満足度★★★
悪くはないが、大満足でもない
演出家の戌井さんは劇団新派の伝説の名女形喜多村緑郎を父に持ち、日本演劇界の至宝といえる人。その戌井さんが「これからは平田オリザ作品1本で行きたい」と言うほど惚れ込んでおられるそうで、平田オリザさんは作家冥利に尽きるのではないだろうか。
NHKに残されていたレコード音源や舞台スチールでしか喜多村緑郎を知らない自分にとって、昭和のころ、そのご子息が戌井さんだと知ったのは大いなる驚きであった。戌井さんは近年、俳優として舞台にも立ったが、声も台詞回しもお父さん譲りで驚いた。演出面では、小津安二郎よりも女形出身で繊細な演技指導が巧かった衣笠貞之助のタイプに近いかもしれない。
実は杉村春子が亡くなって以来、私は若手の公演以外では、文学座の本公演を観ていない。恐る恐る杉村のいない初の本公演の劇評を読んだとき、自分の予想していた内容だったからで、
「杉村の影を演じてきた俳優の中から光を演じる俳優を出すのは至難の業」みたいなことが書いてあった。
会場は定年以降の高齢者であふれ、能楽堂の客層とそっくり重なる。改めて戦後の文学座を支えてきたのは、ここにいるファン層なのだと思った。
「どうか、僕の大好きな平田さんのお芝居をみなさんも好きになってください」とアフタートークでも頭を下げる戌井さん。「青年団って知らないわ」「平田オリザさんって若い人に人気あるんでしょ」ロビーでかわされる会話に、これまでの文学座ファンとこの作家との距離を感じた。
ちょうど90年代初めころ、若い人の間で海外からの逆輸入のようなかたちで小津映画の回顧ブームが起こっていたころ、自分は平田オリザという青年劇作家の存在を知った。
戌井さんは平田氏の「聴く芝居」に惹かれたそうだ。小津監督も青年団も言葉=日本語を大切に、同じテスト演技(芝居では稽古)を繰り返すという点においては、共通点があるようだ。
さて、そのオマージュ作品をどう感じたかというと「悪くはない」と思った。双方のファンを失望させてはいない秀作ではないかと思う。だが、何か物足りない。
個人的に自分はオマージュ作品というかたちが映画、舞台、文学いずれにおいても、あまり好きではない。だから、かつて鴻上尚史の「芝居でも○○へのオマージュって作品創るけど、自分も含めて、オマージュって聞こえはいいけどパクリ感が否めないんだよね。はたしてオマージュたりえてるのかって疑問やうしろめたさは残る」という談話を聞いたとき、妙に共感したのだ。
先日、新派が山田洋次と組んで小津の「麥秋」を舞台化したが、平田オリザには、今後、むしろ、新派の新作を書いてほしいと思った。
それはオマージュなどではなく、かつての中野実原作にあったような新しい時代の作品で、戌井さんに演出してもらったらよいのではないだろうか。
杉村春子と平田オリザを出会わせてみたかった気がする。小津を知る彼女なら、どんな芝居をしただろうか。
劇中、小津が愛した鎌倉の風景を映像で映し出したり、江ノ電の踏み切りの効果音を入れたり、地名や名物の「甘納豆」などを出しているが、私には何か接木のような人工的な色づけに感じられてならなかった。
満足度★★★
みた
科白のやりとりは畳み込むようで、しりとりのようで、作家の熟練を感じる。
結婚にいたる経緯は、好き嫌いが分かれるかもしれない。
江守徹は江守徹。良くも悪くも。
周りの人々と、ともかく娘役が良かった。
末席でも伝わるのは、役者陣の力か。
観客は年輩が多い。
チケット代を安くして(学割とかいうレベルでなく、もっと段階をつけるとか)、幅広い年齢層に観てもらおうとすればいいのに。