華やかな散歩 公演情報 華やかな散歩」の観てきた!クチコミ一覧

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  • 川崎多摩市民館で市民劇をみた。
    昭和前期の作詞家・佐藤惣之助を描く2時間45分の舞台(途中休憩込み)。川崎の郷土史劇第5弾という事だが、詩人・作詞家の物語というより、真っ当に生きようとした一庶民の話という印象が残った。
    治安維持法〜日中戦争の時代に、揺れ動いた惣之助がやがて迷いを脱して行く姿は、「異常な」の中で取り得る「正常な」態度・あり方の例証という風にみえる。一方に「時局」の要請に応える事こそ尊い使命だと任じる「情報部」の青年、一方には時代の犠牲となって行く人々、その狭間で苦しむ惣之助が、最終的には大衆・民衆に向かう事で真っ当さを保持し得た、という事になっている。歴史的トピックを不自然に入れ込んだような部分もあるが、惣之助の人生を通して貫くもの(一人の人間)を浮かび上がらせる事には成功していたと思う。
    難点は、台詞の硬さ(脚本)、それゆえか、演技が一辺倒、というか心情の種類が一辺倒で、人間の複雑な心理描写はおよそ省かれている印象が強い(要は皆が善人)。俳優らは下手な訳ではないが、多摩市民館ホールの後部座席にも届かせるには、声量と発音との兼ね合いで微細なニュアンスを犠牲にせざるを得ない、という事であったかも知れぬ。
    演技や台詞の引っかかり、上演時間が長いという事もあるが、それでも芝居としては通っており、共感できる台詞も散りばめられている(図らずも涙?)。描く視角が一定であるリアリズムのタッチで、「民」の視線が貫かれた劇。
    舞台美術は上下二部屋にわたる簡潔でリアルな日本家屋の内部を表現し、部屋の上段を想念・抽象の世界として用いていた。
    照明は美しく、舞台に与える効果の大きさを実感させた。

    ネタバレBOX

    内容について。舞台は、惣之助の作詞家としての苦節を幾つか書き出している。
    一つは先妻である花枝の病。病身の妻のため本来の詩作を休んで偽名で歌謡曲の作詞をやっているのが冒頭の惣之助。だが詩人=惣之助に惚れ込んだ花枝は彼に詩を書いてほしいと念願し、それを遺言して死去する。実際の惣之助はその後作詞家として名を上げ、本名を名乗るようになるが、このエピソードは惣之助の「詩人」としての原点を印象づける(惣之助の詩集発行は大正5年以降。その18年後花枝死去、同年発表された歌が公式には初の作詞らしい。作詞期間は10年足らず)。
    次の節目は、先妻を亡くして方向を見失う時期。この時、親しい萩原朔太郎の妹愛子が「アリラン」を口ずさみ、この歌に日本語作詞を付けた惣之助がかつて朝鮮で過ごした日、民謡の持つ力に心打たれた記憶を呼び覚ます。このとき生の歌と踊りが披露されるが、幻影のように浮かぶ色鮮やかなチョゴリと、静かな太鼓に乗って歌われる低音にハッと目が醒める(実演しているのは川崎のハルモニ達)。惣之助は一条の光を見出す。(これを契機に二人は結ばれる、となる)
    そして最後は戦争協力との決別。その前段に「協力」がある。本人は戦意を鼓舞するのでも戦争を肯定するのでもないが、戦場を題材に書いた「上海だより」が大ヒットし、作者の思いをよそに歌は「一人歩き」する・・と、芝居では惣之助に言わせる。が、真偽の程は分らず、歌じたいは戦意高揚歌と言って間違いとは言えない。ただ歌の調子は悲壮感とは正反対にのどかで、歌詞も戦地の「日常」が綴られている。
    当局の命で中国戦線にも渡り、「戦場の兵士と、内地の人々とをつなぐ」大義に抗えない惣之助が、決定的に「戦争協力」的な立ち位置と離れるのは、惣之助が懇意にする飲み屋のママの元で働き、皆に見守られ祝言をあげた女性の夫の戦死を知った時。二人には出来立ての「人生の並木路」(惣之助作詞)を歌って祝った。東北弁訛りの純情乙女は、夫を戦場で失った「軍国の母」として取材を受ける事になっていたが、「こんな気持ちではオラ、軍国の母の顔は出来ねえだ」と泣き崩れる。惣之助はその場で書きかけの原稿を破る。
    最後の部分はフィクションと思われる。戦争協力とされる作詞の仕事の「自覚」の中身も、実際の所は知れない。芝居は彼を特殊人としてでなく、人間として人や事件、時代にぶつかり、その時なりに乗り越えて行った人間として描かれる。佐藤惣之助を素材に借り、時代を生きた一庶民を描いた格好である。「戦争責任」という文脈でみれば、歌謡曲が持つ影響力の大きさに見合う「責任」は免れず、きちんとした評価と分析が(日本ではおよそなされていないが)必要なのだろう。民主主義の時代を見る前に惣之助は51歳で他界した(1942)。

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