「タイタス・アンドロニカス/アフタートーク」に携わっているメンバー

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起慶

起慶

体育館です。
役者と観客の関係に関して、ちょっと面白いかもしれない公演です。
よこたたかお

よこたたかお

演劇をやる動機について
こういうことって、あんまり公言できないし、周囲の人に対して言うべきことじゃないかもしれないんですけど、そこらへんをあえて踏み込んで言うと、演劇をやる理由って非常に個人的なものだと思うんですよ。それぞれの人。
文化のため、芸術のためという言葉を使う人もいるし、生活のため、家族のためという人もいるかもしれない。もちろん、そういうことを言っていかなきゃ、演劇という集団芸術は成り立たない。僕だって、NUDOのために演劇をやっている自覚はあるし、芸術発展の貢献ができれば嬉しい。参加する俳優、スタッフさんが自分の夢をかなえられるサポートをすることができたらいいなと思うし、せめて僕の周りの人には幸せになってもらいたいというモラリストっぷりも発揮しています。そういう気持ちや自覚、姿勢はもちろんあります。
でもやっぱり、本心を言えば根本は個人的な理由だと思うんですね。
それで僕の場合どうなのか、って話ですけど、やっぱり「自分のため」に演劇をやっているわけです。
んでもって、もっと踏み込んで言えば、去年別れて会えなくなった好きだった女性に対して演劇をやっている。僕(もしくは、演劇をやっている人)にとって現実なんていうのはつまらなくて、退屈で、くだらないものに見えると思います。みんな現実がくだらないから、演劇をやっている。
彼女と一緒にいた時間が楽しくて、でももう会えなくて。彼女のいない現実に何の価値や意味なんてなくて、彼女のいない現実は僕にとってあまりに辛すぎて。
彼女と一緒にいた時間をせめて再現できたら、連絡もつかない彼女が僕の作品を見てくれるようになったら。そう思って演劇をやっています。とりあえず、いまのところ。
なんか、モラリストっぽいし、シャ乱Qくらい胡散臭いこと書きましたが、演劇をやる動機って、それくらいのもんだと思うんですよね。お金になるわけでもないし、将来が保障されるわけでもない。けど、決して娯楽でやっているわけでもない。自分の中で何かしらの使命感とか、達成感を作らなきゃ、人って演劇ができない。
けど僕は絶対に「有名になる」とか「演劇が好きだから」とかっていうのは言いたくなくて。というか、そういう人が好きじゃなくて。
それでも、演劇は成立するし、素晴らしい作品を生み出すことができる。作家の原動力って、演劇以外のところから来るもんだと思いますし。

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