実演鑑賞
満足度★★★★
欧米では時に、こういう大長編劇が出てくる。英米で著名な賞も受賞した大作の翻訳上演である。日本でも、田中角栄伝・四部作なんて作もあるが英米の場合は、この作品も、前の例では、エンジェルス・イン・アメリカでも、長編大河ドラマを一つの架空の劇的世界に設定し切ってしまう構想力がすごい。この大作の素材はアメリカ・ゲイ社会の三年間(前編だけ)である。コロナ直前の2015年から17年まで。新しい作品である。
前世紀末に同性愛者の間にエイズの猖獗があって、欧米では病気という以上に、性関係をもとに築かれる家庭を基盤とした社会を揺るがす衝撃があった。アメリカ社会は同性愛についてかなり神経質になった。それはヨーロッパも同じだが、日本はその圏外にあった。理由はすでに様々な社会学者によって分析されているが、日本は欧米ほど深刻ではなかったことは事実だろう。この芝居を見ているとそういう日・欧米差が良くわかる。(念を押すと、そのことの良い、悪いを言っているのではない)。まだ若い日本の演出者(熊林弘高・2010年デビュー)に気合が入っていて、大劇場の舞台の3時間余を見せ切った、ここが第一点。
舞台は、ニューヨークの高級アパートメントに長年暮らすゲイカップル、エリック(福士誠治、徒食の人?)とトビー(田中俊介・孤児出身・作家)を軸に、エイズを生き抜いた不動産の資産家ヘンリー(山路和弘)と、作品助言者のウオルター(笹井英介・大学の先生?)の高中年の二人、若い世代で、田舎から出てきた美少年アダム(新原泰佑)。この五人を軸に集まったゲイたちの三世代のドラマを描いている。長年のゲイカップルが結婚式を挙げるかどうか思案するところとか、家を持つかどうするか、とか前の時代の家族が一族の柱とした家庭の事情に、今も悩まされるところなどリアリティがある。人間なかなか変わろうとしても変われない。いかにもニューヨークのゲイ同士のこじゃれたパーティシーンから始まり、アブナ絵的なゲイカップル・シーンもある。演出のテンポもシーンのつくりもいいので、つい見てしまうが、物語はやはり日本とはかけ離れた世界なので、今少し登場人物が何をして食っているか、ちょっとした説明があってもいいのではないかと思う。ウオルターなど、せっかく斧語りの説明役的な役回りになっているのに、この人物そのものが良くわからない。アダムを演じた新原の二役のように単純な役割なら、これで成功と言えるだろうが、ドラマの中でもこのゲイ社会はもっと複雑に入り組んでいる。
ドラマは2015年おぱーてーから始まって、16年、17年と同じような場面がメインて、
なかにはトビーの小説あたって、ブロードウエイで上演されるというアメリカンドリームの話も組み込まれ、一つの軸になっている。
この前編の最期はヘンリーが死後に残す家をウオルターとともに訪れるところで終わっている。最後に出てくる家が、いかにもアメリカン・ドリームの家でこういうところにタイトルの人間の継承の面白さを見せたのか、とまぁ、納得はする。しかし、アメリカ社会の現実はもっと荒々しく荒れているのではないか。もう二十年近くあの地に足を踏み入れていないのでよくわからないが、この作品のヒントになったというフォスターの「ハワーズ・エンド」も結局家(家屋)の争いになったことを考えてしまう。この典型的なアメリカのi家庭の家を、いったどう超えようとしているのか、は後編待ちということなのか?