風の又三郎2016-ODYSSEY OF WIND- 公演情報 風の又三郎2016-ODYSSEY OF WIND-」の観たい!クチコミ一覧

期待度の平均 5.0
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  • 期待度♪♪♪♪♪

    小池博史さんと、多彩なパフォーマーによる
    こちらの公演の市民宣伝部員です。
    3.11後、パフォーミングアーツ集団、パパ・タラフマラを解散して始動された「小池博史ブリッジプロジェクト」。震災前の2010年に訪れた岩手県花巻で、小池さんは、こういう場所が賢治を生んだんだと身を持って感じたという。

    自然、動物の視点、あの世、死者の視点などを等価に持つ賢治は、震災後を生きる私たちに豊穣なイメージを持って問いかけてくる。3年間にわたる、宮沢賢治を扱った創作舞台のフィナーレとなる公演は、ここ東北の地、仙台。

    能楽師、バリ舞踏家、大道芸人、コンテンポラリーダンサーなど、多彩なパフォーマーと、尺八とパーカッションの生演奏、そして美しい舞台美術で作られる舞台は、イメージの渦。大いに想像力・創造力が掻き立てられる。

    終演後には、作・演の小池博史さん、パフォーマー、長野、東京のプロジェクト担当者、そして仙台の市民パフォーマーも交えたトークライブもある模様🎶 
    こんな世界的なユニークな舞台はめったなことで見られないことでしょう。本番が本当に楽しみ。
    東北中からぜひ足を運んでもらいたいものです♪


    ★「風の又三郎2016」ODYSSEY OF WIND 〜風とともに旅をしよう。東北と世界を結んで〜
    http://kikh.com/kaze2016/
    ★小池博史ブリッジプロジェクト
    http://kikh.com/
    ★パパ・タラフマラ
    http://www.pappa-tara.com/



    ◎10月18日に行われたプレビュー公演感想◎
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    まず風の音。
    そしてマント軽やかに現れる風の精たち。風は大きくうねりを起こしながら、あちらの山からこちらの山までと吹き渡っていくかのようで、間もなく、自分は大きな自然の中にたたずんでいるのだというような心持ちになる。
    風の精たちの戯れ、少年たちの戯れ。風の又三郎との出会いに驚き、喜び、嘆く少年たち。又三郎はすぐ近くにいた。少年たちは又三郎のしわざや恩恵に一喜一憂するが、「又三郎、また来いよ」と最後に言うように、いつでも会える、共に在るものと捉えているかのようだ。
    ”人と異界”に焦点を当てたという本作品。能楽師の清水さんの能の謡は、時空間を変形するかのように響き渡り、”異界”への扉を開くかのよう。舞台上のスクリーンに映し出される光と影も、無言だが何かを想起させるようで心ざわつく。
    少年たちの遊びの中にある「鬼」も「地蔵菩薩」もまた、異界への入り口だろう。「かくれんぼ 鬼のままにて老いたれば 誰をさがしにくる村祭り」という寺山修司の短歌を思い起こす。祭りのあとのふとした瞬間に広がっている裂け目のようなもの。そういった異界がかつての日本にはそこらかしこにあったというようなノスタルジックなイメージも描かれる。
    が、郷愁のみには留まらない。スクリーンいっぱいに広がる鮮烈な映像や、ガムラン、パーカッションとラップといった音など、現代も土着も渦巻く。終始響き渡るのは生演奏の尺八で、そのうねりや響きと共に、風がかき回したかのようにさまざまなイメージが交錯する。
    そして何と言ってもアクロバティックな身体の動き。初めから最後まで、役者たちは大いに身体を動かす。特に又三郎役の谷口界さんは、バック転、側転、ジャンプに逆立ちにと、絶え間なくくるくると動き、見とれる。見ているうちにこちらも身体がムズムズしてくる。あんなふうに自由に身体を使えたらどんなに気持ちいいだろう!人間の身体が持つ表現力にあらためて驚く。
    又三郎と出会い、異界を垣間見たのちに、少年たちは日常へと戻っていくが、そのうしろ姿に、対比的に異界がまた際立つ。すぐそこにある異界は、人の視点にとらわれない、魅惑的な世界なのだという体験が残る。そしてまた、風とともに織りなされる舞台を通して、私たち自身も変化のしようのある、軽やかで力強い、風のような存在なのではないかと思わされた。

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