満足度★★★★
当事者ならではの思いが溢れる
エチュードを組み合わせたという構成の舞台だが、大きな構成はしっかりしており、不条理な経験がしっかりと反映されていて切実な、見応えのある舞台だった。
詳細は、演劇感想サイト「福岡演劇の今」に掲載しています。
http://f-e-now.ciao.jp/20120301.html
満足度★★
作品としての評価が行われているか
震災、津波、原発、一連の事柄を体験した現地の高校生たちの創った作品。
アフタートークを聞くところによれば、いわきの作品の創り方は、脚本があり、それを作り上げるのではなく、先生がお題を出し、エチュードにより創り上げられたセンテンスを、先生が脚本に構成し直す。という過程を経るらしい。
それを聞き、押し付けられたものをただこなすのではなく、自分たちで考えてつくることに好感を持った。
自分たちの身の丈に合ったことを、自分たちで考えて創る。これはまさに高校演劇としては正しいことだと思う。
いろいろな目に会い、どうしようもない怒りに震え、それを笑いとして作品に昇華する姿勢も好感が持てる。
ただし、やはり所詮は高校生、と言われても仕方ない考えやネタばかり。
当然ながら、出演者の力量にも差が見える。
「原発被害にあった高校生たちががんばっている」、「これが高校生たちの生の声だ」。
ほとんどがこの視点からのみ語られて、演劇作品としての評価が殆どなされていないのは彼らの不幸だと思った。
満足度★★
テーマ主義の弊害
フクシマの高校の生徒たちによる、震災と原発を題材とした(明確に反原発をメッセージとした)演劇である。その事実を無視してこの舞台を鑑賞することは難しい。「あの事故を、実際にあの場所にいた生徒たちはどう感じたのか」。作り手の生徒たちが観客に伝えたいこともそれであろうし、我々の関心がその点に集中してしまうことも意識の流れとしては自然なことだからだ。
しかし、そのために、「演劇として」この舞台を鑑賞する視点が客席から見失われてしまうことは、演劇部である彼らにとっては不幸なことなのではないだろうか。
この舞台の欠点は、これが「テーマ主義」によって構成されているために、まずメッセージ性ばかりが強調されて、演技や演出についての分析を「口にしにくい」状況が生じていること(普通の芝居になら言える「へたくそ」という文句すら言いにくい。フクシマの学生が一生懸命作っているのにケチを付けるとは何事だ、というファンダメンタルでヒステリックな反発すら予想されるからだ)、そして、実際に被災地の当事者によって作られた物語であるにも関わらず、“被災地外の人間であっても作れる作品”になってしまっていることだ。
恐らくは、その事実に気付いている観客も少なくはないと思われる。しかし、彼らにそのことを伝える大人はいない。誰も彼らを甘やかすつもりはないだろうが、結果的にはそうなる。彼らを評価するのは、こういうテーマがむき出しになった物語ではなく、もっと日常的な題材の演劇であったり、テーマを押し出さない純粋なエンタテインメント作品の方が適切なのではないだろうか。
満足度★★★★
心の叫び
社会に対しての怒り、憤り、を素直に押し付けることなく表現された舞台を観れて本当に良かった。個々のレベルも高いものがあったと思うけど、顧問の先生の優しさや強さがじわっと伝わった作品でした。
演劇と、高校生の、力
とにかく、良かったです。
久しぶりに、お芝居を観て泣いてしまいました。
そして、たくさん笑いました!
いわき総合高校のみなさん、お疲れさまでした。