ぱち太の観てきた!クチコミ一覧

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ワークインプログレス・子どもたちは未来のように笑う

ワークインプログレス・子どもたちは未来のように笑う

遊園地再生事業団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2016/03/05 (土) ~ 2016/03/16 (水)公演終了

満足度★★★★

子どもより夫婦や母親の心の形・・
なのかな、と思った。

確かに子どもは素敵だ。存在自体が素晴らしい。キラキラしている。

でも、たとえば夫婦が子供が産めないからといって離婚するものなのか?

自分が将来結婚して、奥さんが子どもが出来ないからと言って離婚するのか?

そのことが原因で離婚するとは到底思えない。子どもが出来れば素敵だとは思うけど、勿論。

子どもというのは目的じゃなく、夫婦の間で幸せなコミュニケーションを積み重ねた末の予期せぬご褒美のようなものだと思うし、そうであってほしい。

そう考えると何に注目したらいいのか分からないぼんやりしたタイトルそのものがまず疑問だ。

未来のように笑う子どもに誤魔化されたらいけないんではないかな。地道なコミュニケーションこそが重要だ。

観に行くのか若干迷ったが見ることにした。ちょっと遅刻したけど(苦笑

ネタバレBOX

戯曲の作者の目線が男性か女性かで大分違う。

もちろんそれを取り上げた役者の意図によっても。

気のせいか女性目線の作品が少ないのは日本の演劇の特徴だ。唐十郎なんかが出てくると演劇的ではあるけどずいぶん偏ったものの見方だなあと改めて思う(苦笑

これを作品に組み込むと癖のある作品なだけに全体を通した作品の解釈がぐんと難しくなる気がする。

子どもは素敵だ。でも、正直もっと子供のいない人たちの子どもが居なくても幸せに普通に暮らせる話を盛り込むべきだったと思う。

子どもの存在の話をするなら逆にもっと不在の話をした方が良いと思う。

子どもがいない状態でも幸せな夫婦の話がもっともっともっと必要だと思う。夫婦の子どもも「子ども」なら、子どものいない夫婦の奥さんも元は誰かの子どもなのだから。

「子どもがいない夫婦も未来のように笑うよ」とタイトルに追加すればよかったのにな、と思った。

ワークインプログレスとはいえそういう意味で構成的に悪かった感は否めない気がした。

それでも、こういう作品がもともと少ないせいか成果はあったと思う。

子どもたちが未来のように笑うとはどういうことなのか?

最近関西で子どもが観客で歓迎される舞台を何作品かみたせいか、作品だけじゃなく、観客の子どもより周りの大人の観客の緩さが重要なんじゃないかと思った。

実際、自分が観たアゴラの観客席に子どもはいなかった。

7時開演の開演時間の遅さも問題だと思う。子どもがもっと観客席にいなければ。分かりやすくなければ。子どもが退屈して声を上げても許すぐらいの寛大さも必要だと思う。全回11時開演にして、アフタートークだけ昼の回の録画映像を流した後夜に行えばいいんじゃないかとも思った。

観客席に子どもがいない舞台で子どもを語る意味はなんなのか?

議論?はもっとシンプルでも良いんじゃないかと思った。

主役の子どももいなければ同じくらい重要な役割を果たす子どものいない夫婦の話も出てこないのはちょっと不足感が・・子どもが我々を笑顔にしてくれるわけじゃなく、子どもが仮に一人も存在しない世界でも我々が笑顔でいられるからこそ、そこに生まれ落ちた子供たちも笑顔でいられるからこその未来なんじゃないかという気も・・
MOON

MOON

ユリイカ百貨店

元・立誠小学校(京都府)

2016/03/11 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

他人事のような顔をして見に行ったら・・
ブスリとやられた。

受付をちびっ子がやっておりました。

一生懸命もぎろうとしていたので心の中で頑張れ頑張れと思いました。

きれいにもぎれなかったけど逆にずいぶん愛しい感じのチケットの半券が出来上がった。

ネタバレBOX

恋をしていると、あるいは誰かを好きになると、たとえ人形でも人形だと気づかなくなる。

大昔のポスターの女優、あるいは遠い昔に亡くなった人の写真を今のものだと勘違いしてしまうようなものなのかな?

なんか他の人だと良く見えるのに、なんでかその人だけフィルターがかかってしまう。いいことも悪いことも。落ち込んで歩いてみて春のきらきらの中で気のせいか道行く異性がみんな自分に微笑んでくれるような・・でも心は憂鬱。だってあの写真の中の三日月氏はどこにいるの?

でもきっとそんなことって誰にでもあるよね。

『気のせいか、オジさんには君の周りにいっぱい若くてステキな男子がいるように見えるんだけどなんでまだ冬にいるような顔をしているの?』

三日月氏は人形。でもそれって絶望?

自分のなかの理想のきらきらに気づけたなら、もう春はすぐそこだと自分も思うな。

この世のすべてに春が来ますように。

でなければきらきらした笑顔のちびっ子も増えないから、もし将来僕に娘が出来ても結婚するきらきらした笑顔の青年が現れないってことにもなるからなぁ・・
るろうに剣心

るろうに剣心

宝塚歌劇団

宝塚大劇場(兵庫県)

2016/02/05 (金) ~ 2016/03/14 (月)公演終了

満足度★★★★★

そういえばこの前・・
見てきました。

想像以上に宝塚らしいつくりになっていてとても良かった。

男性も大勢観に来て欲しいなぁ。

奴らの影踏む千葉

奴らの影踏む千葉

MCR

シアター711(東京都)

2016/02/03 (水) ~ 2016/02/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

主役が誰なのか
観る人によって変わると思う。

ネタバレBOX

よ~~く見ると、この時点での物語には二組のカップルが存在するような気もする。

3000万円貢いで殺される女の子とその愛情を空気のようにしか感じない男、そのお金で食べる給食の味がしないと笑顔で話す娘と、その娘の前では死ぬほどカッコいい父親であり続けたい冴えないオッサン。

娘と弟が古臭い歌を泣きながら女の子に熱唱したときから運命の歯車は狂い始める。

男は紛れもないスターだった。

眩い光で見る者を魅了するが多少時代遅れだった。

彼の時代が再び訪れない限り、女の子の従属物でしかなかったはずだった。

しかし機は熟しつつあった。

男は再びブラウン管に映って、でも家に帰ってスポットライトを浴びていない自分の方が素敵だと娘に言われる夢に酔っていた。

女の子の方はと言うと、全てを捧げつくしてなお1000馬身も差をつけられているのに気付きながら、更に自分よりずっと若くかつ父親と血のつながった娘の眼を見て現実を感じながらなお夢を捨てることが出来なかった。

それがこの物語のクライマックスだった。

cicada

cicada

八焔座-Yaenza-

王子小劇場(東京都)

2016/01/22 (金) ~ 2016/01/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

すみません、
支援会員枠で観たんで、チケットシステムについての理解が不十分で・・

でも舞台を観てHPを観てみてやっとわかった気がした。

このチケットシステムが舞台上にどう反映されているのかは見れば分かると思う。いいんじゃないか。確かにキャラがかぶっててこの人この舞台に必要なのかな?と思う機会が全くない。みんなギラギラしている。

ただ、このチケットシステムだと笑える三枚目の役者に票が集まらない気がする。
それだとどうしても芝居の全体の構成としてのバランスが悪くなる。

個人的には三枚目の役者があと一人だけ必要だった。できればガリガリの人が(笑

どうしてもシリアスな物語だけだと疲れてしまう。

若い人ならとにかく、中高年の男性の観客が小劇場には多いから、目を休める時間も必要だ。

そういう意味ではチケットシステムに関係ない三枚目枠は別個に必要なような・・

でもそれ以外は緊張感のある「俺を・私を・見ろ」オーラが感じられる舞台は新鮮で素晴らしい。

暗い物語も良い。

今週はショウダウンも観たんだけど、明るい物語と暗めの物語のどちらが好きかっていうと・・暗い物語かな、個人的に(笑

役者それぞれがライブの朗読とかでちょこちょこ活動してないとまったく判断する基準が無いので初見の観客は凄く判断に困るところだけど・・旗揚げが王子で本当に良かった。

鶴巻紬のオールナイトニッポン

鶴巻紬のオールナイトニッポン

喪女会

SPACE EDGE(東京都)

2016/01/20 (水) ~ 2016/01/24 (日)公演終了

満足度★★★★

こんな形の舞台が
あるんだなぁ・・という。

ネタバレBOX

たぶんタイトルが表す内容そのままで舞台が始まって、急に芝居が始まったり、横に座っている制作サイドのいじりがはじまったり、最後は映画のエンドロール・・

やりたいことをやりたいようにやって、面白いかどうかはひとそれぞれだけど、
こんな舞台のやり方があるんだなぁっていう。

こういう舞台が増えるともっと色んな可能性が増えて観客の楽しみ方も増えそうな。

もう少し笑えるネタが増えるといいんだけど、アホな男子を入れるだけでだいぶ違ってきそうな気もするけど、それだと趣旨が違うのか・・?(笑
苔生す箱舟

苔生す箱舟

万博設計

王子小劇場(東京都)

2016/01/09 (土) ~ 2016/01/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

この舞台
自分は大好きなんだけどなぁ・・初見だけど。

八尾市文化会館で自分は万博設計のイプセンの作品を観てきた経験が役に立っているのかもしれない。観なくても楽しめた自信はあったけど。

・・・なるほど、こういう作品が分かりにくいのか・・

自分は事前にサカイヒロトの舞台美術という情報をフェイスブックで仕入れていたので、粗筋をみながらどういう作品か事前に予想したうえで、実際に観劇をしながらそれを裏切られる楽しみがあったんだけど。

確かにコテコテのドギツイ大阪弁で関東の人間から見ると攻撃的にも見える大阪人のボケ・ツッコミが観念的な舞台などに入ってくると他の地域の人に全く意味不明になって不評だという話はずいぶん昔から良く聞く。

でも東京生まれでずっと東京育ちの自分でも何回か観ると全く気にせず全体の文脈を理解しながら楽しめるというか、関西の観客は観念的な感じの流れだけで統一されるのを非常に嫌うというか途中で退屈するというのが分かってきたというのもある。

舞台を観ながら、これが関西でやってたら・・たぶん途中で寝かかったオッチャンが大阪弁で何やらわめき始めた瞬間「なんやなんや?」と起きだす姿が目に浮かぶ。それを想像しただけで自分は十分楽しい(笑 舞台の文脈とは別に。

それとイプセンめいた雰囲気と、チェーホフのパクリの台詞とサカイヒロトの一見シンプルな舞台美術の意図が徐々に明らかになり、文脈の中で行かされていくのに従って、舞台の上の全員が・・・・・なんじゃないかっていう朧な確信に変わっていくところとか観ていてゾクゾクする。

これだけ純粋に面白い作品が全くわからない人が多いかもしれないというのは、逆に自分にはちょっと意外で(観劇中はまったく気づかなかった)・・でも高校生の方が楽しめたのかも。ひょっとしたら。

なんか最近自分以外の観客のことが全く分からなくなってきたかも・・。

みんなアフロジャックに集まる人たち位シンプルだったらいいのになぁ・・

idiot

idiot

青年団若手自主企画 vol.64 山内企画

アトリエ春風舎(東京都)

2016/01/05 (火) ~ 2016/01/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

・・・これは結構・・
観客が男性か女性かで見方がだいぶ違ってきそうな・・

ほとんどの男性客が観た場合、これを見ても渋谷のハロウィン騒ぎくらいしか思いつかないんじゃないんだろうか?
それを待つ人というか。

・・例えば日曜日にZEDDのツアーが幕張であるけど(自分はいかないけど(苦笑
このZEDDが日曜じゃなく、いつか来て未知のワクワクするパーティーに連れ出してくれるのを待つ女子二人と考えて自分はこの舞台を観てみた。

ネタバレBOX

女子二人の身の回りに現在あるのは、POPEYEか何かに載っているような、いわゆる「女子ウケする何か」で、それらがゴミのように雑然と、でもライトに照らされて、散らかっている。

配置に哲学が無いように、それらのものにも心が無い。だから満足させることができない。

その二人が待っているのは、その薄っぺらい調度から自分たちを引き抜いてくれる、クモの糸の先のキラキラ。
クモの糸は真ん中の電話。3コール以内に出なければならない。

キラキラとは、女子にとってのジャスティン・ビーバー的な何か(自分の中ではZEDD、男子にとっての(笑

二人は呼び出しを待つうち、その雑誌の切り抜きから抜け出たような消耗品の中で待つこと自体に喜びを見出すように・・思い込もうとするが、そこで二人ともが揃って前向きの言葉をひねり出せない。

女子にとってキラキラをつかむというのは戦争。
ここでの戦いの手段は、ひたすら待つということ。
でも負けるかもしれない。
そういうの思い浮かぶ女子はメチャクチャ多いんじゃないのか。
負けても心が折れないために、言葉で元気を出す。・・・でもできない。前が向けない。

子どもの頃は、いつか大人になったらキラキラする世界の中に包まれていることを夢想したものが、成長とともに待つ時間そのものに意味を見出すようになる。

身の回りの見かけだけオシャレなセットはいわば借り物。

本当の自分はどこか別にいる。

良く考えればそんな人はそこかしこにいる。というかひょっとしたらほとんどの女性がそうかもしれない。主婦なんか特に。

そうでなければ韓流スターとかあんなに人気があるわけがない。

でも、ふと考えるんだが、この「キラキラ」って本当の意味でのキラキラなのかなぁ・・?
例えばだけど、ジャスティン・ビーバーが煤けた街に現れただけで、町が輝きだすことなんてあるんだろうか?

男性にとっての答えは・・結構「NO」なんじゃないかって思う。
それだけじゃなくって煤けた自分の家の壁でも新しい塗料で塗りたいよね、自分で。
人だけキラキラで町が煤けてたらちょっとへこむかもね。

女性にとっては・・意外と「YES」かもしれない。
別にジャスティン・ビーバーじゃなくっても、女性は母親になったりもするから、人の成長に強く惹かれる面があると思う。
誰か人が成長する。成長する人がいる。
それだけで町が輝きだす。
どんな町だって、人が成長する場所にいたいものなんじゃないかな。

だから女性は成長をやめた人に囲まれると簡単に自分の居場所を変えるし、逆に旦那が死んでも子どもたちがまだ発展途上なら世話を焼くのをやめたがらないとか。気ままに生きればいいのに。

そういう意味でのキラキラ、だと自分は解釈してみた。

足りない男子らが女子を喜ばせようと形だけ準備したように(自分には)見える、心のない製品のなかで来ないキラキラを待ちながら女子らはどんどん焼尽していってしまう。

・・いかん、ピンチだ!

この舞台、登場するのは女子二人だけど、見えない所にいる男子らを観客がどう想像するかが非常に重要だ。

俺、ブサだからジャスティン・ビーバーにはなれねぇよ、で思考が止まっていたら世界は救われない(苦笑
ていうか、それって成長してないよね?
俺の中のキラキラが増えるためには、観客の男子らの成長(≒気づき)が重要だ(笑
自分も男子ではあるが神目線で。

観客席を見渡してみると若い男子の観客らが「何スか?この話まだ続くんスか?」みたいな顔して俯いていたけど、男子らにこの70分は結構勉強になるとは思うんだけどな・・観察眼を働かせれば。物語のもう半分の男子パートを想像力を埋めるのは君たちだ!と思いつつサクッと帰った夜。
海の詩歌(オード)

海の詩歌(オード)

「海の詩歌」実行委員会

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2015/06/30 (火) ~ 2015/06/30 (火)公演終了

満足度★★★★★

アルヴァロ・デ・カンポス
アルヴァロ・デ・カンポスの詩は凄く好きで・・ペソアの中の完全な別人としてのアルヴァロ・デ・カンポスなんだけれど、それがこんなフィジカルな舞台になるとは思わなかった。

ほとんど役者一人で叫んだり飛び跳ねるだけで成立する舞台。素晴らしい。

まつりのあらし

まつりのあらし

カメハウス

パシフィックシアター(大阪府)

2015/08/20 (木) ~ 2015/08/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

高知弁・・
高知弁を使ってここまで本格的な芝居が作られるとは正直思っていなかった。

しかも今まで自分が知ってるこの劇団の作品は方向性が全く違うのに。

昔、何度か夏の高知に旅行に行って、ガラガラの道路の端っこのコンビニの駐車場に寝そべって夜明けの空を眺めたり、高知の友達と好きな漫画の話をしたりしたことを思いだしたりした。

HODOCHICCHI

HODOCHICCHI

鉄割アルバトロスケット

ザ・スズナリ(東京都)

2015/08/08 (土) ~ 2015/08/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

やっぱり年に一回は
鉄割を見ないとだめだな。

出来たらまた根津の宮永会館あたりで弟氏の活躍なんかを中心に眺めたいもんだ。

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場「ガリバー旅行記」

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場「ガリバー旅行記」

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2015/10/15 (木) ~ 2015/10/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

2作品とも観たけれど・・
個人的にはこちらの作品の方が好きかも。

・・やっぱ生きた馬が出てくるからかな?

生きた美しい馬の迫力にはなかなか人間は太刀打ち出来ない。

以前もラドゥ・スタンカの作品を観たけど、どの作品も洗練と言うよりは凄くパワフル。

でもそれって、自分もインターネットで良くみるルーマニアの音楽番組なんかにも言える事なのかも。

洗練と言うだけでも日本の作品を凌駕しているけれど、それを上回るジプシー的な想像力の混淆具合に目をすぐに奪われてしまう。

昔は想像しながら見るだけだったけど、今はフェイスブックとかでたまにしか日本に来ない劇団の情報収集もできて事前準備できるから良いね・・

ボリショイ・ライフ

ボリショイ・ライフ

げんこつ団

駅前劇場(東京都)

2015/11/04 (水) ~ 2015/11/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

観てきました
観て、勿論面白くないわけはなかったんですが、なかなかすぐに感想を書けない昨今・・いや、勿論最高でした。

・・他にも感想書く時間が無かった作品が山のように・・(汗

Theater ZOU-NO-HANA 2015

Theater ZOU-NO-HANA 2015

象の鼻テラス

象の鼻テラス(神奈川県)

2015/12/04 (金) ~ 2015/12/23 (水)公演終了

満足度★★★★★

5日に・・
ツアーからクルーズ、スイッチとみてきました。山内健司氏の一日を通しての活躍に、ツアーの横浜の路上の詩人譚の話も含め深い感銘を受けました♨

MEMENTO2

MEMENTO2

カメハウス

一心寺シアター倶楽(大阪府)

2015/12/26 (土) ~ 2015/12/29 (火)公演終了

満足度★★★★★

関西の劇団っていうより・・
なんか以前から感じていたんだけど、
東京本公演がまったくないんで関東ではあまり印象に無いんだけど、
物語ってだけじゃなく設定の独特さ、
あと何といっても主人公含め生い立ちが薄暗い設定のキャラクターばかりなのにみんな純粋なところとか、
完全に独自の色を出しているって言う点では国内の劇団では突出していると思う。

矢継ぎ早に物語が展開していくんで観客が物語についていくだけで精一杯かもしれないけれど(3時間を越えるにもかかわらず!)
最後まで物語の勢いが落ちないところとか凄すぎる。

主人公の女優が今回で休業するみたいなので、
ちょっと見逃すと一生後悔するかもしれない。

個人的には自分と同じように東京の観客に見てほしいなぁと思う。

クオリティという点では関西にも同じかそれ以上の劇団があるのかもしれないけれど、
作・演出の亀井氏の世界観が痛いほど分かりすぎる。

今年も関東・関西・東北とかでぶらり演劇を観たけど、
個人的な好みではダントツかも。

ただいま

ただいま

劇団こふく劇場

こまばアゴラ劇場(東京都)

2015/12/19 (土) ~ 2015/12/23 (水)公演終了

満足度★★★★★

最初地点ぽいなと思ったけど・・
観てるうちにのめりこんでいったら気にならなくなってきた。

全編女性目線の物語の作り方なのが面白いなと思った。

宮崎弁と言うけれど凄く聞き取りやすい。

最初2時間と聞いてええ、と思ったけど最後は悪くないなと思った。

宮崎というと自分のイメージでは九州のなかでダントツの田舎なんだけど・・(鹿児島なんかは距離的には遠いけど島に行くため東京の人間がいっぱい行くんで宮崎のほうが田舎っぽい気が・・)そこをうまく生かしてるんじゃないかと思った。

ちょっと長いけどがんばって見に行ってもいいんじゃないかと思う。

ネタバレBOX

石垣を作る石工の話がすばらしいと思った。

なかなか若い人の芝居なんかではこういう話が出てこない。

地味でもしっかり的なストーリーも、若い人がただ感じたというだけでは駄目で、歴史とか過去の人がつくった石垣とか、そういった実例がないとなかなか老人を納得させるのは難しいと思う。

そういった意味では若い観客向けだけに作られていないし、あと地点とかの発声を組み合わせているという意味でも東京の劇団でまったく見られないオリジナリティがあって素晴らしい。

どちらか片方だけというのは良く見かけるけど・・

面白い物語というのは良く見かけるけど、作り手をしてこういう作り方で現在これだけ出来るのか、と思わせてくれる作品は非常に少ない、しりすぼみ気味の現在からするとなかなかいいな、と思った。

あと勢いのある作品というのはたぶん公演直前集中して稽古したりと、普通に仕事していると厳しそうだけど、こういう作品なら30分程度の作品なら普通に仕事しながらでもできそうな・・そういう意味ではいい例になりそうな気が。

誰と結婚しても同じというおばぁちゃんの話は含蓄があると思う。

物語の最後にこう来るかと思った。

でも、よく考えて見ると・・男性なら60代でも再婚できるかもしれない。
女性はそういう意味ではよほど条件が良くない限り再婚というのは難しく、特に昔の場合。
おばぁちゃんくらいになると、死んだおじいちゃんじゃなくってあの人と結婚していたら、と思うことも一度や二度じゃないだろう。
後悔したことが皆無というのはありえないと、自分は(男性ながらに)想像する。

だからこそのこの台詞。
同じ女性に対しての優しさなんじゃないかと思う。
いや、厳しい現実というべきなのか。

男性に対しては決してどの女性と結婚しても同じとは言わないと思う。
いや、言うかもしれない。
でもその場合は結局あんた次第だと付け加えることを忘れないんじゃないのかな・・
五反田怪団2015冬

五反田怪団2015冬

五反田団

アトリエヘリコプター(東京都)

2015/12/16 (水) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

仕事帰りに
行ってきた。

吉田氏の踊りが最近パないわ・・

俺が読む哲学の嘘

俺が読む哲学の嘘

劇団 幕星

中野スタジオあくとれ(東京都)

2015/12/11 (金) ~ 2015/12/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

65分くらい(上演時間)
休日出勤のあときょうくらいしか見にいけねぇ!とダッシュで向かったら奇跡的に間に合った(苦笑

桜井氏の脚本を本人以外の演出・出演で見に行くのってあんまり記憶に残ってなかったんでどんなものかと思って少し不安に思ってた。正直。二次創作みたいなもんかな?とも。でも観始めてしばらくして慣れてくるとがぜん「良いじゃない!」となってきた。さすがに桜井氏の役を本人以外がやるのは違和感があったけど、でもこれが良い道筋になるんじゃないのかな。誰かがやらないと他の人が真似しにくいともいえるし。

個人的にはこういう作品こそ高校演劇とかで上演するものなんじゃないかと思った。

多くの名作はバランスを重視するあまり愛情的な物が描かれない。

そもそも愛情みたいなものはアンバランスの塊みたいなものなんだから、バランサーになった時点でどこか遠く隔たってしまうのは当たり前なのかもしれない。

その点、この作品はアンバランスの塊。

作品の無軌道な構造そのものが愛を体現しているといっても良いのかもしれない。

しかも、そこに別人の演出によってさらに奇妙な安定感が生じているように見える。

ん・・・こんなことあんのか?

こういう演出のことをマジックと言うのかもしれない。

舞台の上に登場するのは頭のネジがぶっ飛んだ登場人物ばかり。

それなのに、そこになんだか奇妙な夢の中の靄みたいな空気が漂う。

落ち着いた悲壮はやがて、対峙するディスコミュニケーションと共に、なんだか主人公の苛立ちとゆるふわの入り混じった夢の中にいつの間にかみんな取り込まれてるみたいな・・まるでJ・G・バラードの夢限世界に4畳半宇宙が何の特別な小道具もなく口先だけの囀りによって取り込まれていくみたいな・・そんな奇妙なねじれ感が、見えてくる。

一見何てことないけど、こういうのって想像以上に凄い。

言葉は桜井氏で演出が関村氏というのでどうなるのかと思ったけど、ようはリリックがパンクでメロディがそれとはまったく別の・・うまい喩えが思いつきませんが、スミマセン(苦笑

普通、こういう荒馬みたいな脚本を使えば台詞ばかりが頭に残るけど、今回は演出も両方残る。

作品の中に登場人物以外に2人いる。見える。

その2人が主人公と見えない幽霊の愛について神輿を担いでいる。
最初、それが愛には見えなかった。
でも今は見える。なんでかよくわからんけど(苦笑
なるほど、「僕たちこんなに愛しているんです」っていう人たちは本当は愛してなんかいないんだね。きっとなんか愛しているってことは、誰かが居なくなったとしても一人でニコニコしながら退屈そうに散歩できる人なんじゃないかね?小一時間くらい。

心の中に人ひとり住まわせられるかどうかってことは、きっと、心霊写真専門のキャメラマンのレンズによってしか分からないものなんじゃないのかね(笑

人生や愛とか呼ばれるものは凄くシンプルなんだと思う。

桜井氏の脚本は100年経って今の役者がみんな死に絶えるころには不朽の名作になってるかもしれないな、とかふと思った。

でも今回の舞台自体も地味に凄い気がする。
観客が異様に少ない(キャパゆえに)というのが残念なところではあるんだけど。

ちなみに帰りに会場近くのホームセンター寄ったらもう閉まってた(苦笑

どうぶつえんものがたり

どうぶつえんものがたり

ユリイカ百貨店

恵文社COTTAGE(京都府)

2015/11/22 (日) ~ 2015/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

「私の恋した青木さん」
を見てきました。

先に人間座に行って、それから恵文社、それから劇研に行ったのでこれしかみれなかった・・・

ちびっ子がいっぱいいて良い公演だったな。

ちょっと音声でトチっちゃったのが少し残念かもな。

でも青木さんの素敵さは子どもたちにも伝わったんじゃないかって思う。

それが一番大事なことなんだしね。

汗と涙の結晶を破壊

汗と涙の結晶を破壊

綾門企画

アトリエ春風舎(東京都)

2015/11/26 (木) ~ 2015/12/01 (火)公演終了

満足度★★★★★

この作品は・・
「面白さ」を評価する作品じゃないのかもしれない。

・・というのも美大の作品なんかをたまに見たりすることがあるんだけど
ここに出てくる登場人物と全く同じといって良い学生たちを(作品の中に)見付けた記憶が何個もある。

ネタバレBOX

ただ、この作品を見てみて現実と多少違うんじゃないかと思えることは、
現実の人間たちはそれほど「目立とう」と渇望してはいないんじゃないかってことくらいで・・

それが若さゆえの青さなのか、作品を作り人目に晒すごとにどんどん自分の才能の無さを自覚するのと反比例して人に認められたい欲求が爆発し始めるからなのか。

それは分からない。

ただ、多くの場合才能のない(と自覚している)人ほど認められたいという欲望があとあとになって爆発してしまうのを良く見かける(ように思う)。

それは何でなのか?

この作品にはほんの少ししか触れられていないけれど、
「人に認められる」ということはそれほど蜜の味のするものだからなのかもしれない。

人に認められることを期待しないで作り始めたものなのに、
ほんの少し人に認められただけで舞い上がる経験をした人は多いように思う。

ひょっとしたら自分は才能があるのかもしれない。

ただ現実はそれほど甘くは無く、そんな風に自問自答している時点で天才からは遠く、本当の天才は現れた瞬間に既に疑いようもなく天才で、瞬く間に栄光の階段を駆け上がるか精神病院に送られるか(この場合は一生出てこれない)ということが多いように思う。

この世には下らない賞が多すぎる、ということをこの作品は言いたいのかもしれない。

なんで下らない賞があるのかと言うと、中途半端な才能しかない審査員たちが自分たちより少し才能のない候補者たちを縛り上げてすくみ上がらせて影響力を少しでも長続きさせるためにあるんじゃないか、とも思えなくもない。

この物語の主人公は、作品を作る才能には恵まれていないが、母親や死んでしまった親戚のおじさんに愛される才能には恵まれている。

それが妹には眩しい。

主人公は自分のその才能には気づいていない。

才能は乏しいものの作り続けられるクリエイターにはこのパターンが多いのかもしれない。

でもそれも良いと思う。

常に圧倒的な世界観を突き付けられた作品が立ち並ぶよりも、
ほんわかした作品、作者の人柄が目に見える作品も悪くないのかもしれない。

それが欧米に比べて著しく多い日本の舞台芸術作品の数につながるのだとしても。

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