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《「櫻間家」とは?》□櫻間家の芸 櫻間家には、『道成寺』の斜入(しゃにゅう)など、伝統を今に受け継ぐ貴重な芸が多くあります。□『平家物語』に登場する櫻間家 源平時代、櫻間家は平家に属し、阿波の国に一城を持つ武将の家であったといわれています。たとえば『平家物語』「志度の合戦の段」には、源義経が八...

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基本情報

所在地
カテゴリ 歌舞伎・伝統芸能
公式サイトURL http://www.sakurama.com/
設立 -
受賞歴
メンバー
活動紹介 《「櫻間家」とは?》□櫻間家の芸 櫻間家には、『道成寺』の斜入(しゃにゅう)など、伝統を今に受け継ぐ貴重な芸が多くあります。□『平家物語』に登場する櫻間家 源平時代、櫻間家は平家に属し、阿波の国に一城を持つ武将の家であったといわれています。たとえば『平家物語』「志度の合戦の段」には、源義経が八島の平家本陣へ急襲をかけた折りの、《櫻間ノ介よしとう》の奮戦振りについて触れられています。 源平の戦乱が源氏方の勝利で終熄すると、櫻間家は城を源氏方に明け渡し、九州は熊本へと移りました。 時は下って戦国時代。武士のたしなみの一つに能がありました。天下統一を果たした豊臣秀吉は金春流を贔屓し、自身でも能を舞ったという記録も残っています。 秀吉は、お気に入りの小姓、中村政長を金春流に入門させて、修行の後、家元の許しを受けて、一派をなさしめました。その政長に、前田利家をはじめ、伊達政宗など、数々の大名が能を習うこととなったのです。この中村政長の流れは、熊本・細川家へも受け継がれ、細川家は中村家を庇護しました。この中村家の芸が熊本・藤崎八幡宮の藤田蔵人の家督を継いで宮の伶人となっていた櫻間家へと引き継がれ、細川家のお抱えとなった櫻間家は代々の細川家当主に能を教える家となり、細川忠興以来続く能を愛好する細川家において護立、護貞とともに舞台を勤め、また、護煕に手ほどきをし、今日に至っているのです。
問い合わせ先 info@sakurama.com

[情報提供] 2012/06/10 20:41 by CoRich案内人

[最終更新] 2016/12/30 17:25 by CoRich案内人

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