ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

481-500件 / 3243件中
中年の歩み『侘しい星、寂しい星』

中年の歩み『侘しい星、寂しい星』

第0楽章

SPACE EDGE(東京都)

2021/07/21 (水) ~ 2021/07/24 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 板上ホリゾントには窓が各々設定されカーテンが引かれている。シンメトリックな部屋は核部屋、上手・下手に1つづつだ。ホリゾント手前にはシングルベッドが各1台。上手の最右翼にはノブ付きドア。

ネタバレBOX


手前には同じサイズのカーペットが敷かれているが、上手の部屋にだけ段ボール箱が1つデンと構えている。数人の登場人物を2人の役者が演ずる。主役は母と遺伝子的病を抱えた息子。
 何とも空しい憂き世を虚しさのまま、空虚のまま描いた、その意味で稀有な作品。人間が普通に社会で自立して生きるに当たり必要な最低限の要素は健康とライフライン確保であろう。息子によれば、遺伝子レベルで問題を抱える母子には、これら総てが欠如している、然し乍ら、生きて行く為には飲食、住居、睡眠、衣料、健康維持費用が必要であるが、前期の理由で全く積極的に生きる意欲もなく、オブローモフのような経済的ゆとりも無い。にも拘らずオブローモフ主義者のような生活にのめり込む息子と心配する母との日常が、周囲を巻き込みながら展開する、限界状況作品である。この状況を実に淡々と描いている点が、今作の真骨頂と言えよう。
明日の朝、いつものように

明日の朝、いつものように

LUCKUP

萬劇場(東京都)

2021/07/16 (金) ~ 2021/07/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 感染対策がゴイス! Cチームを拝見。追記あり2021.7.21 24時6分

ネタバレBOX

 曰くありげなタイトル通り、板の形そのものが、通常の長方形ではなく歪んでいる。下手手前にはサイドテーブルにソファ、対向する上手にはテーブルを挟んで左手に背凭れの無いベンチ様椅子、右手には通常の椅子2脚が据えられホリゾントへ向かう途中に背の高い電気スタンドや衝立様のものが置かれている。中央ホリゾントの手前にはバーカウンターと椅子が配置されている。板の位置そのものが高く作られて居る為、上手奥には階段が設けられ、ここから板上に上がれるよう出吐けが設けられている。
 物語は、Covid-19終息後の近未来という設定だ。男と女、そのカップルが暮らして行く社会の殆ど意識されることのない変容とその変容がカップルに与える間接的な影響を含め男と女の差異、その個性の差異、関連する人間関係の変化が齎す個々の認識の差異が結果的に齎した決定的な関係齟齬の裸形発見に至る。
 極めて巧みな物語の展開形式と演出が、解釈の多様性を生み、解釈の差異が生み出す登場人物相互の相関関係の解釈多様性を観客個々人がどのように納得できる解釈として採用するか、想像できる登場人物達のメンタリティーの微妙な綾を含め如何様な結論を出すか? は各々の観客に任された極めてスリリングな作品である。殊にラストシーンを観て同棲していた彼女が、どのようになったかは、各々の解釈の到達点として比較し合ったら興味深い答えが出てきそうだ。
  以下少しばかり追記をしておく。同棲カップルの結末に関してである。直接的にこれがこの結末に繋がるのだが、これとは即ち一緒に暮らし始めて5年、最近2年間2人の若い男女の間に1度も性の営みが無かったことである。女がそれなりに誘いを掛けていたのは劇中の動作で明らかだが、男は全くその意味を理解しないと解されて致し方ない対応しかしていない。
 人間の男と女に進化する前に単に哺乳類として系統樹に先祖が存在してからに限っても雌雄異体の生き物各々(♂・♀)の差異は本能的な差異として顕現したハズである。ましてそれが、知を持つヒトとなれば、本能と雖も単純な形で現れることは在り得ない。必ず各々のraison d’êtreと深く密接に結びついて機能する。仮にそれを当事者が意識していようと居まいとである。それが存在の根底に関わる事象だからだ。
 さてヒトに限らず雌雄異体である♂・♀は性行為によって生じる結果が異なる。当然の事ながら性差による肉体差・事実認識・体験・精神的傾向の差が存在する。ヒトレベルの高等生物になれば、種の性差についても、これを愛という精神性としてアウフヘーベンしようとする精神活動も現れ、一般的にそれは愛の対象としての互いの存在に対する自己投棄として顕現しよう。そのような精神性を含めた肉欲がヒトが人として求める性行為の理想に近いだろう。ヒトという種の女性の場合、殊にこの精神性を求める傾向が強いように思われる。そして仮に性行為があったとしても、この精神性が欠けていれば男性よりも多くの不安やストレスを抱え込むように思う。まして今作のケースでは、2年もの長きに亘り愛を確かめ合う性行為そのものが無かったのである。その精神的ストレスは大変なものであったハズで、その点が実にキチンと描かれ、その点に気配りできなかった男の情けなさが矢張り、終盤の暴力的な言動で表されている点でも、また妹夫婦の上手く回っている人間関係との対比によって、また同棲カップルの男VS第三者的女の男女関係対同棲カップルの女VS職場の男との情事が、各々、1人称・2人称・3人称という世界関係に対応していることによって世界全体に繋がっている点にも注意を喚起しておきたい。


♭1~役者への道~

♭1~役者への道~

ThreeQuarter

JOY JOY THEATRE(東京都)

2021/07/17 (土) ~ 2021/07/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ThreeQuaarterの役者さん、そしてThreeQuaarterの公演に参加する役者さん達は、好みである。

ネタバレBOX

何となれば、一所懸命に役作りをし、役を生きようとする役者さんが圧倒的多数を占めるからだ。役者というのは大変な職業である。舞台とは基本的に比較にならないが、自分がガキの頃、加山雄三が主演の若大将シリーズというのが流行った。カッコいい若大将に対してカッコ悪さそのものとして青大将という役柄があり、演じていたのは田中邦衛さんだった。加山雄三は薄っぺらで大嫌いだが、田中邦衛さんの演技は味のある深いものであった。以来ずっと田中邦衛さんは好きな役者さんであり続けた。彼の演技の深さは、そのキャラクターにもあるだろうが、元々俳優座出身であるから、演技の基礎をキチンと学び、マスターしていたと言えよう。舞台役者の演技力は、映画俳優とは次元が異なることは、両方を観(見)ている人には明らかだろう。ここで自分が観と見を分けていることにも注意して欲しい。そのどちらが深いと判断するかは、読者の判断にお任せする。
 さて、話を本題に戻そう。最初に挙げた理由と田中邦衛さんに纏わる話題を入れて自分が何を言いたかったのかということである。短く言えば、ThreeQuaarterの役者さん、そしてThreeQuaarterの公演に参加する役者さん達は、皆さん爽やかなのである。一所懸命に役を生きようとしている点に於いてこの点が光る。そしてこれは役者という職業にとって最も大切なことの一つである。今回は、青チームを拝見した。出演していたのは、4人の役者さん、4人総てが、上記の要件を満たしていたが、自分が最も気に入ったのは、木村伝兵衛を演じた斉名高志さんと速水健作刑事を演じた吉田一番さんのお二人。斉名さんは若干噛むシーンもあったが、その存在感は抜群、吉田さんはスマートで演技力・記憶力の良さでもバランスの取れた完成度の高い演技をしていた。水野を演じた櫻井まりあさんは、もっと精神的に己を裸にすると化ける可能性はあろうが、もう少し精神的な深みを獲得して欲しい。若干噛んだシーンも先に挙げた点を改善すれば自ずと解決するような気がする。大山を演じた高田純也さんの体裁き、バランスの取れた演技も光ったがこのバージョン以外では、島の大関として登場する大山のイメージが自分は払拭できずファーストインプレッションで相撲の代表としては体が細いな、と感じてしまった点で大変失礼な観方をしてしまった。この点をお詫びしておきたい。基本的に皆さん良い芽だと思う、互いに切磋琢磨して更に先を目指して頂きたい。
 掛かる音楽のセンスや、照明もいい線イッテいる。スタッフの対応、前説もグー。気持ちの良い観劇体験が一つ増えた。お礼申し上げる。
何となれば、一所懸命に役作りをし、役を生きようとする役者さんが圧倒的多数を占めるからだ。役者というのは大変な職業である。舞台とは基本的に比較にならないが、自分がガキの頃、加山雄三が主演の若大将シリーズというのが流行った。カッコいい若大将に対してカッコ悪さそのものとして青大将という役柄があり、演じていたのは田中邦衛さんだった。加山雄三は薄っぺらで大嫌いだが、田中邦衛さんの演技は味のある深いものであった。以来ずっと田中邦衛さんは好きな役者さんであり続けた。彼の演技の深さは、そのキャラクターにもあるだろうが、元々俳優座出身であるから、演技の基礎をキチンと学び、マスターしていたと言えよう。舞台役者の演技力は、映画俳優とは次元が異なることは、両方を観(見)ている人には明らかだろう。ここで自分が観と見を分けていることにも注意して欲しい。そのどちらが深いと判断するかは、読者の判断にお任せする。
 さて、話を本題に戻そう。最初に挙げた理由と田中邦衛さんに纏わる話題を入れて自分が何を言いたかったのかということである。短く言えば、ThreeQuaarterの役者さん、そしてThreeQuaarterの公演に参加する役者さん達は、皆さん爽やかなのである。一所懸命に役を生きようとしている点に於いてこの点が光る。そしてこれは役者という職業にとって最も大切なことの一つである。今回は、青チームを拝見した。出演していたのは、4人の役者さん、4人総てが、上記の要件を満たしていたが、自分が最も気に入ったのは、木村伝兵衛を演じた斉名高志さんと速水健作刑事を演じた吉田一番さんのお二人。斉名さんは若干噛むシーンもあったが、その存在感は抜群、吉田さんはスマートで演技力・記憶力の良さでもバランスの取れた完成度の高い演技をしていた。水野を演じた櫻井まりあさんは、もっと精神的に己を裸にすると化ける可能性はあろうが、もう少し精神的な深みを獲得して欲しい。若干噛んだシーンも先に挙げた点を改善すれば自ずと解決するような気がする。大山を演じた高田純也さんの体裁き、バランスの取れた演技も光ったがこのバージョン以外では、島の大関として登場する大山のイメージが自分は払拭できずファーストインプレッションで相撲の代表としては体が細いな、と感じてしまった点で大変失礼な観方をしてしまった。この点をお詫びしておきたい。基本的に皆さん良い芽だと思う、互いに切磋琢磨して更に先を目指して頂きたい。
 掛かる音楽のセンスや、照明もいい線イッテいる。スタッフの対応、前説もグー。気持ちの良い観劇体験が一つ増えた。お礼申し上げる。
誰か決めて

誰か決めて

吉祥寺GORILLA

王子小劇場(東京都)

2021/07/07 (水) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 この作家、嵌る人が多かろう。華5つ☆。ベシミル! 1回目追記2021.7.10:15:18 2回目(ラスト追記)7.11 23:48

ネタバレBOX

太宰 治に感性が似ているのだ。而もその感性で現在の日本を生きている。一般的かどうか知らぬが、自分が読んだ太宰評で彼は道化を演じたということになっていた。今作で作家が示したのは、もっと現代的な日本での精神の地獄である。現実社会と辛うじて接点を持っている場合には無論、神経症の診断はされてももっと踏み込んだ統合失調症と見做される訳ではあるまい。フーコーの極めて明快な定義によれば“狂気とは純粋な錯誤である”。純粋な錯誤である以上、そのように診断された個々人は総て絶対的な孤立・孤独に封じ込められている。
 ところで、今作の主人公の基本的症状はアパシーに近いのではないか? 自分は心理学については全くの素人だから詳しいことは分からないが総てに意欲を失ってしまった主人公の様子はそのように見える。今作の内容に沿う薬品がどのようなものであるか分からないが、ネットで調べた限りではアパシーに有効な薬は現在の所無いとの情報を得た。従って仮にも完全治癒と診断される為には己唯孤りで社会性迄獲得せねばならない。大抵の薬は一般人からみた発作(奇異な行動や突発的に見える奇矯行動・言説に至るような先鋭化を抑えることしか目指していまい。治療の効果等殆ど無いのではないか? そもそも現代心理学の根底にフロイトが位置付けられておりそれが正当化されているのであれば、それは数多くの実証を基としていなければならないが、果たしてそこに明証性が担保されているのか? 聴き取り等が主であれば、客観性はどのように担保されるのか? 以上挙げたたった2点すら客観的データとして仮に挙げられていないとすれば、フロイトが提唱した論理そのものが、家系的に多産系であった彼個人の悩みに起因する性の問題が抜本的な検証を受けていないことになりはすまいか? トウシロウである自分のこのような仮定に真実性があるようならば、そもそもフロイトの流れを汲む心理学自体を疑わねばなるまい。にも関わらずフロイト系心理学がベースになって現在の心理学が成り立っているとすれば、そこで精神的疾患があるとされ、投薬された患者の身体は如何なる影響を受けるのか? 因果関係に客観性がなく、而も根底にある理論が学会権威に支持され、社会に“信任”されていれば適当な薬を作って売れる製薬会社は濡れ手に粟は必定。最低限そこまで想像力は働いて当たり前である、真実は何処にあるだろう? 人間の物語というだけで優れた今作であり、その点に関する評価は、他の方もしてくれるであろうから、自分の想像力を含めて記しておいた。
 舞台美術も面白い。板上を四辺に区切り一番奥を他の三辺より更に高くし四辺で区切られた真ん中を奈落よろしく穿たれた空間にしてある。その下手、つまり最も高い段に設えられた中央に対して直角に延びた左辺中央から上手に突堤の如く延びた張り出しは人が載っても充分荷重に耐えられる作りになっていて、その下は恰も欧州の集合住宅建築によく見られる中庭の構造に似て、可視化された奈落の如くである。出吐けはこの四辺構造のホリゾント下手。劇の進行の殆どが高くなった空間で演じられるので何処に座っても非常に観易いのも有り難い。脚本・演出・演技・キャスティング・裏方さんの対応も自然で良く優れた舞台である。照明・音響も可成り芝居を拝見している自分ですら殆ど意識しなかった程自然に為されていた。これは特筆に値する。
みんなのご機嫌よかれが肝心かなめ

みんなのご機嫌よかれが肝心かなめ

劇団やりたかった

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2021/06/16 (水) ~ 2021/06/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 弥次さんの放ったラストの長台詞が見事だったので、この評価にした。華3つ☆

ネタバレBOX

 芝居自体は大したものでは無かったが原因は主催者の独りよがりにあろう。17回目の公演でこれでは矢張り力不足・勉強不足だ。唯一、凄いと思ったのは「東海道中膝栗毛」にかなり忠実な本質的雰囲気を醸し出すべく演技しえた今公演にあって唯二人・役者らしい演技をしていた弥次・喜多を演じた二人のうち、終盤の弥次さんが放った啖呵売の長台詞。いがみ合いをしているういろう屋のいがみ合いを街道の登りと下りで二分して客を自然に各々の店へ誘導する解決策迄織り込んでまとまりの無かった舞台を一挙に纏めて見せる手際も見事であった。この長台詞、寿限無の三倍程度はあろうという代物、これを立て板に水の五七調の江戸弁でやるんだから粋である。戯作文学の傑作・「東海道中膝栗毛」の弥次・喜多の会話は語呂の良く回った江戸弁が多用されるが、他の出演者の言葉にはそれが無いので、上演中この齟齬にしっくり来ない感じがずっとついて回った。
 また、現代流に言えば日本フェミニズム界初の女性闘士となった冷奴に対する差別的アナウンスが多用されたのは、ジョークを越えて単なるグロである。更に、演出家が演出に力を入れているということを表現しようと思ったのか(見切れがあったのでハッキリは分からないものの)本番中にダメだしをしたような恰好で同じシーンを2度演じさせたが、カントールのように実際、舞台の端に上がって劇上演中にも演出するという手法を確立するような意図を観客が感じる訳でもなく、終盤までずっと中途半端な展開だったことも頂けない。冒頭主催者の独りよがりを指摘したのはこのような勉強不足を含む。プロとして演劇に関わるつもりなら、役者の質も弥次喜多を演じた役者さんのレベルで統一したい。言語表現、所作、間の取り方、脚本・演出に対する役者からの批評意識、役を生きるという発想の欠如等欠点が多すぎる。主催者ならば劇団名に表れているような決意一般ではまともな演劇は創れないことを知るべきである。Covid-19に関する考え方も途中まで読ませて貰ったが、根本的に自分とは見解を異にする。非科学的な立場から一歩も抜けられない政府や、地方自治体の対応。その根本的問題を指摘することすらできないマスゴミを相手に意見を言う事自体ナンセンスだ。もう少し頭を使って科学的な立場を採るべきであろう。
盲人達

盲人達

錬肉工房

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2021/06/24 (木) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 演劇という表現形式に於いて最も難しい事とは何か? それは、公演が常に新古に於いて斬新でなければならないことである。

ネタバレBOX

人は生まれ幼少期を経て子供になり思春期を過ぎて若者に成長し大人の仲間入りをする。其の後、大人としてかなり長い時を過ごし老いて死ぬ。この何れの時期に於いても芸事を発表するプロとして生きる場合に要求されるのは、その時々に於ける華である。子役として舞台に立つ年齢は、業界によって異なるが、歌舞伎等は3歳位から舞台に立つこともあるようだ。何れにせよ歌舞伎役者が映画に出演したりすると一目でそれと分かる程質の高い立ち居振る舞いをするのは、演劇好きなら誰でも気付くことだろう。基本的に舞台俳優は単なるTVタレント等より遥かに演技の質が高い。映画にしろ、TVドラマにしろ、映像でしか仕事をしていないタレントの演技は極めて例外的に豊かな才能を持つ俳優を除いてレベルが低い。それをフォローしているのがカチンコによるカット撮影であり編集やエフェクトである。これに対して演劇は舞台上で上演回毎に異なる一回こっきりの勝負である。無論、本番の公演までに役者陣は台詞を仕込み、役と格闘し、他の役との関係を考え、己の役の意味を深く考え己の身体を調整しつつ役作りをする。  
一方、稽古の時と実際の上演時とは矢張り大きく異なるのが、観客の反応による演者たちへの影響である。台詞そのものは変わらないにせよ、間の取り方や声調の差によって観客の受け取るものも随分違ってくる。このようなことが実際の舞台上演では毎回起こっているので、何が絶対に正解か等ということは無い。だが、スタンディングオベーションを受けるような作品に共通しているのは、演者と観客が当に一体となったか否かにある。演ずる側の方向性が同化を狙うか異化を狙うかの差があっても上に挙げたことは変わらない。
 さて、今作は原作がメーテルリンクである。今作のタイトル作品は初めての人でも「青い鳥」は大抵の人が知っていよう。あの童話の原作者であり、ノーベル文学賞受賞作家でもあった。今作の日本上演は自分の知る限り、静岡で活躍する極めて優れた文化事業集団・SPACが上演したことがある。自分自身は今作のSPAC公演を拝見していないが、かつて何度か拝見したSPAC作品からは極めて知的でシャープな演出に感銘を受けた。
 この演出という観点に関して、今回の公演は、エッジが利いているとか、差異化すべき点をキチンと差異化しているといった作品のメリハリをつけるような創意は感じられなかった。(一、二例を挙げておくと、出演役には1人耳の不自由な役があり、他の役は目の不自由な人々役なのだが、この差がキチンと表現されていなかったし、照明のトーンも殆ど変らず現代の時代状況からは冗長に感じられる台詞と相俟って淀んだようなトーンだった為、鵺的だった等)これらの点が残念である。出演している演者にご高齢の方々が多かった点でプロンプターの役割が多かった点も惜しまれる。以上挙げたような点が災いして今回の上演には斬新さが欠けていたように思う。
花のもとにて春死なん

花のもとにて春死なん

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2021/06/30 (水) ~ 2021/07/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 とある老人ホームに入居した老人たち。齢を重ねれば誰しもが避けられぬ老いた体を抱え家族と離れざるを得ぬ様々な状況を殆どの者が負って、ここで暮らす。

ネタバレBOX

医師・看護士の人数が充分では無い為、入居者の中から代表者や世話人が決められその任に当たっている。彼らの中には寄る年波にも関わらず自らの思惟‣思考を深化させることができずとどのつまり、老い乍ら性に吐け口を求める者、己の性向に身を委ねる者、認知症を患いながらもその事実を忘れ自分達が建てた家に戻りたがる者、自らの生きて来た職業や芸事への未練を断てない者、伴侶と一緒に入居したものの一方は病み、遂には絶命したにも関わらず、精神的苦痛故その事実を認められない者等々、が同じ屋根の下で暮らしているが、彼らの愉しみはタンゴ等のダンスを踊り、生きる実感を手にすることである。然し施設長は、ダンスを禁じてしまう。然しスタッフの数は少なく、老いたりと雖も数の上では収容されている老人の方が圧倒的に多い。そこで数を頼んで再びタンゴの宴が実行されるが、それも束の間、突如日本国では姥捨山法が可決され速やかに実行されることとなった。而も法の実行主体は、各地区の若者に決まった。若者達の判断次第で計画は余計者排除へ向かい役立たない者は抹殺の憂き目に遭うこととなった。舞台上で、銃殺、撲殺等が実行される。如何に舞台上の出来事とはいえ、音響や照明を伴い視覚的にも実見されるこの光景はインパクト充分である。殊に自分の拝見した回は年を召した方が多かったので老いの実感と共に相当のインパクトがあったと思われる。また実際の日本という国は国連に毎回指摘されているように人権感覚というものが極めて希薄な国である。殊に為政者のそれはどうしようもないレベルだ。この実態が民衆に日々経験されているだけに説得力がある。
 タイトルからは誰しもが西行の名歌を思い起こすであろう。老人たちの想いも同じである。せめて死ぬ時には華をその縁としたい。このような念は、憂き世を生きる総ての真っ当な者に共通する願いであろう。死ぬ際にすらそれが許されぬ国、それが現実の日本だ、ということにはしたくあるまい。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「この道はいつか来た道」
 今回上演された4作品の中では最も遅い時期に原作者が書いた作品である。(華5つ☆)
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている、

ネタバレBOX

 別役作品の舞台美術としていつも登場すると思われている位頻繁に登場する(電信柱・ベンチ)以外に登場しているのは塵を入れる大型ポリバケツだ。而もこの単なる物としてのポリバケツが恰も人格を持つかのように扱われるシーンが多数在る。これだけでも異色な作品と言えるだろうが、出演する役者の力量で、単なる物が即ちヘーゲル流の即自体が当に何らかの主体性を具えた生き物、時に人格を具えた何かにすら見えてくるような作品である。
 燐光群の役者陣はどの方もレベルの高い演劇人だが、今作では円城寺さんの女子力が極めて高い色気を醸し出していた。原作者で高い能力をお持ちであった別役さんの作品の中でも女性に対する観方の転機となった作品なのかも知れない。宿無し男性に対する宿無し女性の感じる体臭に関する感覚等が台詞化されている点は、別役氏の持っていた女性に対する観察・認識フィードバックを忍ばせて興味深い。
HATTORI半蔵Ⅳ

HATTORI半蔵Ⅳ

SPIRAL CHARIOTS

六行会ホール(東京都)

2021/06/30 (水) ~ 2021/07/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 途中、10分の休憩を挟み170分程の尺である。殺陣は可成りスマートで、照明・音響とのコラボもグーだが、余りに整合的な分浅く感じる点もあった。役者の中には極めて優れた身体パフォーマンスを見せる者が何名か居て、旋風脚や回転回し蹴り等も見事である。

ネタバレBOX


 内容は観てのお楽しみだが、半蔵の家系もネット上の説明にある通り吉宗と4代目半蔵・伝生との駆け落ち以来老中職を解かれていた。この為今作が描くⅣ即ち60年後の幕末期6代目ハットリ半蔵・汎刃の代では彼も忍法を継承していたが、今は床屋を生業としていた。
 さて、幕末といえば勤王VS佐幕である。ここで佐幕派・飛竜革命開国軍VS勤王派・新選組が対峙する。双方の偵察・襲撃/防御合戦が繰り返される中、徳川将軍ケイキは、二階での異国風俗や、一階ではエレキ仕掛けのゲームマシンが置かれ洋食を嗜むことのできる店の常連となっている。実はこの店は飛竜革命開国軍の情報収集基地であり、当然の事ながら忍びが関わっている。新選組も目をつけた。更に史的に有名な池田屋騒動が、今作では新選組が返り討ちの憂き目を見るという設定になっており、その原因が飛竜革命開国軍に加勢していた忍びの術によるものだと判明した。近藤イサミは床屋となっていた半蔵に相談を持ち掛ける。ところでこの池田屋騒動の際、開国軍に味方していた“くノ一”は捕縛され投獄されてしまう。これを助けたのが床屋としては2代目の半蔵である。原因は彼らは互いに惹かれあっていた為である。ここから先はネタバレが酷くなってしまうので、ここ迄とする。後は観てのお楽しみだ。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「舞え舞えかたつむり」
 今回上演される4作のうち唯一テキレジが施された作品とのことだが、台詞のカットは無い。このタイトルは承知の通り今様を集めたことで有名な「梁塵秘抄」に記載された歌である。中央にあでやかな雛飾りが据えられ、衣装も女性陣の多くが雛と同じような極めて豪華な衣装で登場する。因みに雛段の五人囃子の一体のみ欠けている。華5つ☆追記(1回目6.30 15:51)
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている、

ネタバレBOX

 上演される4作品のうち、唯一実際に起きた殺人事件がベースになった今作。女の子の祭りである雛祭りで用いられる雛飾りが板中央に飾られ手前に緋毛氈が敷かれているのも象徴的である。
 事件は実に凄惨な形で現れた。単なる殺人事件というより死体が分断され荒川水系に捨てられた為、胴、頭部、足、腕、の順に異なる時期に発見されたのである。この事件の捜査による実証過程が、被害者家族の証言との不一致の謎を明かしてゆくと共に、被害者家族(実は犯人)の内面の混乱・不安定を提示、我々観客に想像力の喚起を促して行く。傑作である。
 因みに実際の事件は1952年5月に起きた。実行犯は小学校教諭を務める妻、共謀して遺体損壊に関わったのはその母。雛段に欠けていた五人囃子の内の一体も、また隣家にあった風鈴も事件解決の中でその意味を示唆される、という粋な構成だ。
 ところで、被害者は巡査であるが、何故妻が夫を殺すに至ったかの原因について別役氏の解釈は実際の司法の解釈とはかなり異なっており、今作が書かれた時点で既にジェンダーやフェミニズムの観点を氏が持っていたのではないかと思わせる慧眼を感じる。というのもインテレクチュアルな妻の内面の混乱の原因と夫との齟齬が起こった原因を約1年前の流産に置いていると考えられるからだ。女性にとって妊娠は無論大問題である。場合によっては己の命にも係わるというだけではない。受精卵は胎内で約10カ月の間に急速な成長を遂げる。この胎児の成長が母の精神に与える影響も非常に大きいのが実情である。女性は胎児が母胎の中で急速に成長する際、未知の何者かが(己=母)の中で、(己=近未来に誕生する子)を主張しているような感覚を持つ。つまり既に確立しているハズのアイデンティティーを脅かされる、不安定だが不思議な期待にも裏打ちされた精神状態を体験する。単に肉体的な大変化のみならず精神的な大変化に安定的に対応すべき思考の中心を揺るがす状態に第一義的なレベルで放擲されるのだ。このような状態を知的に克服する為には己《母となるべき己》自身を自分自身の思考によってアウフヘーベンし得るだけの知的能力を持っていなければなるまい。正常分娩できたとして最低限、この程度の知的レベルが必要である。だが、この事件のケースでは不幸なことに彼女は流産の憂き目を見ている。そしてこれがこの事件の最も深い原因だと別役氏が観ていたとしたら、その洞察力たるや正しく天才的ではないか?
 終盤今作のタイトルになった梁塵秘抄の元歌(舞へ舞へ蝸牛舞はぬものならば馬の子や牛の子に蹴ゑさせてむ踏み破らせてむ実に美しく舞うたらば華の園まで遊ばせむ)が詠じられるが、敢えて途中(舞へ舞へ蝸牛舞はぬものならば馬の子や牛の子に蹴ゑさせてむ踏み破らせてむ)までである。無論、ここ迄しか台詞化していないのは、事件の残虐性・凄惨を客観化する為でもあろうが、上記の私論を踏まえて少し深読みするなら殺人犯たる妻の哀れをも示唆しているのではないかと思われる。というのも情状酌量で刑期が短縮されたにも関わらず、妻は判決通りの刑期を全うしたことについても語られているからである。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「眠っちゃいけない子守歌」
 主人公の孤独の何という深さ! その孤独を慰めるかのように降りつのる雪の何と美しい冷たさ! 華5つ☆ 
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている、

ネタバレBOX


 板上中央に絨毯、絨毯の真ん中にテーブルと椅子。奥に食器棚上手奥は、この部屋の入口である。男が1人訪ねてくる。この部屋の住人から話し相手をして欲しいとの依頼を受けて派遣されて来たのである。依頼主は、世界と四碌六時中対峙している。その為極端な論理癖で武装しているが、余り生きた人間関係というものには縁が無かったのか、派遣されてきたヘルパーが中盤まで活きた人間関係の中で培われた自然でフレンドリーな会話をしようとする態度とは大きな齟齬を生じ笑いを誘う。が、依頼主の極端な論理癖の原因が実存と彼を取り巻く世界即ち状況とが常に角遂せざるを得ぬ所に彼の孤独の深さが端的に描かれていることが観客にも理解されてくるに従って笑いは失せる。つまり対自存在を本質とするハズの人間として生きてこれなかった彼は、即自存在として生きる他無い。人間としての根本的矛盾を抱え込んで存在している訳である。当然の事ながら彼はアイデンティファイし得ない。としこという名が彼にとって何であるか、よっっちゃんという愛称ととしことの関係は何であるのか、雪の降る夜何処かの街の家から手を引かれ「寝ては駄目よ」と言われて以来覚醒し続けた彼のアイデンティティーを確立する為の種として存在したハズの証明は? 記憶は? エチオピア人とチェコスロバキア人が互いに通じない言葉を用いて会話することを夢見る彼の漠然たる記憶と絡んだ夢想にどのような意味があるのか? 
 評者自身の想像は、こうである。水晶の夜とアシュケナジーユダヤ。無論、作品に用いられているファーストネームは何れも日本人に纏わるものだが、日本人作家が日本語で書いた作品であるから、それは読者として想定される日本人向けのサービスに過ぎまい。飲んでいる茶は紅茶、家具・絨毯等も洋風である。1938年11月に起こった歴史的事件・水晶の夜は、雪が降っていても全くおかしくない。殊にホロコースト以降更に先鋭化し、現在迄続くアシュケナジーユダヤ中のシオニストによるスファラディーに対する差別、パレスチナの先住者であるパレスチナ人に対するジェノサイドの暗喩であると。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「いかけしごむ」
 中央やや下手にベンチ。ベンチの背の奥に“ここに座らないで下さい”の張札を付けたスタンド。上手に運命鑑定の雪洞を付けたテーブル。その両側に椅子。占い台の奥辺りにどういう訳か電話機。板奥には階段。華5つ☆
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている。

ネタバレBOX

 演出、演技。音響、照明、余計な物の一切無い舞台美術総てが有機的・無機的のアワイ(境界領域)を別役実の独特な論理癖の創造する言語空間と交感させ昇華させている。見事である。華5つ☆
サングラスを掛けた女が入ってくる。階段を降りると「ここは、街で最も深い場所だ」と呟く。その深部にあっては、総てが見通せない。それが理由で運命鑑定の雪洞がついたテーブルが在るのだと説く。この占い台の横には命の電話がある。
 ベンチに座らないで下さいとの指示だと思われるベンチ奥の張紙は誰かが心理的な悪戯を仕掛けていると解釈、平気な顔をして腰掛け編み物を始める。直後、1人の男が階段を降りてくる。男は黒い鞄と黒い塵袋、傘を持っている。女は、男が立て看を立てたと決めつけ、隣に座ることを許可する。何となれば彼女は男が看板を立てた理由は、話しかける切っ掛けを掴む為だと強引に決めつけており、占い師として彼のプライバシーを暴き立てる。そして男の弁解をことごとく否定、女房にも逃げられ乳飲み子であった娘を絞め殺し風呂場で解体してその遺体を塵袋に詰めているのだと言い募る。男の言い分は異なる。塵袋の中身は烏賊なのだと主張する。彼はサラリーマンをする傍ら烏賊を用いた消しゴムを発明、特許を申請・取得しようとしているのだと主張する。然し、これを面白く思わない消しゴム業界はブルガリア暗殺集団に彼の抹殺を依頼。彼はその組織に追われているというのだ。女は袋の中身をぶちまける。出て来た物は? 結果、女は男に命の電話に電話を入れその指示に従うことを薦める。電話の答えは“死ね“であった。男は自首を勧められこの結界から出て行くが、直後刑事らしい男がこの場所に現れ女に尋ねる。「この辺りで男を見掛けなかったか?」と。何でも近くで男の遺体が発見されたのだが、奇妙にも男は塵袋を持っており、その中には生の烏賊が大量に入っていたと言うのだ。刑事が去った後、女は言う。男は烏賊を用いた消しゴムを作りブルガリア暗殺談に殺されたのだろうと。だが、彼女の見解は変わらない。実は彼女こそ彼の下を1年程前に離れた女であり、この結界内ではこの女の主張する論理もキチンと成立するのだと。
 
廻る座椅子で夢を見る

廻る座椅子で夢を見る

演劇プロデュース『螺旋階段』

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2021/06/25 (金) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし観る! 華5つ☆ 追記(2021.6.27:02:37)観劇料金も良心的、この作品でこの値段は絶対安い。

ネタバレBOX

 極めて良く練られた脚本は家族を構成する個々人の個性を深く自然な形で形象化しているが故にフィクションであるにも関わらず、今作のような状況が現実にあれば、現実の方が今作を真似て動いてゆきそうな感さえある。それほど本質的且つリアルな普遍性に到達している。
 誰しもが生きて行かねばならぬ現実を抱え、貨幣経済の中では稼ぐことを強いられているが、どのような職業に就き、どのように稼げるかは個々人の置かれた状況、持っている能力や運・不運、学歴、人脈等によって異なろう。その現実が厳しければ厳しい程その現実を強いられる家族個々人のプレッシャーはいやが上にも増大する。それが村八分社会が現存する日本社会の偽らざる現状である。逃げ場の無いこの現状で個々人が特定され、簡単に拡散されるインターネット社会移行期(今では遠く感じるであろう格差社会を展開するに主体的に関わった現パソナ会長前)の我が国に於けるバブルとその崩壊過程を一般庶民の、即ち中流家庭の仮面と実体を見事に描いた今作は、この時代を知らない或いは本気に向き合わずに済むと思っている若者にも観ておいて欲しい舞台である。この作品がどれれほど深い真実を描いているかいつか解る日がくるであろうからである。無論、時代を実体験した世代にも観て欲しい。今までそれと気付かなかった自分達の姿や選択について深く考えを巡らす契機となるであろうから。舞台美術もこの家族の生きてきた歴史を示すような使い込んだ座椅子が板中央にデンと据えられ物語の歴史的普遍性を今に伝えようとするかのようである。役者陣の演技も深い。単にキャラが立つというより味がある。而も観劇料が実に良心的である。演出もラストシーン等本当にソフィスティケイトされているだけでなく余韻を残す素晴らしいものであった。実はスタンディングオベーションをしようかと思ったほどである。
山姥の息子

山姥の息子

水中散歩

シアター風姿花伝(東京都)

2021/06/23 (水) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 殆ど異界の生き物たちは消えてしまったようだが、その原因は? 人工の作り出した電磁波? 異界の者たちの発していたものとは?

ネタバレBOX

 今作の作・演出家は出雲大社のある地方のご出身とのことで、この大社は八百万の神々が年に一度集まることでも知られる。遠野の民譚は良く知られているが、出雲の国も民譚の宝庫である。この地は「日本書紀」「古事記」「出雲国風土記」にも記され、独自の文化圏を形成してきた。今回は基本的に山姥の息子と地域に暮らす語り部の家族らを中心として展開する話であるが、都会育ちにはなかなか描けないタイプの作品と言って良かろう。何より自然に対する態度が異なるのである。総ての命の尊さを一様に等価と見做し実践してゆく生き方と言えば良かろうか。そんな念の籠った、そしてそれを見事に形象化した作品である。舞台美術も合理的で都会中心の劇団なら箱馬で済ませる小道具も自然な感じの手作りを感じさせる物を用い作品に合った形にしている他、音響は弦楽器、太鼓・拍子木などの打楽器、鈴、指笛等を用い多彩な音響効果を生で響かせる凝りようだ。ヒトと異界の者達を結ぶ世界観とそのような世界観を成立させる為の価値観そのものを提示しているのみならず、そのような世界へ至る為の心構えをも提起して見せた作品と捉えた。
バトルロイヤル公演第十三弾

バトルロイヤル公演第十三弾

ThreeQuarter

JOY JOY THEATRE(東京都)

2021/06/12 (土) ~ 2021/06/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


 つかの採った創作方法がアテガキだったため、様々なヴァージョンが存在する今作だが、流石人気の作品だけあって脚本では登場人物それぞれのキャラが見事に立っている。雛チームの演技を拝見した。華4つ☆

ネタバレBOX

惜しむらくは序盤から中盤までの流れがイマイチだったことだ。つか演劇を演じるのは難しい。圧倒的な熱量とハイテンションでいやが上にも観客を巻き込めなければ、観客はその作品を全身全霊で受け取ることができないタイプの作品だからである。機関銃の弾のような勢いで飛び出す台詞、台詞に込められた被差別の意味と無念! そして極端なはにかみ屋だったつかの本当の優しさを隠す為の差別用語の多用。被差別者の行動は一般的に、差別者の側へ必死に同化しようとする。この努力は並大抵のものではない。殆ど命懸けのトライなのであるが、今作にもそのことが良く顕れている。このような本質をキチンと理解している演者4人の総てが中盤から俄然良くなった。エンジンが掛かったということなのだろう。ということは中盤迄は役に入り切れなかったということのように思われる。出の前に充分な柔軟体操とウォーミングアップをし、体の隅々迄血流を十全に通わせておきたい。身体で間を取れる位になると理想的だと思われる。当然、呼吸法も大切だ。また、木村伝兵衛がファーストシーンでグラスを煽るシーンは、スピード感を以て煽る感じを強く出すか、動作を遅くするなら唇の方を持ち上げつつあるグラスに寄せるようにして飲むかした方が呑んべえらしさが良く出るように思う。音響・照明を用いても良いから、兎に角ファーストシーンでイキナリ観客を劇の時空に取り込みたい。つかの作品には、そういう演出が活きるように思う。
『GK最強リーグ戦2021』

『GK最強リーグ戦2021』

演劇制作体V-NET

TACCS1179(東京都)

2021/05/26 (水) ~ 2021/05/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 ガチバトル。15分の換気休憩を挟んで一挙に2作を上演し観客の投票によって雌雄を決す方式で統計的に後発が優位というデータがあるとのことでじゃんけんによって先行・後行の決定権を得る。今回はじゃんけん勝者である猿組が先行を選んだ。

ネタバレBOX

「猿組式西遊記∼火焔山の辺りの話」2021.5.28 13時 俳協ホール
 中々、胸に沁みる物語に仕立てている。というのも牛魔王と羅刹女の一人息子・紅孩児は火焔山の炎無しには生きられない宿命を負い、その炎を維持する為には人の命をくべねばならぬ。心根の優しい紅孩児は己の宿命の為に犠牲にされる人々の無念を思って心が晴れない。而も牛王は悟空の兄貴分に当たり、紅孩児は甥に当たる。
 西遊記は経典を求めて天竺行きを目指す奇譚であるがエンターテインメントとしては、三蔵を喰らえば寿命が延びると信じる妖怪と悟空・八戒・沙悟浄らの戦いを面白おかしくまた武術の殺陣を見せ所として描かれるケースが圧倒的に多い。今作もこの2つの要素を取り込んで作られているが演劇としては前者に重点を置き、殺陣シーンは極力抑えた方が、却って作品としては深みを増したのではあるまいか。評価:華4つ☆

「胸に月を抱いて」2021.4.28 14時10~俳協ホール
 魂の転生譚である。転生する魂は、岩村 抱月と松井 須磨子の2人。無論、この2人の関係については衆知の事実があるから余計な説明は省く。恋愛は誰でも経験があろうし、甘さも苦さも天国と地獄の甘美と苦悶も経験していよう。そして互いに、本気が長続きすることが無いという寂しい事実も知っている。然るに今作では、永遠の愛が描かれ、実現している。この奇跡が感動を呼ぶ程に脚本は練られ、演出も良い。演技も殊に抱月の生まれ変わりというより抱月の魂を宿したハイパー・メディア・クリエーター、上原を演じた役者の演技がグー。流石にV-NET創立メンバーの貫禄を感じさせた。評価:5つ☆

自り伝5・再び京都編

自り伝5・再び京都編

平石耕一事務所

シアターX(東京都)

2021/05/13 (木) ~ 2021/05/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 脚本はぴか一! 然し噛むシーンが前半多く、興が削がれる点があったのが残念。華4つ☆

ネタバレBOX


 「自然真営道」という本の名前は歴史で習ったことがあろう。自分も未読の書だが総ての人の平等を説き、それが幕藩体制を揺るがす思想であるとの懸念から幕府から安藤昌益は目を付けられ追われていたという。可成りアナーキー且つラディカル而もエコロジカルな書で、鋭い観察眼とバイアスを排した視座で人生に臨んだ人物と解釈できる。これに対し小児科医として登場する若き日の本居宣長(劇中殆どは改名前の春庵として登場)との論争も興味深い。昌益の発想はファクトにのみ根拠を求め、ファクトのみをベースとして総ての思考を紡いでゆく科学的思考であるのに対し、春庵は残された和歌や王朝文学、古事記等を考証することによる思考である為、神話が成立する要件やその必然性を考慮しえず「大和魂」に新たな解釈を加え革新はしたが、それが上澄みでしかないことを理解し得ぬ性質の思考であることには気付けなかった。
 今作で大活躍するのが、琉球出身の和算の天才・九つである。十六歳だ。(現在の満年齢で言えば15歳丁度中学3年か)昌益も九つも科学的思考の持ち主であるから、思考の原点には論理の、観察事実の絶対がある。それは思考の絶対的根拠・本質を為す。この2人の天才の周りに集まる人物達の能力も無論頗る高いのであるが宣長にしたところでその思考原理の根拠こそ薄弱なものの、そのマインドはオープンであり知的好奇心に富み、子供達の言葉の意味する所を聴き取る耳を持つ。(現代小児科と呼ばれるジャンルは、当時唖が声を出すことのできない障害を表す字を用いて唖科と呼ばれていたのは過ちで「子供はちゃんと病状を話しているのだが、医師に子供の声を聴き取る耳が無いせいだ」と断じ小児科と言い直すシーンがあることで分かる)
 今作の脚本が優れているのは、この得体の知れない病が伝染病であり、原因が当初特定できない段階から罹患者と非罹患者を分離・隔離すべきだという極めて真っ当で科学的な発想を実践すべくドンドン手を打ってゆく姿勢と見識の高さ、それを支える事実確定の筋道の確かさである。現今の日本人に欠けている最大の特徴がこれらの特質である。日本では殊に為政者の中にこそ、この能力が最も低い者が圧倒的に多い。庶民は、沁みついた奴隷根性の所為で正しいことを考えても実践できない卑怯者が多い。この両者が相俟って現代日本の劣化を招いた。肝に銘ずべきであろう。
 脚本は抜群だが、残念なことに噛む役者が多く興が削がれたシーンがかなりあった。演出家・脚本家が同一なのでアテ書きをするなり、それが無理なら稽古にもっと時間を割くなり、各々の役者がイメージを明快に思い浮かべられるように協働作業をしつつ演出すれば良いのではあるまいか? {2009年来日したワジディ―・ムアワッドという劇作家に会った時に(原題「L’Incendie」・邦題「焼け焦げる魂」2009年10月28~11月3日ピープルシアター日本初演で来日)}どのくらい練習したか尋ねた所約1年との答えだった。カナダが世界初演で文化に対する国家の力の入れようが、日本のアホ政府や官僚とはけた違いだから日本の劇団が1年掛けてじっくり仕上げることは無理だろうが、協働はできるのではないか? 因みにカナダの役者も来日していてその役者は世界初演から相当の時間が経過していたにも関わらず自分と会ったその時点で総ての台詞を言うことができると言っていた。

超ではない能力

超ではない能力

24/7lavo

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2021/05/13 (木) ~ 2021/05/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 役者全員、熱延!

ネタバレBOX

 この絶妙なタイトルセンスに惹かれた訳だが、無論この設定自体が笑える。但し今作は、それだけに留まらない。チャラついたこの国の可成り多くの表層しか見ない人々の悪弊は相も変わらない。井の中の蛙でしかない彼らが、ある主長や言明の拠って立つファクトの確認もなしに独善的な判断を下し、而も批判する際には殆どが実質的匿名で批判するので極めて無責任な攻撃になりがちである。だが、このような状況を逆用して今作は、人間の本質に切り込んでゆく。死を意識することによって際立つ生きることがその根底を為し、そこで超ではない彼ら・彼女らの能力の成長も描かれるのである。設定自体が日本では余りまともに考えられていないエスパーに関するものなので、役者陣の一所懸命な役創りが勝負の分かれ道だが、出演者全員が懸命に役を生きようとする姿勢に好感を持つと同時にピンチをチャンスに切り替える有様をキチンと描くことで、アホ政治屋とアホ官僚共が牛耳るこの情けない「国」の塗炭の苦しみを日々余儀なくされている庶民を何とかフォローしようとの熱いエールも感じられる。
お月さまの悪戯

お月さまの悪戯

劇団CANプロ

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2021/04/23 (金) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 華3つ☆

ネタバレBOX

 シナリオ自体の踏み込みが浅い。物語は養護施設に関わりのある人々の間に起こったある「奇跡」について描かれるが、登場人物は4人、総て女性である。養護施設に預けられる子供達の多くはネグレクト、虐待等の問題を抱えていることが多く、そのトラウマは身体的記憶となって生涯消えないような重い傷を残すことも多い。そのようなことは作家も調べているハズである。それを日本のような元々儒教社会が長い歴史を持つ国で対立要素の男性を実際の板上に1人も登場させずに描いていること自体、作品の底を浅く、社会を単純化し過ぎている。折角、生の舞台で演じ、観客が居るのだから観客にもっと生々しい生き様を突き付けるような舞台であって欲しかった。先ず恵子がlunaticalにならざるを得ない必然性をつぶさに描ければ、遥かに重く深い作品に成り得たであろう。そうであればタイムスリップというSFという形を取らず、lunaticにならぬ為に、命ギリギリで幻想を紡ぎ自衛する為のケレンとして能や歌舞伎の幽玄、ケレン、生と死等深く本質的なレベルに達していたであろう。無論、尺は長くなるが。
引き結び

引き結び

ViStar PRODUCE

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2021/04/21 (水) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 満を持しての公演、それだけのことはある。サービス精神旺盛、そのサービス精神でふやけた日常を過ごす我々一般日本人に対しおちゃらけた笑いをふりまき和ませてくれると同時に普遍性に届く極めて大切な問題については果敢にチャレンジしてゆく。極めて味のある而も深い作品に仕上がっている。何故、自分がこのように評価するのかについては追送する。(後記追送)

このページのQRコードです。

拡大