青春のパール・ラブと1945をスピーディに駆け抜ける
何度でも胸を熱くさせる戦時青春劇である。
昨年、2013年に紀伊国屋ホールで開催した『見上げればあの日と同じ空 』と比べ、「おっ、進化してますね」が あった。
それは、両翼のセット背景に映し出す「空」だ。
白い雲が冷たい風に吹かれ、青空をユラユラと過ぎてゆく。
特攻志願兵たる20代のエネルギーに、舞台装置が「追いつけ、追い越せ」を懸命に動作するようで、スピーディーな爽快感を演出していた。
第二次世界大戦を勝利するはずだった旧日本政府は この戦を どう闘うつもりだったか。竹槍を例に挙げるまでなく、その「精神力」を突破口とする軍事カウンターであったらしい。これを制度面からコミットした法律が国家総動員法である。
では、アメリカに経済面の「国家総動員法」は存在しなかったかといえば、ルーズベルトが戦時体制の一環で1940年に緊急事務管理局を新設、産業動員の指令系統である国防諮問委員会も復活させている。また、労使関係に国家が介入できる「タフト・ハートレー法」、自動車産業等の軍需産業化を推奨する「海軍拡張法」も制定。
日本と同様、国家が「精神力」を上から担保していたことになる。
日米戦時社会の異なる性質。それは「一体感」であろう。
ベストセラー『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら』著者・岩崎 夏海氏によると、ゼネラル・モータースの組織研究を依頼されたドラッカーは、ニコラス・ドレイシュタッドGM副社長の経営マネジメントに感激したそうだ。時は1943年である。
【1940年代に入っても、米国はなかなか不況から抜け出すことはできなかった。そんな中、ドラッカーの心を大きく揺さぶるエピソードが生まれた。GMの副社長だったニコラス・ドレイシュタッドは軍から発注されていた戦闘機の生産について、1人その発注を受けるべきだと主張した。戦争で労働力が不足しており、ほかの重役たちはとても納期に間に合わせることはできないと考えていたのだ。
安価な働き手はいる。それは貧しい黒人女性たちだ。ドレイシュタッドは彼女たちに戦闘機作りを教え込むのではなく、ラインに各工程の作業を写した写真を貼り、文字が読めない彼女たちに作業内容を理解させた。そして熟練工でなくても扱える道具を作り、組織化しリーダーを任命し、作業の責任を明確にした。そして約束の納期通りに製品を納めることができた。
「ドラッカーは、ドレイシュタッドの手腕に感動しました。これぞマネジメントの神髄、というべき成果でした。しかしドラッカーがそれ以上に感動したのはマネジメントは人を幸福にするということでした。戦闘機生産に参加した黒人女性たちは、無事納品できたことを知り、涙を流して喜んだのです。彼女たちは自分の目標に対して責任を持ち、自己管理をして仕事を全うする労働者の顔になっていたのです」】(ITmedia エグゼクティブ「もしドラ」作者が語る:
ドラッカーそしてマネジメントが求められた理由 )
日本は「家族愛」「国家愛」を、第二次世界大戦が一過性にせよ向上させたわけであるが、アメリカ社会は そうではなく、「コミュニティ再建」「人種差別緩和」「貧困の削減」を同時進行に行い、その後の「米国黄金期」への産業基盤を強化してしまった。
アメリカGNPは1939年8640.1
億ドルだったのが、1944年には17155.8億ドルへ倍増している。
他方、日本GNPは1939年に1960.4
億ドルだったのが、1944年は1974.2億ドルへ推移したままである。生産物資、戦闘被害(大規模空襲以前)の非対称だけが その要因だろうか。
要するに、二つの「国家総動員」には、「よい一体感」と「悪い一体感」が存在したのである。(「戦時の経験はさらに多くを教える。イギリスでは、戦時下にあって働く人たちが、かつてない充足、自己実現、市民性、自信、誇りを経験したことが報告されている。しかも この現象は、機械化が加速的に進行するなかで見られた。アメリカでも西部のある航空機 部品メーカーから似た経験が報告されている。」〔Drucker(1946)〕)
満足度★★★
女性は泣くが・・・。
当時を考えると、全てが綺麗すぎる(当時の衣装だが汚さがない、登場人物が美形etc.)ので時代を感じさせないし、感情移入もしづらい。
しかし、周りの若い女性たちは泣いてばかり・・・。確かに話は悪くはないのだが、私が麻痺してきたのか?