第6回名古屋学生演劇祭 公演情報 第6回名古屋学生演劇祭」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-1件 / 1件中
  • 満足度★★★★

    多様な12作品をお得に楽しめました。

    感想はネタバレboxへ

    ネタバレBOX

    ■【コント1/3時間(ギカドラ 豊橋技術科学大学】
    コントと銘打ちながら、コントらしからぬシュールさが興味深い。
    警察を呼ばない等の序盤の無理やりな「違和感」を、後で合理的に拾って、しっかり展開に繋げる丁寧さには芝居としては好感。
    ただ、冷静であればコント的ハチャメチャ感は薄れる二律背反…作品の方向性としてチグハグなところがあるのかも。

    個人的には、姿をみせないオギの…可愛いところから一転するテロリズム感が大好き。これをもっと育てて欲しかった。このちょっとサイコパスっぽいところを、もう少し序盤から匂わしたり、中村との協力関係に「裏」を仕込んだり、猟奇的にエピソード膨らましてくれると、私的にはもっと好みになったなぁ。…ま、私が喜ぶだけだけど(笑)
    「6分残し」で終わることろは、何となくモヤっとした、勿体無い。せっかくの「時限」の設定をスポイルしてしまったような気がする。ロウソクの火の輻射熱で誘爆っての無理があるし、ここは是非とももう一仕込み欲しかったかなぁ。

    ■【眼をつぶってごらん(愛知県立芸術大学演劇部 劇団ムヂンエキ】
    芸大生らしい感性で「空気」が繊細に表現されていて、それらが観る者に染み入ってくる感じ。音と光で…切なくも美しい感覚が迫ってくるのが好き。専門の異なる者の集まりの強みか。
    光にすがる…音の無い世界の住人。音にすがる…光の無い世界の住人。本来なら邂逅し難い2人の…ほんのひと時の出会い。

    …すがるというのは適切ではないか…。何かを失った者が、残った何かに""すがる""のでは無く、残る感覚に…より鋭敏に感性を注ぎ込む。そうして得た「大事な何か」を他者と共有したい気持ちは自然なことで、それを誰が責められようか。

    しかし、失った経験を持つ身には、「大事なものを共有させる行為」が…「失ったことを強く感じる」ことを他者に強いた結果になったという罪悪感は、容易に拭えるものでは無かったか…。

    まるで天罰であるかの様な音の喪失のタイミング。事件の後でも待っていてくれたと思しき浜辺の彼女。…きっと分かり合えるはずなのに、お互いがそれを望んでいるはずなのに…何とも切ない結末。

    涼やかな音を聴かせてくれた「眼をつぶってごらん」というタイトルが、最後の最後にダブルミーニングとなって主人公の後悔を…封印していくのが、何とも皮肉であり、臆病さのリアリティでもあった。

    浜辺の彼女に求められる芝居は、その境遇を簡単に悟らせてはいけない…でも分かった後に、思い返して不合理に見えてもいけない…という難しいものですが、十分に呑み込めるレベルで観ていて心地よよい。また、境遇を悟れた後でも、その作る空気を十分に楽しめたので、そういう作りは作品として強いね。察していても、最後の白杖はインパクトあって良い終幕。"

    ■【昨日を0とした場合の明後日(はねるつみき​】虚を突く感じの「常住さんらしさ」あふれる芝居。でも「いつもの」ってわけではない。

    常住さんの作演、これまで観たのは新栄トワイライトでの「夭逝」「私が考えた最強のニンゲン」なのだけど、これらは斜に構えてはいても、人間の自由奔放さや強さに溢れてた。個々の人間に対して愛情があった。

    しかして本作は、その愛すべき人間が集団と化した時に…果たしてどうか…ということを思い起こさせた。歴史は繰り返すというが、より単純化し…滑稽な装いを纏わせることで、その愚かさを際立たせる。「単純化による愚行の可視化」といったところか。
    「ネックピロー」を王冠よろしく支配者(神)の象徴にしてみたり、…「ウルトラスーパーミサイル」なんてネーミングセンス…、いずれも権威を完全にコケにした感じが良い。

    そして、繰り返される愚行への不満、揶揄、皮肉を、率直な…むしろ若者の拙い言葉で叩きつけるのが印象的。
    …そして…何よりも「諦観」の趣きが全般に強い。ここが、常住さんの「人間個人に対する眼差し」と「社会に対する眼差し」の違いに思えた。

    この集団…社会の怖さ。支配者ですら結局、権力争いの道具でしかない。…いや、支配者に祀り上げられているからこそ、ただの神輿…モノなのか。

    非人間的な営み。この世界を動かしているのは…いったい何なのか。初めはアダムとイブの2人だけだった。そこには慈愛だけがあったはずだ。…
    …人が増えて、増えて、増えて…、増えると人は人では無くなるのかもしれない。あるいは増えすぎると、人と見做せなくなるのか。社会は拡がって…いつしか魔窟となる。

    やがて人類は、再び""同じ""歴史を紡ぎ始める…そして最後に、先に触れた「ネックピロー」が、また一つ良い効果を生み出して芝居は終わる。

    世界から耳を塞ぐ …

    …愚行を無かったことにするかの様な…人の振る舞いに見えた。"

    ■【I;dea(アイデア)(名古屋芸術大学劇団 超熟アトミックス】
    その身から何かを紡ぎ出して世に晒す人たち… それで身を立てようと志す人たちの葛藤。
    まさしく芝居の作り手としての率直な気持ちを形にしたもの。共感を得られるであろう反面、観る側の作り手たちの身近にありすぎて、ディテールで粗を感じさせてしまうかもしれない。

    マジレス?すると…他人の意見を容れるか否かが本質ではなく、自分の志向に照らして、他人の意見をどう取捨選択するか、インスピレーションとしてどう使うか、どう自らの血肉にしていくか…にこそ意味があるかと思うが、言葉の上ではそういう拡がりはみせず、情緒的に展開。

    言葉の一つ一つは間違っちゃいなし、切実さも伝わる。…ただ、その言葉が発せられる動機や行動の裏付け、背景、影響等が…一般論的な感じでしか伝わってこなくて、何かドラマに乗って行き難かった。(卯月の苦悩や、乙葉の誠実さ等の個々には良いものあったのだけど…)
    …特に乙葉の行為の動機が見えず感情移入できないのと、卯月が具体的にどういう発想で創作をクリアしていくのかが感じ取れず、実感して楽しむには何かが足りない気がした。
    「書きたいことを書け」では解決しないよね…。"

    ■【ちぇんじ!(もぐもぐ熱帯魚】
    エンタメとしてはたっぷり楽しんだんですけど、俳優がもともと持っている面白さへの依存が強すぎる懸念もあります。それは定番を持つ強みとも言えますが、もう少し驚きが欲しいな…と思うのは、私、欲張りさん?…あっ、でも、いきなりの吉田ショーコ出現は、出オチ級のインパクトか(笑

    コメディ主体で観た時、この座組に期待するトコは期待した通りに出してくれました。折角の畳み掛ける台詞がやや上滑りする等の稽古不足?もありましたが、…そういうトコにも、喉潰したアクシデントにも、逆境すら逆手に取って客を楽しませようとする意欲と柔軟性でチャラですね。このノリ好きなんよ。

    さてここから、一つ強く思ったことを…。

    オクムラショーコの葛藤の表現として、本体の立花ショーコから分裂したとして吉田ショーコを再登場させる着想は面白い。

    ただ、あれだけトシくんを悪く描いてしまったら、「彼を諦める決断」が簡単になってしまって、ショーコの葛藤が薄く感じられる様になる。単に「元のショーコの方が好きだった」とだけ言わせる方が両選択肢に重みが出て「元のままであるべきか…可愛くあるべきか」の葛藤が引き立つと思う。

    多分、タイトル「ちぇんじ!」通りの「自分を変えていく…可愛くなる…」への…作り手の想いが強すぎて、対照となる「今のままでいる。止まる。」ってことが対比として矮小に表現され過ぎてないだろうか。それ故に、対する「ちぇんじ!」が一方的で傲慢な行為に映るのです。逆に折角のポジティブさに影が差す。
    同様にリコ部長も挫折者扱いするのでなく、別の意思として尊重した描き方は出来ないかな…。
    結局、同じ結末に持っていくにしても、逆の立場の者はディスるより、まず尊重した上でアプローチした方が主張に客観性が生まれると思う。"

    ■【グッドラック(劇団モーメント】
    無能感が先に立って、そもそも挑戦ができない…無傷のケンジ。
    結果よりもまず努力を怠らないマミは、挑戦の上の挫折で傷だらけ。

    …となると、シナリオはどうしても予定調和に落ちていってしまうのだけれど、それでも、最後の「頑張れ」は率直に心地よかった。
    一時期蔓延した「頑張れ」の言葉狩りの風潮が、私はあまり好きではないので、とても好感。

    さてそんな中、芝居に潤いを与えたのが、様々な小ネタの数々。…「シフト、入れ替わってる~」に始まって、「誰がお母さんだよ!」のツッコミ等々…

    そしてクロさんが良い味だしてたなぁ。妻との電話や、語っている最中に暗転にされちゃうシーンなんかは最高にウケた。"

    ■【トリトメガァル(アルティメットドラゴンナイフ UDK 劇団ハイエナ】
    計算高く生きてきた女・安堂が…その考え抜いた数々の「人生設計」を、天才(天然)・如月に ことごとく踏みつぶされ、狙ったターゲットをかっさらわれていった大学生活。…悲観の末に選んだ「自殺」の先には、輪廻転生の終わりなき地獄が待っていた。

    …というのが…基本プロットに見えるのだが、その実は決してそんな単純じゃなかった。

    単に「転生の果て」というのでなく、…話の構成自体が、「過去」に「未来」に…そして「創作世界」に飛んでいき、同じ役者でシームレスに繋がっていくので、因果関係がだんだん混沌としてくる。

    「現実」と思って観てると実は「創作世界」だったりして、あるいはその複合かもしれず…なんか入れ替わってる気もしてきて…現実とその2次創作が混然一体となっている不思議な感覚。

    特に近藤綾香さんの数多の役どころは、実際に観ている最中は把握しきれない膨大さです。
    そして、話の中で数多でてくる逸話・ネタの数々の…理系的理屈っぽさが私は本当に好きで、その上でゲーム世界的・漫画的な手法やモチーフが散りばめられるのが本当に性に合う。

    更に哲学的な要素が入ってきて、…観る側としては完全にオーバーフローになるけど、「分からないことを言われる心地よさ」が滲んでくる、楽しい。

    結末。敵対している様でいて、結局2人はつるみ続ける… 何となく如月も安堂を求めている気もしてね、…最後のシーン…作家と編集長…で暗転は、そういう腐れ縁がオチであるかの様。混沌の全ては数々の創作だったって見方もアリか。

    好きなとこメドレー。

    ①何か派手な甲羅を背負った亀仙人が出てくるなぁと思ったら、…家庭用プラネタリウム然の発光装置はLED照明なのか…。スクリーンを背にしたシーンでの映像はとても印象に残った。

    ②「大器晩成推し」等から滲み出る…数多くの脳内合理化。ああ言えばこう言う的な発想の乱舞。…「読者に媚びること」と「自分のしたいこと」の対比から、「読者の喜ぶこと」⇒「私の脳内で考えた読者の喜ぶこと」⇒「だからこ媚びることも自分のしたいこと・自分に寄り添ったことだ」となる論法は最高にイカス。

    ③人間とは…棲み分けをせず集団で溜まって、協力しているようにみせかけて仕事を奪い合い、勝負から脱落したものは怠け者になる生物。

    ④「ゴキブリに転生、即バルサンで昇天」最高。

    ⑤人類の黒歴史…天動説(笑

    ⑥「想像(想像)力」と「やり甲斐」と「幸せ」と「苦しみ」の相関。そしてその皮肉。

    ⑦生き物は「アウトプット」あってこそ。勉強、勉強ではインプットばかりで、アウトプットのない人生になってしまう。

    おしまい"

    ■【56db(幻灯劇場】
    これは観るんじゃなく、演るんが一番楽しいヤツや〜。
    演劇というよりは、ゲームでありスポーツでありアトラクションであり…、他ジャンルのパロディまで取り込んだ空気作り…異文化融合パフォーマンス。
    京都の劇団ですが、既存概念に縛られない…ルールを自ら作るスタイルは大阪のdracom(ドラカン)を彷彿とさせます。

    さて、この舞台には他では味わえない様々な経験が待っていた。
    初めての特異なルールを理解しょうとする愉しみ、…最初は理解しきれないが故の…プレイヤーの一挙手一投足への意識の集中…それに伴う緊迫感、初体験の光と音の各種効果に息を呑み、想像できないKAGUYAの挙動にワクワクし、徐々にそのレギュレーションの工夫に唸りはじめ、…それを超えた「現場での偶然」に驚き、それに四苦八苦するプレイヤーに笑……

    …っちゃダメ(笑

    そう、笑っちゃいけない芝居なのだ!

    何故なのかは京都公演があるので秘密(笑
    未だかつて経験したことのない、笑ってはいけない芝居。…笑いを噛み殺す楽しさを知りましたよ。…

    そして観客にも左右される偶然性、意外性の楽しさ。
    子供客怖え(笑)

    そして予選最終ステージでの、感極まったプレーヤーが発した…ある行為!

    まさしくヤッテモーター(=゚ω゚)ノ

    良い回観れたよなぁ。
    貴重な体験という意味では、今回のあらゆる作品を凌ぎました、素晴らしい。

    これは目指すはアミューズメントパーク出店だよね!

    どっかから白羽の矢が立たんかね。そして自ら体験してみたいよ、ホント。
    芝居としてみた時には、時間の関係もあるけど、今回は山場のプレイに注力したダイジェストの印象が強い。

    芝居的な趣向を凝らすなら、やはりスルガフジ開発の過程にありとあらゆる屁理屈とドラマを盛り込んで膨らますと面白いかもね。
    そしてプレイの実績が溜まれば、「好プレー珍プレー」みたいに珠玉のプレイを再現する様な…計算し尽くした感動と笑いの舞台に磨き上げるのも良いかも。

    無限の可能性を秘めてます。"

    ■【ダスイッヒ(愛知学院大学演劇部 ""鯱""】
    自分の隠された気持ちを探る…心理カウンセリング的な構成。彼女と気持ちの疎通ができず破局目前の主人公の前に現れた謎の男。
    相手に自分の心は見えない… だから、自分で表現していかねばならない。
    喜怒哀楽の感情を分担して体現すると思しき4人の支援者とともに、感情と心理を掘り起こすトレーニングを始める主人公。この着想は面白い。実際、カウンセリング技術として本当にあるんじゃないかと思えるぐらい。
    4人の組み合わせによる表現はコメディ芝居としても面白い。ちょっとした脳内劇でもあるね。

    ただ、結局、そこで得られる気づきが、あまり納得のいくもの…あるいは納得のいく帰結として感じられないところがあって、もう少し練る余地があるんじゃないかと思った。

    あと、彼の彼女への「気持ち」というのがどうしても予定調和になってしまうので、芝居として驚きが薄かった。「俺は君が嫌いだ。」で始まるくだりは工夫部分と思うが、とにかく最初から「彼女が好きで別れたくない」という気持ちが絶対の結論として決まっている展開だったので、序盤から「彼の心変わりもあり得る」と読める何かを仕込んでおかないと、せっかくの工夫が活きない気がしました。
    "
    ■【エンドレス水族館(南山大学演劇部「HI-SECO」企画 ハイセコ】

    「私の旦那が冷たくなった」

    先入観を逆手に取ったミスリードを…ソレと感じさせずに冒頭から提示しておく…こういう手法は大好き。しかも超シンプルで無理がない、…
    …ソレと分かった時に条件反射的に沁みてくる文意、ずるいわぁ。

    当初、「旦那ユキチを取り戻す決意と覚悟」にみせた水族館行きは、反転して主人公タマコの心象を映し出すものとなっていた。

    コミカルな魚たちのいる水族館は、…その楽しさと対照的に、ミスリードが察せられるにつれ、タマコの閉じ籠った「心の殻」と姿を変えて目に映る。

    ユキチとの時間のみならず、これまでの人生で大切にしてきた絵画、友人たち、魚たちとの交わりを映しながら、…自分の価値観と現実を整理していく時間。それはただの引き篭もりではなく、悲劇を消化するために必要な時間。

    現実を受け入れるため…タマコを外へいざなうための想いが様々に流れて…最後にタマコを連れ戻しにくるのが…父である寿司職人というのが学生演劇としては新鮮でした。

    最後に差し出される寿司をみっともなく頬張るタマコの姿は、「死を受け入れる行為」と「生き物の命を糧とする行為(食事)」を重ねたものに映り、無様であればあるほど、人の営みとして心を打つ。良い結末でしたね。

    さて、この作品。演出として意見が分かれそうなのは、魚たちの扱いかなぁ。
    タマコ・ユキチを明らかに食ってしまう魚たち(特にタイ)の目立ちぶりは、バランスとして大丈夫かなぁと…心配の念も浮かんだ。しかしソレを極めた結果として、タイがバイクに乗ってハケる時に自然と拍手が起きるなど、単体としても見所となったし、タマコを翻弄し、諭す大きな流れや壁としての圧力を感じさせて、結果残せたんじゃないかなぁ。"

    ■【かけがいのないインスタントな私(魚眼ベニショウガ 】
    筋肉をこよなく愛する名古屋学生演劇界きってのマッチョマン・林知幸さんが作演?ってとこから興味津々でしたが… 全くもって失礼な言い草ですが、予想以上に面白いものを見せてくれてビックリ。…しかも、かなり知的に捻ってる。名に冠する""知""の字は伊達じゃない。

    最も特徴的なのは、本来ならモノローグになるところを4人1役で回す表現。続くと単調になりかねないモノローグにリズムを生み出して観る側を飽きさせぬ面白い趣向。当番(?)の識別として数珠を回していくのも、分かり易いのみならずパフォーマンスを付加して見た目に楽しかった。しかも、この空気で舞台が葬式ってところも良いよなぁ。
    そういう外見だけの話でなくて、1つの人格をうまく配分して分解すると、こういう風に多重人格を作れるのかなぁ… これって実は多重人格の仕組みなのでは?っていうとこが、ちょっと脱線した個人的興味(笑)…本当は人の心の中にある個性の発露のバリエーションなんだろうけども。状況に応じて要素を取捨選択して形成される即席の個性…いわゆる外面(そとづら)ってところか。それは環境によっても大きく変わる。
    父の死に際し、喜んでいる…嬉しがっている…というくだりの(へ)理屈は面白かった。特におぼつかな~い感じでふらっと立場を変える寺田宗平さんの演技が、非常に人間臭くて好きなとこ。そういうもんだよなぁ…
    …ここも、人の考えは割と簡単に変えられる…変えて""みせられる""ってところの一端。… ディベートが競技足りえる所以。

    もう一つ興味深かった点。
    この手の深層心理を表す分裂した人格(登場人物)は、脳内の""天使""と""悪魔""みたいに「第三者」のよそおいで本人に客観的にアプローチしてくるのが一般的だけど、本作はあくまで「自分の主観」を現す分身として…自分の事として振舞っているのが面白かった。"

    ■【シック・ソサエティ(公募出場枠】
    滅多に観れない青山さんの大人数を使った芝居。人混み、雑踏、雑多な意識の集合…という雰囲気がよく出てた。言わば寄せ集めのメンバーでよく作ったね、この空気を。公募に飛び込むメンバーの意識の高さでもあるか。
    …どことなく「パブリックイメージリミテッド」が思い浮かぶ趣向だけど、かの作品の「何が起ころうとしているか分からない」感じとは違って、扱おうとしている空気はより具体的に思えた。

    率直にタイトルを真に受ければ、何を「病んだ社会」と捉えているか…ということになるが…

    本作には、昨今の「漠然とした危機感」に対する各々の反応の違いがふんだんに盛り込まれている。いや、実在するリスクに「漠然とした」は適切でないかもしれないが、明かなリスクを「漠然とさせてしまう空気…そう受け取って生きていかざるえない空気」は今の世の中には確かにある。

    ネット社会の発達により、あまりにも多くの相反する情報に曝されることで身動きがとれないイメージだろうか。作中に出てくる、結論ありきのインタビュー収集・作意的な選別が暗示している様に、全ての情報が信憑性を失って、情報が広範には機能しなくなっている「社会の停滞感」…そんなものを想起した。

    「逃げないといけない」、…「災いと一緒の街」…煽る雰囲気の言葉も出てくるが、世の中、煽りにも慣れちゃったね… というのが率直なトコ。実感できないリスクより、それで行動を起こすことにより失われる目の前の生活のリスクの方が怖いということもある。→
    …もはや作品の感想というよりは、作品に誘発されて思うこと…ほぼ「随筆」の様相を呈しているが(笑)、概ね、青山さんがこういう作品を作るときは、それを促している気もするので、それに乗せられたって…ってトコでお終い。

    …余談だけど(いや、コッチのが感想に近い?)…、
    『如何にバレずに「お願いします」を崩して言うか。』にはむっちゃウケた。

    世の中の不安に圧し潰されて泣きだす彼氏…の繊細かつヤバい感じも印象的でしたね。"

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