羅刹の色 公演情報 羅刹の色」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★★

    丁重な描き方でした
    白チームを観劇。
    上演時間は1時間40分との告知。

    作中で役名が必ず呼ばれる(「語り部」以外)ので、
    当日配布のキャスト表が
    「あの役者さんよかったな…誰だろう?」
    と確かめるのに役立って、良いと思いました。
    役名の漢字表記が衣装のイメージと合ってる登場人物もいて、
    わかりやすかったです。

    事前振り込みで、入金確認メール送付や
    当日の番号順入場案内も丁寧で、快適でした。


    ネタバレBOX

    急遽キャスト降板もあり、
    シングルキャスト化対応での初日だったためか、
    殺陣のシーンで少し危なっかしさを感じてしまう瞬間がありました。
    (設定も設定だったので、もしかしたら演出だったのかも…)

    村に降りて人間を殺す樹虎の叫び声にビリビリして、
    赤妬樺の鳴き声混じりの説得(そのセリフの内容にも)に
    涙腺が刺激されました。
    橙亜が、宴の最中に姉にあこがれて踊るさまや、
    みんなに愛されている際の笑顔も印象的でした。
    森に生きる鬼たちが生き生きとしていて、良かったです。
    彼らに感情移入することで、
    「鬼の血は生命力を強める」等の迷信を信じて鬼を殺しにくる
    人間(朧の友人)とのやりとりがより強く心に響きました。

    鬼を愛して、鬼と共に生きることを決めた大蛇と
    彼が愛した鬼(単)の過去が描かれていて、
    今回の主軸の朧と累と併せて、鬼と人の共存の難しさを
    2パターン展開させていて、観やすかったです。
    二人の子である貝(口が利けない)が、
    仕草と表情だけで思いを表現していて切なかったです。

    宮本さんは久しぶりに拝見しましたが、
    作・演出・出演という大役で、
    舞台の上でも
    朧にとって「常に側にいる幸せ」の化身のような妻の浅葱と
    彼女と同じ顔をした鬼の姫、累の二役でした。
    世間知らず気味の愛らしい仕草、
    人肉を絶ってどんどん弱っていく様子、
    朧の決断を受け入れ生きる強い表情など
    たくさんの姿が観れて良かったです。

    朧と累のやりとりを丁寧に描いていて、
    (個人的には、丁寧すぎるくらいでした。
     もうすこし展開を早められそうな気も…)
    証明や音響、舞台装置も幻想的で美しい世界でした。
  • 満足度★★★★★

    武人会プロデュース:「羅刹の色」
     「羅刹」とは、鬼神の総称。この舞台は、その羅刹(鬼)の物語。

     今日が千秋楽なので、舞台の粗筋は、詳しくは書きませんが、色彩(いろ)を失くした一人の男と、男に出会い焦がれてしまった色彩(いろ)を持たない鬼の、切なくて、愛おしくて、儚く、美しい哀しみの色を纏った物語。

     子供の頃から好きだったのは、切ない鬼の話。母に読み聴かせてもらう度に思っていたのは、なぜ鬼と言うだけで、人間というだけで、十把一絡げに敵対するものとして描かれるのかと言うことだった。

     人の心の中にも、外面菩薩内面如夜叉と言われるように鬼も居れば、鬼の中にも「泣いた赤鬼」のように、優しい心があるのにと。

    この「羅刹の色」を観た時、その時の思いが甦ってきた。

     真っ暗な場内から、浮かび上がって来たのは鬼の住む羅刹の森。気づけば深い深い森の中に迷い込み、時に巌陰に身を潜め、時に木のうろに身を隠し、息を潜めて、目の前で繰り広げられる物語を観ているような、物語に取り込まれているような、不思議な感覚が身を浸す。

     命を繋ぐために、人間を喰らわなければ生きられない鬼、潰えようとする命を繋ぐために鬼の血を飲めば永らえられると、鬼を殺めようとする人間、命を繋ぐために鬼に妻を殺された男、男に焦がれて人間になろうと人を喰らうことをやめた鬼。

     妻を殺され色彩(いろ)を失ったように、生きている藤井としもりさんの月島朧。羅刹の森で出会った宮本京佳さんの鬼の姫累(かさね)によって、朧の中にあった鬼に抱いていた羅刹の心が変化してゆく様、それ故に生じる朧の苦渋、色彩(いろ)をその身に取り戻した朧の選んだ結末は、あまりに深く、あまりに切なく、今こうして書いていても涙が溢れる。

     宮本京佳さんの鬼の姫として生まれ、色彩(いろ)を持たずに生きてきた累が、朧に出会った事によって色の無かった自分の世界が彩られ、その身に色彩(いろ)を持ったが故に、朧に焦がれて、人間になろうとする累が健気で、切なくて、朧への想いの哀しいまでの美しさに、観ている間中止めどなく涙が溢れた。

     姫を思い守ろうとする、上口あやかさんと佐野実紀さんの橙亜(とあ)と赤妬樺(せっか)の健気さ。

     太田旭紀さんの貝は、言葉を発せず、時に優しい笑みで、時に胸の内で号泣し、姫や仲間を見つめ、見守り、静かに寄り添うその心の動きが表情と所作から伝わって来る。

     妻の命を繋ぐため、鬼を殺めようとする戸川真さんの愛丞(あいすけ)の中に鬼を見て、鬼気迫り恐ろしさを感じ、村上芳さんの樹虎(しげとら)に、臣下としての累への思いではなく、胸の奥に累への秘めた想いを感じた。

     誰が正しく、誰が間違っているとか、悪だとか正義とかではなく、在るとすれば人の中に住む羅刹と人の心、どちらに染まるかは自分次第、人はそれぞれの色彩(いろ)を持って生まれて来るということ。

     その色を纏えるか否か、本来の自分の色彩(いろ)を見つけられるか否かは、自分次第、もしかしたら人は自分の色彩を(いろ)を見つけるために生まれて、生きているのかもしれない。

     この舞台を観て、感じ取る色彩(いろ)は観る人によって違うと思う。

     私が観た「羅刹の色」は、舞い散る桜に薄墨色のヴェールをかけた、儚くて切なく、しなやかに強い美しい色だった。

    文:麻美 雪






  • 満足度★★★★

    鬼姫が
    きれいでうっとり。やはり人と人でない者の恋は・・・。

    ネタバレBOX

    『お前の景色に、まだ、色は、ないか?』姫がどんな風に育って来たかは分かりませんが、人を想う気持ち、恋をしたときに理屈ではなく景色が変わって来る(薔薇色になる)ということでしょうか。しかし、どうしても理詰めになる私は「どんな頻度で鬼は人を食らうのだ?1回食べたらどのくらい生きられるのだ?あまり頻繁だとほんとに征伐されるんではないのか?」とか考えてしまうんでした。せめて猿の肉ではいけないのか・・・とか。

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