プライベート 公演情報 プライベート」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★

    これは演劇の詰まったおもちゃ箱を部屋にばら撒いたそれだなと
    おもちゃを拾って主人公にしたり敵にしたりして遊ぶやつ
    3人以上同時に話すと会話じゃなくてそれは音楽にしか認識できなくて
    僕はずっと心地よい音楽を聴いていた感じ
    そういう意味では、これは演劇じゃないんだなと
    ある意味暇な作品

  • 満足度★★★★

    95分。

    ネタバレBOX

    「プライベート」公演を打った後のアフタートーク的なのから始まり、稽古の日々を綴るというようなテイ。

    不思議と面白かった。ドキュメンタリー的な色合いと舞台的な色合いが、いい感じだった。淡々としてるけど、退屈とは程遠い。照明の色味も良い。各々が動き回るようなシーンの配置とかもちょっと美しい。まあ何がいいたいのかってトコはあんまり考えずに見てたってのもあるからか、小難しさを感じなくてよかった。

    最期の串尾のシーンはなくてもいい気がしたけど楽しめた。
    演劇ではないって銘打つってことは演劇を考えるってことなのか。私としては、演劇の定義とか考えたこともないし楽しめればというスタンスなので結果オーライではあるけど。
  • 満足度★★

    実につまらない企画です。

    ネタバレBOX

    「これは演劇ではない」という認識と、演劇における公式が本番だとすれば、『プライベート』とは本番以外のすべての部分ということで、座組みから稽古、そしてアフタートークの様子を描いた話。

    いきなりアフタートークから始まったときは、これは面白そうだと期待しましたが、役者や演出家がうだうだするだけで本番がないことが分かった時点で興醒めしました。

    本音を言うので耳をふさいでくださいと言われましたが、白けてしまっては全く協力する気にもなれませんでした。そして、このシリーズ、少なくとも9日までの残りの演目は、演劇じゃないのなら全く観る必要性がないとの結論に達しました。
  • 満足度★★★★

    「これは演劇ではない」は、彼らがつくる演劇<らしきもの>への思い切った命名である以上に、作り手を挑発するタイトルでもあるらしい。
    「演劇ではない」に相応しく、ドラマの足場を外した奇妙な出し物だった。が、不思議に確かなものが流れていた。
    「プライベート」とは(演出・橋本清氏の拘る所らしい)ドキュメントの手法と相性がよさそうである。ドキュメントは暴露の方法であり、プライベートは暴かれる対象。プライベートに関する個々人の考察が終演近くに語られ、明確な答えを導き出す事はないものの、縷々再現された場面が迫ろうとしていた次元と、プライベートの概念がシンクロしていた。
    この舞台のコンテンツはまず架空のアフタートーク、そして稽古日程がホワイトボードに書かれその内の幾つかの稽古日の事、顔合わせ日の事、音楽担当の滝沢さんのライブの日の事、等等が暗転に挟まれて再現される。
    俳優は男女四人ずつ八名。初日、作・綾門優季氏がいつになくこれからやろうとする創作について1時間喋り通していた事など、各人がそんな雰囲気だったろう普段顔で会話したり客席に向かって話す。稽古場の鍵を開ける人が誰それしか居なくて云々といった雑多なエピソードから場面作りやコンセプトに関わる話題が渾然一体と、「製作」日誌として綴られる。
    ・・ハタと気づくと、彼らは何の為の稽古をしているのか、稽古の過程を紹介する舞台、の為の稽古、とは一体何なのだ、という事がもちろん思考に上って来るのだが、そこは先述した綾門氏による舞台のコンセプトを喋り倒したエピソードが効いて、何かが目指され稽古が進められたのだろう事が、エピソードの具体性や普段着な俳優らの様子からも疑いえないと感じる(錯覚する?)のだ。
    その綾門氏の話のキーワードは、「虚実」だったな、と誰かが話す。虚実の虚とは「あたかも実際にあったかのようで実は作者による創作」の意ではなく、「そのために皆が稽古に励んでいるはずの目標」じたいが虚、の意に違いない、と私はいつしか思って見ている。
    ドキュメントな場面の形態の一形態として俳優がそこに居り、語られる事の事実性のリアルの力強さが、舞台を終始支配し、観る者は俳優個々のリアルな残像と共に、「流れた時間の確かさ」を持ち帰る。
    綾門氏は「戯曲単体では成り立たない、上演してこそナンボの舞台」を何としても仕上げたいとの気負いで臨んだとパンフに記していたが、橋本氏の演出と相俟って、それは遂げられていた。

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