人間 空気清浄機
「幕末の女」の吐息を、私は 長いこと聞き惚れていた。
十朱幸代は 芸能生活 50周年であり、大女優中の女優だと新聞、テレビ、雑誌などが揃って云う。
なるほど、彼女ほど立ち姿に優しさが あって、腰掛けた姿に威厳のある お方も珍しい。
三越劇場の空気が、着物姿の空気清浄機から円を描いたように 色味を帯びる。決して、着色したライトを当てたわけではない。そこは もう文庫本のカラフルな表紙の世界なのだ。
彼女の吐息を 聞き逃さまい奮闘するのは、私たち観客だけではなかった。
カラフルな表紙の横で、宮川彬良という 著名なピアニストが 朗読へ音楽を添える。
「宮川彬良の伴奏だけで十分だわ」
彼女にとっては 困り顔の 感想さえ 出てきそうな演奏内容だった。
ピアノの伴奏は、主役に添えるミントではあるまい。
小皿へ盛られた、シェフこだわりの一品だ。
司馬遼太郎作『燃えよ剣』を基に描かれる、「新撰組」 土方歳三、京都で未亡人暮し を続ける お雪 が時代に翻弄されながら抱き合う恋愛物語である。
私は原作を知らなかった。
三越劇場で語られた土方歳三は、多くの大河ドラマとは違う男であった。
しかし、「幕末を生きた男」の汗より、「幕末の女」の吐息こそ 三越劇場に溢れた空気だと思う。