ぱち太の観てきた!クチコミ一覧

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笑うゼットン

笑うゼットン

トツゲキ倶楽部

王子小劇場(東京都)

2013/05/24 (金) ~ 2013/05/28 (火)公演終了

満足度★★★★

初見だったけど
チラシが悪いわけではないのだけど、ちょっと損をしている気がした。

もっとB級とかを想像していたのだけれど(苦笑
ストレート1本という感じ。

ほぼ1場面だけなのに物語も人物も非常によく描けていました。

ネタバレBOX

欲を言うと最後の方がちょっと尻すぼみだったかな・・?

でも好みの問題というだけなのかも。
けつあごのゴメス【全公演終演しました!!たくさんのご来場ありがとうございました!!!!】

けつあごのゴメス【全公演終演しました!!たくさんのご来場ありがとうございました!!!!】

劇団鋼鉄村松

ザ・ポケット(東京都)

2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★

哀しみのコルドバ・・?
全体としてはとても面白かったんだけど、後半はともかく前半が・・
う~ん、なんとかならなかったのかな・・?

ベースとなる原作があることが分かってきた後半あたりからは
物語の違和感もだいぶやわらいだ・・(苦笑

ちなみに宝塚はよく観るけど、
気のせいか女性をかけて男性同士の決闘シーンというのを観た記憶が無い・・ってこともないか、と思ってたらなんとなくわかった・・コルドバというあたりから。

「女性をめぐっての男同士の決闘がカッコ良いか?」
というあたりは議論になると思う。

自分はあまり日常では接する機会が無いが、
「カッコ良い」
と思ってる人たちもいるようである。

そのような人たちと現実に接すると、
何でもないことで必要以上に無用な恨みを買う恐れがあるため、
少し派手に踊るとき以外はクラブの片隅で
「私は透明人間」
と念じながらひっそりと移動するときのようにして
世の中を目立たないようにして渡っていくしかない。

自分の感覚としては・・
「カッコ悪い、というか最悪」
というところになる。

そういう意識が少しでも頭の中にあると・・
ちょっと決闘シーンのくだりは楽しめないような気もする。

今はそんな時代じゃないと思う。

元の設定はともかく、こうした男性が女性に一方的に自分の感情を押し付けるシーンは少し変えた方が良いのではないかと思った。

ちなみに帰宅してから、
自分の感覚が変わってるのかと思い、
お袋に舞台に登場した男性達の振る舞いについて一部かいつまんで説明し、
感想を聴いてみたところ、
「賢明とは言えないわね、素敵とは言えないと思う」
と、自分が感想を言う前に言ってくれて、ちょっとほっとした(苦笑

美女をかけて他の男と闘うなんていう展開は・・
自分が、仮にどんなひと目で女の子を大事にしなさそうな奴でも
「別にその人の方が好きなら良いんじゃない?」
てすぐに思う人間なので(どんなのがその人の幸せなのかなんて他人には分かりようもない。選択でその意図を探るべきだし、失敗もまた人生には必要なのだと思う。好きなら黙って失敗から学ぶまで時間と距離をおいて見守って、それでも自分が必要ないなら黙って去ればいいと思う
ハッキリ言って夢にも思わない(キッパリ

子猫やちびっ子を助けるために虎と闘うくらいの方が
自分には感情移入しやすかったなぁ・・(笑

舞台全体が非常に臨場感のある展開だっただけに
そこらへんの設定がちょっと残念だなと思った。

こういうのは、宝塚の男役だから危険な男の魅力が溢れる訳で、
それ以外の男性がやっても、ちょっと厳しいと思う・・。

カフカ朗読《流刑地にて》

カフカ朗読《流刑地にて》

夜想 presents パラボリカ・ビス

parabolica-bis(パラボリカ・ビス)(東京都)

2013/05/22 (水) ~ 2013/05/22 (水)公演終了

満足度★★★★★

蔵前の古本屋の猫・・
夕暮れどき、風が気持ちよかったので、
浅草から浅草橋まで歩いた。

1時間あるから余裕かと思ったら、通りがかった古本屋の奥に猫がちらりと見えた(笑

白かったな、と思いながら奥に入ると、
相撲とか、芸能関係の本が多く、
みているちに最初の方で見かけた昔の江差(死んだ父親の故郷)の尺八吹きの本が欲しくなって探したけれど、
一生懸命に探したけれど、もう見つからなかった。

さっき見かけた猫も古本もマボロシなんじゃないかと思いかけたころ、
時間が無いのに気付いて(苦笑
あわてて走った。

下町は、町も古本屋も、
山の手ほどキレイではないけれど、
夕暮れ時にはなんだかフシギな甘い夢みたいに見えるときがある。

ビスも、ぱっと見はなんてことはない建物なんだけど、
以前創設時の話をトークショーできいて、
決してお金持ちの道楽なんかではなしに
苦労しながら作り出された場所だけあって、
自分にとってどんな馴染みも無い展示物でも(西岡兄妹は勿論知ってる
よくよく見てみると素晴らしい美に溢れたものばかりで
今まで大変勉強させて頂いてきた(笑

ハチスノイト+Magdala氏のライブや朗読も、
一見したところ凄さはなかなか分からないかもしれないけれど、
自分も夢中夢の頃から何度かハチスノイト氏のライブは観ていたのだけれど、
先日ドミューンで生でMark McGuire x Dustin Wongのライブを見ていたこともあり、
今回は音楽的な凄さをよりハッキリと認識できた気がする。

最近は技術の進歩もあり、
音楽でもバンドセットじゃなくとも
ソロやデュオでも相当複雑な世界の構築が可能になっている。

今回の朗読は、音楽的なテクニックをアレンジして使用しており、
通常のイメージの朗読会とはまったく違う。

技術とセンスさえあれば、
もちろん個人の相当の努力は必要だが、
一人芝居や二人芝居の可能性が大きく広がることを予感させるものではないかとも思った。

シュナイダー

シュナイダー

青年団若手自主企画 マキタ企画

アトリエ春風舎(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★


elePHANTMoonの舞台は重いため、体調が万全でないと即死する危険性を孕む(苦笑

今回は・・やっぱり凄かった(苦笑

青年団の役者ばかりなので
まったく知らない人たちばかりだったら、
「これってひょっとして素?」
と少しでも思ってしまうところだが、
そういった心配も無かったので、
フィクションとして集中して観れた。

仕事で疲れた状態で頑張れる自信が無かったので
土曜にして良かった(苦笑

前回の公演を王子で観たような・・そのせいか内心
「ヒィィ・・」
と思いながらも(苦笑
冷静に分析しながら集中して観れました。

好き嫌いは分かれる・・というか好みの問題ではないのかも。

周りに登場人物のような人がいるとかいないとかという話でもない気がする。

要は、それまでは普通の生活をしていたと思われる人たちが、
何かの事故や何かのきっかけで道を踏み外すと、
いつしか陰のように業が後ろにへばりつき
やがて何かの澱みのようなところに落ちていく。

河の流れに瑞々しいところもあれば澱みもあるように、
世の中にもそうした所、瞬間がある。

観なくても何不自由なく過ごしていけるのかもしれないが、
他に誰も描いていない空気がそこにあるのなら、
純粋に舞台として評価しなければならない気がする。

毎回観れるかと言われれば
「・・体力と相談させてください」
としか言いようがないが、
根拠のない前向きのメッセージが溢れる今の世の中には貴重な舞台であるようにも思う。

ネタバレBOX

公演時間85分(もっとあった?
常に高いテンションで一瞬も気が抜けない。

どの会話も何かの伏線につながっている。

一見普通に見える人も次の瞬間には普通でなくなる。

良く考えればそんなに「普通の」人間なんて世の中には存在しないのかもしれない。

幼馴染の男女がいる。

女は昔ままごとで男に泥汁を珈琲として無理やり飲ませた。

男もムリして飲んだ時の女性の喜んでるんだか何だかわからない不細工な顔が忘れられないという。

大人になって女性は結婚し、男性は独身のまま。

女性は、自分の足の感覚を車の事故で奪った男に執拗に謝罪を迫る。

また、自分の旦那の浮気を執拗に攻め立て
「死んだら許す」
と言われた旦那は喜んで自殺する。

女性は旦那の浮気相手に毎晩無言電話を掛け、
その女が訪ねてくると包丁を振り回すが、
旦那が死ぬと酒を酌み交わして仲直りをする。

この物語に出てくる女性は、浮気相手の女性も含め、男性を愛していないことははっきりしていると思う。

女性たちは、昼メロのような安っぽい修羅場に恋しているのだと思う。

それだけが、田舎の日常に「痛み」という人生のリアリティを与えてくれる。
物語の登場人物に自分を導いてくれる。

だからこそ、物語がひと段落(旦那の死)すると女性たちは何もなかったかのように、
まるで舞台が終わった後の役者たちのように
酒を酌み交わすのではないかと思う。

世間一般で言えば「浮気をする男性が悪い」ということになるが、
この物語では、
浮気をする男性を挟んで女性二人が
「修羅場というゲーム(エンダーのゲームみたいなもん)」
をそれぞれの役柄に合わせてプレーし、
耐え切れなくなった旦那(男前という設定)があまりにも早くリタイア(自殺
してしまったために女性二人が肩すかしを喰らった感が描かれている(恐ろしいことじゃて(怖

そんな女性に惹かれる幼馴染の男性(そんな目の前で包丁を振り回す女性に惹かれるだけでも男性が普通でないことが推測される(苦笑
は「不幸な自分に酔うのは気持ち悪い」と、ハッキリ言う(このように物語の中で登場人物の気持ち悪さをハッキリ示す言葉が多いので、舞台は常に客観性を維持してるように思う(これらの女性のように、痛みだけでしか自分の存在を確かめられない(昼メロのような安い設定・物語にしか居場所を見いだせないと言い換えても良いかも)人は意外と多いと思う(それは世の中の男性たちが愛情とかコミュニケーションとかいうものに長けていないという証左とも言えるのかも

女性は自分の気持ち悪さを指摘した凡庸な(そう見える)男性より、性犯罪の過去を持つ男性を選ぶ(男性は説教するだけで共感を示せなかった、と言えるかもしれない・・単純にまとめすぎ?

その男性の被害者の父親が、
男性が幸せになった時、その幸せを破壊することを人生の生きる糧にしている、とはっきり女性の目の前で言っていたにも関わらず。

いや、だからこそ強烈な痛みの物語のただなかに自分が導かれることを予感して男性を選んだのかもしれない。

かくして希望通り?
父親にガソリンを掛けられて火をつけられ、包帯だらけになって表情も分からなくなった女性は、
通常なら不幸のどん底になって打ちひしがれるはずなんだろうが、
表情が全く分からないため、
「ひょっとしたら今が幸福の絶頂なのではないか?」
という暗い予感が導かれる。

非常に見応えがあたものの精神的な疲れも相当なものだったので、
家に帰ってからスピッツを聴きながら漢詩(杜牧)を読んで心を落ち着けることにした・・♨
【次回公演は3月!ご来場ありがとうございました!】「かたわこや」

【次回公演は3月!ご来場ありがとうございました!】「かたわこや」

劇団東京ミルクホール

SPACE107(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

一見泥臭そうな題材だけど・・
哀しい物語もすべてひっくるめて笑える物語にしてしまうのはヤッパリ凄い!

わざわざヘンな感じにしてからキメるところも流石。

カッコつけてキメるのはもうとっくに古くなってる・・というかカッコ良かった時代なんてないので、どうしてもカッコつけてキメたいという輩はこの舞台のラストを真似して「イエー!」とかやって欲しいもんだと思ったり。

旗揚げ以降、常に東京の演劇でいちばん見るべき作品を作っていたと思う。

東京のアート系のどの団体より洗練された舞台を作っていたから。
美大、芸大系統の劇団には一番必要なものがここには詰まっている。

FTに呼ばれないのが本当にフシギだ。
ドイツでポレシュなんかを観てる若い人たちにミルクホールを見せたら、
1/3位は涙を流して喜ぶんでないかと思ったり(あとの1/3は怒って帰り、残りの1/3は理解できないといった顔をすると思う(推測

大阪の子供鋸人のNASAボーイに東京で張れるのは
「Kissより甘いKissがある」
浜本ゆたか氏位なんじゃないかと思ったり。

いのちだいじに【全6ステージ終了しました!】

いのちだいじに【全6ステージ終了しました!】

駄目なダーウィン舎

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2013/05/09 (木) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★

面白かったけど、もう少し演出を丁寧にした方が良い
学生劇団と言うのは、演出についてまとまって教わる機会が無い分、
地力(観察眼とでも言うのか)が如実にそれぞれの差となって出てしまう。

やりたいことが一杯あるうちはそれでもいいけれど、
ひとつひとつの役者の演技をきっちりとまとめ上げて行かないと、
そのうち詰まってしまう。

他の評者の方が書いていたが、
出てくる新聞紙が白紙というの、それが自分もとても気になってしまった。

自分も小学生の時に新聞を自作で作らされたりもしたからわかるが(苦笑
それっぽい新聞を作るというのは相当な手間だ。
しかもほとんど観客の目に触れることはない。

労力に比べて効果は非常に少ないと思う。

でも、そういうちょっとした見えないところまで血のにじむような作り込みを行うかどうかで、将来の姿が見えてしまうものだと思う。
舞台において本当に重要なものというのは台本には書いていないところにある。

それこそ作品の隅から隅までぎっしりとアイデアを詰め、
地獄にいるような思いをしながら舞台上に遊び心を敷き詰めていれば、
たとえ将来劇作家などにならなかったとしても、
普通の仕事をしてもきっちりとこなせる人間になるに違いないと想像できる。

舞台を作るのは楽しいかもしれないけれど、
人を楽しませるというのは本当に難しい。

物語の中には、
楽しめる要素がいくつもあったが、
それは本筋というよりかは、
役者ひとりひとりの個人技がうまく入り込んだ結果と言えるような気もした。

もう少し物語に緩急をつけ、
あっと驚くようなどんでん返しを何度も行い、
役者の動作をもっと笑いを増幅するよう工夫すれば(ろりえの舞台なんかは学生劇団には参考になるかもしれない。同じ若手なので。ただし一回観ただけではよく分からないかもしれない
もっともっと笑い声を大きく、笑う回数を増やすことも可能ではないと思えた。

ひとつひとつの細かい演出は、一見無駄に見えるかもしれないが、
例えば架空の新聞紙を1枚作れば
作っているうちに色んなアイデアがわいてきて、
それを次の公演に生かすこともできると思う。

アイデアはそうして増やしていくものだと思う。

物語は悪くないと思う。

若いのにちょっと古臭くも見える物語・演出を描くのは逆に新鮮だ。

アニメやライトノベルっぽい軽めの物語・演技が全盛のように見える今の流れと逆行している気もする。
ひょっとしたら数年後にはこちらが主流になってるかも。
若い人たちがやるとちょっと古臭い物語も逆に新しく見えてしまうフシギ(笑

若い人は流行を追い求めすぎると逆にぺらくなってしまう。
新品に古着をミックスするお洒落を真似るような気持ちで、
少し古臭い要素にもバランスよく手を出すのも悪くない。

若い人が全員ケラ氏みたいな作品ばっか作ってたら気持ち悪いし・・(苦笑

ちょっと昔の時事ネタっぽいのが入っていたが、それはあまり必要なかったかも・・。

東京の若手劇団は勢いはあるが、
地方の劇団のようなアイデアを寝かしてもっと演出を密にすることも学ばなければならないとな、とも思ったりした。

妖精大図鑑 上巻・下巻

妖精大図鑑 上巻・下巻

妖精大図鑑

多摩美術大学 上野毛キャンパス 演劇スタジオ(東京都)

2013/05/10 (金) ~ 2013/06/08 (土)公演終了

満足度★★★★

多摩美は意外と近かった
多摩美という位だから多摩にあるのかと思っていたら、
東急沿線で実は意外と渋谷とかからも近かった。

スタジオの場所もちょっとフシギめいていて(雨が降っていたせいかな?緑の中の音の漏れ出るスタジオで)良かった(笑

学食も8時までやっていたので、
舞台を観てから次の舞台に向かうまでの間にランチを食べたけど、
味噌汁とか美味しかった(笑

舞台の内容としては、ちょっと京都っぽい・・?
京都なんかでたまに見かけるゆるくてふわっとしている感じの舞台という感触。

こういう系統の作品は実は東京ではあまり見かけないタイプかもしれないという気もした。

のんびりとした雰囲気の多摩美ならでは(なんとなく
という気もしたり。

ただ、京都で見かける女子めいた舞台に比べると、ひょっとしてわざとちょっと分かりにくくしてる・・?

もう少し小道具を分かりやすくするとよかったかも。
自分は目が悪いなりにわりとすぐ分かったけど、
舞台を観慣れてない雰囲気の人は戸惑ってた気がした(苦笑

こんなのんびりとした雰囲気のゆるふわちょっとフシギ系ならまた観てみたいな・・(笑

(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

宗教劇団ピャー! !

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2013/05/08 (水) ~ 2013/05/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

Qの波かな
今度で2~3回目かな?

そんな熱心に観てるってわけじゃないんだけど、
他の人の評価が低かったんで逆に確かめたくなって観てきた(笑

そしたら、面白かった。

ちょっと線が細いかな、とか、予定調和すぎないか、ていう気は若干したりもした。

でも、全体としてはとてもいい。

ちょっと気持ち悪いところはある。

でも、それは自分の中では決してマイナス評価には加えない。

他人だから、分からないところはもちろんあるし、それが当たり前だし、
ただ、自分は心地よさを演劇の評価にすることはない。

アフタートークの劇団員を観ていて、
以前他の係にいた新入社員(今はもう異動した
を思い出した。

その新入社員も主宰に似てちょっと線が細く
仕事が大変だったせいもあってか
心の病院に通っていたとあとで知った。

そこの係長は非常に高圧的な態度で(苦笑
今の自分の上司は非常に理解があるが、
それとは全く正反対で、
そういえば今日も上司と一緒にその人にどやされたことを思い出した(苦笑

こちらは二人で「~~です」
と対応してるのに、
その人はそれに対して机をたたきながら
「お前ら本当に~~だと思うのか?」
「いや、ですからそれはメーカーに確認しております」とこっち(苦笑
少し打合せするだけでも向こうの口調が荒いため、非常に精神的なストレスが溜まる(苦笑
自分はともかく理不尽なことで荒い口調で一方的に話される上司のことを考えるとちょっとひどいんじゃないかと思ったり(苦笑

そういう荒い口調が原因なのかはサッパリわからないが、
精神的に疲れ切った新入社員だけじゃなく
その上司には個人的なクレーマーもついたり、
「どうもトラブルメーカーなのは逆にこちらでは・・?」
と思ったりもしたり(真相は全く分からないが。ただ、一般にクレーマーと呼ばれる人もいろいろあるだろうから一概には言えないが、自分の対応した他の人が「クレーマー」と呼んだ人たちは、みな真摯に向き合えば要望に応じられなくても理解してもらえる人たちだった。運が良かっただけかも知らんが

このように社会に出ると、
学生の頃は想像もつかないこと(これはまだ可愛い方かもしれない、自分はもっといっぱいあった(苦笑
が目白押しだが、
それだからと言って自信を失う必要はないと自分は思う。

マジメで線が細い人ほど
「・・自分のせいじゃないか?」
と思ってしまうかもしれないが、
後になってみると、原因はもっと別のもので、今はただめぐり合わせが悪いだけ、とうことが多いと思う。

社会の評価を前にしてうなだれたりもするかもしれないが、
言語の経済的な価値と文化的な価値がまったく結びつかないように、
声の大きい人と小さい人の価値が結びつくわけではまったくないのだと思う。

アフタートークで主宰が、
エンゲキをやることでやっと自分も少し大きな声で話すことができるようになった、という話があったが、まさにそういうことだと思う(この話を聴いて自分はこの舞台を観にきて良かったと思った。まったく面識はないが(苦笑

じゃあリハビリ?のために作られた演劇に価値はないのか、というとそんなことはなく(ハイバイなどが良い例だと思う
社会全体が病んでいる以上、
リハビリのエンゲキにこそ大きな価値があると言えるのかもしれない。

病んでいる人ほど、自分が病んでいることに気づかない。

・・いや、気づくからこそ逆に苛立つのかもしれない。

だからと言って、
「病んでますよ」
と言っても喧嘩になるだけだ(そらそうだ(苦笑

自分はこの舞台を観て、
悩んで苦しんで、もがいて、でも、どこかで救われたい、
何を敵にしていいのか分からない、みたくじたばたする姉弟の姿を見て、
逆にこちらが健全なんじゃないかと思った。

逆に、それらをとりまく周りの人たちはどうなのかとも思った。

今の時代は、誰かを病気にしたがる。

しかし、病気にしたがる人こそ病気であることが多いと自分は感じることがある。

断言してもいい、
悩む彼らは健全だよ・・(笑

focus. 神話

focus. 神話

ミームの心臓

王子小劇場(東京都)

2013/05/02 (木) ~ 2013/05/08 (水)公演終了

満足度★★★★

上演時間を揃える必要はないのでは・・?
上演時間としては、真ん中のミームが少し長めに感じた。

説明的な台詞はすべてカットしても良いのかとも思った。

逆にハイジ座はもっとあっても良いのかとも思った。

順番として
「笑い」「シリアス」「シリアス」だったからかもしれない。

上演時間として両者半々くらいが観客としてはちょうどいいといつも思う。

別に4部構成にして
「ハイジ前半」「ミーム(短め)」「4次元」「「ハイジ後半」
でも良いのかとも思った。

別に劇団の実力云々とかではなくて、
出演者の数やテーマに従って上演時間を短くすることは
劇団の評価を低くすることにはつながらないと思うので
安心してほしいとも思った。

四次元ボックスは、
アフタヌーン?とでも思ってしまうような、
大学でも文学部のような割と限られたところで目にする気がする人たちの雰囲気をうまく伝えている気がして、
演劇ではわりとありそうで目にしなかっただけに
(現実があんな雰囲気だと作品ではもうちょい小難しくする傾向があるような・・
少し珍しいな、という気がしたりした。


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ただ、個人的には、こういう人たち(文学部っぽい人たち)を在学中目にする機会が多かったというのもあるのだけれど、
こういうモラトリアムっぽい人たちよりかは、
「最新の音楽やダンスが好きな女っけのない人たち(チャラ男は音楽に興味なんてない)」
「地方で日給8000円なのにエレグラ(入場料9000円だっけ?)に来るヤツ」
「バイト生活のヒップホッパー(流行らない方)」
などの、
実は文学部系などより100倍硬派(自分視点。文学系は硬派な顔をした軟派が非常に多い(笑
な野郎共の方が物語としては面白いのではないかと思う(苦笑
その街、その時代、一番面白いのはアグレッシブな素寒貧であるという
自分の中での(勝手な)法則性からしてみると、
別に全否定という訳ではないけれど、
もっと物語を探す余地はあったのではないかと思ったり
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でも日藝って、近いせいか気のせいか春風舎でその系統の作品を目にする気が・・気のせいかな?

3劇団それぞれのカラーが上手く出ていてよかったと思う。

ただ、テーマを揃えるんじゃなく、
無理を承知で言うなら
「同じ登場人物が登場する物語にする」
「同じ年、街で固有名詞、事件を会話の中に出す」
等の方が観客には伝わりやすい気がする。

そのためには、脚本を早くあげて揃えなければならない(笑

そこまでする必要あるの?

という気もするかもしれないけれど、
そこまですれば観客も
「このイベントでしか見れない」
という限定感で増える(もう満員ぽいけど(苦笑
と思う(大きな劇場で再演できるかもしれないという意味で

PHANTASMAGORIA (ファンタスマゴリア)~海の回廊~

PHANTASMAGORIA (ファンタスマゴリア)~海の回廊~

三日月バビロン

ザムザ阿佐谷(東京都)

2013/05/03 (金) ~ 2013/05/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

初演もみたけど・・
何年かぶりかだから新作として楽しめました(笑

こういう劇団にとって思い入れのある作品はちょくちょく再演する位でもちょうど良いのかもしれない。

ネタバレBOX

夕暮れの海辺で遠くに見える灯台に向かってぼんやりと歩きながら、
あかりが灯るまでのマボロシのような夢のような時間の中で、
そこで海に飛び込んだまま帰ってこなかった
人魚の国に行ってしまった少年の物語を夢想したことがある人なら、
8mmの光が遠い昔にみた海の記憶に似ていることを思い出してくれるんだろうか?

初夏か盛夏にかけては海の季節だから、
自分も海の色に似た青い色のものを一つは身に着けるようにしてるんだけど(笑
こんな海の物語をひとつ自分の中に入れたなら、
そんな普段の装いも楽しくなるんじゃないかとかとも思ったり(笑

筋肉少女【残すは7月in→dependent theatre 1st!】】

筋肉少女【残すは7月in→dependent theatre 1st!】】

石原正一ショー

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/05/01 (水) ~ 2013/05/03 (金)公演終了

満足度★★★★★

久々
面白かったです。

関西で観ると観客席も盛り上がった者勝ちみたいな感もあり、早くいかないとかぶりつきの席は大抵埋まっていたり(笑

大人数で東京来るのが大変かもしれないけれど、
今回みたいに日程調整つく人で組んでいくと
全回違った味になって面白いだろうな、と思った。

自分が観た回が一番役者がはまり役だったと
回が違う人同士で言い合うのも楽しいと思う(笑

ブルーノ・シュルツ『マネキン 人形論』

ブルーノ・シュルツ『マネキン 人形論』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/04/25 (木) ~ 2013/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

別に誰がどうとかいう訳じゃないけれど・・
3日間観てきました。

これだったら4日間観ておけばよかった。

たぶん4日観てもまだ伝わらないことが多いと思う。

ポーランド語の知識がほんのちょっとあって、
シュルツのことが少しわかってるだけのつもりの自分でもそうだから、
本当だったら1週間くらいやって毎日観ることを前提にする位の方が良いかもしれない。

自分の演劇読解力からして3日観てまだ足りないと思うし、
上田さんでさえ終わりの会で「観る度に発見がある」という。

非常に酷な言い方になってしまうけれど、
あまり接する機会のないポーランド文化のなかでも
最もポーランドらしいと思われる作品を、
1回観ただけで理解するのは日本人には不可能だと思う。

舞台だけではなく、ポーランド語や文学、文化や歴史、映画についての知識も必要とされている。

できれば今はウクライナになっている
ポーランド東部地域についてのイメージもあった方が良い。

1回観て、芝居の全容をなんとなく把握し、
2回目で見にくかった字幕の内容を頭に叩き込み(台詞と合ってない部分もあるのでそれは頭の中で調整しつつ参考程度に(苦笑
3回目でようやく諧謔、皮肉、認識の反転などの様子が見えてくる。

たぶん3回目からが面白くなってくるし、
役者の動きもそれぞれ変わるので、
飽きさせない(何回も見れるように即興の余地を残しているし、
そのために字幕と上手く合わないということもある。
即興的な舞台は字幕と上手く合わないが、
字幕のことばかり考えていると、
きっちりと組みあがった舞台しかやってこないというこれもまた皮肉(苦笑

何度見ても、最高だと思ったし、毎日観たいと思った。

最近特に思うが、時代は逆行している。

20世紀初頭にこそ、今現在の最先端はあると感じる。

今あるものはそれら断片のつぎはぎでしかない。

ポレシュとは言わないが、
ウォルホールやバロウズのように
すべての素材を分断してつぎはぎして自分たちの曲にのせた後は・・
すべての始まりに手探りで帰還しなければならない・・。

エンゲキが何をしなければならないかは、決まっているように思うのだけれど・・

「アナクロと呼ばれることを恐れない」
というようなことを主宰が言っていた。

ブルーノ・シュルツ『マネキン 人形論』

ブルーノ・シュルツ『マネキン 人形論』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/04/25 (木) ~ 2013/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

シンプルだけれど・・
非常に示唆に富んだ作品。

エイゼンシュタインくらいは観ておいた方が良いかも。

きょうは初日だったけど、
回を重ねるごとにもっと良くなるかもしれない、舞台も観客も。

ポーランド語だけじゃなく
最後の方はロシア語やドイツ語も入ってくる。

そのことが余計にポーランド語を引き立てている気がした。

アフタートークを聴いても、
劇団のひとりひとりがポーランド語をはっきりと発音しているのが
とても印象的だった。

言葉を非常に愛しているように感じる。

ポーランドの素晴らしさが詰まった舞台と言って良いと思う。

出来たら一度観た後で予習してもう1~2回観た方が良いかも。

自分もそうしまふ・・♨(苦笑

土曜追記----

アフタートークでポレシュへの反発があってようやくハッキリと分かった。

この舞台は、きわめて「ポーランド語的」な舞台だと。

ポレシュを写し鏡にしてようやく姿が見えてきた気がした。

ポーランド語は学ぶ価値のある言語で、シュルツは世界で最高の作家のひとりであるという話もあった。

自分もその話には大いに共感するところがあった。

ドイツや日本よりは田舎かもしれないけれど、
平原のただなかのポーランド語からは、
ちょっとした文章のなかにも
平坦さとは程遠い、奥深い森を思わせる迷宮のような言語の高層棟が見える。

ゴンブロヴィッチのようなパラドキシカルな天才と、
シュルツのように死を予感しつつ生への渇望を詠い上げる者とを、
友情で結びつける何かがある
(シュルツはユダヤ系だがユダヤ的というよりは遥かにポーランド的だ。
このことだけを取ってみても、ポーランドが様々な要素を
溶融しないままとり込める多様性をもった
「世界的な」文化であることが読み取れると思う

ドイツ語やロシア語や中国語なんかよりは遥かに金にならない言語だけれど、
文化的には極めて豊かな言語であると思う(一応フランス語や英語より、とも言っておこう・・ペルシア語だと分からない気もするけど・・

日曜もまた観てみたいな・・。

ネタバレBOX

メトロポリス(ラング)、ポチョムキン(エイゼンシュタイン)、アンダルシアの犬。

あるいはヘーゲル、アインシュタイン、グルジェフなど。

カバラにも触れられる。

動きは、人形や舞踏や能の動きなどを取り入れたようでもある。

亡きカントルを軸とした
惑星系(こういう表現の仕方を見るとなんとなくグルジェフの名前が出てくるのもちょっと納得)
の一つでもあるようだが詳しくは知らない(苦笑

ゴーレムの名前が出てくると、
ユダヤ人科学者が大挙して働いて盛り立てた
ドイツ、アメリカ、ロシアなどの列強のことなのかななどと思ったりもしたり。

中身が空だが、
エネルギー(E=mc^2)で動く(だっけ?
実在する殻。

全体主義、ファシズムとは、
最大限のガラクタ(粗悪品)に最大の価値を置く(最優先とする)
ものだとするならば、
政府の主張に愛国心の名の下に盲目的に従うことを美徳とする風潮は、
ヒトラーのような明確な独裁者、偶像が存在しないだけで、
ファシズム的と言って良いかもしれない。

(分かりにくいけど、
メトロポリスの市民のように盲目的に一つの流れに従って動く集団というのは
勇敢だが容赦のないロシア兵やドイツ兵を思い出してしまう。
軍隊的な強固な集団と言うのは、
間違った理念に基づいて動く限りにおいては
人間的にはガラクタの寄せ集めだということが言いたかったのではないのかな・・)

海外の先鋭的な作品を上演する劇団は
既に大体、反グローバリズム的な香りを発していると言っても良いかもしれない。

この劇団は、
そうした流れを逆に20世紀初頭までさかのぼって
懐かしく甘いアコーディオンの響きにのせて
表現するところが素晴らしい。

自分が大好きな部類の舞台作品です(笑
「flat plat fesdesu vol.2 」

「flat plat fesdesu vol.2 」

Crackersboat

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/04/23 (火) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★★


あれ、みんな面白かったよ。

岩渕貞太目当てで行ったけど、
Aokid VS たかくらかずきも横山彰乃も凄く良かったし、
Y.I.M×お茶プロダクションは1日だけなのが勿体ない位。

ピグマリオン効果も謎だったけど面白かった。

かっぱ海老煎が食べたくなった(日によってver.違うのかも(笑

休憩含めて2時間以上というのが予想外だったけど(苦笑

AやCものぞいてみようと思ってるけど、前後の予定再確認しないとナ。

平田オリザ・演劇展vol.3

平田オリザ・演劇展vol.3

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

銀河鉄道の夜
自分は悪くないと思った。

以前、神戸の高架下のライブハウスで鹿殺しが銀河鉄道の夜の舞台をやっていたのを見たときとはちょうど真逆の感覚かな?(笑

オール女性キャストということを念頭に置きながら舞台をみていくと、
ひとつひとつ完璧に表情の流れが組みあがりながらも、
きっちりと抑えた中に納まった美しさが際立ってくるようにも思う。

足穂チックな危うさの残る真っ直ぐな少年の美しさが読み取れると思う。

やはりある年齢をこえると、
女性の方が少年に対する観察眼が鋭いためか、
男優よりも女優の方がさまざまな少年を描写するには適しているようだ。

それを上回るとすれば、
少年の心をいまだ持ち続けている
高円寺あたりのモヒカンや金髪のパンク氏あたりくらいか・・?
まぁそれは趣向が180°変わるからさておき。

オール女性キャストということで、
主題が幸せや優しさや愛ではないかと想像できた。

自分は想像する。

お金持ちのカンパネルラは貧乏で父親が音信不通で母親が病気のジョバンニより幸せだったのか?

ネタバレBOX

病気の母親は、お金は無いかもしれないけれど、
ジョバン二が持ち帰る食べかけのビスケットを渡されたときの幸せはお金では買えないものだと思う。

カンパネルラはお金持ちだけれど、
貧乏なジョバンニのように母親を喜ばせることができない。

自分が誰かの役に立てば、お母さんは喜んでくれるだろうか?と言って友達を助けるために川に飛び込んで死んだ彼のことを、父親はただ寂しく悲しく見送るばかり。

子供のために鉄道模型を買ってあげることはできたけれど、
優しい彼に、ジョバンニのように母親を喜ばせる手段を与えることは出来なかったことを悔やんでいたのではないんだろうか?

子供に何を与えるのが幸せなのか?

お金より言葉を、生きている実感を、喜びを人にあげる幸せを。

天の川の星々は、ただお母さんを喜ばせたくて
河に飛び込んで死んでしまったカンパネルラのような、
哀しくて美しい魂でできているんだ。

・・そういえば、お袋がいつもきれいな緑に囲まれたらいいと
特に父親が死んでからは家の木をヒマを見てはよく切ったりしているんだけど、
たいしてうまく切れたわけでもないのに(苦笑
そのたびにお袋がちょっとだけ元気になったりしてる気がするのは
そういうことなのかも知らん(聞いたことないからよく分からんが(笑

この銀河鉄道の夜は、
一見子供向けかもしれないが
内容は完全に子供の心を忘れてしまった大人のためにある。
マリア

マリア

Straw&Berry

王子小劇場(東京都)

2013/04/17 (水) ~ 2013/04/23 (火)公演終了

満足度★★★★★

土日の雨で水を含んで落ちた庭の紅い躑躅を拾いながら思ったこと
これは中高生に観て欲しいと思った。

以前に大阪のどっかで
別にカッコ良いと言うほどでもない中途半端な音を鳴らす
それほどカッコ良いとも思えないバンドに
知り合いの女の子たちがキャーキャー言ってる端の方で
別の女の子たちがこの世の地獄みたいな顔をして恨めしそうに眺めていたのを見たときのことを思い出した(苦笑

自分はそのとき、
「この人たちの音に別に良さはないし、
カッコ良いわけでもないと思うよ」
とは彼女たちに言わなかった(逆に「良んじゃない」くらいは言ってたかも。他に言いようがないし、友達感覚なら(苦笑

ただ、その子たちもその男たちのことなのか別の何かなのか
あとでその周りでみてた子たちのような顔をしだして、
「そーなのかな?」
と、ぼんやり思ったことを覚えている(なんとなくだけど

・・まぁ、人生こんなもんだ(苦笑

でも、それを冷静に描くのはなかなか難しい。

同じようなことを繰り返す若い女の子は多いけど、
自分は
「後悔しないで前向きに進めば別に致命的ではないし良い経験になると思う」
と内心思うけど、
それを実際口に出して女の子たちに言うほど状況に詳しくもないし、
逆に死ぬほど辛い言葉かもしれないと思うので
敢えて口に出しては言わない。

死んで灰になったりするよりは生きて血の廻った体でいる方が
余程良いと強く思うのだけれど、
そうでない子も結構いるようだ(苦笑

土日の雨で水をふくんで地べたに落ちた真っ赤に色づいた躑躅を拾いながらそんなことをふと思った。

・・まぁ、それがメインテーマかはよくわからんが。

ネタバレBOX

開演後1時間半は死ぬかと思った(苦笑

どこにでもありそうな展開は退屈でもう終わったとさえ思った。

ただ、最後の30分ほどの怒涛の展開もまた予想外だった。

薄っぺらにも見えた物語がシーソーゲームのように視点が五転六転していく(最終的に何回転がったのかもよく分からない(苦笑

前半部では、主人公を振ったまりや(30歳・女性)の方が、主人公(22歳・男性)の子供っぽさに飽きれることが分かりやすく描かれる。

ところが、フラれた挙句女性の旦那を怪我させてしまい、事件になって事務所(河西裕介事務所と思われる)を首になってバンド活動を休止した主人公のもとに、やっぱりベースにフラれたバンギャ?のちょいフシギ系?の女の子がやってきて、二人が好きなマスコットキャラクターの「しろたん」(30歳のまりやは子供っぽさの象徴として斬って捨てた)をきっかけにしてくっつくところから、
「ひょっとして真っ直ぐな主人公の方がまっとうなのでわ?」
という気に、ちょっとだけなってくる。

ところが、その主人公と彼女がくっつくと、その彼女を昔振ったハズのベースの様子がちょとおかしい。

やがてベースが死んだこと(自殺?)をきっかけに主人公に彼女が別れを切り出してくる。

実は、彼女はベースが死ぬ直前に彼と浮気をしていたようだ。


「あの素晴しい愛をもう一度」 を安っぽく歌ってベースは死んだんではないかと想像してみた(ナオト・インティライミのようにとは言わないが(汗
「死んだ人が実際の裏主人公である」という国分寺の法則(自分が勝手に読み取った
に従えば、河西氏の分身はこの舞台ではベースではないかと想像してみたりした。

彼女が別れを告げて出ようとすると
主人公は泣きわめいて縋りながら
「なんで自分の好きな人たちは自分から離れていくの?」
と言うと、彼女は
「みんな主人公のことが好きだから離れるの」
と言って部屋を出る。

これはいろいろ読み取れそうだけど、
「真っ直ぐなままの主人公を見ていると真っ直ぐになれない自分の醜さ?を常に見つめなければいけないからそばにいるのが耐えられない」
だと、自分は勝手に解釈してみた
(これはおフランスの作家ロジェ・グルニエの得意技である。こういうのをたくさん読むと、実際にこういう場面に遭遇しても何とも思わなくなるかもしれない(保証はしない

ここからの主人公の行動が意外だった。

主人公は部屋を出ると血まみれにになって戻ってきた。

自分は、ここまで片親で甘やかされてきたために(自分は母親には甘やかされた記憶が無いのでよく分からないが
マスコットキャラクターのようにしてしか女性を愛せない主人公の様子が読み取れたので、
てっきり育て方を間違えたと言って逆恨みして母親を殺してきたのではないかと思ってしまった。

ところが、母親が後に出てきて(ここで殺されたのがさっきの彼女だったと分かる。ここでの時間差での描き方がとても上手い
主人公は悪くないと言って彼を庇い(この描写からすると、父親は相当立派であったが甘やかされた主人公はただのクズということになる
主人公は母親とキスする(描写がリアルなため気持ち悪さも倍増する(苦笑

一方では、元カノのまりやが人付き合いの良さそうな関西弁の旦那と
妊娠の喜びを分かち合っている。

ここで幕が下りてstarrringが上映され、
なんか後味の悪いラストだったな、
河西裕介事務所とかthanksのとこに書いてあるけど、
バンドを首にしたのってここ?

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舞台美術の作り方もうまく、舞台美術の上の方が完全になくなっていて、
セットの向こう側が見える。
最初から「この物語は虚構の世界です」と宣言しているようなものだ。
そのなかで物語の設定をさりげなく
starringの上映のなかに持ち込んで遊ぶあたり(ホントに河西裕介事務所があったらスミマセン)どこまで本気か遊びか分からず面白い(笑
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だとすると物語でバンドをハブるかもしれないと言われていた
悪の?事務所の所長って河西氏かね?
とか思っていると、
最初のシーンに戻って、え、まさかの夢オチ?

でも全然安易な感じはなく、
良く考えればラストの非現実的なまでの怒涛の展開を考えれば、
夢オチにした方が教訓としては呑み込みやすい。

描写としては、夢オチ後のつなぎは初出時の流れとさほど変わらないが、
夢の教訓を生かして、
女性をマスコットキャラクターのようにしてしか愛せないただのマザコンとして終わるのか、
これから自分から離れないようにしっかりと心をつなぎとめられるのかは
彼の心次第であると自分は思ってみたりした。

ちなみに、またしても知り合いの大阪ガールの例で悪いけど、
最初に書いたのとは別の知り合いの「女子in Osaka」
に、お袋と社交ダンスに通ってるって言ったら自分がマザコンだと思われていたのか(苦笑
「マザコンの男は女の子に嫌われるで」
とかおばちゃんぽく自分が言われた時のこと(つい先日)を思い出してみたりした。

「・・マザコンとかじゃないと思うんだけどな。女の子に負担を掛けないように料理を勉強しろと言うし(あんましできない)、一緒にやってる社交ダンスも、女性のことを考えた動きを身につけるようにとの指示で、厳しいんだよ。でもやってみて良かった。世の中勉強になることばかりだ。・・今のところ嫁探しにはまったく生かせてないけど(苦笑」
とかなんとか言ったっけな。

別にウチのお袋は優しくはないが(津波になったら自分を見捨てて逃げろとは言うが
自分は甘やかされて育ったとしても
マスコットキャラクターのように女の子を愛したいとも思わないし
そういう風に愛されたいと思う女の子に興味もないんで(ただ今のところその女の子の区別がつかないかも(苦笑
逆に最終的に気持ち悪い結末になりかけたけど
この物語のラストの夢オチの健全さにこそ救いはあると強く思ったりした(笑

作品としては夢オチにしない方が評価が高いかもしれないが、
フリッツ・ラングの「飾り窓の女」のように、
観客を気持ちよく帰らせながら教訓めいた感触を持ち帰らせることも重要だと思う。

Smells Like Teen Spiritのように、
「灯りを消せば、危険は減る」?
- With the Lights out,it's less dangerous -

それは気のせいで、夢の教訓を現実に生かせなければ、
人生の先もまた無いんだぜっ。
淡仙女

淡仙女

あやめ十八番

セーヌ・フルリ(東京都)

2013/04/17 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

物語はシンプルだけど・・
演出的に軽く見せながらサクサク進んでいく工夫をすごく凝らしているという印象。

さっき雨の二子玉から帰って家で食事しながら・・綺麗な緑が多い町だなぁ・・目黒区とはだいぶ違う(苦笑

ネタバレBOX

同性愛者の人たちと会う機会はほとんどなく、
特に女性の同性愛者と言うのは男性から見ると全く区別できず(苦笑
まさに謎の存在。

ただ、偶然数日前に音楽イベントのまえに女性の同性愛者の人がトークしているのを生で観て、
「思ったより変な雰囲気はない、というよりか普通の(と言う言い方が成立するのか分からないが(苦笑))女性よりか
男性目線に近い分だけよほど理解しやすいかも、という印象を受けたりした(それは勿論自分が男性だからそう思うだけで、女性からするとまた別なのかもしれない。それほど女性は複雑だ(苦笑

それだけに、ひょっとしたら普通の男性よりちょっとだけ妹役の女性(同性愛者のストリッパーとして登場。舞台では脱がないが
の思考が客観的に見えたかもしれない。

・・いや、あんまし変わらないカナ?思いあがるのはやめよう(苦笑

以下、後で書きます。ちょっと休憩してからまた舞台に出かけるので・・(苦笑
【全公演終了!】東京ユートリア【ご来場誠にありがとうございました。】

【全公演終了!】東京ユートリア【ご来場誠にありがとうございました。】

劇団東京ペンギン

王子小劇場(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

東京ユートリアは別に悪いことじゃない
「東京」ということは、大阪にもありうるんだろうか?

あるいは京都、岡山、鹿児島・・・いろんなところに。
ゆとり世代の集まる場所、物理的に。
自分はそんなところは東京以外にないんではないかと思う。
だからこそ、東京に地方の目ぼしい若手が集まってくるんだと思う。

携帯の画面上には、いろんな町それぞれ集う場所があるかもしれない。
しかしそれは携帯を使っている以上、政府に監視可能な統制された場所。

地方の大学があるいはそうかもしれないが、
それは時間限定の場所で、
その町に就職先がすくなければ(京都のように
4年後には大半の人が全国に散ってしまう(それは東京の大学だってそうかもしれない

物理的に集まれない人たちは
ネット上で、あるいは消費によって細分化されていく。

情報、あるいは消費財を求める欲望の塊としてメディアには扱われ、
集合した意識を持たない断片として、
短絡的にメディアの流す情報に反応しながら
永久に終わらない不安に苛まれていく。

本当に大人は子供たちのことを考えているんだろうか?

自分たちが不幸せだから、
あるいは見せかけの幸せに満足したフリをしているから、
自分たちの人生を否定したくなくて
同じ人生(しかも劣化している)を子供たちに強要しているだけなんじゃないだろうか?

普通に考えて、
親が幸せな人生を送っていると子供たちが考えれば、
親がいくら
「自分たちの人生はちっぽけなもので、子どもたちには才能を生かした仕事をしてほしい」
というようなことを言ったところで、
賢明な子供たちは聞く耳を持たず、
ちっぽけな人生を目指すんではないだろうか?

今までの日本の競争力と呼ばれるものは、
ちっぽけな人生の集積でできていると思う。

そうでなければ、みんなシリコンバレーを目指して、
街中の小さなパン屋や食べ物屋には残飯程度の食物しか存在しない。

ちいさくても自分だけのパン、あるいは猫(笑
で満足できるなら、
アメリカで強盗に怯えながら
壁を張り巡らせた邸宅に住むことを目指すより
だいぶ手近に幸せを発見できる(それはちょっと大げさかもしれないけれど(笑

これは一見正論だが、
高度に発展した消費社会では、危険な思想として扱われかねない。

ひょっとしたら将来、江戸時代の
ゆったりと農作物を作りながら徒然なるままに本を書いていた文筆家たちの本なんかが
発禁になっているかもしれない(これは政府による発禁という意味ではなく、誰も求めないために、経済的に発行できないという意味で、こうしたことはイランの演出家なんかも言っていた

世の中の流れが、
「世界でひとつだけの花」から、
シリコンバレーにうつってきているような気もする(何となくだけど

そうした変化に一番敏感に反応しているのが、
いわゆる平成生まれ近辺の世代なんではないかと思ったりする。

じゃあ何に反抗したらいいのか?

安保の頃のように、明確に反対する何かがあるのか?

いや、それだってあるとみんなが勝手に思い込んでいるだけだったのかもしれない。

経済的に完全に適合しながら世の中の流れを
大企業の意向からゆっくりと引きはがす方法は無いんだろうか?



・・ちょっとお袋の手伝いをしながら書いているので途中です・・(苦笑

ネタバレBOX

スカイツリーを、マスゴミメディアの総本山、悪の権化として表現することは簡単かもしれない。

でも、ラピュタみたく(笑
高度に発展した技術文明もいつかは自然に呑み込まれていったみたく、
世代交代を経ながらゆっくりと
「緑の塔」
に作り替えることは可能かもしれない。

どっかのSF(アシモフ)のように
完全に自分たちの支配下にあったと思われたロボットがいつかは反乱する日、でなくとも、
老人たちが、
自分たちが死んだあと、「あるべき日本」になると思っていたら、
引き継いだ若者たちは実は全く別の意向を持っていた・・。

それだって一つの回答だと思う。

お袋がいつかニュースを見て言っていた。

「中国にケンカばかり売って、
戦争に自分たちが行くならともかく、
死ぬのは子供たちなのに」

あるいは3.11のとき津波のニュースをみながら
「津波が来たら私を置いてあなただけ先に逃げなさい。若い人が生きなければ意味はないから」

自分が先の世代から引き継ぐのはそういったものだけだと思う。

それはつまりいつか自分が若い世代に言わなければならないことだ(苦笑

優しさを持って前に進もうだなんていうと、
今現在の回答にはなっていないなんてせっかちな人は焦るかもしれないが、
現時点で考えられる限り考えての回答ならそれも良いと思う。

一番よくないのは、解答が出るのを待って何も表明しないことだと思う。

人の考えをすぐ変えることは難しい。

自分もゆっくりと成長する(ハズだ(苦笑)し。

明確な解答が難しくとも考える限り考えて現時点のスタンスを提示する、しかも演劇で、というのは相当勇気がいることだと思う。

ただ、評価ばかり気にして
空疎なまま演出の技巧に走るよりはずっと前向きで若々しくて好ましいと
自分は思う。

老成するのは100万年後で良い。

来世は猫で、次は鳥(鷹希望)、その次はカッコイイ角の生えた牡鹿で、
そのあと気まぐれでぶらっと人間に生まれ変わった時も・・
まだ全然死ぬまでマグマのようでいたいものだなぁ・・なんて妄想は蛇足でした(苦笑
平田オリザ・演劇展vol.3

平田オリザ・演劇展vol.3

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/04/10 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

この暑さは受け入れがたし
寒さに慣れた身にあの暑さは地獄だった。

途中から舞台を観る気力もなくなり、
ラジオだと思って聴くことにしたが、
最後には何を言ってるんだか聞き取れなくなった。

そういえば暑さ寒さに弱い受験生だった(苦笑

何度も出ようと思ったが、
ぎゅうぎゅう詰めのなかで出るのも迷惑かと思い思いとどまったが、
今考えるとさっさと出た方が良かったかもしれない。

空調を入れなかった理由が良く分からなかったが、
空調の音程度で雰囲気がなくなる舞台なら
上演しない方が良いと思う。

こどもの頃からの目黒区民なので
ちびっ子のころ寄生虫博物館に行かされた記憶はあるが、
やっぱり慣れない(苦笑

暑さと相まって気分が悪くなりトラウマになりそうだった。

仕事で疲れてあの状態でヘロヘロになった。
明日の仕事もあるので手加減してほしいと思った。

自分の時間を返してほしい(苦笑

たぶん☆2つ以下を付けるのは初めてだと思う。

次はなるべく早く行って通路に近い席を確保し、暑かったらすぐ出ようと思う。

劇場側も、暑かったらすぐ出られる席を空けておいてほしい。

ブラック・サバンナ

ブラック・サバンナ

世田谷シルク

アトリエ春風舎(東京都)

2013/04/03 (水) ~ 2013/04/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

2~3割
今回は割と後ろめで観たせいか、観客全体の後ろ姿がよく見えた(笑

そのなかで舞台に集中できていた率をみると、
世界観にうまく適合していたたのは全体の2~3割なのかなぁ・・(雰囲気で

自分は何度かシルクを見ていて、
独特な感じが結構好みだったのでわりと面白く観れたけれど、
こういうのは慣れが楽しめるかどうかの生命線になるやもしれん(苦笑

谷氏がアフタートークでも言っていたけれど、
最近、観る度に照明、音楽、役者の立ち位置などが整理され、
良くなっている気がする。

群舞シーンが揃っていないように見えるのは、
笑顔がひとそれぞれなのでも分かるように
わざと統一させていないようだし、それでもいいと思う。

ただ、全体として群舞がわざと統一させていないところをよりハッキリさせるという意味でも、
完璧な群舞を決め所で何か所か挿入させればよかったんではないかと思ったり(そっちの方が難しいという噂もある

それだけでだいぶ観客の受ける印象も変わる。


ネタバレBOX

テーマが分かりやすかったせいか、
一部物語でまとめ方が雑な所が目についてしまった気もする
(たとえば、「残酷」の基準が良く分からない。
猫の残酷なシーンが許容されて、
人類の残酷な結末の描写を敢えて回避するということは、
結局は、作者自身が
ネコと人間の間に差をつけているという事でもあるように見える
(この作品のテーマは、生き物の命はみんな平等ということのようである。
途中で車に轢かれた猫を主人公(弟)らが見捨てるシーンがある。
ラストで主人公が宇宙人に地球の絶滅危惧種として拾われるシーンがあるが、
どう考えてもテーマを優先させるなら、妥当な結末は
「チーターに襲われながらかろうじて生き残った主人公が、
宇宙人に見捨てられることで、
かつて自分が見捨てた猫と同じ運命を辿る」
だと思う。演出家にその疑問をぶつけてみたところ、
「残酷だから」という答えだった。
これが、フリッツ・ラングの「飾り窓の女」のラストみたく、
定石ならそうだけど、あえて観客を明るく帰すためにこうしてみました、
的な答えだったら、こちらの受ける印象も違うのになぁ・・(苦笑))

また、アフタートークで作者自身が
物語に出てきた
「猫の残酷な描写を描きだすのに抵抗があった」
と言っていたのだけれど、
抵抗があるものを敢えて作品に入れる必要は無いんじゃないかとも思う。
これは人それぞれだけど。

作者が抵抗があるということは役者も抵抗があるということで、
別にそこまでしなくてももっと他の間接的な描写で表現を模索するところが演出の腕の見せ所かな、と思ったり。

自分も、捨て猫が身を寄せている猫カフェによく行って募金とかもするし、
以前、そこに片目の子猫がいて、
片目だから遠近感がつかめなくて、
玩具とかを出しても上手く腕で触れなくて
テーブルの下でいじけて寝ていたのを撫でてたらよく見たらそいつが泣いていたのを思い出したりして(その子は愛くるしい性格ではなかったがそういうステキな所があったので(笑)無事引き取られた)
胸がズキズキ痛んだりした(苦笑

猫などの生き物を殺す描写などは、
実際に現実にある出来事かもしれないが、
物語に組み込むには細心の注意を払わないと
かえって物語の浅さを浮き彫りにしてしまいかねないので、
逆にイランなどの映画や舞台に見られるように、
直接何も描かずに暗示しながら物語を構成する方が
かえって無難なのでは、と思ったりもする。

色々好き勝手かいたけれど(苦笑
作者が、
土着や直感的なイメージ、女性的な繊細な演出、強引ではあるけれど勢いのある展開などによって、
近年要注目の演出家であることは間違いないと思う。

作者はまた、アフタートークで今度別役作品を演出するとも言っていたようだけれど、
全然系統の違う岸田作品とか
若いうちにわりとしっかりした古典などを演出した方が幅が広がって良いのではないかと思ったり(谷氏がそれっぽいことを言いそうだった気がしたけど・・(推測

・・いや、まぁ別に良いんだけどね、一枚の絵を作品に写し取ったみたいな戯曲だけ選んで演出しても(たとえるなら

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