魅力を十分堪能した。

これらの話によって理不尽な社会状況が重層的に浮かび上がり、何時マグマが爆発し人々を暗澹たる気持にさせるか、そんな予兆を思わせる不気味な状況を描く。そこに現代日本の姿が垣間見えてくる。ラスト、孫娘が「今度の戦争はいつ起きるの?」には戦慄する。

次回公演を楽しみにしております。
ネイティブ・バラエティ!

ネイティブ・バラエティ!

劇団金馬車

キーノートシアター(東京都)

2017/11/23 (木) ~ 2017/11/25 (土)公演終了

満足度★★★★

プレミアムフライデーの日に観劇。ジグソーパズルのように散らばったピースを回収し、物語として収束させていく過程は見事であった。少し荒削りといった印象を持ったが、確かに”力”は感じた。プレミアムかどうかはさて置き、観てのお得感はあった。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台はほぼ素舞台、シーンに応じてBox椅子を運び入れるなど、必要限の物で観せる。また分割映像等を利用し、それを見せている間に着替え場面転換を図るなど観客の気を逸らせない工夫は巧み。冒頭は人形劇や歌唱シーンがあるが、何となく学芸会風で失望してしまいそうだが…。全体的に序盤は拙く緩い感じがするのが残念だ。ラストの歌謡シーンへ繋げたいという思いは分かるが…。
しかし、地方(地元)から東京へ上京してきた以降、登場人物ごとの生活を描きながら某事件に巻き込まれていく、その場面あたりから魅力的になってくる。

物語は、都会と田舎の違いを上手く利用(表現)することで、都会(東京)での暮らしに人柄が変化する様を多方面から見せる。具体的には登場人一人ひとりを主役のように扱った小話を交錯させ、それを収束させる構成は見事であった。

梗概…故郷での祭りで神様への祈願事。仲間5人(幼馴染)が一つで(仲良く)いられること、それが東京と都会での暮らしの中で変わっていく。いつの間にか気持ちがバラバラになり、人の道から外れるような行為を平気で行うようになる。例えば某国会議員が秘書に向かって「このハゲー!」と叫ぶなど時事的、それ以外に童謡詩人・金子みすゞ計画(詩「星とたんぽぽ」の一節だろうか)、TV番組「ごくせん」(主演:仲間由紀恵)や戯曲「熱海殺人事件」(つかこうへい)での口調、口跡の洒落、パロディを多く盛り込み滑稽に描くことで鋭い批判をオブラートに包み込む。また東京の秋葉原、上野、渋谷等の地名と登場人物の色々な演出手法を駆使し、観客に楽しんで観てもらおうという思いが伝わる。東京という地の象徴である「東京タワー」での(事故or事件)死は、収束させる方法として推理仕立ての展開として関心を持たせる。

軽妙な会話の裏にテーマの社会的問題・普遍性を忍ばせ、若手演技陣のパワー、演出・構成の巧みさで実に興味深く見せる。都会の人が田舎に抱く憧れは理想・抽象的で、田舎の人が都会に向けて持つ野望・欲望は具体的であろう。それを祭り、願い事と不祥事、事件という対比で見せる。
ラスト、SMAPの「世に一つだけの花」の歌詞に物語のテーマが…。

次回の公演を楽しみにしております。
青森県のせむし男

青森県のせむし男

B機関

ザムザ阿佐谷(東京都)

2017/11/22 (水) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

天井桟敷の上演第1作。上演前から怪奇的な雰囲気が漂い、錫丈が鳴るような音、不気味な風音が阿佐ヶ谷ザムザという劇場内にピッタリとしていた。
(上演時間2時間)【◆チーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、段差を設け後景に大きな扉、そのイメージは古びた額縁。両側には高い位置から段通風の幕が吊るされている。下手側には蔦が絡まった鳥籠、その中に女学生(女浪曲師、ストーリーテラーの役割)が鎮座している。

物語は、青森県の名家、大正家の跡取り息子に手篭めにされ子を孕んだ女中マツ。世間の目を恐れた大正家ではマツを嫁として籍を入れるが、生まれてきた赤子が肉のかたまりのようなせむしであったため大正家は下男を使って赤子を闇に葬った。生まれた子、その存在が無かったことにするため、戸籍(大正2年7月10日生)を抹消する。しかし、生まれた事実は抹消できず30年後、マツが女主人となった大正家に謎のせむし男・松吉が現れるが…。説明を鵜呑みにすることなく、観客自ら感じ考えさせるような公演。

親子の確執、女の情念、子の思慕という人の本質とも言える感情を抉るようだ。母・息子という親子関係がなければ、単に女と男という”禁忌の性”関係が浮き上がる。そこから見えてくる欲動という行為が物悲しく映る。
生まれてくる赤ん坊の背中に母の肉で出来たお墓を背負わせ、醜いせむしの男(息子)を通じて大正家に復讐しているのだろうか。しかし、憎むべき大正家を継いだ自身が、家制度を固守する矛盾に陥る。
公演は「古事記」を引用しつつ、歴史の陰・陽や人間の内・外を表現する。史実に記された事実、一方闇に葬られた真実。人の外見・行動と心に秘めた深淵を大正家の家史とそこで蠢く人間、存在(陽)のマツと闇に葬られた(陰)の松吉に準える。その展開は、回想シーンに拠るものではなく松吉30歳になった現在だけで描き切る。その30年に別の挿話…戦争、差別などの不条理を独特な表現(デフォルメ)として観せる。例えば義眼、義手という不具者のような者を登場させる。それを嘲るシーンをギミック・フェイクとして滑稽に茶化すところなどはシュールだ。また松吉と鳥篭から出てきた女学生が踊るシーンでは緩い笑いを交え、怪奇な雰囲気の中に和みを入れ込む。

物語に観える不条理は、その表現…演出の素晴らしさで際立ってくる。演出・点滅氏の身体表現、冒頭の同氏(役名:ヒルコ(棄神))の背中(肩甲骨)に描かれた羽絵を蠢かせる強靭・異様さに息を呑む。一方、女性2人(役名:巫女(狂女))の軽妙・嬌態という対比は印象付けという効果があるのだろう。
”舞踏的技法を用いた演出で新たな演劇の在り方を目指す”、その謳い文句はしっかり体現しており、実に観応えあるものにしている。 ラスト…蠢かせた背中、肉の塊が白鳥の羽のように生え変わり、羽毛が天から舞い散るシーンは、醜から美へ昇華されたかのようだ。

次回公演を楽しみにしております。
グランパと赤い塔

グランパと赤い塔

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2017/11/18 (土) ~ 2017/11/27 (月)公演終了

満足度★★★★★

「雨と猫といくつかの嘘」の時同様、本公演でも観劇後は雨が降り出した。太宰治の小説「富嶽百景」に 「富士には、月見草がよく似合う」の一句があるが、吉田小夏女史の世界は雨が似合うのかも知れない。その”しっとり”感は情緒豊かで観終わった後の余韻が実に心地良い。
ちなみに、物語には「月」も出て来るし、「月見草」は竹取物語を表現していると云われ、その意味では宇宙も登場する。しかし、言葉のイメージが持つ浮遊感はなく、どちらかと言えば地に足が着いた物語である。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は上手側に洋室、中央に廊下とその先には二階への階段がある。下手側は和室。中央の廊下から和室前にかけて廊下もしくは縁側へ続くような回廊。二階部は場面ごとに自宅ベランダや外の道路をイメージさせる。冒頭のみ傾斜した三階部も出現させる。洋室には応接セット、和室(畳敷き)には木机・卓袱台・座布団・古い型のラジオが置かれている。もっとも、上演前には白い布が被せられており、その存在は物語が始まってから観ることになる。この布は、演出上重要な役割を果たしており、観終わってから合点する。

時は昭和44年。物語は高杉ともえ(高校3年生)が、母:貴子・妹:幸子と祖母の一周忌法要のため生まれ育った家に来たところから始まる。彼女の視点を中心として見る家族とその時代。今はお手伝いしか住んでいない家を処分する。この家に居た頃、昭和33年(小学1年生)へ遡る。その頃は祖父母、父母、お手伝い2人、さらには祖父が経営する会社の従業員3人、運転手も同じ敷地内に同居。そしてタイトルにある赤い塔(建築中の東京タワー)の工事のため一時寄宅していた男性と私、計12名と賑やかである。物語の別の主人公は、この”家”と言えるかもしれない。

昭和33年…戦後から13年を経ているが、戦災の爪痕をしっかり織り込んでいる。一方、電波塔の建築、それに携わる人々の暮らしや何気ない会話(戦時中の苦難からアポロ11号の打ち上げ等)を通して、時代の流れが見えてくる。過去と現在は地続きであり、家はその時々の時代背景を見ている。Grandfather(グランパ)が、ともえに買い与えた天体望遠鏡。そのレンズを通して見る宇宙は暗闇、しかしその先に僅かな光明が…それは”希望”という光だと言う。繁栄(タワー)であり平和(反戦争・原爆)を意味する。また当時の夫婦関係(亭主関白)について、直接的な”声が聞こえる”と”気持が伝わる”を日常会話に溶け込ませるという伏線で描き、夫の戦地からの手紙に結びつけ余韻を残す。

昭和33年と44年では家にある調度品が異なる。それを白い布(一周忌法要の白引き布?の意味もある)で目隠し、観客に時代背景の混乱をさせない細やかさ。また舞台美術は、骨格(柱)にすることによって、家の概観を見せつつ、客席のどの位置からも演技が観える巧みさ。その演出が独特の空気感を漂わせる。また演技は、役者一人ひとりのキャラクターが立ち上がり、繊細で瑞々しい会話、生き活きした動きの中に逞しい市井の人々の暮らしが感じられる。ラスト、鬼籍の人々が現れ優しく18歳のともえを見守る。
「富嶽百景」は、疲れた魂が富士と向き合う事によって再生する物語だったが、こちらは、ともえが進路で悩んでいたが、東京タワーと向き合い小学生の時の夢、国際ジャーナリストを目指すのだろうか。

次回公演を楽しみにしております。
RUIKON

RUIKON

アロック・DD・C

アロック新宿アトリエ(東京都)

2017/11/20 (月) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★

ダンスだけで物語を紡ぐというコンセプトの下、その難解さを少なくするためチラシはもちろん、上演前の舞台上の衝立にも古書風に見せた説明(あらすじ)書きがある。
その説明により筋立ては理解しやすく丁寧な感じがする。一方、観客はその筋立てにダンス表現を当てはめることになり、物語のイメージがある程度誘導されるのではないか。観客一人ひとりが持つイメージを狭め、心象の自由度が少なくなったように思えたのが残念。
ダンス、それによって表現される物語はしっかり寓意を含み、タイトル通り宗教色の濃い作品になっていた。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む)

ネタバレBOX

舞台は暗幕で囲い、上演前は先に記した古書風の説明文が書かれた衝立のみ。物語が始まると衝立を回転させ、赤布が両端から無造作に掛けられ、中央に不可解な文様が見える。同じようなものが上手側の暗幕にも取り付けられている。一瞬、月が欠けているような、また歯車が壊れたようにも見える。その漠とした形が不気味さを表し、物語の印象付けにもなっている。

梗概…魂をふきこむ事のできる錬金術師によって、オートマタ(自動機械人形)は異世界のねずみと変わらぬ暮らしをし、子を生み家族を持つこともできた。しかし、人間社会同様、貧富の差があり財力でオートマタを差別することもあった。富豪だが孤独な雌ねずみ(カギヌワ)は唯一、子ができぬ事が悩みであった。そこで財力をもって雄ねずみと交尾する。そしてその毒牙が、貧しいながらも幸せなオートマタの家族(父親:テテ)に向けられた。 物語はカギヌワと一組の家族が交錯する寓話というもの。

演者はねずみをイメージさせる化粧、衣装も灰・黒2色を基調としており、紐で尻尾を作っている。貧富の差は衣装の色(富豪は赤色も着用)で表す。観せる工夫、それはダンス表現にも表れていた。特にラスト近く、暗闇でペンライトを点滅させながら群舞する光景は、鬼火のように見え魂魄にも思える。ペンライトに照らし出される姿は、まさに”イコン画”のようだ。その時に流れる音楽も宗教曲で荘厳な感じである。演出は照明・音響等も含め宗教色の濃い作品にしているのが特徴である。その意味では”宗教画をダンスで再表現または再構築”しているようだ。
少し分り難いのが、道化師の役割とオートマタのペンダントのような意味は何か。そしてカギヌワとテテの子・モナキリの誕生は、無理やりの「生」というか「聖」に繋がり、神への冒涜とも受け取ることもできるような…。

物語は説明文を当てはめて観れば、容易に内容は理解できる。その意味では説明過多になり、観客がイメージする世界観が狭くなる。台詞のない身体表現のみで紡ぐ、そんな謳い文句であれば、もう少し説明内容に工夫があっても良かったのではないか。とは言え、少なすぎれば抽象的になりすぎて物語性が理解できず、面白みが失われてしまう。その匙(さじ)加減が難しいと思うが、この公演の生命線(楽しみ)はそこにあると思う。

次回公演を楽しみにしております。

 唱劇「レコードに刻まれた唱 - Victor 春香」

唱劇「レコードに刻まれた唱 - Victor 春香」

駐日韓国文化院

駐日韓国文化院ハンマダンホール(東京都)

2017/11/16 (木) ~ 2017/11/17 (金)公演終了

満足度★★★★

韓国では有名な春香伝、その実演を録音してレコードにする、その過程を1937年という時代を背景に描いた珠玉作。当時の技術では、レコードは数分しか録音できなかったらしい。春香伝は3時間を超える大作らしく、それをどう収録していくか、人々の知恵と苦労が垣間見えてくる。もっとも公演は、裏方作業よりも春香伝というドラマの魅力を伝えるという観せ方である。その意味では劇中劇と言える。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

中央に集音マイク、その後ろに腰高の横長台が置かれている。収録に参加しない、出番待ちの人達の控え場所といったところ。上手側には洋楽器、下手側には小太鼓(つづみ)という和洋の楽器を奏でながら物語は展開していく。衣装は洋装・韓服など違う衣装を着て、目を楽しませてくれる。1900年代、蓄音機の普及により現場でしか聞くことが出来なかったパンソリをどこでも楽しめる大衆芸術に発展させ、当時の名唱たちはレコードを通じ、爆発的人気を博し全盛期を謳歌した。

春香伝…府使の息子・李夢龍(イ・モンニョン)と、妓生(キーセン)である月梅(ウォルメ)の娘・成春香(ソン・チュニャン)は、広寒楼で出会い愛を育む。しかし、父の任期が終わり、夢龍は都に帰ることになる。夢龍と春香は再会を誓い合う。新たに赴任した卞(ピョン)府使は、春香の美貌を聞きつけて我がものとしようとするが、春香は夢龍への貞節を守ることを主張して従わない。激怒した卞府使は春香を拷問し投獄する。一方、夢龍は科挙に合格して官吏となり、暗行御史として潜入してきた。夢龍は卞府使の悪事を暴いて彼を罰し春香を救出する。二人は末永く幸せに…。

時と場所は、1937年の某日・日本VICTORレコード社の録音室。当時の名唱たちが集まった。そこに集まった名優によって春香伝が演じられ、それを収録している。春香伝を一気に演じきるのではなく、場面を区切り、その合間を設けることによって収録しているという本筋に意識を戻す。春香伝のイメージは、濃密な恋愛(感情)と悪弊な社会(制度)という異なった観点から成るようだが、録音室の様子は明るくカラッとしている。

物語の構成とそれを印象付けて観(魅)せる工夫、また演じている役者一人ひとりのキャラクターが魅力的で室内が、緊張・優雅そして微笑ましい雰囲気に包まれているようだ。当時を思わせる場面として、レコード録音完成を祝って集合写真を撮るシーンがあるが、その一枚が貴重であると思わせる。人の記憶に残る記録が出来たという達成感が、写真撮影をイメージさせる照明(照射)枠に収まったポーズに表れていた。
「15」

「15」

雀組ホエールズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/26 (日)公演終了

満足度★★★★

建前と本音、制度と心情といった対立しそうな軸を鮮明にすることで、問題の所在を明らかにして事の本質を鋭く突くような物語。しかし、観せ方は喜劇仕立てにすることによって楽しませながら考えさせるという巧みなもの。実に面白い。
物語は予定調和か、はたまた以外な結末か…。

ネタバレBOX

舞台は「SUZUME BANK」の某支店内。上手側に通路、正面奥が出入り口(閉店後はシャッター)、客席寄りにはクッション椅子数個、下手側に受付カウンターを設えロビーといったイメージ。床は白・赤・黒の太線格子模様、上手側壁には窓があり全体的に明るく、スラプスチツク・コメディのイメージと合致する。

物語はスクラム工業?の2人(社長と幹部社員:高校時代のラグビー部の先輩・後輩の関係)が新規技術開発のため融資相談のため来店しているところから始まる。結果は融資拒絶で社長は逃走してしまう。当時の金融背景として、ギリシャ国家破綻、大企業優遇の取り扱い等、典型的な銀行姿勢が描かれる。それから4年が経過した同銀行・支店で起こる事件を通して社会の理不尽・不道理、人の虚栄・無力を思わせる展開が次々に起こる。その都度、世の儚さと楽しさを輻輳して展開する。銀行強盗に押し入った兄弟、15歳の妹が拡張型心臓病で手術費用欲しさの犯行である。閉店間際(15時)にいた来店客を人質にして3億円を要求するが…。シャッターを閉めた後の行内は、一種の密室状態である。

人情に対して建前を主張する支店長の対応が当時の銀行の姿勢を如実に表している。自分で考えず、慌てふためき右往左往する支店長の姿は銀行の実態そのもの。コンプライアンス(法令順守)という尤もらしい説明は、銀行組織を守ると同時に顧客保護という謳い文句にもなっていると思う。義理人情で融資は実行できないだろうが、そこに知恵を絞ってという発想が求められるようになってきた。そんなことが最近の金融庁の行政方針(例えば、「ベスト・プラクティス」の追求)に見られるが…。そんな堅い話(金融庁、警察機構という国家権力との対峙)を軽妙洒脱なコメディとして観(魅)せる演出は見事。さらに冒頭の融資拒絶した真の理由を明らかにし、いつの間にか全員を善人のように描く、というヒューマンドラマ仕立てにホッとする。

次回公演を楽しみにしております。
穴ザワールド

穴ザワールド

発条ロールシアター

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2017/11/16 (木) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

”穴にはロマンがある”というのは劇中の台詞。何となく意味深であるが、穴ザワールドいやAnother World(外の世界)と捉えれば視野が広がる。外の世界を見てみたい、その興味というか欲求は人間の本能かもしれない。そんな面白さがあった。
さて穴の目的とは…。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

舞台は老朽化したアパートの一室。和室(畳敷き)の中央にミニテーブル、その上は雑然としている。周りにはダンボール箱が置かれている。
自称、小説家(志望)の男・コノシロ(江戸川良サン)が寛いでいるところに見知らぬ男・鯵ケ沢(加茂克サン)が闖入して自分の部屋だと主張する。実は家賃を半年も滞納し夜逃げした前の住人。どうしても同居したいと懇願するが、その目的は部屋の真ん中に穴を掘ること。そして掘ること数ヶ月、深さも数メートルになったが…。

何のための穴掘りなのか、その疑問が観客の関心を惹き物語を牽引する。同じように宅配便のスズキ(花見卓哉サン)も穴の中の事、欲の下心もあり強引に手伝う。たかが”穴”されど話の中心としての存在感を示す。そこに物語の不可思議な魅力がある。

部屋には、コノシロの別居している妻と暮らしている高校生の娘・新子(かどのまるサン)も出入りしている。学校では苛められているらしいが、父には友達との間に線があるという表現で説明する。父は親子であっても線はあると、やんわりと娘の悩みを聞く。ギャンブル好きで不真面目と思える父親だが、杓子定規ではない態度が心地良いのかもしれない。ちなみに別居している妻の仕事は弁護士だという。少し強引だが、穴の意味や父親の威厳というよりは、その存在自体が重要だという描き方である。

コノシロの飄々さ、鯵ケ沢の仄々さ、スズキの熱量、新子の溌剌さ、そして時々突っ込んでくる大家のイワシタ(則末チエサン)の演技が、物語を生き活きとさせている。ドタバタ騒動だけではなく、大家以外の人が台風の夜に肩寄せ合い毛布に包まって話をする。その少し不安な姿が、何となく微笑ましく滋味さえ覚える。また畳を返し穴から出てくる、後幕を捲り地中の岩場を見せるなど、観せる工夫に観客サービスが感じられる。

さて、穴堀りの目的は…徳川埋蔵金、日本の裏側(ブラジル)まで掘り進めるか?いくつか荒唐無稽な紹介がされるが、答えはなし。観客の心に委ねた”ロマン”ということだろう。

次回公演を楽しみにしております。
秋来にけらし

秋来にけらし

もぴプロジェクト

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2017/11/17 (金) ~ 2017/11/21 (火)公演終了

満足度★★★★

下平康祐、椎名マチオの両氏が紡ぎ出したテクストは、役者の熱演、心情豊かな演技によって観客の心を揺さぶる。少しネタバレするが、物語はある事情で集まった男女6人が自らの思いを語る、3話オムニバス+αの構成で描かれる。秋深まってきたこの時期にピタッリの公演である。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは廃屋または木材・資材置き場といった場所。そこに見知らぬ男女が次々と集まってくる。全員で7人になるらしいが、最後の1人がなかなか来ない。ある目的で見知らぬ者が集まる、そのミステリアスな(状況)説明は最後まで明かされないが、何となく「死」を想像させる。雑然と纏まりのない部屋が心の荒んだ様子を表しているようだ。描写(舞台美術も含め)による伏線の張り方は巧い。

さて、最後の人物が来るまでの間、自分の思いを語り出す劇中劇という構成である。
第1話は、猫が虎と思い込んで巻き起こす滑稽にして哀切漂う物語。一人芝居の熱演であるが、少し冗長と思えてしまい残念。
第2話は、三好十郎の「妻恋行」。田舎のバス乗合所を人生の交差点に見立てた人間模様。バスを待つ間に交わされる男女の身の上話から、それぞれの苦悩が明かされる。細やかにして心情豊かな演技。子供(赤ん坊)のためにも力強く生きて行こうとする姿が感動的である。この話には全員が登場する。
第3話は、オー・ヘンリの短編小説「最後の一葉」(邦題)。病に伏している友人を励ますために、窓から見える木の葉を”生”に準えて…。3人(女優2人、男優1人)で演じられるが、基本的には女優2人芝居で、状況と心情の変化を上手く観(魅)せていた。

秋の夜長に語られた話を通して「死」から「生」へ。そんな気持の変化がしっかり観てとれる心象劇(これがベースにあたる+α)のようだ。「生きる」に疲れた若者たちが自らの話によって再び生きてみようと思う過程、それを直截的な表現にせず「もう少し待ってみよう」という台詞に光明が差すようだ。衒いがなく鷹揚のある俳優陣の演技が脚本の真情を伝えている。その観せ方は各語りに違い…一人激白、俚言の心情豊かな響き、美しい風景画を思わせる情調等、工夫した演出(下平氏)が素晴らしかった。

次回公演も楽しみにしております。
棄てられし者の幻想庭園

棄てられし者の幻想庭園

中二病演劇集団Schwarz Welt

中野スタジオあくとれ(東京都)

2017/11/17 (金) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★

当日パンフの副題「公式解説書」…そこには「本作品をよりお楽しみ頂くため、ぜひ公演前に本書をお読み下さい(著者:雪名ひかる)」と書かれている。それだけ難解であるのか?さらに「作者からの言い訳」なる文も掲っている。
公演全体は”ストーリーゲーム”の異世界をダークファンタジー風として舞台化した、そんな感じの展開である。何となく寓意、教条的なことが垣間見えるような気もしたが…それこそ中二病のように背伸びした妄想かもしれない。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットはほぼ素舞台で、白いBOX椅子がいくつか。場面状況によって組み替えソファーにしたりする。
物語冒頭は事故死を思わせる。その先の世界観は死後と捉えていたが、当日パンフの言い訳からすると「現実世界を舞台に能力者が活躍する話」のようだ。この二次元世界=ギルド(日本には5カ所あるらしい)は民間からの危険な依頼を解決する組織の総称。そして本作では理不尽な死を無くすために暗躍するらしい。そこで活躍する人物は個性豊かなメンバーであり、それぞれ異なったスキルを持っている。そのスキルを駆使してこの世の理不尽な死を無くす行動をしている。本作品の主な舞台は「幻想庭園(ファンタズマゴリア」というギルドの一つ。

主人公アカネがこの世界に来て、色々な人物との交わりを通じて理不尽な死を感じているが、自分自身の存在が忌み嫌われているような。その浄化を果たすため、交わりを結んだ者たちとの対決。その過程を通じて真の自分を取り戻すといった内容であろうか。
初めの世界観の不可思議さ、浮遊感そのものが現実離れしたイメージを漂わす。また各能力(スキル)も魅力的であるが、その表現が十分観客に伝わるだろうか。

作者自身でも、設定もメッセージも盛り込みすぎたと書かれている。その分旨味はギュッと濃縮しているとも。しかしその思いは具体的な世界観をイメージさせるまでにはならず、また魅力的な能力の発動自体も分かり難く残念。当初よりもシーンをカットして再構成したようだが、その分説明が省かれ分かり難くなったと思う。映像やマンガでの能力描写は容易いかもしれないが、演技でそれを表現させるのは難しい。この2つ(物語の再構成と能力描写)の難しさを克服し、しっかり伝えなければ公演の魅力が半減してしまうと思う。

物語の趣旨・内容は面白いと思うが、それを表現し伝え切れなければ勿体無い。役者の熱演だけでは、異次元という世界を描ききれないと思うのだが…。
もう少し「妄想」→「幻想」→「現実」の世界への移ろう風景・姿が見えると面白いだろう。
次回公演を楽しみにしております。
煙が目にしみる

煙が目にしみる

パンドラの匣

TACCS1179(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

火葬場で焼骨になるまでの僅かな時間の物語。白装束の男2人が軽妙に話しており、「死」という悲しみが感じられない。逆に葬儀という儀式を通して「生」の喜びを浮き彫りにした秀作。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

セットは、田舎町の火葬場。上手・下手側にそれぞれベンチ椅子とテーブル。脇には螺鈿細工の花瓶1つ。後景は桜の大木があり満開の時期。すこし散り始めているが…。

ベンチに2人の中年男性、野々村浩介と北見栄治が立ち話。白装束から2人とも死んでおり、これから彼らの火葬が行なわれる。客席後方から2人の家族たちが、斎場に入ってくる。野々村家は妻子と母、従妹夫妻と賑やかだ。北見家は娘らしき女性と男性の2人だけ。浩介の母、野々村桂は最近惚けてきた。その様子を眺める死者2人の会話に桂が入り込んできた。何故か桂には死んだはずの浩介と栄治が見える。本来、2家族が交わることはないのだが、野々村浩介の遺族への思いや野球部監督をした高校の甲子園での試合を効果音のように従え、一方、北見栄治は死に関する艶福エピソードを次々明らかにし「思い」という感情を交差させる。
遺された家族たちの思い、それに呼応するような死者の述懐、イタコのように生者と死者とを仲介する桂。火葬場に喜劇と悲劇が輻湊していく。

死者は、自然や現実とは異なる時空のようなところに行くだけ。生者と対話できる、と思うことによって死者と魂を通わせ合うことが出来る。カフカであっただろうか…「人は死後に独自の進化を遂げる」と言ったのは。それは生きている者が死者の影響を受けたり、意思を引き継いだりすることを意味するらしい。

桂を通して通じ合う思い…「体」は死んではいるが「魂」は対話している。「死」という普遍的なテーマを扱いながら、情緒に流されず乾いた視点で(家族を)見据える。そして満開の桜が明るい象徴として映え、その散る花びらに余韻が…。

次回公演を楽しみにしております。
三人義理姉妹

三人義理姉妹

年年有魚

駅前劇場(東京都)

2017/11/15 (水) ~ 2017/11/19 (日)公演終了

満足度★★★★

当日パンフでチェーホフ「三姉妹」から着想したと記しているが、内容的にはオリジナル作品のようだ。そしてパンフには顔写真付で役者名・役名が載った相関図があり丁寧で分かり易い。
本公演をもって一時休止するらしいが、この面白い芝居がしばらく観られなくなるのは残念である。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは、上手・下手側に障子戸(障子紙がない桟のみ)があり、上部には欄間。手前中央にソファー・横長テーブル、その後ろは奥行きのある空間で大邸宅を思わせる。特に調度品はないが、棚台に花瓶が置かれており、時期に応じた花(例えば夏=向日葵)へ生け変える。床は畳ではなく赤い絨毯イメージか。

物語は代議士であった亡父の一周忌法要。後継として立候補を目指す二男が、法要兼立候補表明の挨拶の練習をしているところから始まる。この家は独身の長女(中学校副校長)、長男(無職)と嫁(看護師)、二男(政治家)と嫁(主婦)一人娘(中学3年生)という、タイトル「三義理姉妹」が同居している。場面は大括りでみれば、先の法要(5月5日)、同年夏(8月8日)、そして11月中旬(17~18日)の3場面。この日付はテロップで説明する。
法要の場面を通して、この家族とこの家に関わる人物紹介をしていく。夏の場面は議員になった二男の政治家としての生活や反抗期?の娘との関わり、さらに姉の職場(中学校)の年下教師との恋愛、長男の不倫など姉・兄そして娘のそれぞれの騒動が面白可笑しく描かれる。もちろん政治家ならではのスキャンダラスな陰謀も織り込んで、議員という一般家庭とは違う要素を持ち込む。議員の妻は、その普通ではない家庭に対し不満と蟠りを爆発させる。

人生は思うようにならない、それでもその情況に応じて生きていく。自分自身に素直になるか、情況に順応するか、人それぞれの考え方・生き方であると…。チェーホフの「三姉妹」に登場するプローゾロフ家の三姉妹…希望や夢を失っても人間は生き続ける。それに通じるところが垣間見える。
その光景を時に掻き回しながら温かく見守るマダム、静かに制止するような家政婦の存在が妙味を出す。

作り込まず骨格だけのセットは、人間の本質だけを抽出するもの。和室仕様でありながら洋風のイメージを持ち込むのは、この家族の歪さを浮き彫りにする。その心象形成は見事である。

次回公演が早く観られることを希望しつつ…。
トロイア戦争

トロイア戦争

明治大学シェイクスピアプロジェクト

アカデミーホール(明治大学駿河台キャンパス)(東京都)

2017/11/10 (金) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★

物語は、「恋愛」と「戦争」という2大テーマで「個人」と「国家」という異なる観点で描き、それを上手く融合して叙事詩のようにして観せる。
脚本はシェイクスピアであるが、演出・舞台美術・技術はもちろん、衣装なども全て学生たちによって作られている。自分はあまり学生演劇は観ないが、明治大学のシュイクスピアプロジェクトの評判は高く、一度観劇したいと思っていた。
また、当日パンフでも説明しているが、この作品はシェイクスピア劇でも異色とされているという。日本での上演機会が少ないことから興味を持って観た。
(上演時間2時間30分 途中休憩15分含む)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央に段差を設け、その上部に大きな円柱が2つ間隔をあけ並び建つ、そのイメージは神殿であり高い城壁といったところ。上手側には同じような円柱が建つ台。シーンの状況に応じて移動し、神官の館などに見立てる。さらに上手・下手奥(後壁近く)に木片が乱立しているような。日本的な発想表現であるが、”塔婆”を思ってしまう。美しい舞台美術であるが、そこには7年にわたる戦争による死者へのメッセージ、疲弊した状況に対するアイロニーが込められているように思える。

物語は、トロイとギリシャ連合軍によるトロイ戦争が始まって7年。トロイ王プライアムの末王子トロイラスは、神官の娘クレシダに恋焦がれている。クレシダの叔父パンダラスにより二人は結ばれ愛を誓い合う。しかし、トロイを裏切りギリシャ側についた神官は娘のクレシダとトロイの将軍との捕虜交換を求め、クレシダはギリシャに引き渡されてしまう。一方、トロイ王の長男ヘクターは膠着した戦況を打破するためギリシャ陣営へ一騎打ちの申し出を伝える……。

本公演は、戦争という「戦い」と、駆け引きや裏切りが渦巻く男女の「愛」の二本柱からなる。さて「愛」は奪略愛の他、純愛から擬愛・偽愛へ変化するようでもある。話の背景は悲劇的であるが、愛のシーンでは客席からトロイラスがクレシダとダィアミディズの様子を窺い、一喜一憂する姿を喜劇的に観せる。舞台は客席と地続きになっており、登場人物たちは客席の間を縦横に動きまわり、観客に対しても語りかける。

さて、戦闘シーンは敵味方を識別できるように衣装や旗の色を違えるなど工夫を凝らしている。しかし大団旗ほどではないが、旗を振っている格好はスポーツ競技における応援する姿を連想してしまい苦笑。
ラスト…トロイの滅亡が宮殿セットを回転させることで端的に表わすところは見事。

次回公演も楽しみにしております。
THE LAST ALIEN

THE LAST ALIEN

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2017/11/09 (木) ~ 2017/11/13 (月)公演終了

満足度★★★★

この公演は、スーパーマーケット「スリーエー(AAA)」の経営とそこで働く人々の悲喜劇を、タイトル「THE LAST ALIEN」との交わりを通して描いた物語。そして現代の日本、それも現政権を揶揄するようなシーンも...。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、スーパーの事務室・小池宅・喫茶店の各内部と下手側に別空間(路上イメージ)を、状況に応じて暗転で場面転換する。自分では、その回数が多く集中力を保つのが大変だったのが残念。

スーパー「スリーエー」は、安心・安価・愛情の3Aを標榜した経営を行っているが、近所に大型スーパーが開店し苦戦している。そんな状況下にありながら、従業員(パート)は開店時間間際まで無駄話を続け、また遅刻してくる者までいる。またヤル気があるのかないのか覇気が感じられない中年男・小池信一(ひたたらサン)。極めつけは店長が女性従業員と不倫しているという体たらく。
さて、小池は妻に家出され娘にも愛想を尽かされている。あげく、父親が働いているスーパーで万引きをして警備員に捕まる。それでも娘を叱れず問題をうやむやにしようとする。そんな男に地球にいるエイリアン(野本由布子サン:被りもの姿が愛らしい)が接触してくる。その目的は...。

エイリアンが某所に電話しているが・・・「アベちゃん、先の選挙で大勝したのは」とか「トルーマン、あ!もう死んでいるか、70年前の人」という台詞から安倍首相、トルーマン米大統領を連想するのは容易い。この場面を挿入してくるのは、恣意的いや思惟的なことだろうか。物語は資本主義的な観点からすれば価格の”競”争であるが、電話の相手からは”戦”争のニオイがする。何せ、原爆投下や朝鮮戦争に関係した人物なのだから。先に記した目的とは、エイリアンの話からすると、”人格改造計画”なるプロジェクトがあるような。そんな不気味な様相が垣間見える。

業績不振(大型スーパーの影響)で1カ月後に閉店だ、オーナー(義父)から最後を告げられた店長は、従業員全員を集め起死回生のアイデアを募る。一方、小池は娘との関係修復に苦慮するが...。物語は「小池さんの黄昏メンチカツ」という惣菜が人気を呼び、また娘と和解するというハッピーエンド。

人格改造なる動きは、洗脳という危惧を抱いてしまう。自分自身で考え行動するというのは、人の根幹に関わること。自分の意思が社会風潮に抗い切れなくなった苦い経験があったと思うが...わずか70年余で風化させてはならないことは歴史で学んだこと。

この公演、表層的には喜劇仕立てであるが、エーリアン(狭くは「移民問題」も含むか?)という地球人以外の第三者的立場(姿)の目を通して見た怖い話に思える。地球人からすれば宇宙人=エーリアン、逆に宇宙人からすれば地球人はすべてエーリアンという台詞はエッジが効いている。ここでも意見・見解の相違は重要であると思わせる。悲劇が浮き上がる様な、この感覚は自分の深読みであろうか?

次回公演を楽しみにしております。
HOTSKY『ときのものさしー帰郷ー』

HOTSKY『ときのものさしー帰郷ー』

HOTSKY

シアターシャイン(東京都)

2017/11/09 (木) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★

「しょうがない」…この言葉の意味は諦念ではなく、別の意として捉えた前向きな応援歌。人は誰もが心の中に消すことが出来ない「思い」を抱えて生きていると思う。人生という時の流れの中で向き合った「思い」は家族の愛情であり昔の友情である。人の心の機微を優しい眼差しを持って描いた秀作。テーマは「老い」とその先の…。
本作は作・演出の釘本光女史の経験に基づく自身作ならぬ自信作であろう。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台は北九州にある介護施設・海臨館である。この施設は海に臨み、その情景が物語全体を包むようにしている。主人公は初老の婦人・文恵(伊藤ゆきえサン)、その彼女が施設で静かに編み物をしているが、今日は死者の魂が海から帰ってくるという祭(まごころ祭?)、この世の者と懐かしい魂たちとが再会する。そんな不思議な物語である。
舞台セットは、中央に横長テーブルと丸椅子、上手・下手側に供物や供花、そして精霊舟が置かれた台。

亡くなった人々…中学時代の姉・ゆき(三谷あかねサン)、高校時代の友人・綾子(松岡洋子サン)、離婚した夫が文恵の前に幻影として現れる。懐かしい昔話、それは決して楽しいことばかりではなく、若さゆえの愛憎もあったが、すべて時の流れの彼方。
一方、息子(亡夫との2役:山口雅義サン)とその嫁・亜紀(釘本光サン)が心配して施設に訪ねてくる。文恵は2人に相談なしで施設に入所したようだ。
介護施設職員・佐伯(高橋和一サン)が、感情偏重になりそうな場面を客観的な立場で仕切るところは上手い。

彼岸の魂や此岸の家族との交わりを通して「老い」の問題が浮き彫りになっていく。その過程と様子は、心が潤々となっていく。そして「老い」の一つの状態として「認知症」への懼れ。文恵が家族の顔・名前などを忘れる、すべてについて悲観的になる中、嫁が妊娠していることを明かす。人(家族)は繋がって行くと…希望への印象付けと余韻あるラストは感動的である。

「しょうがない」は自分自身を許す”お守り”であり、他人を励ます”おまじない”であると言う。この台詞を北九州弁で話す、この地方の情景(既に実家も無く、親戚縁者もいなくなった土地の施設に入居したい意味)を俚言で映し出す演出は見事。
テーマは「老い」であるが、人生の無常と希望が胸に刻み込まれる作品である。

次回公演を楽しみにしております。
キャガプシー

キャガプシー

おぼんろ

おぼんろ特設劇場(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

当日、上演前は強風で天幕の隙間から冷たい風が吹き込んでいたが、物語が進むにつれて寒さも忘れ話にのめり込んで行く。観る者の心を揺さぶり体内を熱くさせる、そんな4人の熱演が素晴らしい。
さて、今回は特設劇場ということもあって、事前に何度も案内(道順の動画まで)等のメールを配信するなど丁寧な対応が嬉しい。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

閉ざされた森というシチュエーション、それを表現するための特設劇場(葛西臨海公園内)。その前衛的(外観はファンタジック)セットは衣類などを張り合わせたもの。場内は雑然とした配置のように思うが、それは人の心の表れか。パイプ組した櫓が対角に2つ。その上り下りの動作によって躍動感とテンポの良さが生まれる。

物語は、人間の穢れを人形(キャガプシー)に押し込め、その人形同士を戦わせて穢れを浄化させるというもの。人間の勝手さ、人形の哀切が鮮明に描かれる。もちろん寓意を籠めている、その訴えは強く明確に伝わる。
先代・人形師が作ったキャガプシーは10年間無敵。その人形師が殺され娘・ツミが後継した。その娘が作ったキャガプシーは無敵の人形を兄と慕い、殺し合いを望んでいない。逆にこの森から逃げ出すことを提案するが…。

特設劇場内を森の中(戦いの場)、そして観客やTV視聴者(参加者)を借景として、演者(語り部)をキャガプシーに見立てた劇中劇のような気がする。公演中は風の音、それによって軋むテントの支柱が不気味な効果音になっている。そして遠くに聞こえる花火の音が幻想的な気分にしてくれる。

人間の穢れを他者(人形=ギャガプシー)に負わせ、人間は素知らぬ顔の傍観者。また自身もギャガプシーでありながら、興行主になるネズミ。自分のこと、または身近な周りのみに気を配る、そんな視野狭窄で安全地帯の世界観が描かれる。しかし、森の外は素晴らしい世界、その開眼と広がりに幸せを見出す。”おぼんろ”らしいファンタジー、そこに籠められた悲しく、しかし優しく美しく力強い物語であった。同時に葛西臨海公園の自然そのものが、劇場内と対比した小宇宙のような壮大感を表しているようだ。

次回公演も楽しみにしております。
みごとな女

みごとな女

SPIRAL MOON

サブテレニアン(東京都)

2017/11/08 (水) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

初日観劇、ほぼ満席でこの劇団「SPIRAL MOON」の人気のほどがうかがい知れる。いつも使用している下北沢の劇場が改修中ということ、そして「板橋ビューネ演劇祭」に参加するため、本劇場サブテレニアンを利用している。
演劇祭は、古典的なもの、上演時間が1時間以内という条件があるようだ。
物語は、しっとり落ち着いた雰囲気があるもの。脚本は森本薫(1912年~1946年)で、彼が22歳頃の作品。執筆は昭和10年頃、物語に登場する青年は森本自身のようでもあり、そう思いながら観るといっそう興味深く観ることができる。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

比較的狭い劇場であるが、それでもセットはいつも通り丁寧に作り込んでいる。和室の縁側、そこに籐の椅子、障子を少し開けると、衣桁に着物を掛けてある。外に面して昔懐かしい歪みガラス(手延べ板硝子)の戸が建てられている。下手側には別室または玄関に通じる廊下がある。

物語は、ある初夏の昼下がりから夕方までの半日…ゆっくり流れる時間の中で坦々と交わされる話。着物姿の母・娘が穏やかに話す様子が和室の情景に合っている。娘・あさ子(原口理沙サン)は、当時嫁入り前の女性としては、手妻のような裁縫などは苦手、どちらかと言えば科学的なことに興味があるらしい。会話の端々に理化学研究所(就職希望をしていたらしい)の名前が出てくる。そんな娘の行く末を心配する母・真紀(秋葉舞滝子サン)が結婚相手を探して…。

その日の午後、母の思惑である縁談相手の医師・弘(小野坂貴之サン)が訪問してくる。親しくしている年下の大学生・収(功刀達哉サン)がたまたま来宅しており、あさ子を巡り思いを言い出す。森本自身を投影していると思われる収。いつまでも変わらぬ関係にいると思っていた”あさ子”、その彼女に特別な感情を持っていることに気づかされた狼狽とも思えるものは…。それぞれの立場で話す男2人。その訥々とした話し方と姿、時々現れる母の凜とした姿、娘の無邪気とも思える姿、そして出番こそ少ないが女中(色鳥トヲカ サン)の楚々とした姿、登場人物はわずか5人だがそれぞれ違う姿。登場人物の静かな佇まいが、セットに溶け込み昭和10年頃の情景を醸し出している。

母親の娘を思う深慮であろうか、男2人を敢えて引き合わせる。そこに潜ませた”親”の魂胆が垣間見える。人の心の襞(ひだ)に優しく、時に意地悪に触れるような感じである。人の揺れる心、その変化する気持を日が暮れる情景に重なる演出は見事。序々に夕日が傾くような照明効果が印象的で余韻が残る。
印象と言えば、秋葉さんの演技。特に眼で観(魅)せる表情はまさに”明眸”で素晴らしい。それこそ”みごとな女”ではないか。

次回公演を楽しみにしております。

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