ピアノと物語『アメリカン・ラプソディ』『ジョルジュ』 公演情報 ピアノと物語『アメリカン・ラプソディ』『ジョルジュ』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    評伝と音楽(「アメリカン・ラプソディ」)
    ピアノ生演奏付の朗読舞台「ジョルジュ」と「アメリカンラプソディ」のうち前者は前に観ていて、後者を観た。 作者斎藤憐(れん)は劇作家の御大といった所で、硬い文体(台詞)のイメージが強かった(人間はそうでなかったようだが)が、ガーシュウィンの音楽の人間臭さ、猥雑さゆえか(彼はジャズの元祖とされている)、ぐぐっと迫ってきた。エピソードを時にユーモアをまじえて紹介し、硬いというより丁寧な文体は誠実で、ガーシュウィンの人生とその仕事に体するリスペクト(愛)がそれを説明するまでもない感じで伝わってくる。
      「語り手」として書簡を交わしあうのは、ガーシュウィンと縁のあった男女だが、それぞれ彼の人生にそれなりに噛んで居り、単なる紹介者でなく、次第に彼と彼を取り巻く人達との関係、時代との位置関係が像として立ち上がってきて、最後は作家の逆転勝利。即ち、演劇的感動が実現する。(感動の度合いの点では自分がジャズに傾倒していた事が大きいかも知れない)
     中央のグランドピアノには佐藤允彦がつき、それを挟むように上手にケイ(女性)、下手にヤッシャ(男性)が立つ。女性は声楽家の土居裕子が演じ美声(歌)を披露するが、演技も意外に深い所に達していた。男性は低い美声を持つ俳優座の斉藤淳(歌は披露しないが)。
     この「劇」の主役は、その生音が披露される「楽曲」である。それがまた彼の実人生という背景の前で、生き生きと立ち上がる。よく知られた「ラプソディー・イン・ブルー」は中でも大曲で、ジャズピアニスト(の中でも「楽譜を見て弾ける」基礎の出来た知性派の印象があった)佐藤允彦の演奏を通して、これが作曲者本人によって披露された1920年代当時の人々の驚きが想像させられ、唸った。同モチーフを繰り返しながら即興的に発展して行く形態は、ジャズそのものと言えるが、発展形のバリエーションの幅が大きく、構成に意図が感じられるので、即興演奏「的」ではあるが完成度の高い一つの楽曲である。
     ヨーロッパからの輸入でない、アメリカ独自の音楽を生み出したと評されたこの音楽家はロシア系ユダヤ人の移民の息子。黒人音楽から発展したジャズの要素を取入れて楽曲を作った彼自身は白人だが、小さい頃は喧嘩ばかりして育ち、ピアノに出会ったのは14歳という。急激に入れ込み、15歳の時にはピアノ弾きとしてお金を稼ぎ始めている。クラシック畑の評論家からは絶えず酷評を受け続けたが、大衆からの人気に押されてピアノ楽曲を書き、カーネギーの舞台も踏んだ。ブロードウェイへ楽曲を提供して興業的な失敗も経験するが、その一方で彼は自らの音楽家としての課題=オペラ楽曲(だったか、交響的な本格的楽曲)に取り組むため、管弦楽器の作曲法を学び直したりしている(一度ラベル、いやリストだったか‥に申し込んだが「天才に教える事はない」と断られている)。音楽というtoolを天から授けられ、それと共に爆走したガーシュウィンは多くの浮き名も流しながら、39歳の若さで天に召された。
     ジャズに入れ込んだ者としては、ガーシュウィンという存在はジャズ史では上代の領域の人。常に発展進化する宿命を課されたジャズは現在進行形での「変化」に躍動するものでもある。ゆえに過去作品に遡るのもせいぜいビバップ止りであった。だが今回の「音楽」の物語は当時の躍動する「変化」の場面に立ち会わせてくれた。ジャズへと繋がる瑞々しい萌芽、であると同時にそれ自身として輝く作品がそこにあった。

    ネタバレBOX

    若干の考察。。作者の「言葉」の媒介の働きが、大きいと思う。音楽はそれじたいで美を放つ、それが普遍的価値のある芸術、という言い方は間違っていないが、人間自身は変わる。時代の文脈の中に生き、いつしか内部に育んだ文化的な条件を下地にして芸術を味わう。 私たちはこの「下地」を耕し続けているのだと思う。他者の言葉や「作品」を鋤にして。それが偏狭から自分たちを救い、豊かさを地上にもたらす・・とこう行きたいものである。
     先人の仕事に感謝。

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