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満足度の平均 3.6
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  • 満足度★★★

    パワーなき不条理
    本谷有希子は、時代の声を代弁する巫女みたいな気がする。

    で、僕は、今回の公演は、物足りなかった。パワーが無かった。ということは、それは、時代のパワーが、不足しているのかも。そんなことを思った。

    ネタバレBOX

    自分を、独自の論理で縛ることで根拠づけている人々が、お互いの存在理由をかけて、相手の論理と命がけで戦う世界。本谷の本は、いつも、同じような構造の、閉じた世界を描く。

    今回も、永作演じる女は、世界に理由なんてないことを証明しようと、「無差別テロ」と称して、全く無関係の家庭を崩壊させようと、戦いを挑む。

    精神科医から逃れた脱獄囚が、世界の無意味を証明するために無差別殺人をくり返す、1950年代アメリカの女流作家、フラナリー・オコナーの短篇小説を思い出す。こういう不条理を訴える話は、聖書にも出てくるし、普遍的な力を持つのだろう。

    本谷は、一貫して、不条理を体現する女を描き続けているといえるけど、最近の本谷の描く、この手の女たちは、みな、どこか、パワーが弱い。

    今回の永作も、最後は、「理由」がすべてという論理のウソを暴くはずだった自分が、実は、論理的に、不条理を証明するという論理の中にとらわれていることに気づいてしまって、バカの下流家族に敗北してしまう。

    作品は、どこか、意味の迷宮を突き抜けることができず、論理にとらわれたまま、終わってしまう。すると、本谷の世界は、閉じたまま、現実の世界に触れることなく、お話として、消化されてしまう。心に、ひっかからない。

    僕には、それが、物足りなく思えてしまったのだけど、どうだろう。本谷の作品がパワーを持つときは、不条理を体現する者が、独自の、破綻した論理を貫き通すことで、まっとうな論理を無化してしまう。そのエネルギーに、僕らは、論理を越えた、人の、得体の知れなさをみて、おののく。

    一応今回は、バカの家族が、インテリ永作の理論を「バカの論理」で無化してしまうが、この「バカの論理」も、どこか、独自のものではない、規格の匂いを感じさせてしまう、弱いもの。「大きい声をあげた方が真実になる」というこの論理。なんだか、必要以上に、時代の声を取り入れてしまっているようなかんじがするのだ。

    時代の申し子のような本谷が、パワーある不条理を描けない。ということは、時代が、不条理を生み出す力を失うほどに、弱っているのかもしれない。

    舞台では、結構笑ったけど、そう思うと、僕は、しんみりしてしまった。理由のある、哀しい、弱い、笑いだった。

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