満足度★★★★
アトリエ以外での文学座公演を初観劇。広い新宿サザン、と思いきや装置の案配なのか小劇場規模の公演にも見えなくない。もっとも最前列からでは視界も中央に寄る。ただ、演技エリアである日本家屋の内とその周囲の両脇は、袖との間をさり気なくパネルで埋めてある。主な登退場の一つである手前両袖へ、演技エリアから離れる移動時間が僅かに残念。
ナレーションなど装置(具象)を離れた舞台手前の演技は元気モードだがそれ以外は家屋の具象に縛られる。要は、小さな空間が似合う質感の芝居に思えた。
もっとも間近で見ての印象は「大きな芝居」。主役(子規)の母役は新派混じりの「型」芝居だし皆大声を持ち味の喜劇色に寄っている。そこは、大劇場を想定した作りなのだな、と理解できたが、舞台から離れた客席で観たらどんなだったろう。
アトリエでの息の抜けない密なリアル演技が成立させた舞台をみて、文学座という集団を見直した(漠然とあった先入観を払拭した)自分には、これも発見であった。
正岡子規という人物の短歌もよく知らない者には入門編になったが、戯曲化のポイントは既に病苦に苛まれていた子規の身体的な状態と、文芸運動にそそぐバイタリティの両面(陰と陽)を如何に渾然と(どちらにも偏らず)描くかにあったとみえた。
そう考えると、喜劇風の筆致は必然だったと言えるだろうか。