ぱち太の観てきた!クチコミ一覧

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従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン....

従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン....

Théâtre des Annales

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/03/29 (金) ~ 2013/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

これは・・
たしかにもっかい観たい(笑

当日券できょう午前の回みといてよかった
用事があってアフタートークみれなかったのが心残り(苦笑

来週の土あたり、sonar行く前に・・どかな?

俺がヤギでもその手紙だけは食えない

俺がヤギでもその手紙だけは食えない

GORE GORE GIRLS

王子小劇場(東京都)

2013/03/28 (木) ~ 2013/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

意外と
オッサンに厳しいのはオッサンだったりする(苦笑

自分も三十路なので(笑
まァ、オッサンでないとか言うつもりも無いんだけど、
でもまぁ敢えてオッサンと言うほどのことでもなく、
ただ、俺らオッサンだよな、
と口に出して言うのは同じ三十路の人だったりする(苦笑

でもまぁ、もう死んじゃったけど自分の親父が、死ぬまでメッチャ元気だったんで、
それより遥かに若いのに自らをオッサン呼ばわりして
勝手に足枷をはめてる感じなのが、
なんか鬱陶しくもあったり(笑

例えばなんだけど、
ロックとかでもないんだケド
この前、ジェフ・ミルズ聴きに三ノ宮行ってきたんだけど、
あの人もうすぐ50で、
でも昔のファンク使いのウィザードの頃からテクノ、今は毛利衛とコラボって?
凄くコズミックなWhere Light Ends って、
直接話したことは無いケド、
音聞いてるとひょっとしたらこの人、
オネアミスみたくめっちゃミサイル飛び交ってても
目の前の宇宙しか見えないみたいな(笑
そんなイカズチのような心で俺らを宇宙にいざなってくれてるのかな、みたいに思ったもしたり。

自分は、自分のコトオッサンて言うオッサンは嫌いかな(苦笑

自分のこと、内心全然オッサンだと思ってないのに、社交辞令で
・・まぁ、おっさんスから、
程度に合わせる位で良いと思う(笑

この舞台を観て、
「くだらねーな」とか言って笑っていられるくらいで健康だし、正解だと思う。

この舞台もそのために作られてるんだと思う。

要はそれだけどうでも良いことで皆テンション下げあってるんだって気付けばいいんだと思う。

若くして死んだカート・コバーンは最高にカッコよかったかもしれないが、
今、自分をオーロラの向こうの宇宙に連れ出してくれるのはミルズだ。

カート・コバーンは今宇宙にいるのかもしれないが、
今目の前で宇宙を見せてはくれない(苦笑

ザ・クリブスだってほぼ三十路・・とか言い合ってたって、何の意味も無い。

そう言えばこの前、子供鋸人のコノハナ・アドベンチャー2に
「NASAボーイ」って登場人物が出てきて、
メッチャ妄想全開で(笑
四畳半SFパワーMAXだったけど、
男には、オッサンとそうでない男の二種類とか分けるよりかは、
自分にはあんな風に、
心のどっかに少しでも宇宙に行きたいという炎があるのか、
そうでないへタレか(当然のことながら教養や経済力とはまったく関係ない
の二種類に分けた方が納得がいく(笑
から、どーでもいーや、という気しかしないし、それでいいと思う。

自分がオッサンかどうかとか酒飲んでグダグダ言っててヒマだな、コイツら、
そんなんより、目の前で太陽の黒点は無理でも、
いつか全開のオーロラくらい観たいな・・みたいな。

この舞台で言うなら、それは
ロックかそうでないか、
と言えるんでないかと思ったり。

キャッチャーインザ闇

キャッチャーインザ闇

悪い芝居

王子小劇場(東京都)

2013/03/20 (水) ~ 2013/03/26 (火)公演終了

満足度★★★★

関西で烏丸と子供鋸人を見てきた後だと・・
烏丸ストロークロックの、地方の風景のザラザラとした感触や、
昭和の街角からNASAめいた夢の景色へと等身大に広げた子供鋸人なんかと比べると、
物語を語る巧さは悪い芝居の方が上かも知れないけれど、
「京都の劇団」としての地の利(現在では東京より地方を舞台にした方が特徴が出やすい気がする
を十分に発揮できたとは言えないような気がする。

作品の完成度だけを見ると☆5つでもべつに良いかもしれないけれど、
上記の2団体が、地方の風景を十分に生かし、
東京の劇団にはとてもできないような地方色溢れる(しかし誰でも楽しめると思う)独創的な作品を組み上げたことで
関西の劇団のこれからを期待させられた後では、
ちょっと作者の頭の中だけで進行する感のある
「マボロシ兄妹」チックな劇世界ではどうしても限界を感じてしまう。

別にけなしてるわけではなく、
今回も山崎氏と大塚氏を筆頭に、
身体能力に優れた役者を並べ、スピード感あふれるストーリーテリングを展開できた手腕があるならば、
もう少し特定なり任意なりの街角から感触を抜き出して
作品の中に埋め込むことで、
全体の質感が激変して
一気に生まれ変わる可能性があると思ってみたりする。

アフターイベントを観ていてふと思ったのだけれど、
この作品のいくつかは、音楽を作りながら、
その音楽からイマジネーションを得て作ったのかもしれないと思ったりした。

それ自体は悪くない(スピード感が出たりもする
のだけれど、どうしても全体を通じての作品の手触りが均一になってしまったりもする気がする。

気のせいか、マボロシ兄妹の方が、もう少し現実のザラザラ感があったような気もしただけに、
2時間の上演時間を擁するこちらは、
全体としての質感にもう少しバラツキ(ファンタジーっぽかったりザラついたり
があった方が皆満足するのではないかという気もした。

ネタバレBOX

テーマは悪くないと思う。

ラストで3つの物語が結びついて、
死とも誕生とも取れる光へとつながる。

途中何度も「風」という言葉が出ていた気もするが、
確かに母親の胎内にいる子どもは外の世界の風を想像するしかないものな、と思ったりもした。

そう考えると、タイトルも意味深。

ただ、そうしたテーマは寺山作品を持ち出すまでもなくよくあるものなので、
女性の観客にはひょっとしたら「またか」と感じる人もいるかもしれない。

自分も、ラストでハッキリ描かれていたわけではないけれど、
「死」なのかな、と思ったら、これは「生」にも読み取れるな、とふと思って、
それはそれで作品の質を低くするわけではないけれど、
ただ、男性の作品の多くに、
寺山作品の影響なのか
母親からの誕生をイメージさせる物語が多少なりとも読み取れる気がする状況では、
男性作家は逆にそうした読み取りを慎重に回避する作品作りを行うのが賢明なのではないかと思ったりもする
(目線が重要で、イメージの上で自分が「父親として」子どもを奥さんと生み出すイメージは女性にもあまり抵抗はないだろうが、自分が「子どもとして」母親に生み出されるイメージと言うのは女性には抵抗があるのではないかと想像してみたりする。別に女性たちに直接聞いたわけではないケド

男性は父親目線推奨(想像しよ

作者の意図とは違う読み取りなのかもしれないけれど(苦笑
作品全体の均一さがもっともっとザラついた質感とつぎはぎになってれば
結末が同じでも別に何とも思わないんだろうけどなぁ・・。
国道、業火、背高泡立草

国道、業火、背高泡立草

烏丸ストロークロック

AI・HALL(兵庫県)

2013/03/22 (金) ~ 2013/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

地方の劇団といっても、首都圏の舞台より先鋭的かもしれない
久々に観たら予想以上に凄かった(笑




ネタバレBOX

こんな観客席の配置が出来るのはアイホールならではないのかなァ。

先日みた「ルル」のように、
おそらくは役者・物語と観客の視線の交差するさまを分析しながら、
題材から結びついたその結論は、
まさに真逆となるのが面白い(笑

地方の荒れ果てた農村と、
その向こうのヒルズめいた大阪の都島(主人公が成功して億ションを手に入れる場所とされる。実際のほとんどの都島はそんなことはないけれど、発音してみると随分と綺羅びやかなイメージだ(笑
の風景が響きあって、
息子が成功して働かなくても良い筈なのに、
立派なマンション(多分部屋から河や普通の家屋を遥か下に見下ろす部屋なんだろう)を出て、新幹線の清掃を続けて
(昔の人は働きものなので、別に働かなくても食べていけても清掃とか汚れ仕事を喜んでやる人は意外と多い。若い人は見かけで人を判断しないようにしよう(笑
最期は癌になって死ぬ母親の行くあてのない人生が寂しい。

想像だけど、
母親は、息子に億ションを買って欲しかったのではないと思う。

死ぬ前に息子が母親が今までしてきた清掃の仕事
(人は嫌がるかもしれないけど当たり前だけど必要不可欠。大昔のロンドンや江戸なんかではこんな人が大勢いいたのでリサイクルが進んだ
を素晴らしいと思ってくれて、
たとえ少しでも一緒に働いてくれたら、それで十分幸せだったのではないかと思う。

個人的には、ハッキリポレシュを意識した作品ではないかと思ったりもした。

マネーゲームの狂奔みたいなのを描いた作品では、
ミナモザで以前短編をみた気もするが、
こちらの作品のほうが、生音もあるし(笑
完成度という面でも図抜けている(まぁ、短編はあくまでたたき台なんだろうけど
このような資本主義の行き着く先のような物を描くには、
首都圏や大阪ではなく地方を題材にするほうがはるかに適していると思う。

このような作品は、普通首都圏の公共の劇場は嫌がるような気もするので
(平気で実名の企業とか出てくるし。直接は関係しないけど
そういう意味でもアイホールは他の首都圏の公共の劇場とは趣が違うようにも思う。

交通の便がもう少し良ければなぁ・・
昼に京都行ってからだとメッチャきつい。8時開演とかにならないかな・・。

個人的には、この烏丸と(一見そうは見えないかもしれないけど)原宿の劇評を確実に取り入れた感のある子供鋸人は、
関西での上演だけれど
ハッキリ現時点で首都圏の劇団より先鋭的と言っていいかもしれないと思った春の休日(笑
眼帯のQ

眼帯のQ

銀幕遊学◎レプリカント

藝術工場◉カナリヤ条約(大阪府)

2013/03/22 (金) ~ 2013/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

水の中のナイフ
主演女優(と思われる)栃村結貴子さんあっての、そして地の果てっぽい秘密基地感満載のカナリヤ条約あっての舞台なのかな、と思ったりした。

ネタバレBOX

アングラ感は勿論?満載で(笑
演出らしい演出が施されたという気がして、
脚本の言葉の艶やかさ、
血と、林檎と、女優栃村氏の着るドレスの赤と、
それを引き立てる3人の役者の着る、
林檎の果肉にも似た白のイメージとが、
ギクシャク、すれ違いながら
円環を描くように邂逅し、結びつく様は、
なかなか見応えがあったと思います。

上演時間も1時間ちょいで、
その中に反復や、明滅(背景の絵や、役者の立ち姿、台詞まで含め)
が緩急をつけてきっちりと描かれていて、
凝縮されていたせいか、
観客席の端っこで見ていたちびっ子(女子)も黙って見ていたのが印象的でした
・・いや、別にいつもちびっ子を見ているわけじゃないんですが、
前夜京都のアバンギルドでライブ見た時は、
別のちびっ子(男子)が走り回ったりしていたんで、ふと見てみたら「おお!」と内心関感心して思っただけのことで(笑

雰囲気アングラだけど、
静かにしていればちびっ子も楽しめる?
公演ではないかと・・長くないしね(笑
ツアー演劇「コノハナ・アドベンチャー2」

ツアー演劇「コノハナ・アドベンチャー2」

劇団子供鉅人

此花区梅香(大阪府)

2013/03/22 (金) ~ 2013/04/01 (月)公演終了

満足度★★★★★

これからちょっと猫を撫でてから同じ海沿いのカナリア条約に向かうので・・
細かい感想はあとで書きます(汗

もっかい観たいけど、また観たいな・・日曜日は全滅か・・。

自宅のガレージでごそっと組み上げたみたいな妄想ガジェット(ヴォネガット讃(笑

大阪の海沿いの街で始まる妄想アドベンチャー。

これから雨ふりそうだから、夜の回の人はかさ持ったほうがいいかも。

一週くらい間を開けてから、武士っぽいカッコとか仮装して自分ももっかいこの馬鹿騒ぎに陳列してまちなかの人たちに奇異の目で見られに行きたい(笑

こんな不思議な煙突があちこちにあるガチ下町が身近な大阪の人たちが羨ましい。

未来は此花の今!(あとポンバシのあさチャンのあたり)・・原宿には無いから気をつけて(割りと本気(苦笑

せきようで、窓

せきようで、窓

meyou

コモンカフェ(大阪府)

2013/03/20 (水) ~ 2013/03/20 (水)公演終了

満足度★★★★★


雨の中崎町。

ちょうど自分も宿の窓から外の雨をうらめしく思いながら
買ったばかりの靴に撥水スプレーをかけてきたので、
頭を掻きながら(苦笑
自分と外の世界を隔てる
四角い仕切りを自由に行ったり来たりする仕草を眺めてみた(笑

考えてみれば、猫って
人間にとっては潜り抜けることなんて殆ど無い
窓を、まるで人間の戸みたいに自由に出入りする(たぶん)唯一のいきものだから、
動きが自然、しなやかに、猫っぽくなるのも道理なのかな(笑

大阪の雨はもうじきやみそうです。

そしたら自分もズボンを晴れ用に履き替えて、
猫カフェにでも出かけようかな・・人間の出入り口を通って。

ドリルチョコレート「真ドリル」

ドリルチョコレート「真ドリル」

MCR

駅前劇場(東京都)

2013/03/18 (月) ~ 2013/03/19 (火)公演終了

満足度★★★★★

日程的に絶対無理かな、とDMが届いたとき思ったけど
先週仕事を頑張ってなんとか当日券で観れた(笑

期待通りやっぱり面白かった。

(昭和の)プロレス好きにも良いだろうけど、そうでない人も楽しめると思う。

馬のリンゴ 【3月15、16日 アフタートーク決定】

馬のリンゴ 【3月15、16日 アフタートーク決定】

ワワフラミンゴ

神楽坂フラスコ(東京都)

2013/03/15 (金) ~ 2013/03/20 (水)公演終了

満足度★★★★★

石を売る
ちょうど朝起きて爽やかな空気の中で、つげ義春の弟、つげ忠男の漫画をガッツリよんできたばかりだったので、
昼の神楽坂の、外をOLなんかが
「なにやってんだろ?」
とばかりに覗き込むカフェの中で
何故か無能の人チックな石売りの妄想日記が音読されるとは思ってもみなかった(苦笑

自分が中学生のころだったか、
無能の人の予告を古雑誌の中に見つけて、
つげ義春の石を売る男の物語に対する
劇画ファンたちの静かでアツい期待をヒシヒシと感じ、
これってどんな話なんだろ?まさかホントに石を拾って売る話じゃあんめぇな、
と思って現物を見たら、まさにその通りだったので(苦笑
自分も洟水を垂らさんばかりに驚嘆し、
当時の漫画ファンたちの正気を疑ったものだった。

それから何年かたち、高校になるころには、
高校から渋谷に自転車で行く途中に北冬書房に寄って
つげ忠男や鈴木翁二の載ってる漫画を手に入れたりしていた。
で渋谷のタワレコで友達とヒップホップやフレンチポップやバロウズと並べてつげの凄さに驚嘆したものだった黄金の90年代(笑

まぁ、そういうのとはぜんぜん違うんだろうけど、
偶然かもしれないけど、
若い女性がつげ義春なんかを読むのは良いんじゃないかと思うよ(笑

それを真似る必要は全くないけど(笑
少なくとも、普通の生活を送りながら片隅につげ義春の本を置くのは
悪くないと思う。

外国に行かなくても、
多摩川の河原でも幸せの一かけらは見つかるかも、という気になったりするから(実際に見つかるとは全く限らんが

※ちなみに日記を音読するのは物語のほんの一部で、
特につげチックな登場人物が頻出するわけではないので安心してください。

一遍~天演出編~

一遍~天演出編~

風雲かぼちゃの馬車

王子小劇場(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/17 (日)公演終了

満足度★★★

・・・これは、ファンタジー?
観ていて途中から気づいたのだけれど、
これってファンタジーだったんでしょうか?

自分も一遍のことは道後温泉の方に行ったり
高野山に行ったり・・
あちこち史跡をみているとたびたび見聞きすることがあったり。

大昔の人たちの感覚って、明治以前と20世紀になってからとではハッキリわかれていて、
基本的には同じ土地に住んでいるだけで
頭の中は完全に異国の人と考えて間違いはなく、
当時の人の考えを知るには歴史を本を読んでもイマイチ分からないので
でも高温多湿の日本で鎌倉時代の木造建築物って言ってもほとんどなく・・(苦笑

鎌倉時代の建物に行って何時間も過ごしたりもするけど、
ホント分からないことだらけだよなぁ・・。

木に塗られた色だって、当時はどうだったかと一生懸命想像してみてもどれだけ近づけるのか・・。

江戸時代どころか明治時代の人の日記読んだって異国の話みたいに思えるのに(その時代の人たちがまだ生きていることがいまだに自分は信じられない

ネタバレBOX

最初から、一遍の人生を元にしたファンタジーとして位置付けてくれれば、
自分も異国の人と言葉の壁も無く会話できても何とも思わないんだけど。

今になってウィキペディアをみていて、
『元に侵略される前は日本と同じ言葉を喋ってる人たちが高麗には大勢いた。元にみんな滅ぼされたか、元の人たちの影響で今の言語になった』
という想像の元に(そういう歴史はサッパリわからないケド
この物語を作ったのではないかな、とやっと思いついた。

でもそういうの当日パンフとかに書いてくれないと、観てて
「・・あれ、なんで?」
てなってしまう気がする。

他の人が書いてたみたく、
波乱万丈すぎる人生の一部だけを抜き出すかしてみたほうが
もう少し分かりやすかった気もする。

そうでないと、人がこれだけ死にまくるのに
それぞれの反応が薄すぎて
逆にこっちも戸惑ってしまう。

ミュージカルだからこそ、人の死や悲劇を哀悼の意を持って歌わないと・・って思うとホント西洋の文化だよなぁ・・(苦笑

平均寿命が短くても、
死ぬ人が多くても、
今も昔もそんなに人間の死に対する感情が変わるわけではないと思うんだけど(だから昔は今より宗教が盛んだったとも言えると思うのだけど


別に鎌倉時代と言うんじゃなく、
現代や中世ヨーロッパとか、色んな時代を横断した
一遍や他の宗教とか踊りとかを幅広くミックスしたミュージカルとかにすれば
そこまで掘り下げる必要もない気が・・(歴史ものや外国の話ってちょっとでもディテールが崩れると途端にリアリティがなくなるからホント難しい
音楽家のベートーベン

音楽家のベートーベン

ダックスープ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/03/14 (木) ~ 2013/03/26 (火)公演終了

満足度★★★★★

訳すと青&空(☆にしなかったのは青☆組に気を遣ったのだろうか
良く考えれば東横線住民には王子よりよっぽど不便度が上がっていたアゴラに何となく向かい、
渋谷の人ごみでウロウロして当日拳の分際で10分遅刻したが(汗
何の苦も無く世界に入り込めた☆(途中から観てもOKなのがこういう舞台の良いところ(ストレートなストーリーもの(ファンタジーなど)も好きなんだけど、世界観を作り込んだ作品ほど、遅刻した瞬間に物語についていけないのが確定してしまい、折角大阪まで行ってもその瞬間に全ての苦労が水の泡になってしまったりするのは頂けないと思ったりする。その点、ナンセンスは遠征に強い☆

平成生まれには
「こんなん昭和の世界の出来事じゃないか!」
と言われそうだが
たまに仕事帰りに友路有(浅草の昭和な喫茶店。2階なので窓からアーケードの昭和な商店街がのぞけたりする)よったりして
浅草の町をぶらぶら歩きまわってからなってるハウスになんとなく向かっていくのが大好きな自分にはガッツリツボでした(そこまで昭和感は無かったかもしれんが

6のつく日に薄皮たい焼き たい夢のお店でどのたい焼きを何個買おうか迷う位のトキ☆メキはあったように思います(ちなみにスイーツ番長のイタリ餡はまだ食べられておりません(涙

ネタバレBOX

「これ絶対似合う!」と言ってスタバのコーヒーを持って向かってくるオバサンがいたら、
自分なら間違いなく調子に乗って
脇にはさんだり首の後ろに突っ込んだりして渋谷の雑踏を歩かずにはいられないだろうとふと思った(トチ狂ったことをいきなり書くが作品の話。こんなことを敢えて書くのは自分の大阪的な気質を強調するためである(東京から離れたことはないが(苦笑

ちなみに、自分も昨年、手に入れた無農薬の評判の梅を手に入れて
梅酒を作ったり(お袋に全て飲まれた♨
梅干を作ったりした経験があったので、
梅干のくだりは非常に興味深く聴けた(これも作品の話

だからと言って、自家製梅干を作ったことがある人がこれをわざわざ見に行ったら、
日本シャーロキアン協会の会長が以前ミルクホールのシャーロックものを観に行ったときのような清々しい肩すかし感を味わうことは必至であるため、
(会長は満足して帰ったが
おススメは出来ない。

やはりベートーベンを心から尊敬している人がわざわざ観に行ったら、
ひょっとしたら同様の結果を観るかもしれない。

自分は観て非常に感銘を受け大爆笑していたが、
正直、どういう人に向いているのかと聞かれてもサッパリわからない。

むしろ向いてない人が社会の中には大多数でないかと言う疑念を捨てきれない。

漠然とした喩で恐縮だけれど、
「ブルースカイ」が「ブルー&スカイ」になってるのを発見して、
「ブルー☆スカイ」だとカッコ良すぎるから(ジャンプで連載するならなんかカッコイイ必殺技が出てきそうだ
「ブルー@スカイ」「ブルースカイ♨」
あるいは「ブルーДスガイ」・・・いやいや「ブルー㌘スカィ」の方が良いんじゃないかと妄想するような類の暇人にはおススメなのではないかと思えるのだ♪(最後の方は露天風呂から、ほぼ「ブルーなスガイ氏(という名前の人)の口の形」と言う設定っぽくなってしまったあとどっか行ってしまったがω
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

「公開審査会」・・長寿の秘訣はギャフンから~
難しいところだなぁ・・(苦笑
審査員の言うことは皆もっともだと思う。
皆舞台が好きで好きでしょうがないんだなということが良く分かった!(だから若い人たちが捨て身に見えないのが歯がゆいのかな

要は、今回は意外とず抜けた作品が出そうで出なかったのカナ・・(最後まで聞いてなかったんで分からないケド

広島・大阪の作品も、上演時間30分だったら分からなかったかも。
(コンクールでは30分以内にまとめることが重要。考えてみれば、就活の面接で30分も持ち時間があることなんてないんだから、30分って自分を見せる時間としては結構長大。35分以上だと、かえって「自分の持ち味を熟知してない」と判断されてしまう。審査員はどっぷり世界に浸かりたいファンでは無いんだからなぁ・・

鈴木アツトさんの作品も、きっちりまとめ過ぎて損をしていた気もする。
設定をもう少し普通にして面白くするか、
もっと馬鹿馬鹿しくするかの思い切りが足りなかったなぁ。

チョコレートケーキは・・空調を入れてくれないかな・・(本気(汗
最近どこも空調を入れないのが流行りなのか、
仕事帰りに観劇で蒸し風呂に突っ込む可能性があるというだけで
ビビって、他の舞台まで行く気がなくなってしまうなぁ・・
アゴラみたく暑かったら外出て、
隣のショップ99で飲み物買って1階でテレビ中継観れる環境だったらまだマシなんだけど・・(苦笑

自分は、外国が舞台の作品は、
「外国語から翻訳して日本語の台詞にした」
感が最低限必要なんじゃないかと思ったり、もしくはパラ定みたく
「妄想し過ぎて完全に自分の世界」
にした方がなぁ・・。

凄い作品なら暑さも気にならないものかもしれないが、
自分はいまだそのような作品に出逢ったことが無い(苦笑

同時期の上演だと、
演出なら、遊びに満ちた「人工vs自然」、
作品としてなら、人間モドキの暗躍する「寝惚けた日記帳」
の方が面白かったなぁ・・。

皆、固くやろうとし過ぎてかえって小さくまとまってしまった感あり(苦笑
役者は皆、熱演だっただけに残念(「箱」はもう少し熟達するか演出で魅せる工夫が欲しかった

公開審査会が一番面白いというのはどうだろうか(苦笑

一度作ったスキームに満足することなく、
それを笑い飛ばして打ち砕くパワフルな作品があれば
もうその時点で勝負はついていただろうにと思うとちょっと残念。
あと、掘り下げがイマイチだったり。

あと、セレクションの時点で傾向が見えなかったので
最終選考の基準も分からなかったんではないかと思ったり。

老人たちは、みんな荒々しいパワーに飢えてるんだと思う。

・・そうなるとサリとチョコに絞られてしまうからな・・で、サリ氏は上演時間長くしたためパワーもちょい削がれてしまったと・・惜しいなぁ。
審査員の誰かが
「短かった初演の方がスリリングだったんじゃ」と言っていたけど
↑実は自分も内心思っていたけれど、ここには敢えて書かなかったのだが(苦笑 
作者がどう思ってるかはともかく、審査員にはお見通しだなぁと思ったり。
パワーあっての技巧だからね。

野獣みたいの来ないカナ。
野生の獣のように、全てを削ぎ落として逞しい筋肉だけ残った飢えた生き物みたい(舞台の話です)なの。
自然の生き物って美しいから、ああいった骨格に似た舞台作品を観たいと常々思っている。で人一倍繊細な(欲張りでスミマセン(汗

誰かアイツラをギャフンと言わせろよ。
そしたら彼らも強風に吹き飛ばされて喜んでる女子高生(きのう実際に渋谷でみた(笑)みたくキャッキャ言って大喜びすると思う(笑

人工vs自然

人工vs自然

日本パフォーマンス/アート研究所

Vacant(東京都)

2013/03/09 (土) ~ 2013/03/09 (土)公演終了

満足度★★★★★

基礎編
応用編は無理だったけど、基礎編だけでもとても見応えがあった。

演出と言う面を考えてみても、
ライブ中に電話がかかってきて作業を中断して話をしたり、
いろんなアクシデントや遊びがあって
パフォーマンスとしても十分楽しめました。

台詞を喋る役者が出ていなくても十分に舞台作品として成立しているところが面白い(笑

やっぱりvacantは面白そうなものに目を付けるのが上手いなぁ・・。

focus#3 円

focus#3 円

箱庭円舞曲

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/02/28 (木) ~ 2013/03/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

人にもよるのかな・・
演出に遊びがあって、滅茶苦茶楽しめた感(笑

若手演出家コンクール選考会途中で抜けて行ったけど、悔いはない(苦笑

通常の公演では、
「ストーリー6、遊び(よく目を凝らすとそうとわかる感じ)4、ドラマは意図して省く。ま、いんでない。こんな芝居あってもサ」
な感じな気がするケド、
今回は
「ストーリー0(ま、一応あるなって程度)、遊び6、魔法(使い)4。あとは実人生の1/3程度のドラマがあればいい」
な感じカナ。

要は凄く、凄~~く好みです(一般受けはしないかもしれないが(笑

もし、仮に、
高架下に掘っ建て小屋でも作って、そこで爬虫類を飼って暮らしたとしても、
これよりはドラマチックな人生だったかもしれんよ。

・・でも、ま、いんでない?

ネタバレBOX

所詮人生なんて、火葬場で花に囲まれて焼かれるまでの場つなぎで。

それまで、マドンナ先生だったり、モンスターハンターのやり過ぎで魔法使い狩りに走ったり(想像

花に囲まれて、子どもだけ生んで自分は死んで灰になるとしても、
死に顔を見てプッと笑われるくらいの方が
幸せな人生送ったって言えるんじゃないのかなって、
なんか観終わってそんなことを考えてみた。

せっかくのアゴラ公演だってのにこんだけ遊んで(笑

でも、ま、そういうの自分は大好きだけどね。
寝惚けた日記帳

寝惚けた日記帳

劇団ハーベイ・スランフェンバーガーのみる夢

王子小劇場(東京都)

2013/03/09 (土) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

観に行って良かった
なんとなく予感がして、予定を無理くりして観に行って良かった。

イキウメの「散歩する侵略者」の初演を初めて観たときのような感触。

場面の限定された会話劇なのに、飽きずに観れた。

夢の描写が、いわゆる不安系とか、そういうんではなしに
メビウスと原宿系が合体したみたいな(笑
甘くてカラフルなイメージとか、
南Q太の漫画に出てくる夜みたいなイメージだったりするのが新鮮だった。

別にいちいち説明しなくても、ブレイクする要素が全て詰まっている(笑
敢えて売り込まなくとも、自分がチケ手に入らなくなる日は近そうだ(苦笑

頑張ってエンゲキを若い人たちに広めてください。

ネタバレBOX

「人類は一度滅んだ」
じゃないけど、
誰かが死んだと思ったら、実は一度死んでいた、とか、
P・K・ディックのシミュラクラっぽく
「人間もどき」が大活躍?する感じとか、
SFオタク受けする要素を多く含みながら
後味がふわっと切なくする感じとか。

王子でこんな一般向け?にブレイクする要素満載な舞台が観られると思わなかった(笑

ディック好きな高校生なんかは大喜びするんじゃないカナ。

舞台好きよりマンガ好きな人向けカモ(最近はオタな人たちが一番読解力高いからなぁ・・
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★

「親愛なる我が総統」
こういうのは、観る人の人生観によって評価が大きく変わる作品ではないかと思う。

例えば目の前に言葉も通じないし習慣も違う、マスコミをみる限り野蛮で敵意に満ちた異なる民族の一人がいて、
ソイツを殺さないとお前を殺すぞ、と同じ国の人間に言われたとする。

自分は、歴史も文化も自分の国を心から愛していて、
マスコミの報道によると今、その異民族に滅ぼされようとしているらしい。

家族もいて、自分が死ぬと裏切り者として罵られて路頭に迷うかもしれない。

涙を流し謝りながら殺す人間がいる一方で、
自分と同じように泣き笑い苦しむ人間を殺すくらいなら死んだ方がマシだと
自分の中の神に従って迷わず死を選ぶ人もいる。

どちらに感情移入するかで、評価は分かれると思う。

自分は強力な軍隊を作り上げたドイツ人の言語より、
何のまとまりもなくすぐ侵略され、
ロマンの血が滾るポーランド人の言語を迷わず学びたいと思った。

殺す側に多少でも感情移入するということは、実は極めて危険なことのような気がする。

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人間である限り、誰かが誰かより生きる価値があると信じる理由はない。
教養があろうと無かろうと、
自分の命が、目の前の人間を犠牲にしても守られる価値があると信じる人間(政治家など)だけが、
他のすべての人間に劣る。

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そのことをハッキリと認識するようになったのは、
昨年のFTのヨッシ・ヴィーラーのレヒニッツあたりからなのだけど・・(苦笑
ただ、そのヨッシ・ヴィーラーも実は銀行に支配されたスイス
(報道自由度ランキングは上位だが、資本主義に対する懸念の発言は封殺される表現の自由の無い国
の出身なので、反ナチスの姿勢も多少は割り引いて考える必要があるかもしれないけれど・・(苦笑

ただ、被害者の声というのは割と通りやすいけれど、
加害者の声と言うのは聞かれないことが多いので、
そういう意味では上演する価値がある気もする。

出来ればドイツ軍とかじゃなく、
もっと最近の、アメリカとニカラグアとかそういったところを観たい気もするなぁ・・。

エルサルバドルの司教やなんかを殺害した特殊部隊を育て上げたアメリカ軍の兵士たちが、
「悪魔と呼ばれながらも実は人間」
的な存在として描かれたり・・って皮肉。


※ちなみにナチスとかユダヤ人虐殺などは自分もずいぶん昔から興味があって
本などを読んだりポーランド語を勉強したりしていたので、
割と自分にとっての題材の新鮮さが少なかったりとか、
あるいはポーランド人同士の会話から、
「これはポーランド語にしたらどういうイントネーションになってるんだろうか、
逆にドイツ人にドイツ語で質問してるときとの言葉の差が
感じられないナ」
・元はそれぞれの言葉で話しているため、
ドイツ語とポーランド語での元の会話を念頭に置きながら、それを日本語に訳していることをイメージする必要があったりする。自分も言葉を勉強したとき分かったが、ポーランド人にとってのポーランド語というのは、非常に重要な要素で、一般の市民の手紙の一つ一つが、日本で言うなら昔の作家のような言い回しを使っていたりする。
とか、わりと一般の人にとっては小さなこと(と言っても自分にとっては大きなこと)が気になってしまうので・・(苦笑

↑これが「演出」という面でどうしてもマイナスになってしまうこと。テキストは変えられなくとも、言葉の違いを観客に明確に分からせるような演出上の工夫がどうしても必要だったんじゃないだろうか。繰り返し言うようだけれど、ドイツ語とポーランド語の違いは非常に大きい。ドイツ語と違って、ポーランド語のように非実用的な言語を誇りを持って話す(生み出すのは数学者やピアニストなど)国で、科学技術や強固な軍隊を生み出すドイツとは大きく異なる。ドイツ人とポーランド人との違いをもっと分かるようにする必要があったのではないかと凄く思った。

ミシェル・トゥルニエの「魔王」ぐらいぶっ飛んだものだったら文句も無いんだけどな・・(苦笑

あと、メチャクチャ暑かった(汗

個人的には、(地方の)日常のシークエンスを上手く舞台の中に編み込んでいるという点も含めて、
やっぱり当初の予想通り大阪・広島の2作品に
(自分の中では)絞られたカナ、という気がする。

本当なら、ここにピンク地底人を含めて3作品位でちょうどいいんじゃないか、と思ったりする。

東京の2作品に思ったより演出上の遊びが無く、ちょっとがっかりしてしまった、正直な所(あくまでコンクールなので、今回だけは正直書きます、スミマセン(汗

ネタバレBOX

確かに、
銃殺よりはガス中毒死の方が、殺す側の自分の部下たちが苦しまなくて済む、
あるいは
自分が本当に人間なのかと悩み、苦しむ。

これがある分だけ、ヘースの方が、
世界各国で、自分たちが育て上げた軍隊に人を殺させまくっているアメリカ軍よりは
まだ人間らしいのかもしれない・・(アメリカ軍の兵士たちにあったことはないが

・・とすると、今現在は、ナチスのような直接的な抹殺は免れているものの、
より非人間的なシステムが支配する時代と言えるかもしれない(汗
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★

「青鬼」
物語としては凄く面白い。

地方の2作より面白いのではないかなぁ。

ただ、このコンクールは(他の時にも大いに言えるのだけれど
どの作品を先に観るかによって印象がだいぶ変わってしまう。

前日に「箱」を観て、脚本の色をコラージュする演出的な面白さに触れてしまうと、
舞台上に水槽を配置するだけの「青鬼」の演出では物足りなくなってしまう気もする。

脚本が面白く、特徴的な女優・男優にも恵まれたため
シンプルに魅せて、食材の良さを最大限に堪能させたい気持ちは非常に良く分かるだけに、辛いところだなぁ・・(苦笑

これからまた下北行ってきます。入れるかな・・。

ネタバレBOX

折角スクリーン的な水槽が目の前にあるのだから、
いっそ水中の光景を唐突にうつしだして、
「海豚になったら人間のときより楽しいかも」
位やっても(物語の面白さは損なわれるかもしれないが(苦笑
演出的には面白いかもしれないな、と、ちょっと思った。

物語的にはとても面白かったです。
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

「箱」・・お洒落な小品
HPをみたら最後に選出が決まったというので、正直ちょっとナメてる部分があったことをここに告白しておきます(苦笑

ただ、観てみてその先入観は間違っていたことがはっきり分かりました。

ピンク地底人と本選を争ったというので、
「ピンク地底人(こちらの公演も観ています)と一緒に議論される」という作品が
どんなものかな・・と気にしながら観てみると、
なるほど、ほんのちょっと似ている気がする(笑

よく見ると全然違うのだけれど、
アフタートークを聴いて、
「どことなくちょっと似ている」と感じた理由がなんとなくわかった。

ひとつひとつのシークエンスの長さ、つなぎ方がちょっと似ている気がしたのだ。
もちろん、良く見ると全然違うのだけれど。

この作品は題名にもハッキリ分かる通り「箱」を題材にしている。

その視覚的な分かりやすさ(テーマはともかく(笑
が、ほんのちょっとピンクに先んじた理由かもしれない。

ただ、その分かりやすさゆえに、
ピンク(「長い人生の陰影」とでもいうべきものを音でザッピングしたものと自分は捉えました)とでは
微妙に好みが分かれ、選考現場では票が分かれたのではないかな、という気がした(推測です

この作品自体は、まだ4作品観たわけではないのでハッキリとは言えないけれど、
多分他のどの作品にも劣らない作品であろうと思われます(何となくピンク地底人がなければこちらに票が集まっていたようにも思うので。それはピンクにも同じことが言えますが(苦笑

別にこのまま優勝しても何らおかしくないと思いました。

それくらい、洗練された作品であるように思われました。

ネタバレBOX

作品は、5人の作家の作品を切り刻んで組み合わせたものです。

舞台上の□(平行四辺形含む)の上をさまざまに役者が動き回ります。

役者たちはなぜか靴下をはかず、
脛の途中で切られたストッキングは二人一組の同じ模様、
上着もまた二人一組で同じ模様。
そのため役者が動き回るごとに色の組み合わせが様々に変わり、
観ていて目が回るようです(笑

物語もまた、300年、1000年の話からたわいもない子供たちの話、
工場の女性たちの陰湿なやり取り、ノアの方舟の話・・さまざまに飛び回ります。

ちょっとした子供たちのやり取りから、次の瞬間には神話の出来事の話へと、
マイムでハコを突き抜けるたびごとに
時空が次々と変わるさまは痛快でもあります。

「身の回りに見えない箱があるなんて気のせいだよ。
飛び越えちゃいな、別の世界が広がってるから」
とでもいうみたく。

前日のサリ氏が、音楽にたとえるなら骨太なロックなら、
今回の作品はヴァンパイア・ウィークエンドみたいな
様々な物語を呑み込むワールド・ミュージックとでもいうものでしょうか。

物語を組み合わせる手腕に遊び心が感じられるので、
観ていて物語の意味をつかませるようでスルリと抜けてしまいはしても、
別にそれほどストレスには感じませんでした。

切り替えのテンポは非常に軽快で、
意味を追いながらも音楽が切り替わるごとに
幕が開ける次の物語へと
「小説を何冊も並べながら電車の中で音楽を聴きながら本の中の物語世界を飛び回る」
ように、
ウィンドーショッピングでもするみたく気ままに
移り変わりを楽しめる雰囲気があります。

この手法が新しいか、と言われると
別にそんなことはないのですが
(というかすべての手法はほぼ出尽くしているので、そのような議論は無意味のようにも思われるので
物語を飛び回るフットワークの軽さは、重苦しくもある2013年の今現在では、
目新しいというよりも「新鮮」と言って良いように思われます。

例えば、ピンクやサリ氏のように、一人の作家が書いて、
自分でその構成を考えるのとは違い、
物語の継ぎ目ごとに
リズムがザックリと変わる面白さ。

・・そのリズムの変化もまた全体の中で調和よく構成されているため、
切り刻んでもなお全体としてみると
ひとつの印象が残る良さもあります。

東京でこのような軽さとリズムの作品をあまり観た記憶が無い気がしたので
とても素晴らしいと思いました。

全然、この作品が優勝でもおかしくないと思いました。


ただ、全体としては文句のつけようもないのですが、
一応賞レースなので(苦笑
微妙に他の作品と比べると若干いうところがあります。

マイナス点の内容とは、アフタートークで審査員が言うところに全く同意なのですが(苦笑

①まず上演時間の60分と言うのが少し長い

・・・それは、前日に怒涛のテンションで50分で燃え尽きる
サリ氏の作品を観た後だからなのかもしれないです。

審査員の方が言うように、もし上演時間が40分なら、
物語の意味を追うよりリズムに集中できて
良いのではないかと思いました。

東京の人間に受けるためには、
何でもそうなのですが30分以内にカタを付けなければなりません(苦笑
何かを加えることによって得られるプラスより、
何かを削ることによって得られるプラスを第一に考えなければなりません。

「上演時間が少し長い」というのは、
制作者サイドにはそれほど気にならなくとも、
観る側にとっては致命的な違いになって現れます。

②全体として少し平坦な印象を受ける

脚本を書いたのは、演出家とは別の人たちなのですが、
脚本家と演出家が異なる最大の利点というのは、
演出家が脚本を情け容赦なくカットしたり、切り刻めるということだと思います(恐ろしいことに

そういう意味では、脚本と演出をハッキリ切り分けた今回の作品においては、
その利点を最大限に追い求めたとは言えないように思います。

演出家がもっとラディカルに、
本の量を1/10にしたりする。

あるいはもう文節ごとに切ってしまう。

誰か一人の役者の動きだけをラディカルにして、
他の役者が語ってる最中に体当たりするなどして強引に物語を分断するなどすれば、
もっと生の動きが出てエキサイティングになるんじゃないかと思ったりしました。

あるいは、審査員の誰かが言ったみたく、
途中で役者の誰かが物語を見失ってアタフタし、
みんなが心配して、
例えばそこに観客に紛れた演出家が登場して指示すると途端に完璧に戻るなど(苦笑
進行上、イレギュラーを装ったいろんな悪戯を紛れ込ませればもっとハラハラして面白くなるんじゃないかと思ったり。

まだまだ遊びを加える余地はいくらでもある気がしたので、
審査員の方が言っていた
「初演と今回の公演がほとんど同じ(15分短くなったらしいけど」
というのは、
自分は初演を観てないので何とも言えないけれど
初演より上演時間を伸ばしながら
個人的に特に長さを感じず、また色々な要素を盛り込みつつ
ぶっ飛んだ村上くんを磨き上げたサリ氏との大きな違いと言えるのではないかと思ったり。
(厳しいようだけど、半年経ったら作品が大きく成長しているのはアタリマエ。そうでなければ「若手」と銘打つ意味は無いように思う。無謀な挑戦を常に続けられれば80才を過ぎても若手でいられると思う


いちおう①、②と分けてはみたけれど、
それほどハッキリわかれるわけでもなく(苦笑

「削る」か「遊びまくる」かでちょっと中途半端な印象はあった気がする。

ただ、それらが決定的なマイナスという訳では勿論ない。

あくまで、「他の作品と比べたら」「もっと良くするには」
という観点で観たらそのような感想が思い浮かんだというだけで。

あとは好みの問題だと思います。

ただ、先に自分がみた東京以外の2作品(大阪・広島)は
東京ではあまり見られない珍しいタイプの作品にも思われたので、
エンゲキを東京以外に広めるためにはこの辺りから
選んだ方が良いのではないかとも思ったり
(東京の演劇の流れを「これが東京の流儀だから従うように」という時代ではないように思う。今現在の時代の先端は、マスコミの充実していない地方の片隅にあるように思う。東京の人たちは、地方の人にしたらそこここに転がっている些末な出来事を、週末わざわざ出かけて行って吸血鬼のように吸い上げて、爆発的なパワーで舞台に描いた方が良いように思う。

・・ただ、まだ東京の2作品が残っているので
こっちがもっと東京では見られない種類の凄まじい作品かも知れないので
まだ何とも・・(苦笑

そちらは明日観ます。・・入れるかな、特に8時の回。一応予約したけど(苦笑
若手演出家コンクー2012 最終審査  

若手演出家コンクー2012 最終審査  

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2013/03/05 (火) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

「絶対の村上くん」
今回の作品は自分は一度大阪で観ていました。

なので、以前と比べて作品がどう変ったかは勿論、東京の観客の反応も少し気になったり。

物語の構造としては非常にシンプルな二人芝居なのに、
だからこそというのか、
心理的には非常に複雑な愛憎が絡み合い、
どこまでが現実で、どこまでが夢なのか分からない作り。

少し、年末に春風舎で山崎氏が上演していた「マボロシ兄妹」を思い浮かべたり。

今回観て、改めて作者の独特な世界が良く分かった気もする。

ネタバレBOX

主人公は、せいぜい佳作どまりの冴えない小説や俳句などの制作に没頭している。

ただ、その部屋はどうも特殊な環境のようで、それがどうやら独房らしいことが徐々に分かってくる。
親友がたびたび差し入れを持って彼を訪れる。
とても親切で文才もあり、良い奴のようである。

そのうち、何をして刑務所にいるのかが分かってくる。
どうやら主人公は自分の家族と、その庭にいる多数の鶏を殺して
家に火をつけたらしい。

でも、そんなことからかけ離れた、毒にも薬にもならないファンタジーを書いて応募したりしている。
そこに鶏のヘンリーが現れる。
ヘンリーは優雅にお茶を飲みながら、
主人公に現実の体験をそのまま書けと言う。

彼は、その場の湿度や体温も含めた殺人現場の光景を
眼に火が付きそうな表情で、熱狂的に演じてみせる。

彼が自分の家族を殺したことは、疑いが無いように思われる。

ところが、途中から殺されたのが実は主人公の両親ではないことが分かってくる。

どうやら、殺されたのは主人公の家族ではなく、
親友の家族であるようだ。

じゃあ、なぜ主人公は、自分の家族を殺したように演じてみせたのか?
なぜ、自分の家族を主人公に殺されたハズの親友は、足しげく義務のように主人公を訪ねるのか。
そして、良い奴でいることを途中で急に止めるのはなぜか。

あくまで自分の想像だが、
主人公は、どうも両親や鶏を殺した親友を庇ったようだ。

・・と言えば聞こえはいいのだけれど、
実は主人公は以前から、内心非常に特殊
(親が鶏ばかり拾ってきて、家じゅう鶏の臭いまみれのため、家族みんな地域で疎まれている)
で、創作環境にはうってつけと思われた親友のことを羨んでいる。

主人公にとっては創作がすべてのようだ。
どうやら自分(普通の家庭環境であるようだ)に文才が無く、
親友に文才があるのは、その特殊な家庭環境にあると信じて疑わないようだ。

自分が励まして親友に書かせた作品は、
主人公にとっては眩しすぎる(といっても小さな)賞を取り、
この上、家族まで殺して、特殊な生い立ちに磨きをかけるとあっては、
もう一生自分の手の届かない(文字通り(苦笑
所に行ってしまう。

主人公は、親友と殺人者の役割を交代することで、
罪の代わりに人殺しの体験を得て、
わざと自分を追い込んで創作に向かって、作品を公募し続けているようだ。

親友も最初は気にして面会に来るものの、
途中から独房で生き生きと駄作の制作に没頭する主人公にそっけなくなり、
「ふたり一緒に文豪になる」という夢を捨てて就職したことを適当に告げる。

主人公はがっかりするが、
それは親友のことを気にするのが、純粋に親友の文才によってのみであることを
露呈するだけのことだった。

親友はその後、ゲイ?になって店を持ったと主人公に伝えに来る。

ここで、やっと、主人公は親友の文才しか見ず、
親友は主人公のことを、恋愛対象としてみていたのではないかと(あくまで想像だが
感じられてくる・・。
(もちろん、過去の「人を殺した自分」と決別するためにそうなったとも読み取れると思う。いくつかの読み取りが可能な所が、この物語の面白さだと思う

しかし、主人公は執筆に没頭し、親友の変化から、その心情を読み取る事が出来ない。
彼にとっては、執筆こそがすべてのようだ。


また、殺人の発端となった、
鶏の頭部がその親友の家の前に置かれ、親友が精神的に追い込まれたと思われる事件も、
よくよく考えれば、
主人公の僻み(賞を取った親友を表では喜びながら裏では嫉妬している)かもしれない。

そもそも、先ほど演じられた殺人風景も、そもそもが主人公のイメージなのか。

良く考えれば、その光景は一人称で語られていた。

とすると、その風景も、親友の目撃・体験・語りなのか。

主人公は、親友の用意した渾身のシナリオを読みながら、
その時の親友の心情と完全に一体化してしまったのか。

しかし、せっかく血肉の滴る殺人風景の描写を手に入れても
物語を語る才能のない主人公にとっては、
想像の世界を描くことには限界がある。

殺人の風景を自分のものとすればするほど、
リアリティのある想像の世界をそこに継ぎ足すことが
自分には難しいことが実感されてくる。

結局は、実際の殺人を行った親友と自分との
過去のやり取りに帰結してしまう。

主人公は、リアルに親友のシナリオを自分の血肉とし、供述したためか
無事に死刑囚となる。

主人公は、そんな絶望的な状況にも関わらず
目前の死によってかえって燃え上がり、
死刑執行まで笑いながら作品を描き続ける。

まるで執筆することが生きるすべてとでもいうかのように。

鶏のヘンリーが出てきた理由をよく考えてみると、
親友の家族を殺したのが、親友なのだとすると、
その発端となったと思われる鶏の首を親友の家の前に置いて行ったと思われる主人公に、
殺された鶏が祟ったのかもしれない(あくまで想像だけど

非常に限定された空間のなかで、
広漠な海や、時間の流れ、
夢の景色、燃える家、玄関に置かれた錆びた銛で貫かれる両親、
鶏の臭いが染みついた服を着て学校で疎まれる子供・・。

自分も、育児放棄などで家でまったくお風呂に入れてもらえない子供たちのことを人づてに聴いたことはある。

そういった、社会の中に実際にある悲惨な現実を
幻想的な夜の海の描写などを絡めながら、
あくまで登場人物たちは燃えるように笑い、踊ったりしながら演じる。

なかなか気づきにくい疲弊した社会の中の出来事を物語の中に生かしつつ
夢のように語るのは、
非常にサリ氏らしいと思うし、
あくまで自分の勝手に思い描く「大阪っぽさ」を体現しているようでもあり、
素晴らしいな、と思ったりもする。
春.一夜にして

春.一夜にして

KARAS

シアターX(東京都)

2013/03/03 (日) ~ 2013/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★★


そういえば生前、工藤先生に
「一番好きな作家は?」と聞かれて迷わず「トルストイ」と答えた気がする。

それを聞いた工藤先生は残念そうに「シュルツはどうだい?」と言った。

シュルツはとても良い。ポーランド語の凄さを引き立ててくれる。
現在の、味もそっけもない日本語より遥かに詩的な言語を当時自分は発見した気がしていた。

それでもなお、トルストイの真っ直ぐさ、明るさが自分の心の中にいつもあった。

工藤先生はその後も何度もシュルツのことを口にしていたと思う。

先生が死んでから、自分はシュルツがずっと好きになった気がする。
自分にとっては、たぶん他の多くのポーランド文学愛好家と同様に、
シュルツと工藤先生とは不可分だ。

劇中にたびたび訪れる闇の中で、
昔通っていた今はなきマヤコフスキー学院からの帰りの夜道を思い出していた。
工藤先生もそこでポーランド語を教えてくれていた。
先生はお金持ちには見えなかったが、口の中にはとても豊かなリズムが満ちていた。
大企業に勤めてお金儲けのことばかり口にする人たちには、一生手の届かない世界が、その向こうにあることがまだ若い自分にもわかった。
世界は詩で形作られている。

勅使河原氏の手が描き出す、闇夜の蝶が現れては消える様子。

2匹の蝶が現れては消えるのが、シュルツとゴンブロヴィッチのように見えた。

次に見えた蝶は工藤先生のようにも。

作品を生み出した人びとも、その作品たちをこの国に伝えた人も、今はもうこの世になく。
ただ、その言葉を風のように体の上にのせ、糸のように舞台の上に紡ぐさまを眺めるばかり。

瑞々しさとは何なのか?
人間の生命力というのは、死を引き立てる花に過ぎないのか?
あるいは逆か。

シュルツは灰色のこの世界の一瞬を、永遠のように引き伸ばし、広げ、
冬と春は一夜にしてせめぎ合い、
やがて冬は過ぎ去るが・・
それは夢の中で語られる物語のようでもあり
やがて物語は、混沌のなかで
世界の「価値が創られている深部のプロセスを記録」する・・。



シュルツとウィトゲンシュタインは似ている。

ふたりとも長い冬を生き、世界の測深器(ゾンデ)になろうとした。

シュルツはウィトゲンシュタインやゴンブロヴィッチのような天才ではなかったかもしれないが、天才ではなかったがゆえに、誰も到達できなかった刹那の最深部に到達できたと見ることもできるのかもしれない。
ゴンブロヴィッチもシュルツのその素晴らしさを十分に理解していたからこそ、お互いに尊敬しあっていたのだろうと思う。


もし、若手の演出家の人で、他の若いうちから活躍する作家に比べて自分が劣っていると思ってしまう人がいるとしたら、それは大きな間違いだと思う。

一瞬にして全てを見抜くような能力と言うのは、世界を測る上ではマイナスになる。

例えば世界の価値とでもいうものは、往々にして一冊の哲学書より多くを一体の仏像の中に見出せるものでもあるように自分には感じられるから。

同じ仏像を何年も見続けることなど、天才には難しい。

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