期待度♪♪♪
骨唄は観客の耳にも聞こえてくるか
土俗的なもの、因習とかしきたりとか因縁とか、現代もなお“過去が生き続けている”地方は決して少なくはない。それら過去と現在との摩擦を描くのは、映画よりも演劇の方が向いているのではないかと思っている。
映画の場合、カメラで捉えられた映像は、極めて客観的であるために、その土地の習俗や祭りなどを、ともすれば“滑稽なもの”としてさらけ出してしまう。舞台なら、どんな珍妙な風習であっても、観客はそれをそこにあるものとして見立ててくれる。初演、再演は未見だが、観客の賞賛の声が高かったのは、舞台で表現された「過去」に、尋常ならざる生々しさが伴っていたからではなかろうか。
高橋長英は、昨年の宮本亜門演出『金閣寺』では、出番が少ない中、夢想家の父親と実直な僧侶という正反対の役を、抑制の利いた演技で見事に演じ分けていた。富樫真は映画『恋の罪』での狂気の大学教授役(東電OL殺人事件の被害者がモデル)が忘れられない。もっともそのイカレっぷりが失笑を買うほどだからだが。濃い二人の間に挟まれる新妻聖子はいささか可哀想な気もするが、もしも「負けていなければ」、これはなかなかの見物になりそうだ。
もっとも、予告編を観ると、九州を舞台にしているはずなのに(作者の東憲司も福岡出身)、方言がデタラメなのにはちょっと不安も感じてはいるのだが。『トンマッコルへようこそ』の時の東氏の演出は、正攻法で淀みのないものだったので、今回も水準以下ってことはないと思うのだが。