満足度★★★★★
初めて拝見する団体ながら、過去の作品に対する観劇仲間の感想などから、きっと好みに合うだろう、と期待していた。そしてその期待以上に好みの作品だったと思う。
歴史に題材を取つつ、人の暮らしに寄り添うように進んでいく物語は、大地の変動と戦争による時代の激動の中で、人が生きていくということを確かな手応えで描き出す。それぞれの理由でその土地に暮らす一人ひとりのお国言葉が、彼らの背景に厚みを加える。
火山の噴火により大地が鳴動し隆起していくという稀有な事態に加えて、戦争末期であるという非常事態。そんな中でも人々は山菜を採り、花火を見上げ、サイダーを飲む。時代に翻弄され、それでも生き抜こうとする人々の強さが愛おしい。
鳴動し続けている火山を、小さな郵便局の局長さんが淡々と観察し続ける。彼の息子は戦地から戻らない。満州帰りの軍人が広島弁で語った戦地の様子と、彼の故郷に落ちた新型爆弾のウワサ。
女たちや男たちの、キレイごとでない喜怒哀楽が笑いを誘いながら、しだいにそれぞれの切実な想いを浮かび上がらせていく。
声高にメッセージを語るのではなく、平凡な人々の暮らしぶりを丁寧に描きながら、それを通して感じられる明確な意思が全編を貫く。温かみのある骨太な物語が、ある種の古典めいた軸の強さを感じさせた。
満足度★★★★
火山と戦争
断続的に溶岩が噴き出し流れるような噴火騒ぎが、大東亜戦争末期に起きていたんだと。
「兵隊さんの士気にかかわるので(噴火の事は)口外せぬよう」、などと、よく聞くようで聞かなかったコトバに、我が鼓膜も新鮮がっていた。
北海道で起きた実話だと、パンフで知ったが、実話ではなくても芝居は示唆的で趣き深いものだった。
方言が醸す庶民のおとぼけぶり、純朴ぶり、透けて見える打算もまた愛らしい脱力な風合いは、百姓が持つ「大らかさ」という名の粘り強さ。そこに時折、床下に隠した刀甲冑の鈍い硬質の光も見せる。そんな芝居。
アゴラ劇場という劇場は、さほど使い勝手のよい劇場ではないと思う。ホエイはアゴラの空間をがっちり味方につけ、劇世界と一体化していた。
史実の「重さ」を強調せず、脱力味を基調に、ある時代のある場所の一こまを(芝居としての)風景画に収め得た作品。 『珈琲法要』に通じる味わい。 演出上も脱力味を際立たせた、工夫というか何というか、予算上の都合で・・とでも説明されそうな場面あり。
山田百次戯曲の今後も楽しみになる。
満足度★★★★
ユニークな仕掛けもあった、115分
郵便局員同士の会話から始まり、やがて、ゆれる表現とか、溶岩をモチーフ(?)としたものが投げたり、ふわふわな火山をモチーフとした小道具が登場したりして、今までなかった、山田百次さんの脚本とアイデアの進化が見えて、最後にはサイダーを飲む姿は、いまいち、でも、ユニークな仕掛けもあった、115分でした。
満足度★★★★
約110分
第二次世界大戦は各地で日本人を苦しめた。あの大戦を日常劇の手法を用い、一地域に的を絞ってミクロな視点から描くことでそのことを生々しく伝えてくれる良作。
お勉強する感じでなく、たまに笑ったりしながらしゃっちょこばらずに観られるのがいい。