満足度★★★★
丁重な描き方でした
白チームを観劇。
上演時間は1時間40分との告知。
作中で役名が必ず呼ばれる(「語り部」以外)ので、
当日配布のキャスト表が
「あの役者さんよかったな…誰だろう?」
と確かめるのに役立って、良いと思いました。
役名の漢字表記が衣装のイメージと合ってる登場人物もいて、
わかりやすかったです。
事前振り込みで、入金確認メール送付や
当日の番号順入場案内も丁寧で、快適でした。
満足度★★★★★
武人会プロデュース:「羅刹の色」
「羅刹」とは、鬼神の総称。この舞台は、その羅刹(鬼)の物語。
今日が千秋楽なので、舞台の粗筋は、詳しくは書きませんが、色彩(いろ)を失くした一人の男と、男に出会い焦がれてしまった色彩(いろ)を持たない鬼の、切なくて、愛おしくて、儚く、美しい哀しみの色を纏った物語。
子供の頃から好きだったのは、切ない鬼の話。母に読み聴かせてもらう度に思っていたのは、なぜ鬼と言うだけで、人間というだけで、十把一絡げに敵対するものとして描かれるのかと言うことだった。
人の心の中にも、外面菩薩内面如夜叉と言われるように鬼も居れば、鬼の中にも「泣いた赤鬼」のように、優しい心があるのにと。
この「羅刹の色」を観た時、その時の思いが甦ってきた。
真っ暗な場内から、浮かび上がって来たのは鬼の住む羅刹の森。気づけば深い深い森の中に迷い込み、時に巌陰に身を潜め、時に木のうろに身を隠し、息を潜めて、目の前で繰り広げられる物語を観ているような、物語に取り込まれているような、不思議な感覚が身を浸す。
命を繋ぐために、人間を喰らわなければ生きられない鬼、潰えようとする命を繋ぐために鬼の血を飲めば永らえられると、鬼を殺めようとする人間、命を繋ぐために鬼に妻を殺された男、男に焦がれて人間になろうと人を喰らうことをやめた鬼。
妻を殺され色彩(いろ)を失ったように、生きている藤井としもりさんの月島朧。羅刹の森で出会った宮本京佳さんの鬼の姫累(かさね)によって、朧の中にあった鬼に抱いていた羅刹の心が変化してゆく様、それ故に生じる朧の苦渋、色彩(いろ)をその身に取り戻した朧の選んだ結末は、あまりに深く、あまりに切なく、今こうして書いていても涙が溢れる。
宮本京佳さんの鬼の姫として生まれ、色彩(いろ)を持たずに生きてきた累が、朧に出会った事によって色の無かった自分の世界が彩られ、その身に色彩(いろ)を持ったが故に、朧に焦がれて、人間になろうとする累が健気で、切なくて、朧への想いの哀しいまでの美しさに、観ている間中止めどなく涙が溢れた。
姫を思い守ろうとする、上口あやかさんと佐野実紀さんの橙亜(とあ)と赤妬樺(せっか)の健気さ。
太田旭紀さんの貝は、言葉を発せず、時に優しい笑みで、時に胸の内で号泣し、姫や仲間を見つめ、見守り、静かに寄り添うその心の動きが表情と所作から伝わって来る。
妻の命を繋ぐため、鬼を殺めようとする戸川真さんの愛丞(あいすけ)の中に鬼を見て、鬼気迫り恐ろしさを感じ、村上芳さんの樹虎(しげとら)に、臣下としての累への思いではなく、胸の奥に累への秘めた想いを感じた。
誰が正しく、誰が間違っているとか、悪だとか正義とかではなく、在るとすれば人の中に住む羅刹と人の心、どちらに染まるかは自分次第、人はそれぞれの色彩(いろ)を持って生まれて来るということ。
その色を纏えるか否か、本来の自分の色彩(いろ)を見つけられるか否かは、自分次第、もしかしたら人は自分の色彩を(いろ)を見つけるために生まれて、生きているのかもしれない。
この舞台を観て、感じ取る色彩(いろ)は観る人によって違うと思う。
私が観た「羅刹の色」は、舞い散る桜に薄墨色のヴェールをかけた、儚くて切なく、しなやかに強い美しい色だった。
文:麻美 雪