満足度★★★
遠くへ行こう、と言われても。
開始時間を勘違いし、遅れて入場。不調法致しました。
原作の『銀河鉄道の夜』を読んだ事は無いが、以前の公演が原作に概ね忠実だったとすれば、今回の公演はかなり変化していた。
各々の人物が自分が乗車している理由を順次語って行く進行次第は同じだが、
説明にある様に乗客は様々。
ネタバレBOX
学生の集団が友人の亡骸を食べず、議論百出の上で餓死する。
現実にこんな状況に追い込まれたらどうかは分からないが、「友人」の亡骸を食べてまで生きるのは「誇り高くない」として餓死するのは、間違いなく気高い行為のはずだ。人類の希望の灯とも言えるだろう。
通常、人が集まれば必ず心理学でいう所の「増強効果」が発生する。そこにもし“自己保存本能”が存在すれば、集まる事でそれは更に高まるのに、彼等は自らの死を前にしてなお、それを拒み得た。「憎悪と恐怖よりは破滅の方がまし」というニーチェの言葉を彼等は実践したのだ。
所で、結構変化が多いから、今回は生者も一緒に死ぬかと思っていたのだが、そこは覆らなかったようだ。
心に大きな傷(他者からの人間性の否定)を受けても尚、我々は生きなければならないのだろうか?
「生死を共にする」という言葉があり、死ぬ事で救い、或いは平穏が訪れるなら、それもまた一つの生き方ではなかろうか。天寿を全うする事だけが生きると言う事じゃないはずだ。
・・・という、この死生観には同意できないという感想でした。以上です。
満足度★★★★
公演初日と楽日を観て
楽日にまいちど観に行きました。最前列に座ったのですが、いやはやブルーライトがとても目に優しくない・・・
後で役者さんから聞きました、通称は「目隠し」と。えぇ、私はモグリですとも。
ネタバレBOX
初日と比べ、役者さんが全体的にパワーアップしてました。「エネルギッシュだった」が最適な表現です。キノコを食べたかどうかは知りませんが。
初日では主人公の「モーム」は劇中のセリフにある『幽霊』そのままの印象でしたが、今日の楽日ではその印象とは異なり、「世界に苛まれ、それでも何かに縋って(死してなお)生きている」、『人間』という印象でした。
私は基本的に観劇から何を考えさせられるかを重視しているのですが、この「カフェ・ビアンカ」からは「死」について考えさせられます。それもTV画面を通し、物理的にも心理的にも離隔されて見る様な「どこかの誰かの死」ではなく、「最愛の人の死」。
残念ながらモームに共感できる要素は私にはありません。モームの体験した「最愛の人の死」という経験がないので。
しかし、救う手だてが無く徐々に消えゆく命。もしこれを己が目の前で見た場合、我々は果たして平静でいられるでしょうか。たとえそれが自分と何ら関係の無い、赤の他人であったとしても。
それを鑑みると、「最愛の人の死」と言うのは、人の心にどれほどの深い穴を開けるのか。泣ける話と言うよりは、辛く苦しい話でした。
満足度★★★
これから観に行く方への注意点
初回のプレビュー公演を見て来ました。
内容に関しては敢えて控えさせて頂きます。
投稿タイトルですが、劇場の構造上、最前列かあるいは両端に近い所でないと、舞台全体が見渡せません。客席側通路の前部中央に鉄骨がある為、客席中央辺りでは舞台端の演技が音声のみという事態になります。
千秋楽にもう一度行くきますが、早めに到着しておこうと思います。
満足度★★★★
正直者は存在するか?
公演終了からだいぶ日も経ってしまいましたが、自分も観て来ました。
初演と千秋楽の2回です。
投稿タイトルに対しての個人的解答は「世の中こんな物」。
人類すべてが聖人君子になんぞなれません。
「正義」という言葉は人に愛されるけれども、それは抽象的だから。
劇中詳細は語られなかったが、移民局が「地球の人口問題解決の為」とかで移民を奨励しているのなら、人類全体にとってそれは「正義」で、多少のフェイクは必要悪だろうが、
真実を明らかにしたい人にとっては、真実こそが「正義」であり、その必要悪さえ許容できず、ただ自分の信じる「正義」に向かって進む。
以下、ネタばれボックスにて―
ネタバレBOX
劇中「真実のヒロイン」と呼称された米崎さんを含め、ほぼ全員が自身・或いは他者を騙していて、正直者が居ないな…と思いました、彼女は同行していた人を騙して来た(本人が嫌う「真実」に反して)わけですから。
2度見た所感として、女性の役者方々の攻撃行動(蹴りツッコミや平手打ち)が弱いと感じたこと
冒頭のアレに「うーわー」と思った事(現実のTVであんなモノが放映されたら、自分は間違いなく疑います。信じる人達がいたらむしろそれが信じられない)
ハマさんの扱いが全体的に粗雑で哀れだと思った事(ドットコメットさんの公演はこれまでに3~4回見てきていますが、だいたい誰かしら哀れな役がいますよね)
特に印象に残ったのは“ワルキューレ”米崎が放送中に乱入する前後。
彼女は舞台前面で茶番が繰り広げられている間、後ろで耐えているのですが、ついに耐えかねて乱入&暴露!スポットの当たる状況でなくてもちゃんと細かい演技が出来ると言うのは素晴らしい事と思います。
それから劇中「どうやってここが火星でないか」を証明するシーンが面白かったですね。共同生活をしてきただけあって、互いの手の内を読み、いかに相手を出し抜くかの攻防は観ていてに興味をひかれました。
ただ…外乱で発覚するのはいいのですが、手立てとしてはチープかと。折角全員が地球にいるのですから、爆走ハーレー軍団の様な無理のあるやり方より(電波発信源の逆探知をしてさえ、あの時間では絶対的に足りない)、地球の感覚なら誰も気にとめない様な些細な手のほうが意外性があって良かったと思います。
劇中の冒頭で会話に出ていた「鳥の巣」が映るだけで、火星でないと信じさせるのは充分なんですから。
ストーリーに若干の無理は感じましたが、個人的には観劇から「何を考えさせられるか」が重要なので、その意味では良い内容でした。