『月花抄』 公演情報 『月花抄』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
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  • 満足度★★★★★

    優雅な地獄
     嫉妬と己の地位から来る誇りに嗜みを失い、生霊と化した六条御息所と光源氏との確執を縦糸に、生霊に憑かれて殺される夕顔、葵の上を太い横糸に、更に彼女らの便を偲ぶ末として紫の君。ここに紫の君として源氏の意姫を登場させたのは、式部の自己主張なのかも知れぬ。何れにせよ、源氏物語を下敷きにし、能にも取り上げられている「葵上」「野々宮」「夕顔」を現代風にアレンジした作品である。舞台上で直接役者が演じる訳ではないが、源氏物語の有名なシーン(雨夜の品定め・末摘花に纏わるエピソードなど)が、源氏の親友・頭中将との対話の中で出てきてふくらみを持たせている。(追記2016.2.24 0:46)

    ネタバレBOX


     舞台美術も平安時代の代表的な建築様式である寝殿造りの一部を再現したようになっており、下手渡り廊下に当たる部分は能の橋掛かりにもなっていて様式的にも平安と室町を繋ぐようで面白い。更に源氏と藤壺の近親相姦の悍ましさの中に蠢く、男女の愛欲の業(カルマ)がヒトもまた獣であるという本性を示し、本能を抱えて悩まざるを得ぬ知的生命体の哀れを示唆するかのようで、その救い難さと共に深く心に刺さる。今作の救いは、六条御息所が狂うまでに悩みぬく点にもあるであろう。それだけ真剣なのである。その真剣さのみがこの地獄の中を照らす光明であるとでも言うように。他の登場人物たちも其々に不幸であり、その身に纏った煌びやかさと反対に悩み惑う姿が、短いが深い科白に萎縮されている。また、ラスト、源氏自身がこれらの女性たちの宿世を負って、叫びによってしか表現し得ない人の弱さ、無力を描いている点でも、ものの哀れを文化の基調の一つとする日本を表していよう。
  • 満足度★★★★

    古今東西の女性の嫉妬と悲しみ
    最近は不倫、二股という話題が世間を沸かせている。女であることに泣く人もいれば、それを利用して名前を売るような...現代は女性も社会で活躍してきている。この公演は能楽としての「野宮」「葵上」「夕顔」をモチーフにしており、その原作となるのは「源氏物語」である。

    ところで、この有名な物語は何人かの現代作家が現代語訳(小説)にしているが、残念ながら自分は通読したことがない。今回、源氏物語の主人公である”光源氏”の若かりし頃を中心に描いているという。その恋愛模様と共に、その当時(平安時代)の貴族の生活振りも垣間見えて面白く拝見した。

    当日パンフに「月花抄」で取り上げた「能のあらすじ」、「謡」と「現代語訳」が記されていた。そこには詳しい説明・注釈がある。
    なお、この能演目を副題にしているが、演出の幸田友見 氏の挨拶文によれば”現代劇”であるという。それでも当時の雰囲気をいかに分かり易く表現するか工夫(現代に通じる所作、台詞使いなど)していたようだ。その但書が「この作品は時代・原作考証等を行っておりますが、作品の性質・演出上、敢えて考慮せずにいるところがある」と注釈がある。

    ネタバレBOX

    舞台セットは、御屋敷をイメージした造作..そこに御簾、紗幕が掛けられ、それが上下して内部が見え隠れする。また簀子があり、内・外の遠近場面が楽しめる。

    物語は、晩秋の嵯峨野の野宮。この地を訪れた僧の前に六条御息所が光源氏の愛を失い斎宮となった娘と伊勢へ下る。この野宮に籠って光源氏が訪れるが、薄くなった愛情に失望する。この亡霊が語りだして...。僧は見ているだけ、として下手側の岩と思しきところに腰掛ける。

    登場する女性人物は、六条御息所、葵上、夕顔、若紫が主要なところ。また絡みはないが重要な役所として藤壺がいる。光源氏が臣下になることで、奔放な恋の遍歴が可能になる。六条御息所は桐壺帝の前の東宮の妃で今は未亡人。光源氏の正妻葵上への嫉妬と怨念がすさまじく生霊となって取り憑き苦しめる。葵上は光源氏の正妻。男の子を出産後変死する。若紫は藤壺の姪で、小さい頃から理想の女性に育て...後妻として迎える。夕顔は、光源氏にひたすら身をまかせる従順な女性。多くの女性遍歴をする中で異なったタイプの女性を登場させ、さらに物語を展開させる妙。
    光源氏が大将のお披露目の際の車争いの状況は見事。この場面は「野宮」と「葵上」のシーンで出現するという。その辱め悔しさが怨霊となる。

    今の恋愛事情・結婚生活とは異なるが、相手を思いやる気持は必要で、その必要性の上に出来上がった日本語は、曖昧な感情を繊細に表現する言葉になり、それが和歌を生んだ。平安貴族の男は和歌を詠めることが女性から認められる条件になり、源氏物語が生まれた。その手紙の受け渡し(「恋文」は側近を介して届けられ、先方の女房(仕える女)を通じて姫君に恋文が渡る)など、時代を感じさせる。一方、台詞はいかにも直接(現代)的である。この敢えての演出も観客が観やすいようにとの配慮だろう。

    原作モチーフの練り込み、魅力的に観せる演出、それをビジュアル的にしている舞台セット、衣装、音響・照明の技術も素晴らしい。役者の演技も良かったが、光源氏と頭の中将の会話は雑という印象。

    最後に海外公演を予定しているというが、今回のような時代を描くのであれば、日本らしさが感じられる公演...直接伝える台詞は現代的に、視覚で観せる所作等」(但し性交などは”見る”であるが、それでは状況が曖昧)は時代雰囲気を醸し出して成功してほしい。

    次回、凱旋公演を期待しております。
  • 満足度★★★★

    衣装が豪華に感じられました♪
    衣擦れの音が響いていたなぁとも・・

    現代風に会話してゆくと血肉があるぶん、
    生々しくてレディースコミックのように感じられた2時間の作品でした。
    (映画とかでは絵巻風にも感じたんですけどね)

    ネタバレBOX

    狂言回しを六条の生霊退治の祈祷をする修験者にして、コトの顛末を語る生霊との回想という感じで語る話もあり。 全体をわかり易くしていました
    それにしても幼子から育てた娘ともいえる若紫を手籠めにする源氏の君って・・・外道だなァと改めて感心しました・・・。

    舞台セットは寝殿造一室を右半分にしつらえてました

  • 満足度★★★★

    初めての劇団&公演
    プレゼントチケットありがとうございました。おかげで、初めての劇団に出会え、現代演劇としては珍しい出し物を見せていただきました。篠本賢一さん主宰の遊戯空間の様な舞台を想像していましたが、今回のお芝居は、衣裳こそ凝ったコスチュームでしたが、殆ど現代劇と言ってもいいものでした。特に狩衣姿の光源氏と頭の中将の会話は、新宿か渋谷で話をしている現代青年のそれでした。現代青年でもあそこまで女性遍歴はすまいと思われる光源氏の女性遍歴の掘り下げがちょっと甘いかな、と思いましたが、美しい光源氏でホッとしました。美しい衣装をまとった女優さんたちが皆キレイで、それぞれの役どころをキチンとおさえての好演、楽しませていただきました。今からブログ(「季節のはざまで」)に書き始めます。

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